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ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

2012 NOV 7 11:11:18 am by 東 賢太郎

ブラームスはお好き?

(そんな題名の映画か何かがありましたっけ、すみません、よく知りませんが)。もしそうきかれれば 「人生で一番大事な作曲家のひとり」 と答えます。僕のオーディオルームと装置はブラームスをいい音で聴くために選ばれています。

ブラームスの交響曲で好きなのは何番ですか?

そうきかれて 「ピアノ協奏曲第2番です」 と言ったのは名指揮者ジョージ・セルです。名言です。僕も、日々迷いますが、今日のところはそれでもいいかなあと。先日、ペーター・レーゼルのいいライブを聴いたのがちょっとバイアスになっているかな?

きのう、いよいよ寒くなってきたな、そろそろブラームスだなということで、彼のLP、CD、テープを何枚(種類)持っているか調べたら交響曲だけで1番が103枚、2番が96枚、3番が87枚、4番が111枚と、合計397枚ありました。たぶん世界のどのCD屋より多いのでは。この4曲は完全に僕の人生の一部分です。

それでもです。 「ピアノ協奏曲第2番です」 でいいかなあ、と・・・・。そのぐらい僕の血となり肉となってしまっているのがこのコンチェルトです。どんなに疲れてもメンタルにまいっていてもこれで元気になります。神山先生の漢方薬に対抗できる曲といえましょう。

この曲、ピアニストにとってラフマニノフの3番と並んで最も難しいそうです。それなのに交響曲と言われてしまうほどオケに埋もれてしまう。だからいい演奏はめったに出ません。余談ですがアメリカのライス国務長官、ピアノはプロ級で「好きな曲」の第5位にこのコンチェルトを挙げています(1位はモーツァルトの20番)。IQ200と噂のある彼女の場合、好きなだけでなく、弾けてしまう(たぶん)のではないかとこわくなりますが・・・。

この曲は48枚あります。少ない?いえ、もうこれがあればという演奏に巡り合えばそれ以上いりません。

ウイルヘルム・バックハウス / カール・ベーム / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

神童時代にバックハウスはブラームスと会っています。坊や頑張れよと言われたどうか知りませんがロリポップ(ぺろぺろキャンディー)をもらったそうです。晩年になって「何か弾いて聴いてもらったんですか?」 と質問され 「いいえ。彼は損しましたな。」 と言ったそうです。後に先生になるリストの高弟ダルベールのピアノ、ブラームス自身の指揮でこの曲を聴いた彼はこの録音時点で83歳。それをほとんど感じさせません。ベーゼンドルファーの音色がいい味出しています。ベームとウィーンフィルも最高。コクのあるホルン、ウィーンしかない木管の音色美。そして第3楽章のチェロのソロ!最後のページ、ベートーベンのピアノ協奏曲第4番を思わせるピアノのトリルに独奏チェロがからむ夕焼けの慕情は陶然とするしかない美しさです。ピアノについては、僕はクラウディオ・アラウを採りますが、なんたってぺろぺろキャンディーのオーセンティシティの前には泣く子も黙るしかありません。

ルドルフ・ゼルキン /  ジョージ・セル  / クリーブランド管弦楽団

上記の名言を残したジョージ・セルが ゼルキンと残した名演。僕は浪人時代にこれでこの曲を知りました。オケもピアノも筋肉質で付点♩音符リズムのエッジもたっており、弦があまりにうまいのでピアノの名手でもあったセルとゼルキンが連弾している気さえしてきます。第1楽章第1主題に埋め込まれているベートーベンの「運命動機」が意味を持って聴こえる唯一の演奏。セルのブラームスは交響曲も同様にすばらしくぜひ聴いていただきたいです。ゼルキンの硬質なフォルテは強力なオケに見事に拮抗、第3楽章の叙情性もまったく不足がない。彼の神髄は併録の作品119の4つの小品を聴いていただければわかると思います。インテルメッツォ1番は神品といってよく、これ以上の演奏を僕は聴いたことがありませんし、今後もおそらくないでしょう。

 

ヴラディミール・ホロヴィッツ / アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

数年前、息子を連れてイタリア旅行した時、ミラノでガイドがどこへ行きたいかと聞くので 「トスカニーニのお墓」 と言ったらちゃんと連れて行ってくれました。それほど尊敬する指揮者です。プッチーニのトゥーランドットを初演したのはこのトスカニーニです。ここでピアノを弾くホロヴィッツは義理の息子で、わが国を代表するピアニスト中村紘子さんによると 「ピアニストでホロヴィッツになりたくない人はいないがなれる人もいない。」  この難曲をまるでショパンのように軽々と弾いているのは驚くばかり。指揮もピアノも本来こういう曲ではありませんが一聴の価値ありです。このCDしか見当たらない(NAXOS盤はi-tuneでの聴感では音が今一つ)のですが、以前RCAから比較的しっかりした復刻のCDが出ていました。中古は探せばあるかもしれません。

 

ハンス・リヒター・ハーザー / ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このピアノの剛毅なパンチ力は非常に魅力があります。ギレリス/ヨッフムという強力対抗馬もありますが、これのほうがよりストレートに曲のそういう側面を表現しています。オケの深々とした弦に埋もれることなく打ち込まれる低音。ブラームスはこうでなくっちゃ、という音の要件をほぼ満たしている稀有な、しかし実にドイツ的な見事なピアノです。コンチェルトは帝王カラヤンのペースで進むのが普通なのにリヒター・ハーザーはライブのように拮抗しており、カラヤンのほうが対抗しているように聴こえる部分もあります。ベルリンフィルはウィーンフィルのような音色面の特色はありませんが、その馬力と推進力、重厚感では金メダル級。このピアノでないと完敗だったでしょう。持っていて決して損のない名演です。

 

クラウディオ・アラウ /  ベルナルト・ハイティンク /  アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

僕が最も好きな演奏です。アラウはこの曲を何度か録音しておりジュリーニ指揮のEMI盤もありますがオケの魅力は格段に落ちます。アラウのピアノは独特の節回しがあり、千両役者の大見栄という感じ。それがまったくわざとらしくなく、ブラームスの望んだルバートはこの呼吸だと思わせる説得力があるのです。大人の風格。ブラームスらしい重厚感、リリシズム、起伏にもまったく遜色がありません。この曲のピアノは低音部から音を積み重ねる「重たい和音」が続出しますが、アラウの紡ぎだす和音は常にその和音がそこに置かれた必然性に照らして各構成音に「最適な力のバランス」を加味した名人芸で鳴らされるので、濁るということがありません。この特徴は彼のベートーベンにもショパンにも常に感じられるもので、高い音楽的教養、知性、高度なテクニックが混然となった、他に替え難いいぶし銀のような魅力を発散しています。わかる人にはわかる高級な服の裏地というイメージでしょうか。オケはコンセルトヘボウという世界有数の名ホールの空気感を伴って馥郁たる音色で鳴っており、指揮者は何も特別なことはしていませんがアラウの名演を堂々と包み込んでいます。僕はこのホールで3回聴きましたが、世界で最も好きな音色です。右上のCDが廃盤になっているようで手に入らないかもしれません。

HMVから右の全集が出るようです。ハイティンクのコンセルへボウとの交響曲全集ですが、ここにアラウの1,2番が入っているようです。交響曲も第2番は非常な名演ですし、1,3,4番も水準以上です。なによりこのオケとホールですから失望するということはあり得ません。値段も安く、ブラームス入門のかたには絶好のアルバムであります。

こちらはライブで一段とすばらしい。大学時代にFMからエアチェックしたテープをアップロードしたもので、僕はこれを聴きこんで曲を覚えました。

 

マウリツィオ・ポリーニ / クラウディオ・アバド / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

この演奏はLPで大学時代に買い大変に感動して聴いていたものです。これがビデオであるとは思っていませんでしたし、それも無料でですからいい時代になったものです。画像ですとポリーニの技術の尋常でない水準が良くわかります。これほど磨きぬいた大理石のようなブラームスはなかなか聴けるものではありません。

 

マイラ・ヘス / ブルーノ・ワルター / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1951年2月11日ライブ)

このピアノをきいて、弾き手が男だ女だと議論することはおよそナンセンスでしょう。マイラ・ヘス(Myra Hess、1890-1965)はユダヤ系英国人ですがドイツものを十八番としていました。バッハの「主よ人の望みの喜びよ」のピアノ編曲楽譜ばかりが有名ですが録音はベートーベンもブラームスも極めて立派であり、シューマンのコンチェルトは同曲のブログで推奨させていただきました(シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54)。

このブラームス、ワルターによる同曲のおそらく唯一の録音で実に味わい深い2番のオケパートであり、テンポ、ため、歌の呼吸、ロマン性、高揚感、重量感とも最高級の2番であります。そこにヘスの強靭なピアノが拮抗していく様にはどんな男もたじろぐばかりのハマり感があり、シューマンの協奏曲でも感じた演奏流儀の本家本元感(オーセンティシティ)も半端でありません。これはきっとブラームスも誉めたに違いないという手ごたえがあり、終ってしばらくして「ああ良い2番を聴いた」と心からの満足をいただける最右翼の一つであります。

ライブでミスタッチも多いですが、そんなことがどうしたというんでしょう?第1楽章の深いコクと激情、第3楽章でクラリネットと絡むあたりの集中力漲るピアニッシモの清澄な響き!第2楽章のパッションを刻む重いタッチ、終楽章でのイタリアの風土に接した軽やかな喜び!これだけの表情の振幅がストイックな音楽作りの中で何の不自然もなく語り尽くされ、聴き手を十全に説得してしまうのは名人の業であります。ワルターもヘスも2番で語りたいことがたくさんあり、これはこういう音楽であるという思いのたけをぶつけているのですね。それが気骨というものです。

2番のピアノをこれだけ強く重い音で弾けるというのはメカニックにおいても特筆ものなのですが、ヘスの素晴らしいのはそれを誇示せずに語りたいことを語るための僕(しもべ)としていることです。下衆なピアノ好きの聴衆への安易な媚(こび)がまったくないんですね。こういう高貴な精神があってこんなにピアノの上手い人がいま世界にどれだけいるでしょう。そりゃあそういうポリシーではコンクールで優勝できませんからね、いないわけです。

少年時代はピアノを弾くことはまるでタイプライターをたたいてるみたいだった。しかし、ヘス先生に出会って変わった。

スティーブン・ビショップ・コヴァセヴィッチ

 

(補遺・3月6日)

ゲザ・アンダ/ オットー・クレンペラー / ケルン放送交響楽団 (54年4月5日ライブ)

074クレンペラーの伴奏がライブならではの推進力と力感を与えた名演。クレンペラーのケルンでのブラームスは55年の交響曲第1番が看過できぬ素晴らしさで、これも指揮がリードした聴きごたえ満点の演奏。軽さと重さを併せ持ったアンダのピアノがそれによくつけており、第1楽章は速めのテンポで巨匠風を気取らず、第2楽章も速い部分は速く歌う部分は遅く、即興性がある。第3楽章はアルペジオ風フレーズのタッチが軽くて粗く深みに欠けるが、そのセンスのまま入る終楽章はカプリッチオな面白みがある。

次はHJ リムのライブ演奏。お義理、オシゴトで弾ける曲ではない。これだけ没入して楽しみながら2番を弾けるのは見事としか言いようがない。第1楽章冒頭のピアノのひそやかなタッチからして、ああこの人はこの曲を好きなんだという感じがする。こちらも負けずに好きなのだから通じるものがある。そしてその愛情を音にする技術だ。youtubeにバッハの平均律第1集があるが、ある意味身勝手な表現でこんなのはバッハでないと思う人がいるだろうことを承知で、しかし大変うまい。小手先の芸でない。このブラームスもそういうもので、この豪放さと勢いは異質と感じる領域にまで至っているが許せてしまう。日本人でここまでやる人はいないし出てもこないだろう。欧米の先生のお手本の中で先生っぽく弾くのを競うのが日本人、それをぶち壊して自分っぽく弾くのが韓国人だ。残念ながら、音楽はこういうものだと僕は思う。

 

クリフォード・カーゾン / ハンス・クナッパーツブッシュ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (1957年Decca 録音)

XATW-0010770807年にLiving Stageというレーベルで出て、安かったのでだまされたと思って買ったが、これが音もよく仰天ものの名演で拾いものをした。カーゾンはモーツァルトが神品でありデリカシーのピアニストと思っていただけに、第1楽章の豪快なタッチのffは意外であり、それも根っからのヴィルチュオーゾであるかのごとくピシッと決まっている。クナッパーツブッシュの伴奏もなんら奇矯なことはなくVPOを生かしきった堂々たるブラームスだ。これは上掲のどれと比べてもひけをとらない。このレーベルはもう見ないがDeccaのご本家盤がi-tunesにある。57年録音であり、55年ザルツブルグライブではないのでご注意を。

(補遺、17年7月17日)

カール・フリードベルク/ ウォルフガング・シュトレーゼマン/ トレド交響楽団

これをyoutebeで見つけて狂喜、感謝。ブラームス自身のピアノを聴いている気分に浸っている。カール・フリードベルク(1872-1955)はクララ・シューマンの弟子でシューマン宅でブラームスに彼の作品を弾いて聴かせた。1893年には全曲ブラームス作品によるリサイタルを本人立ち会いのもとに行い、作曲者から称賛を得たことで、ブラームスのピアノ曲のほとんどについて作曲者本人の個人指導により特訓を受けている。彼は録音を82才で亡くなる直前の2年しか残しておらず、この80才でのトレド(オハイオ州)でのプライベート録音は福音としか言いようがない(第1楽章の冒頭部で楽譜が違う?がこれは不明)。

「女にブラームスは弾けない」伝説は実は Friedberg once told me that Brahms disliked most women pianists’ performances (excluding Clara Schumann’s, of course) because “they banged too much.”(Bert van der Waal van Dijk 、Gustav-Mahler.euより引用)から来ていると思われる。火元はブラームス自身だから無視はできないが彼はマイラ・ヘスを聴くには年を取り過ぎていた(フリードベルクはヘスのピアノを崇拝していた)。

 

ディーター・ゴールドマン / ハンス・ペーター・グミュア / ミュンヘン交響楽団

実はこの演奏(右のCD)は指揮者がアルフレッド・ショルツなる人物だ。この人は)東西ドイツ統合後にPILZというレーベルを設立したドイツ人で、オーストリア放送協会の放送用録音を大量に買い取り、自身が指揮したもの、あるいは架空の演奏家のものとして大量に売りさばいた企業家だ。実は僕は野村證券国際金融部コーポレート・ファイナンス課長時代、1991年に東京本社でこの人に会った。PILZのエクイティ・ファイナンスを野村で引受けてくれという株の売込み訪問だった。「著名演奏家かどうかは鑑賞には関係ない」というふれこみだったが、「どうせ日本人にはわからないだろうから売れるよ」という含みがあって、それが気に食わなかったので、「申し訳ないがそうは思わない」と言って断った。このCDはずっと後に買ったものだが、PC2番に彼の名があった。聴いてみる。ところがどうしてどうして、これが廉価版にしてはあまりに良い本格派ブラームスではないか。本当に彼の指揮かどうか不明だったが、調べるとハンス・ペーター・グミュアという実在の指揮者がゴールドマンと同曲を録音していることがわかり、ショルツは幽霊だろうという推測に落ち着いた。しまった、あれOKすべきだったかと思ったが、PILZはその後倒産したことが分かった。僕がむかっとしたことで野村を救ったことにはなったが、翌年僕はドイツに赴任することになるわけだから売ってあげれば資金は回って潰れずにすんだかもしれないし、やらないにしても少なくとも仲良くしとけばよかった。当時こっちは36才、まだ大人の分別はなかった。妙な因縁だが、この演奏はたしかに「著名演奏家かどうかは鑑賞には関係ない」というショルツ氏の主張を裏付ける。真っ向から否定してすいませんと懺悔しつつ、時々取り出して楽しませていただいている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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