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シューベルト ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調D960

2015 JUN 22 23:23:12 pm by 東 賢太郎

幸いにも大病の経験はないのですが、水疱瘡になったことがあります。当たり前?実はそれが2009年、なんと54才のことなのです。赤ん坊の時にやってなかったようです。

最初に行った町医者で風邪といわれたので薬を飲んで寝ていたら翌日になって体中に優に百か所ぐらい発疹が出ました。あわてて病院に電話しましたが「もう遅いですね、安静にして家で治してください」でした。うつるから来るなということのようです。

子供たちはすぐ治りましたが年寄りは熱が下がりません。鏡をのぞくと顔が斑点だらけでぎょっとしました。体温計を見るといつも40度前後で、これが3日続いた。頭が朦朧として夜中に妙な夢を見ます。もうだめかもしれないと思ったのはこの時だけです。

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体中の発疹がつぶれてかさぶたになると治るのでどうということはないのですが、それは後講釈。鏡に映る我が身を見て梅毒患者の写真を思い出してしまい、情けない話ですがすっかり怖気づいてしまったのです。

仕事はもちろん音楽どころでもない。あの恐怖から逃がしてくれるもの?なにもなかったですね。ただただ寝てるだけですが眠れるわけでもなく、昼間から悪夢のなかにいるみたいで時が長く、あたりがやけに静かでした。

 

245px-Franz_Schubert_by_Wilhelm_August_Rieder_1875シューベルトは梅毒で、それがもとで31歳で亡くなりました。体に巣食っているそれが何なのか、現代医学でわかっていても怖いだろうに、どんな精神状態でいられたんだろうと同情してしまいます。水疱瘡程度で落ち込んでしまった自分がいましたからね、怖さはわかる気がするのです。

彼はおそらく日々そうした恐怖におびえ、つきあい、手なずけ、だまし、憔悴する自分もだまし、何か集中できるものを手にして逃避したくて、結局その不可避な帰結としてハ長調交響曲、未完成交響曲、弦楽五重奏曲などを生への希求のように一心不乱に書いたのではないでしょうか。それらは、だからでしょう、とても尋常とはいえないものを孕んでいます。

それを最も感じてしまう音楽は、最後のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960です。人生へのはかない憧憬を秘めたような主題がピアニッシモでひっそりと始まりますが、それが一段落すると、はるかピアノの左の方に離れた低い鍵盤でのトリルが地底の声のように響きます。

変ロ長調だった主題はその声に引っ張られるかのように変ト長調に強引に転調します。もうこの時点でこれは普通のソナタではないのですね。生への憧憬は地獄にひきずられています。展開部の軋む短2度、真に驚くべきめまぐるしい転調の嵐は聴く者の精神を射すくめ、うつろにします。

再現部にはいるところの休符、この時間が止まって何かをじっとのぞきこむような静止は未完成交響曲を思わせます。そして主題が短調になり、悲痛が支配するとまた音楽は止まります。この陰影はチャイコフスキーが悲愴交響曲にもっていきました。そこでも作曲者は黄泉に引きよせられています。楽章は地底のトリルで幕を閉じます。

第2楽章は、静かなる別れの音楽です。これも怖い音楽ですね。嬰ハ短調はホ長調の平行調で、彼の精神は主調の変ロ長調からもっとも遠い所をさまよっています。彼は何かを聞いてしまっています。そしてどこへ行くのか、何から別れなくてはならないのか?

前半の2楽章が彼岸の音楽だったことに、彼の生への憧憬が反駁します。第3楽章、スケルツォ。生への回帰です。第4楽章、ハ短調で始まり、変ロ長調に帰ります。戻ってきたい。最後の力をふりしぼりますが、それは自分への欺瞞でしかない。それを知ってしまっている絶望をふりきろうとするように、曲は強い和声で終結します。

未完成交響曲にあらわれる全休符。地獄の深淵がぱっくり口を開いているような黒い空間、あの慄然とする不気味さは僕が寝込んでいるときにうなされた夢に似ます。それは人が何をしようと抗えるものではなく、どうしようもなくそこに超然と冷たく在って、避けようのないものです。

他の人の書いた音楽、あのモーツァルトのレクイエムにでさえもそれを見ることはありません。ほどなく彼岸に旅立つことを知っていたシューベルトの音楽だけが、作曲家の意思とは関係なくそれの気配を漂わせている。このソナタはそれを感知できる人だけが表現できるものが霊気のようにあり、それは楽譜のどこにも書かれていないのです。

 

この曲を見事に描ききった演奏としてマリア・ユーディナ以上のものを知りません。第1楽章第1主題はすでに薄暮のなか天国に召されるかのように遅く、それが同じく遅いリヒテルやアファナシエフの虚無感ではなく僕はラファエロの天使を思い浮かべます。ところが地底のトリルで導かれた第2主題は速く軽やかであたりにさっと陽がさすのです。この透明なタッチへの転換!展開部の短2度の切り裂くような痛み、救いを求める強烈な叫び、そしてまた訪れる天国のやわらかな光。短調部分の悲しさ。すさまじいピアニッシモと恐ろしい地底の声!シューベルトの心の揺れがこの演奏ほどの振幅で痛切に語られたものはないのではないでしょうか。第2楽章の彼岸の世界は灰色に包まれますが激情と花園の安寧が交叉します。第3楽章の天使が飛び交う生への回帰、そして終楽章は活気あるテンポと激情の爆発が死を振り切ろうと最後の抵抗をみせますが、それなのに暗さが支配しているのです。小手先の解釈と雲泥の差である人生をかけた至芸であり、テンポ、ダイナミズム、タッチに彼女の持てるものを使い尽くした渾身の演奏であります。1947年録音。この第1楽章はリヒテルに影響を与えたかもしれません。

ユーディナのテンポがどうも・・・という方もおられるでしょう。一般にあまり違和感のないものからひとつ、ルドルフ・フィルクシュニーの演奏です。第2楽章の中間部はかなり速い。1969年のロンドンのライブで、幻想的な一貫性あるドラマというより場面ごとの性格を深く掘り下げた趣です。音は鮮度が低いですがクリアなタッチは十分に伺え、第3楽章の軽さが見事です。

 

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Categories:______シューベルト, クラシック音楽

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