はんなり、まったり、京都 (その4)
2013 APR 11 21:21:27 pm by 東 賢太郎
京おどり、というのは上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、および宮川町の5つの花街(「かがい」と読む)のうち宮川町の芸妓さん、舞妓さんによる春の発表会みたいなものです。都をどりは祇園甲部、鴨川をどりは先斗町という具合に、花街ごとに名前が違いそれぞれ個性を競っているそうです。
前々回書きましたような偶然の成り行きで、雨の土曜日のお昼過ぎ、その京おどりなるものを見せていただくことにあいなりました。劇場の近くに梶浦氏おすすめの昔の食堂風うどん屋があります。腹ごしらえに食べたそこのカレーうどんが絶品で、加山雄三の色紙なんかもありましたが、京都の味文化はただものでないと直感しました。思わず、めちゃくちゃうまい!と言ったらおばちゃんがほんとに喜んでくれる。いい味でした。
おどりは宮川町歌舞練場といういかめしい名前の劇場(右)で演じられます。まずお点前を頂戴したのですが、「しげ森」のおかあさんのご案内についていくと長い列をとばして一番前へ。いいのかなと思いましたがこういうのも京都なんでしょう。我々ごとき一見さんではありえぬことで、これは梶浦社長の力です。お茶を運ぶのが昨日のふく兆さんでしたが、初々しくてとてもよかった。
さてお茶と和菓子をいただいてホールへ向かいます。ここまではどこか蔵前国技館でも感じた「国技」という雰囲気を感じておりましたがホールへ入ると、これはオーケストラピットがないだけで、ほぼ小ぶりのオペラハウスであります。
幕が開いて驚いたのですが、地方さんと呼ばれる唄、三味線、横笛、大小の鼓(つつみ)、太鼓、鐘から成るオーケストラ部隊は客席を挟むように舞台の両側に一列に並んで配置されています。撮影禁止だったのでお借りしましたがこの写真のようなもです。
このステレオフォニックな音響効果は実に刺激的で、西洋だと「バンダ」という舞台の上、袖、裏にある第2オーケストラはありますが近現代音楽でしか記憶にはなく、江戸時代の日本人の音感覚は高度なものがあったと思いました。三味線はほとんどハモることはなく、ユニゾンで合奏するとどこかバルトーク・ピッチカートのような打楽器的感触があります。そこに本当の打楽器である大小の鼓(つつみ)、中小の太鼓、鐘、そして舞台袖から鳴る大太鼓が交差する音響空間は非常にユニークであり、曲調はほぼのどかなのですが時に耳をつんざく横笛と拍子木が瞬時の緊張を吹き込みます。こういう非連続的でドラマティックでない展開というのは西洋音楽的にはとても現代的な響きです。しかしこれは我々には日本古来の懐かしい音なのです。
唯一、音が減衰しない唄がそこに乗るとそれが際立つという見事なオーケストレーションが施されていることにも気づきました。宮川音頭というご当地テーマソングのような唄がフィナーレに出てきますが、唄に横笛がユニゾンで加わって、なんとも耳に残ってまとわりつく、短調で悲しげなのにどこか楽天的でもある不思議なメロディーを全員で奏で、全員で舞います。そして鐘が入りだんだんアッチェレランドで大団円。これは圧巻であります。ちなみにべラ・バルトークは自国ハンガリーの農村を回って古老の歌う民謡を多く採譜し、そこから抽出、抽象化したイディオムを素材としてあれだけの名作を書き上げました。この宮川音頭にはそういう素材がつまっている感じがいたしました。ともあれ、この公演は邦楽の面白さを初めて味わった忘れられないものとなりました。
おどりの方は無粋者ゆえまったくコメントできませんが、前から2列目の中央という格別のお席で拝見したこともあり、ただただ呆然と見とれるばかりで 言葉もありません。イメージに似た写真をお借りしましたが、着物というものが女性を美しく見せる(いや、本当に美しいのでしょうが)効果は絶大なもので、静止していても綺麗なのですが、ゆるやかで曲線的なおどりの動きが加わるとさらに映えるのです。日本の美ですね。バラではなく、まさに桜です。江戸、明治の男の気持ちがよくわかりました。
近頃見聴きしたどんな西洋クラシック音楽のコンサートよりも感動しました。これは世界に堂々と誇るべき音楽とビジュアルの総合芸術であることを確信いたします。京都だけでなく日本人はこれを世界に発信しなくてはいけません。
最後に、これを見せていただいた梶浦君、しげ森さんに感謝いたします。
(追記: 昨日たまたま友人のお誘いで東京は赤坂の「しょう山」という料亭に行きました。玄関を入ると芸妓さんのうちわが壁に飾ってあり「小ふく」などとあってびっくりしました。おかみさんが「しげ森」のおかあさんと知り合いだそうで、世の中狭いといいますか、それにしてもあまりの偶然ではございました 。)
中島 龍之
4/12/2013 | 9:48 AM Permalink
普通は見れないものを紹介いただきありがとうございます。東さんの説明と写真でその場の様子が目に浮かぶようです。更に、東さんならではの音楽解説がその音の風景を想像させてくれます。行ってみたくなります。そのあとの、東京での出来事も面白い縁を思わせますね。
東 賢太郎
4/12/2013 | 12:49 PM Permalink
舞妓は東京にはなく、芸妓は芸者でありゲイシャでもあります。日本人でも間違ったイメージを持っていることに気づきました。フランス人やロシア人がバレリーナをこういうイメージで見ているということはないでしょう。宮川音頭は日本の白鳥の湖です。色事と結び付けて見てしまうのが日本の男の悪いくせで(あえて自省をこめて書いておりますが)、それを言うならあちらのバレエ界などもっとすごい(そうです)。これが広く知られるようにならないなら芸事、芸術に対する国民の目線や文化度の問題でもあり、国の威信の問題といっても過言でありません。文科省が伝統文化振興に予算を取るのは大賛成です。そういうものを真っ先に「仕分け」した何とかという文化度の低い女性議員もいましたが、ここもアベノミクスを期待したいです。