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僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・ゼルキン)

rudolf_serkin_1962c敬愛するルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903 – 1991)を聴けたのはたった一度だけ、1983年12月4日にフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで大家を呼んでやるリサイタルシリーズ「オール・スター・フォーラム」に彼が登場したときでした。

寒い日でした。この東海岸の街は冷え込むと零下20度なんてこともあり、自宅のアパートから教室まで歩いてたった5分の道のりなのに顔も手も凍えて固まってしまい、しゃべれないわ鉛筆は持てないわで往生したこともあります。

serkin1ゼルキンが20世紀を代表するドイツ音楽の大家であることは周知でしょう。ボヘミア生まれのユダヤ系ロシア人で、12歳でウィーン・フィルと共演した天才少年であり作曲ではアーノルド・シェーンベルクの弟子でした。

個人的にはとりわけ楽友だったジョージ・セルとのブラームスのあの素晴らしい2つの協奏曲のレコードの演奏家としてすでに「神」の存在でした。LPを浪人中の74年に買って何度くり返し聴いたことか!特に大好きな2番は彼のピアノで曲を覚えたのであって、これに励まされて勉強したものでした。

「彼のレコードで曲(チャイコの5番)を覚えたんです」と楽屋の警護を突破してオーマンディーと会った話を書きましたが、この日曜日もその勢いでした。寒空の下をどれほど興奮して妻とホールに向かったかご想像いただけるでしょうか。

serkin

 

これが当日のプログラムです。ハイドンのソナタ50番、ベートーベンの月光ソナタ、休憩、シューベルトの楽興の時、ベートーベンの熱情です。舞台に現れた80才のゼルキンはブラームスの剛毅な打鍵から想像していたよりも細身のおじいちゃんでした。背中はまっすぐで杖もついておらず、やはり80と少しだったカラヤンやヨッフムやヴァントやペルルミュテールは歩くのも危ない感じでしたから体躯はしっかりしていました。

 

そしていよいよ始まった演奏。スタインウエイのクリアで透明でクリスタルのようなタッチが美しいハイドンに耳がくぎ付けになります。ルバートを交えながらの自家薬籠中の月光はレコードでおなじみの旋律を際立たせる強いタッチも健在で堪能させてくれました。ただ終楽章の指の回りはやや乱れがあったのです。シューベルトはあまり覚えてません。

そしていよいよ熱情ソナタです。これが全身全霊のパッションに満ちた力演となります。第1楽章後半で少々ミスタッチもあり指が疲れてきたようにもみえました。第2楽章を経て終楽章に至るまでにその感じはますます強くなりますがテンポを落とすことなく突入。しかし展開部で指は回らず僕はいよいよ危ないなと思い、最後まで行けるかとはらはらしだしたのです。

ご案内の通りコーダでテンポは一段とギアアップしますが、驚いたことにここをお約束通りの快速で突入!指はもうついてこず、ミスタッチなどものともせず鍵盤をなでるように高速ですっ飛ばして無事に最後の和音に終結しました。ベートーベンとの壮絶な格闘です。手は衰えようと、彼は心の耳に従ったのです。満場が熱狂し大拍手で讃えたのは言うまでもありません。この演奏は僕の数ある鑑賞歴の中でも一つの事件となりました。

アンコールはもちろん無し。我々聴衆ができることといえば、お疲れ様、早くお休みくださいと感動と感謝に満ちた暖かい拍手を老ゼルキンに懸命に送り続けることしかなかったのです。あんな雰囲気というのは今に至るまで経験がありません。ゼルキンもそれを察したのでしょう、満足した笑顔で深い礼をして静かに舞台を去りました。それが彼を見た最後になりました。

ベートーベンへの敬意なくしてあのような演奏は考えられませんし、それあって彼は20世紀を代表するベートーベン弾きとして敬意をもたれたのだということを知りました。これ以来、僕は表面だけ綺麗に整える演奏に共感することは一切なくなりました。頭を殴られたような衝撃で、音楽を演奏する行為というものの凄みを教わってアカデミーをあとにしました。聴き手として大人にしていただきましたね、楽屋に行くことは控えましたがゼルキンのベートーベンとブラームスは今も「神」であり続けている、これで十分。感謝あるのみです。

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