Sonar Members Club No.1

月別: 2016年11月

ついにディールが終わる

2016 NOV 29 23:23:24 pm by 東 賢太郎

ついに昨日、ディールが終了しました。明日事務的な作業を終えて帰国します。3カ月の激闘でしたが達成感はひとしおで、野村、みずほ時代とはまた違った感慨がございます。チームとして苦労してくれた皆さんに深く感謝します。これで今年はおしまい。のんびり冬眠に入ります。

ランチしながら「3回もうだめだと思いました」と疲れきった部下。「ほんと、よくできたね」とねぎらい、みんなストレスが半端でなかったのに無事でほっとしてます。僕は風邪で、こういう時に神山先生が調合して下さる特別の煎じ薬でいつもは一発でなおる(見事なききめ)のが今回はそれでもえらく時間がかかりました。

元来がネコ型、短距離ダッシュ型ですが、今回は想定外の環境変化に翻弄されました。いままでで一番厳しいディールで何度も怒鳴りまくったらしいが本人は忘れてます。この業界、そんなのをいちいち覚えてたら先に進まない。元部下のS君、昔から東さんに慣れてますが今回はすごかったですねと平然と振り返ってくれるのは野村で鍛えた人間がいかに頼もしいかということです。無敵ですね。

今日はリフレッシュしたく、たまたま室内楽があったので彼を引っ張って行きました。クラシック未体験でプーランクやミヨーでしたが頭がスッキリしたそうでよかった。そんなもんです。ひとつ人生の楽しみを増やしてくれたら嬉しいですね。わかりやすく説明してもらえばOKですねという彼の感想は誰にも当てはまると思います。

投資を説明するのに比べればクラシックのご紹介は気楽なことです。なんたって品質が抜群なんだから投資と違って裏切られることがありません。何人ファンを増やせるか?ひまになったらチャレンジしてみたいですね。

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クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―

2016 NOV 27 0:00:29 am by 東 賢太郎

何が嫌かといって自分で理解もコントロールもできないものに振り回されることだ。普段は気にもしないがビジネスの場でそうはいかない。相手に理があるなら我慢もするが3分でクビにするような人に差配などされたら心の奥底から耐えがたいのは誰も同じだろう。

こういうストレスが続くと癌みたいな硬い病巣が心にできてしまい、時間が経っても根治し難く、さしものクラシック音楽といえども効能は期待できない。帰りの機内でいろいろ聴いてみたが、やはり入ってこなかった。ところがさっき偶然にジュピターの第二楽章をネットで耳にして我に返った。これが耳に突き刺さってきたのである。写真は僕のピアノ譜の「その」部分だ。ここに抜き差しならない絶対普遍の音が書いてある!

jupiter-mov2

何度も述べた部分だ。2段目最初の音(a)!そして3拍目のビックリマークを書いた血の出るような音(b)!この二つは音程関係が似ているが違う。(a)を長3度下げると(b)のラは半音下がるが、弾いてみるとそれじゃだめだ。(a)のドを半音上げてもだめ。彼はどうやってこんな音を選びとったのだろう?彼はいったい何者だったんだろう??

バスはA・D・G・C・F・B♭と完全4度上昇の神のバランスだが、その上に軋みと悲しみを内包した、何と豊穣でエロティックで人間くさいドラマを矛盾もなくのせていることか。しかも何の苦も無く。これを何度も心で反芻しているうちに、真の天才の凄みに射すくめられたのだろう、僕のストレスの病巣ごときは粉みじんに砕け散った。つまらん人間界の澱が人類史上最高の知性にふれて浄化された気がする。

ハイドンが98番にここを引用したと僕は固く信じている。彼も天才だが、真に畏敬すべきものは神だということを知っていた。この霊的な箇所に反応しなかったはずがないのではないか?モーツァルトが神である証拠は彼の626曲の楽譜に幾つもあるが、僕が気づいているものは全部書き残して死にたい。

さっき聴いたというのは故・山田一雄のものだ。棒はほとんど振らない。顔の表情と大きな所作で体ごと欲しい音をN響からえぐり出している。それが出ているということが見ていてわかる。こじんまり綺麗に整ったモーツァルトなどくそくらえだ。

指揮とはこういうものであり、巨魁な精神作用なのであり、奏者をインスパイアし鼓舞するオーラの賜物であると心より納得する。天才の音魂と最晩年の山田の霊感が共振しただごとでない感動的な名演になっている。誰がN響からこんなモーツァルトを聴かせただろう。

第二楽章である。

このサントリーホールのライブ(youtube)はぜひ全曲聴いていただきたい。

 

モーツァルト交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

 

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一夜漬け

2016 NOV 26 2:02:30 am by 東 賢太郎

外国人と少人数でやってるディールなので仕方ない。もう昨日になってしまったが、帰りの飛行機を降りるまでブチ切れぎみで血圧は200も行ってただろう。昔だったら5人ぐらいぶっとばしてたが契約書をビリビリ破いたぐらいで済んだ。みんなを凍らせてしまって申し訳なかった。

何とも大人げないが大人げを気にしてる場合じゃない。23日のお芝居も直前までスマホでその契約書にバカヤローと頭きて直していたりして、ロビーで待ち合わせの阿曽さんにも失礼してしまった。すいません。あそこのテンパった状態から早野さんの見事な演技と飲み会ですっかりほぐしていただいたけど・・・。

生来の気質はなおらない。そこまでのぺーっとやってたのがゴール前でいきなりダッシュになるので毎度のことだが周囲がつんのめる。弁護士など先生がたには「生まれつき万事が一夜漬けなので区切り区切りで強めにキュー出して下さいね」「ここぞで怠けたら叱ってください」とお願いしてる変な客だ。

何をしたら怒るかわかりやすいし怒らせないようにやってくれれば大概のことはうまくいくんだからチームとして害はない(と勝手に思ってる)。僕は人に怒ることは絶対にない。簡単に言えば、勘所・キモがわかってない、わかっててもやることがええ加減である、これがダメだ、何をやってもアウトだ。

キモでないところはどうでもいい。意味ないことがんばると無駄に疲れて人生にマイナス、それならスカッと遊んだほうがいい。意味あることを意味ある時にがんばれば80点はとれる。まあ赤点はない。そうすると自然と一夜漬けになっちまう、というのが苦しい言い訳だ。

 
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昨日今日の非日常(早野さん「常陸坊海尊」主演)

2016 NOV 23 23:23:40 pm by 東 賢太郎

昨日は某社の創業オーナーとサシで会食。スマホのアドレス帳を拝見すると某総理はじめ政官財界の重鎮ずらりですごすぎる。日本人なら誰でも知ってる同社をゼロから立ち上げた立志伝は日本人の誇りなのに宣伝不足。「もったいないですよ」と僕がオンラインTV局を12月に立ち上げるので出てほしいと懇願するも、断られる。「東さんなら出てもいいけど、そこだけ出ると他から叩かれるんだ」という理由だ。

このクラスの経営者になるとそういうバランスを考えながらリスクを回避している。無病息災、平凡にして安寧、それがベストな人生とおっしゃるのも意外である。成功の理由はときくと「信用」とひとこと。寡黙。人のことは悪く言わない。お言葉は常にシンプルで平明で明快、子供でも分かるように難しいことを解きほぐす。自分のルールは何があっても遵守。こっちのアタマもビジネスをはなれてしまい、すべてが勉強になる。

経営者にも一流と二流がある。仕事がら何千人も会ってきたからわかる。一流はこちらの心に響く。何がということはなく、この人ために何かやりたいという気持ちにさせるものが。善人、良い人だけというわけでもない。こちらも単なる善人では出来ない業界をわたっているからわかる。子供にも通じるあたりまえの行動原理を、世間の波やしがらみに全く左右されず強い意志で貫いている。だから誰しも共鳴するし部下もついてくるし、困難になってもやり抜けばいいという自信も持てる。

こういう一流の方と接するとこちらも何かいただいて帰る。気持ちも平静になる。ぜひ見習いたい生き方である。

image2h0l50y8そして今日は早野ゆかりさんの劇団俳優座公演「常陸坊海尊」。観劇はじめての長女も同伴。早野さんが主役というのはいい。劇団最高峰の俳優座はさすが。役者さんのレベルが高く粒ぞろいだという声が終演後のプレ忘年会で阿曽さん、西室から上がったが、素人のこちとらそこまでは分別が利かない。ストーリーはやや重くおどろおどろしくであんまり分かりやすくはないが、逆に別世界で非日常にひたる。「おばば」役の早野さん、いつもながらの入り切った熱演で異界へいざなってくれた。主演女優を入れた酒宴は大盛況となった。昨日今日でおかげさまで疲れは相当癒され、明日からまたまた戦闘だが英気をチャージして頂いた。

 
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「東ロボくん」東大は断念(今月のテーマ:人工知能)

2016 NOV 22 12:12:07 pm by 東 賢太郎

将棋の九段がカンニングするほど人工知能(AI)は強いらしいし、囲碁でも先日AIが趙治勲名誉名人を破った(初めてだ)。2048年にはAIが人間の知能を上回り、我々を支配するかもしれない(シンギュラリティ)という話はそれを聞くと現実味を増してくる気がする。

ky_nii01-01しかし一方で、国立情報学研究所(NII)のプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の「東ロボくん」(右)のほうは今年が4度目の挑戦だったが「東京大学合格は実現不可能であり、断念した」、「今後は記述式試験を解くための研究などに集中したい」と先日に報道があって話題となった。

では将棋九段や囲碁の名人になるより東大合格の方が難しいかと東大生に聞けば、9割ぐらいはNOと答えるのではないか(1割は理Ⅲに敬意を表している)。そうであるなら、「ここに僕ら人類が2048年問題を悲観しなくてもいい理由が見つからないだろうか?」というオプティミスティックな問いに何か根拠ある解答があってもよさそうだ。

まず解せないのは「論述式の理系数学で6問中4問に完全正答し、偏差値76.2という高成績を記録した」というNIIのコメントで、囲碁将棋と同じく論理のみで解ける数学が満点でないことだ。東大の数学は難しいが囲碁将棋の名人になるよりハードルが高いとは思わない。とするとこういうことだ;

「AIにとって難しい『意味を理解する』という分野を突き詰めようとすると、膨大な時間とコストがかかる」(NIIの新井紀子教授)

日本語で書かれた問題を数理的ロジックに落としこむという数学以前のプロセスに誤差が出たとしか考えられない。その程度で2問分の時間をロスしたとすると国語や英語はあまり点が取れないと推定される。社会科も論述であって国語的要素が強いからAIが満点をとれる暗記だけでは歯が立たない。となると合格はなるほど無理だ。

「日本語の読解力」

これだろう。あえて日本語としたのは、数学の問題文が英語なら満点だったかもしれない(日本語はロジック化しにくいかも)という含みからだ。

ちなみに東大の日本語の試験(現国)というのは一見平明だがまず一筋縄でいく文章が出ない。だから飛び飛びに(僕にはそう見える)論旨の行間を読んだりぼわっとした隠喩やら空気感を迅速かつ適確に、日本の知識階級の最大公約数的理解係数で察し取り、遥か後から出てくる『それ』の意味するものを、今度は明確にロジカルに変換して200字以内で書いたりなどしないといけない。

試験は差をつけて落とすためにやる。ということは「ほとんどの読者は『それ』の実体がわからないだろう」と作題者が信じたということにこの設問の実務的かつ論理的本質があるわけで、そんなにわかりにくい文章など原文を書いた奴が馬鹿なんだろうと思ってしまうのが文学に疎く詩心のない当時の僕だった。

駿台は模試の採点に不服だとクレームがつけられて、いわば控訴することができた。数学にその余地は皆無だが、後日訴求が認められて点数が増えることがあったのが英文解釈で、現国は毎度否決であった。その判決文がこれまた現国的でわけわからねえという、僕にとってもうええかげんにせいやという趣味人のアロガントな世界でしかなかった。

僕の身勝手はともかく、ほとんどの読者がわからないということは日本語にはコンピューター言語として定型的に書き込むためには「読解力」なる一個独立のプロセスがあり得るという解釈は科学的ではないか。詩文は別として英語にはそれは相対的には少ないように思え、だからこそ英文解釈という科目を成り立たせてしまうような日本語側の独自のエレメントが存在するように思えてならない。

「東ロボくん」はプログラムしないと答えないわけで、「恋人への必殺プロポーズ文句を200字以内で述べよ」と言えば固まるだけだろうが、それは解答に至るプログラムを書きようがないからだ。数学の日本語問題文にそのエレメントがかけらでもあれば、それを読み取るプログラマーに詩心でもなければ趙治勲名誉名人を倒したAIも固まってしまう。

げに「現国」恐ろしやだ。「東ロボくん」を断念させた「日本語の読解力」にたけ、文学を愛し詩心に富んだ文系諸氏は2048年を生きのびるかもしれない。数学で入ったインチキ文系の僕は「東ロボくん」にシンパシーこそあるが、いずれ数学では負けるから2048年にはAIに食われて失業する一番ヤバいタイプの人間ということになる。

しかし一縷の望みがある。こういうことがあるからだ。

朝きこえてる音楽の謎

音楽に限らず、僕のビジネスのアイデアは例外なく起き抜けに出ている。昼間に醒めたアタマで考えたのはだいたいダメだ。ロジックでは成功できない。誰でも道筋をたどれてしまうからだ。睡眠中や無意識状態でのアタマの働きは覚醒時の働きの下地になっている気がする。そういう無限の下地の蓄積から直感やひらめきや創造が出てくるんじゃないか。

たとえばモーツァルトの書いた全626曲をAIにインプットしてモーツァルトっぽい曲を書かせることはできるかもしれないが、これぞ彼の交響曲第42番だと万人が納得するものを書くことができるのだろうか?これが「創造」の問題だ。

彼の脳データをそっくりコピーすれば(その技術はすでにある)可能かもしれないが、現実の彼が1791年からあと1年生きて42番を書くとして、それはその1年間に脳にインプットされた万事の結末としてのプロダクトである。何がインプットかは誰も知らないのだから仮定、仮説に起因するプロダクトでしかない。

2016年時点であっても同じであり、体が生きてない脳が積む未来の経験値は未来を予測しようという努力と同等に不確定なものだ。投資でいうなら、「過去のこの株の動きのデータはこうです。だから未来はこうすれば利益が出ます」というぐらい無価値な試行である。

創造の世界はひょっとして100年後のAIがついに克服する領域かもしれないがまだSFであってほしい。そうなったら人類はお手上げだが、モーツァルトの42番を書くよりも東大に入る方が絶対にやさしいのは永遠の真理だ。「東ロボくん」、応援してるけど出来すぎ君にはならないでほしい。

 

 
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トランプのゴルフにはそそられる

2016 NOV 21 0:00:39 am by 東 賢太郎

今日帰国したが今月は4回海外ということになり息もつけない。今回は風邪でずっと体調不良でセキこんでいてお客様たちにご不快であったろうが仕方ない。土曜日までアポが入っており、なんとかやるべきことは済ませた。ビジネスとは文字通りbusyなものなんで、安倍首相じゃないがやるときに一気に攻めなきゃ意味ないのだ。

昨日のN響はシューマンづくしでP協とラインだったらしい。僕と同様ラインが最愛の曲である長女が行って楽しんだようで良かった。音楽どころでないのを同情されるが、音楽はいつでも僕の人生の最良のパートナーだが主役、主食ではない。だからいつまでもおいしい。

ゴルフがそういう時もあった。そういえばトランプ氏は「ゴルフはビジネスにとって重要な役割を果たしている。私はたくさんの商談をグリーン上でまとめてきた」と言ったそうだ。たくさんではないが、僕もあった。イギリス人だ。パットを沈めてやっつけたときに「わかった」と決まったのだから接待でない。僕は接待ゴルフは大嫌いでしたことがないし今後もしない。

日本のマスコミはトランプのゴルフについて「60台の腕前」と書いているが、彼はウエスト・パームビーチでゴールドティー(6,900ヤード)の66がベスグロでそれは同コースのアマチュア記録なのである。これを60台と丸められるのは運動をまともにやったことない証拠でイチローの肩をレーザービームとするのと同じぐらいのアバウトな神経である。そんな人の記事をまじめに読んでもしょうがない。

マスコミはビジネスなんてもっと恐ろしくぜんぜんわかってないから彼の「不動産王」も極限までアバウトな表現なのである。そんなことで彼の評価が決まってはいただけない。彼は野球とフットボールオンリーでゴルフはウォートンスクールでフィラデルフィアのCobbs Creakというパブリックコースで筆おろししてる。ここは僕も同級生とコンペをやって記憶あるがえらくしょぼい草ボーボーの3流コースだ。

彼のゴルフ歴でなんといっても親しみがもてるのはvery self-taught(完全自己流、習ってない)と言ってることだ。しかしCNNでドライバーのスイングを見たが、おぬしやるな、である。「はじめは友達とやった、それからやり手とやり始めた。そこでゴルフを学び、ギャンブルを学び、すべてを学んだんだ」と言ってる。やり手とはハスラー(hustler)だ。今に至るまであらゆる場所でゴルフのハスラーが一番だと言ってる。

同感である。ゴルフでギャンブルを学んだ。何と救われるコメントだろう。僕は野球と違ってゴルフは麻雀がわりであり、はっきり言って賭けは強い。優勝トロフィーもたくさんあるが遊びでも手抜きは一切しないから握りの賞金で食っていた感じもありかなりその場はトモダチをなくしたろう。たくさん負けてもおりその悔しさで練習して(僕も完全自己流)そうなったから、やはりゴルフのハスラーたち(トモダチなのだが)から勝負を学んだと胸を張って言うことができる。しかしトランプさんのハンディ3と僕の8は雲泥の差、ベスグロで66と75の差だ。間違いなく比べ物にならない(賭けは勝つ自信あるが)。

悪いがオバマは勉強は出来たろうがゴルフがセコそうだ(私見である)。クリントン(だんな)は林で数回も手の5番だったという目撃証言がある。66出すような人は絶対にそういうことはないと断言していいだろう。そんな人間の出せるようなスコアじゃないんだ。最近入社試験で麻雀やらせた会社があるが政治家は選挙前にゴルフやらせたらいい、ウソつきや品性の卑しい者は一発でわかる。そういえば彼は僕にとって思い出深いスコットランドのターンベリーGCのオーナーだ(2020年の全英だったかな?)。なんとも刺激的なおっさんだ。トランプのゴルフにはそそられる。

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安倍首相の飛び込み外交(追記あり)

2016 NOV 18 14:14:29 pm by 東 賢太郎

トランプ勝利は世界の政府首脳をあわてさせ、オーストラリアは急遽ゴルフ仲間のグレッグ・ノーマンに電話番号をきいたらしい。その機先を制してアポを入れて会談にこぎつけた安倍さんも外務省も見事であり、話した内容が何であれ会ったもん勝ちであったと確信する。

大事において間髪入れず会いにいくのはビジネスの絶対原則である。嵐だろうが大雪だろうが休日だろうが熱があろうが、とにかく行く。恋愛と同じだ、それはあなたに興味があるという強烈な意思表示になるからだ。初対面の相手に1時間で胸襟開き信頼関係を築いて帰ってくるなど無理だ。来たというだけでいいのである。

相手がオバマやヒラリーだったら上から目線でコーテシーと取っただろうが、僕の証券マン的動物的直感だが、トランプはそういう増長はなく、納得して波長さえ合えば、お前が言うならとドーンと1億株ぐらい買ってくれるいい奴な感じがする。ディールに応じるんだなと取られるリスクはあるが、行かなくたってある。だからこれはベストな策だ。彼みたいな修羅場を渡ったビジネスマンは胸に飛び込まれると弱い。自分も昔やったからだ。

CNNをライブで観ていたら、首相の到着は報じたものの会談内容はおろかトランプタワーのどこでどんなメンツでやるかは不明、トランジションの人事でてんやわんやだしホントにやるの?ムードすらあった。ほぼ飛び込み外交に近かった感じだ。

ただ短時間に事務方が相当に策を練った印象もあって、親父にものが言え重責を担うと予想される長女らが同席して自宅での接遇だった(未だ私的な立場を踏まえたぎりぎりの歓待の設定であろう)のに対し首相は夫人を連れず一人で、会食の申し出はオバマに配慮し辞退して公私中庸で臨んだ。

大変な営業力が必要な場面だが安倍さんがそのぐらいのタマだというのは、これも証券マン的直感だが、だいぶ前にこのブログに書いた。

安倍総裁の眼

この会談ひとつで我が国にとって何がうまく運ぶわけでもないかもしれないが、悪く進むことへの緊急避難対応はできたと思う。それだけでも彼は重大な国益を守った。

あの眼の持ち主、それを百戦錬磨のトランプが見抜かないはずはなく、軽いタッチでトラストミーなんて言ってくるお馬鹿でないことはわかる者にはわかる。トランプも本音を言ったのではないだろうか。

何をもって信頼するに足ると言うのか開示しろって、おばさん、それを開示するような奴には明かさないんだよそんなこと、それより自分の戸籍を開示しろよ。本当に安倍首相で日本は幸いだった。

(追記)

いま海外で英米の報道をつぶさに見ているが、安倍外交は全部の主要国でトップニュース扱いであり、注目度とクイックアクションの評価は総じて非常に高い。日本もやるじやないかとシンプルにポジティブにとっている感じであり、例外としては、扱いが小さいのは中国、焦りと羨望がにじむのが韓国だ。

かたや日本の報道は全部は見ていないがはすに構えたものがあり、違和感があるものが目につく。歪みがあり真実を伝えていない、伝えたくない様相が実にいやらしく、国民は洗脳されていることがこういう時によくわかる。既成のメディアは汚染されており、ネットで真実を報道する必要性を痛感する。

政党も民進党など「朝貢外交」と批判しており、中国・韓国政府の報道よりも「中韓的」なのは笑ってしまうしかない。この党、どこの国の政党なのか世界のTV報道を見ながら頭が混乱するという希少な体験を味わった。自衛隊を否定する共産党と組んで、トランプ大統領と会ったらおばさん何と説明するんだろう?完璧に終わっている。

(関連ブログ)

米国右傾化による大地殻変動

トランプ政権と日米安保

これから起きること

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ピッチャーは自信過剰か

2016 NOV 16 18:18:54 pm by 東 賢太郎

「ピッチャーというのは概ね自信過剰じゃないと務まらない」

西室オーナーの2016プロ野球 3強チーム影のオーナー鼎談(極秘) でそう発言してしまっているが、僕ごときの球歴でほんとうはそんな偉そうなことが言えたもんじゃないから少しいいわけをする。それは僕は野球の球を放る以外の偏差値は何ひとつ高くない少年であったことだ。

運動神経はないので投手しかやったことがない。おそらく理解されないが、ゴルフの女王だった不動裕理は体育が2だったとどこかできいた。同じ動作を繰り返す投手はゴルフに似ている。だから硬式の投手経験者で僕ほどそれだけという純粋培養もきっと珍しく、ほかに取り柄がないのだから自信を持つならそこしかなくて(現にそうだった)だから過剰なんだというのがいいわけだ。

でも結論をさきにいうと、わけわかんなくなるけど、過剰じゃないんだ。むずかしいが説明してみたい。まず投手は頼るのは自分だけなので自信がないと務まらない部分はたしかにある。なければ18メートル先から打者が思いっきり打ち返してくるマウンドにいるだけで命が危険だしこわい。こわいとストライクが入らない。だから最初のうちは自信が10だとすると12~3ぐらいに突っ張っていくイメージもあった。

しかし、ピッチャーはそういうカラ元気が役に立たないことを打たれるたびに思い知らされ、自分にシビアになる。お山の大将というイメージがあるのは身体能力の高いでかい人が多いからで、むしろ変化球の握りをマニアックに研究するオタク部分もあって(ダルビッシュがそうらしい)、僕は球の伸びオタクだからブルペンで伸びが悪いと試合前から今日はいかんと結果がわかってしまった。結構繊細なのであって、自分は説得できないから自信過剰にはなりようがないんだ。

一応野球少年はみんなピッチャーをやりたい。みなタマが速いがそれは当たり前で球筋というのがある。直球の質だ。野手には投げられないし高目は素人はまずバットに当たらない。それは将棋や囲碁の差みたいなもんで、アメリカ人のチームメートが打撃練習で20球で1球も当たらなかったと言ったのはやってきた野球がそういうレベルならきっと当たらなかったんだろうと思う(覚えてないが)。

あの大会、第1試合で優勝候補に11-2で大勝し、翌週の三菱商事戦は初戦をみた相手にビビり感もあって10-0の5回コールド7奪三振でノーヒットノーランだった。ピッチャーはどっかでこんな感じのやったぜ体験してる。してないと1、2度の大失敗でめげてしまう。めげたらそこが終点だ。あの伊良部いわく、そうやって一寸先が見えない霧の中を山に登って行ってどこかでもう限界だとなる。その地点が高校か大学かプロかメジャーかなんだそうだ、その世界は深遠で実感できないが。

だから自信過剰じゃないと務まらないかというとそうではなくて、基本的には成功体験だけ覚えてるアバウトさと、今日もそうなるさという楽観的なメンタルじゃないと剛球があってもピッチャーは苦しいと思う。どんなに自分を鼓舞しようと自分知ってるからまっさらなマウンドに登るのはいつも怖いし強そうな相手だとケンカと一緒でひるむ。いきなり四球だったり真芯で打たれると今日はダメかなとなってしまう。

米国の初戦、相手は優勝候補とはきいてたがよ~しやったろうじゃねえかと思ってた。ところが試合前のノック見てこりゃ凄いと思ってしまい、これがまずかった。先頭にストレートの四球、2番に初球を左中間二塁打と、5球で1点取られた。そこで「やばい、コロラドから飛行機でやってきて負けたらシャレにならん」と思った。あとは覚えてないが最終回に相手から「意地見せようぜ~」の声がでてやっと勝ったと思った。火事場の馬鹿力だ。普通は過剰な自信や気合ぐらいでそういうことは起きない。

日ハムの増井と吉川はプライドの問題よりもエヴェレスト登山してた人に、わるいな明日からアイガー北壁だみたいなもんだったろう。失敗したら誰が責任とってくれるの?もあったろう。プロのピッチャーは自営業者だからね。監督は人事権がないから店長みたいなものだけど栗山は選手実績ないからかえってコーディネーターに徹することができて日ハムの経営スタイルにうまくハマってる気がする。優秀なマネージャーだね。

西室オーナー、ピッチャーは偉そうなこと言うは人の話は聞かんわでいつも申しわけないが、実は小心ものなんだ。

ピッチャーの謎

 

 

 

剣道範士八段 湯野正憲先生のことば

 

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バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論

2016 NOV 15 0:00:23 am by 東 賢太郎

きのう体調がおかしくなり37.5度の微熱でした。神山漢方を飲んでから10数年、発熱なんてほとんどないことで、先週の疲れとストレスがひどかったようです。

大統領選でアメリカ音楽が懐かしくなって、ガーシュインを楽しんで戻ってくるのはやっぱりここです。この音楽がどうにも好きなんです。

バーンスタイン”ウエストサイドストーリー(West Side Story)” (1)

20世紀になって作曲家と演奏家が別々の仕事となりました。それは音楽が市民のものとなり、演奏会場をわかせる職業演奏家の登場、その技術をラジオや録音で聴衆に売る巨大産業(メディア)の登場に依るところが大きいでしょう。マーラーやラフマニノフやガーシュインのように職業演奏家でもあった作曲家は、シンガーソングライターが当たり前だった19世紀までとは異なり、今流にいうなら「二刀流」とでもいう位置づけの少数派でした。

とはいえマーラーは存命中は圧倒的に職業演奏家として欧州でもアメリカでも高名であり、「いつか私の時代が来る」と予言して将来に付託した作品にその通り「時代」が到来してから二刀流に格上げされ音楽史にそう書き込まれました。20世紀の職業演奏家で作品を書いた人はフルトヴェングラー、ワルター、クレンペラーなど少なからずいますが、彼らがマーラーのように時を経てから二刀流だったとうたわれる可能性は高くないと思われます。

そうした様相の中でレナード・バーンスタインはピエール・ブーレーズと共に20世紀後半に出現した希少な二刀流として記憶されるのではないでしょうか。彼が最晩年にロンドンで「キャンディード」を振ったコンサートを聴きましたが、演奏前にくるりと後ろを向いて「もうひとりの子供(ウェストサイドのこと)は有名になったが父親として同じくかわいいこの子(キャンディード)が心配だ」という趣旨のスピーチをしたのが今となっては痛切に共感を覚えます。彼の意識は作曲家だった。ライバルだった演奏家オンリーのカラヤンがもう過去の人であるのに比べ、彼のイメージは「子供たち」が頑張ってライブ感があるように思います。

ウェストサイド・ストーリーが彼の最も出来のいい子供だったことは残念ながら争えないでしょう。これは1957年にブロードウエイ・ミュージカルという米国ならではの場で生まれた傑作ですが、そのスコアには永遠の価値があると思うのはピアノで弾いてみれば実感します。生きているリズム、心に忍びこむ甘く優しい旋律、魔法のような転調!いくらでも弾いていたいこんな麻薬的効果は例がなく、全曲にわたって魅惑的なナンバーが次々と立ち現れる様はモーツァルトのオペラぐらいしか浮かぶものがないと言って決して過言と思いません。

有名なものを三つ。ブロードウエイのオリジナルキャストによる「マリア」です。

同じく「トゥナイト」です。知らない人はいないメロディーです。

同じく「アメリカ」です。

さて、第2幕に「Somewhere」というナンバーが出てきますが、今回はこれにフォーカスしましょう。決闘で恋人マリアの兄を殺してしまったトニーがマリアに「どこかに僕たちの居場所がある、ふたりでそこへ行こう」と歌う。すると女声合唱とともに夢の世界が目の前に現れて2人を包みこむ。闘いの音楽に遮られるまでのふたりの一時の現実逃避となります。夢のような高揚感のあるまさしく素晴らしい音楽です。簡単な英語なのでビデオの歌詞をよくご覧ください。

somehow、 some day、 somewhere・・・トニーとマリアだけじゃなく、夢を求めて他国から渡って来た移民の国アメリカの人達はこの思いをどこか心の奥底でシェアしているのかもしれません。フロンティア精神と前向きにとらえるものばかりでなく、つらいものや悲しいものもたくさんあったでしょう。世界で異例なほど定住民の国である我々日本人にはなかなかわからない。「もっといい場所がきっとある」「そこに良い暮らしと幸せがある」という夢。一縷のはかない夢かもしれないけれど、それを求めて明るく生きていこう。僕がアメリカへ行って最も根本的に、人間としてのスタンスが根底から変わるほど感化されたのはそのスピリットでした。つらい時が何度もありましたが、それがあったので負けずに来ることができたと思います。感謝しているし、この曲にはそれが感じられてぐっとくるのです。

ウエストサイドは二つの非行少年グループの抗争に翻弄される恋のドラマですが、ポーランド系とプエルトリコ系という貧しい移民の子たちの決闘であり、アメリカ社会の底辺の重層が見えてきます。一方がスパニッシュ系ということもありリアルです。表には出ないが、いまも変わっていないのではと思います。

「Somewhere」の夢の世界、「現実」の汚れた世界。その対比で成っているのがこの音楽です。撃たれた瀕死のトニーはマリアとここではふたりは一緒にさせてもらえないとSomewhereを歌い、マリアの腕の中で息を引き取るのです。

全曲はSomewhereの旋律を弦がおごそかに奏でながらロ長調で静かに閉じます。この旋律の冒頭はベートーベンの第5ピアノ協奏曲の第2楽章冒頭の青枠部分、天国になにか安寧を求めるかのような7度の跳躍を僕に強く想起させます。

westside

せっかくバーンスタインと話をしたんだからこのことを聞いてみるべきでした。あっそうかい?偶然だよ、と言ったかもしれないが、これも同じロ長調であるわけで、どうもそうとも思えないものを感じます。無意識かもしれませんが。

変ホ長調を主調とする5番で勇壮に閉じた第1楽章につづいて不意に現れるこの第2楽章のロ長調、弱音器つきのヴァイオリンの仄かに幽玄な風情はどこか「あちらの世界」を感じさせないでしょうか。このビデオの21分50秒からです。

Somewhereの「あちら」は恋人たちの希求です、それが7度の跳躍になってますが、エンディングではバスに悪魔の4度(トライトーン)である f(ファ)が不気味に鳴っている。この悪魔の音はウェストサイド全曲の通奏低音といってもよく、呪われたようにそこいら中で響いてきます。トニーがマリアに一目ぼれして「マリア・・・今まで聞いた最も美しい響きだ・・」とつぶやいて、思いのたけを熱くマリ~ア~と歌う、その「リ~」からしてが悪魔の音だ。

その音は、ふたりには「あちら」はなく、Somewhereは現れず、トニーの死によって結ばれない暗示なのです。この悲劇はロメオとジュリエットに比定され、バーンスタイン自身もそれが理解しやすいからでしょうかそう語ってますが、リブレットの話しとしてはそうであっても音楽の性格と構成という観点では私見ではラ・ボエームに近いと考えます。

バーンスタインはのちにこのミュージカルからの抜粋として。オーケストラのための演奏会用組曲「『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス」を編んでいます。ここにはトゥナイトやマリアのような有名なナンバーは選ばれず、Somewhereのロ長調のエンディングに向けて筋の通る選曲になっているところにバーンスタインのこの曲での主張がのぞいているように思います。

ロ長調の静謐な和音による消え入るようなエンディング。それで誰もが思い出すのはR・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」であります。ハ長調の有名なオープニングで壮麗に始まる音楽はハ音(ド)をバスとしたロ長調の和音で不協和に幕を閉じる。ハ長調は自然、ロ長調は人間界をあらわし、両者は決して交じり合うことがないことを含意とするエンディングなのです。この含意を意識したのかどうか?ああ、これも作曲家に聞いてみればよかった・・・。

29分50秒あたりからです。

トニーとマリアの恋は人間界で砕け散り、後ろには悪魔の顔がちらついている。汚く冷たい現実、抗うことのできない非条理。そんな泥沼にあるからsomewhereは心に響くのでしょう。バーンスタイン自身が移民の子という感情投影もあったかもしれません。彼の父はウクライナ出身のユダヤ人で海を渡り、理容機器の卸売り業者として生計を立てていました。保守的なクラシック音楽界で移民二世として初めて現れたアメリカ人(米国はそこで生まれれば米国人)スター指揮者であった。ウェストサイドは57年、彼がニューヨークフィルの音楽監督に就任した年に書かれた名実ともに出世作でもありました。

こちらがサウンドトラックの全曲。いま聴いてもなんてカッコいい音楽だ!

次はバーンスタインによる録音のメーキング。ホセ・カレーラスの「マリア」で彼の厳しい顔が見えます。「僕はこれ指揮したことないんだ、スコアを勉強しなくっちゃね」と言ってますが、作曲家と演奏家の関係が見えて面白いです。

これはベネズエラのドゥダメルがシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを振った「マンボ」。このオーケストラには麻薬の密売や強盗を経験した子もいますが、このオケは放課後に子どもたちを音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしているそうです。うまくて驚くしウエストサイド・ストーリーの演奏家として彼らはふさわしい。クラシック演奏会のあり方にも一石を投じるものと思います。

こちらが彼らによるシンフォニック・ダンス。大変すばらしい!

 

(ご参考)

クラシック徒然草-カッコよかったレナード・バーンスタイン-

R・シュトラウス アルプス交響曲

クラシック徒然草ー悲愴交響曲のメッセージ再考ー

 

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ガーシュイン 「ラプソディー・イン・ブルー」

2016 NOV 13 1:01:31 am by 東 賢太郎

大統領選はお祭りでもある。僕的にはヒラリーは裏表がありそうで好かない。負けてくれんかなあと思ってた。ウォール街、株式市場の住人なんだから彼女を応援すべきなのだが、僕の嘘つき政治家嫌いには理屈も損得もない。消去法のトランプ応援だったが、狡猾なインテリでも利権だけの職業政治家でもないのはいい。不動産や株のディールに嘘は通用しないし、口だけのインチキ野郎でなさそうなニオイのするところを有権者は見たと思う。

このお祭り、五輪やワールドカップといっしょで4年おきだ。そのたびにアメリカにいたころを思い出し、それが20代のはじめだったことに甘酸っぱい思いをはせる。僕にとって欧州やアジアは後でやって来た外国だ。分別が多少ついて、大人として味わった。米国はちがう。マックがご馳走に思え、ステーキの大きさに驚き、マンハッタンの摩天楼に感動し、英語がなんとかわかるようになり、という子供でおのぼりさんだった自分がまだそこに立っている。

そんな自分が61にもなったいまアメリカをどう思ってるかというと、なかなか一口には言えない。数えきれないほどのすばらしい思い出があってもはや抜き差しならないが、問答無用に好きなところ、ちょっとナメてるところもあるし、嫌うところもおおいにある。アメリカを去ってからの目で見れば複雑だが、しかし、甘酸っぱい思いに駆られてもはや美点凝視していたいと思うようになったのは年のせいだろうか。

思えば昭和30年生まれの僕は、原爆が落とされ東京が焦土となってわずか10年で生まれた子供なのだ。なのにアメリカは好きなんだって?70年たっても日本を恨んでる国があるのに、それって異常なことじゃないか。GHQの洗脳?そうかもしれないが、それだけじゃない何か、人種も何もなくどこの人でも惹きつけてしまう何かがアメリカにあったんじゃないか?そうだ。確かにそうだと僕は思っている。

海外初体験は大学3年のこれだ米国放浪記(1)。単なる観光旅行やホームステイなんかじゃない、脳髄に刻み込まれる強烈な衝撃で人生怖いものなんてなくなってしまった。この洗礼がなかったらひ弱だった僕が証券業界なんかでとても生きてこられなかったろうし男としての自信とハラがアメリカで完成したのは間違いない。人生来し方をふりかえるにつけ、ふる里という感じすらしてしまう。

大学4年で1か月語学留学したバッファロー大学、入社3年目でウォートンスクールの準備として1か月コースに通ったコロラド大学。修士課程の殺人的カリキュラムだったMBAの2年とちがってお気楽なもんで、素晴らしい環境のキャンパスライフは楽しくて夢みたいだった。まだ英語もままならずで周囲のすべてがカルチャーショックの連続であったが、だからこそ幼時の記憶みたいに今もみずみずしく、一番恋い焦がれるアメリカの思い出かもしれない。

ルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカーフィールド。3位決定戦で元巨人の人と投げあって4-2で負けたけどOutstanding Player賞をもらったのは人生のすべての経験のうちでダントツ1位の誇りだ。けがで野球を断念したけど、神様が人生最後の9イニングをアメリカで投げさせてくれた。30年ぶりに再会したチームメートが、「練習でお前が投げた20球な、1球もあたらなかったぜ、シット(くそ)!」と笑いながらぎゅっとハグしてきた。アメリカンだ!

ポコノにスキーに行きすがら無人の雪道で脱輪して途方に暮れたときトラクターで牽引してくれたおじさん、家内の緊急手術を6時間かけて成功させカネがないので保険に後づけで入れてくれた大学病院の先生、試験のあとよ~し憂さばらしするぞ~とフラタニティ(学生寮)で大勢で朝まで飲んでちょっと書けないどんちゃん騒ぎをしたクラスメートたち・・・、ほんとうに我々はこのひとたちと戦争なんかしたんだろうか?あの美しいミクロネシアのチューク島を空爆して何千人も日本人を殺したのはこのひとたちなんだろうか?

僕が知っているのはプライドに満ち満ちた強いアメリカだった。我々はエスニック扱いだから不愉快なことも数知れずあったけども、野球なんかで力を見せつければケロッとあっけないほど素直に認めてくれるフェアな国でもあった。やればいくらでもリッチになれて、何にでもなれる気がした。あの無限の沸き立つような高揚感、まだ20代で無限の時間とエネルギーがあった自分。アメリカというのは日本にいたら見なかったかもしれない夢をくれて僕をかきたててくれた恩人ならぬ恩国であり、それそのものがもうノスタルジーになっている。トランプさん、中国に負けるながんばれ。

そんな想いがギュッと詰まって聞こえるのがラプソディー・イン・ブルーでなくて何だろう。高校時代にこのオーマンディ盤をきいてとりこになり、アメリカを夢想し、行ってみたい!!!となってしまった。そうなると僕はもう止まらない、それが「米国放浪記」のあれになる。そしてそれが人生を変える。何の理屈もない、音楽のパワーってなんてすごいんだろう。

こちらはフランス人のカティア&マリエル・ラベックのピアノデュオ。日本ではラベック姉妹と売り出したがピンカラ兄弟みたいで品がない。センスと切れ味が最高で、一発で気に入って買ったLP以来ずっと愛聴している。

これは必聴の自作自演で、2重録音したピアノロール。この曲のピアノソロは手がでっかくて重音の指回りが速くないと苦しい。この録音はガーシュインが名手だったことを示すが、技術が語法を生んで名曲となることがよくわかる。

この音楽に未知への冒険とその先の夢を聴いていたあの頃は遠く過ぎ去って、いまはマンハッタンの煽情的なネオンサインと埃っぽい喧騒と、夜のしじまのけだるい郷愁と慰撫と、初冬の朝の曇り空と冷たく乾いた空気なんかが次々と脈絡もなく脳裏を巡り巡っている。

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