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クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

2015 JAN 5 21:21:36 pm by 東 賢太郎

自分史としてクラシック演奏家について書こうと思い調べていたら、実演をきいた演奏家がもうこんなに鬼籍に入っているではないですか。

カラヤン、バーンスタイン、チェリビダッケ、オーマンディー、テンシュテット、ヨッフム、ジュリーニ、ショルティ、ドラティ、フルネ、C・クライバー、シノーポリ、H・シュタイン、ヴァント、ベルグルンド、ラインスドルフ、スタインバーグ、デュファーロ、ザンデルリンク、ベルティーニ、アロノヴィッチ、ジョルダン、グローヴズ、ヒコックス、ハンドリー、ワルベルク、ライトナー、コシュラー、R・ショウ、クライツベルグ、バルシャイ、ギレリス、リヒテル、ルドルフ・ゼルキン、ペルルミュテール、フォルデス、ラローチャ、フィルクシュニー、ミケランジェリ、ホカンソン、シュムスキー、ワイセンベルク、ラドゥ・ルプー、ヘルマン・プライ、スターン、グッリ、ブレイニン、イダ・ヘンデル、ロストロポーヴィチ、ポール・トゥルトリエ、パバロッティ、ディミトローヴァ、フィッシャー・ディスカウ、アーリン・オジェ、クルト・モル、ウィルマ・リップ、ジェシー・ノーマン、マッケラス、サヴァリッシュ、デ・ブルゴス、コリン・デイヴィス、アバド、ゲルト・アルブレヒト、マゼール、ブリュッヘン、ホグウッド、チッコリーニ、マズア、ブーレーズ、アーノンクール、マリナー、アントン・ナヌート、スクロヴァチェフスキー、ロバート・マン、ビエロフラーヴェク、ジェフリー・テイト、ヘスス・ロペス・コボス、ロジェストヴェンスキー、プレヴィン、マリス・ヤンソンス、ミヒャエル・ギーレン、ペンデレツキ、ネルロ・サンティ、レイモンド・レッパード、ジェームズ・レヴァイン、ハイティンク、クリスタ・ルートヴィヒ、ラルス・フォークト、アンドレ・ワッツ、テミルカーノフ、ポリーニ、日本人で朝比奈、山田、渡辺、若杉、芥川、羽田、中村紘子、遠山慶子、外山雄三、飯守泰次郎、小澤征爾。

まあそれだけこっちも年輪を重ねたということで、どの時代に生まれてもこういうリストができて名前が増えていくんでしょう。ちがうのは顔ぶれだけです。

僕はマルケヴィッチ、アンチェル、アンセルメ、ミュンシュ、クリュイタンス、マルティノン、フランソワ、オイストラフ、コンドラシン、カザルス、セル、バックハウス、ケンプ、ルービンシュタインの来日公演を聴くにはちょっと若すぎた世代で、聴けたのにと後悔しているのがベーム、シェリング、ムラヴィンスキー、フルニエ、アラウ、クーベリック、スイトナー、マタチッチ、スヴェトラーノフ、グルダ、ヘブラーあたりです。晩年に来日したカラスは聴かず、ホロヴィッツは海外にいて聴けませんでした。

ご覧いただいて僕と同世代のクラシックファンはみなさん懐かしいのではないでしょうか。実演を聞かれた方も多いでしょう。これに現在活躍中の長老、ベテランを加えればほぼ20世紀後半のクラシック界を代表する演奏家リストができてしまいますし、この人たちの録音が後世もスタンダードとして永く聴きつがれていくのだと思います。

演奏家の旬の時期が30年ぐらい自分が演奏会に出向けるのも30年ぐらいとして、両者がクロスオーバーしたのは縁だったんだと思います。日本に来なかった人もいるし、地理的な事情を考えるとタイムリーに出会える運というものもあります。聞かせていただいた人がこれだけいたというのは16年を海外で過ごしたからですから、どこか自分の人生の縮図を眺める気もいたします。

すでに何人かのコンサートについてはブログにしましたし、残念ながら印象が薄くて細かいことは忘れてしまったのもあります。

今年のテーマとして、まだ書いてない印象に残った名演奏家のコンサートやエピソードをピックアップして、その演奏家の録音への意見もふくめて何回かにわたって書いていこうと思います。「僕が聴いた名演奏家たち」というタイトルで「カテゴリー」に入れていきますのでお読みいただければ幸いです。

 

(追記、16年2月3日)

とうとう本稿のリストにピエール・ブーレーズと記す日が来てしまった。

彼との出会いがCBSの春の祭典であったことは何度も書いた。この空前絶後のレコードは、高校生だった僕の大脳にalignmentという作用を及ぼした。どういうことかというと、頭の中で細胞が一直線に整列するイメージだった。すべての音符にブーレーズの強靭な知性の引力を感じ、それに得も言われぬ魅力を感じたことで、その支配が僕の耳を通して脳細胞にまで及んでしまったことを意味していたように思う。

そこから、僕はそういう人間になった。

数学が好きになり、とくに整数題に凝った。整数というのはフィクションというか、あらゆる数の中に在るには在るが、在ると言うのは点に面積があると主張するぐらいに作り物めいた呪文のような存在だ。しかし「在る」ことにすると色々面白いことがあって、ひょんなことで実用性があったりする。いや、我々の現実社会はその面白いことだらけで成り立っている。猫が1.7匹いたりすることはないように。

ブーレーズは名前の発音を「前のーは後ろのーの半分の長さ」(ブ-レ--ズ)と説明した。1:2の整数比であり、ブが八分音符ならレは四分音符ということだ。この説明方法に彼の音符を支配する知性の秘密が垣間見える。彼は言語の要素に「音価」を見出している。「リズム」ではない。音楽を組成する諸要素、これ以上は分解できないエレメントのひとつとしてだ。それを僕は上記の春の祭典に見た。音価が整数である必然性はないが、「祭典」では、厳格な整数比のコントロールを導入することで、それまでの誰の演奏にもないもの、作曲家が恐らく本能的に選び取った神性に支配された秩序ある美を紡ぎ出したのである。

それを僕は数学の、非常に難しい整数問題がとうとう解けた瞬間に、いわばなんとなく「発見」した気分を味わった。それらは等しく美しいからだった。

ブーレーズがドデカフォニー(12音技法)から作曲をはじめ、音高ばかりでなく音価にも限定的選択による秩序を与え、その秩序に言及、開示することを好まなかったことは、音楽美(aesthetic)を感知させる根源的なエレメントの配列が宇宙に存在し、それを感知したままに書き下そうとしたかのように思える。それは神性によるものであり、人間である自分が今できるとは限らない。彼のwork-in-progressという発想はそういう思考形態の表れなのではないだろうか。

「非常に難しい整数問題」は、整数がフィクションだというメタファを使ってはみたものの、人間が恣意的に作ったものでないことだけは確実だ。神性に基づいた問題であり解なのであり、しかもそれを僕は音楽のように美しいと感じた厳然たる事実があるのである。ブーレーズが生涯通して求めた美はそういう存在であり、彼が作曲を通じて、まだ未完と考えておられたであろうことを割り引いても、宇宙の原理が作用することに依って我々の脳が感知するJ.S.バッハやモーツァルトの美と同質のものを残したことは疑いがないように思う。

僕の脳にalignmentという作用を及ぼしたものの実体は、彼の脳にあったaestheticの根源的なエレメントの配列の同期だったと信じる。それは人格という高次なレベルの影響であり、彼に会ったことはないが、そういうことがありえるのだと今は確信に至っている。彼の肉体は滅んでしまったが精神はこうして生きている。それは論語を通じて孔子の精神が人類に根づいているのと同じことだ。

永遠に感謝の意をこめて

 

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