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僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

2017 JAN 5 0:00:22 am by 東 賢太郎

Pierre Boulez (1968)かつて経験したオーケストラ演奏会で最も完成度が高かったのは、群を抜いてこれであります。今後もこれに類するものに接することはよもや望めないだろうという確信はその日からあり、23年たった今もかわることはありません。

1994年初めのことです。このコンサートを知るや、空路フランクフルトからベルリンに直行するという決断は一瞬の迷いもなく電光石火のごとく訪れました。この奇跡のような経験の記録を、かつてダフニスの稿でもふれましたが、昨年の1月5日に逝去したピエール・ブーレーズの思い出として、そして心からの追悼として、あらためて本タイトルのもとに書いておきたいと思います。

ブーレーズは晩年にウィーンフィルとブルックナーを演奏しました。そうして欧州のキリスト教文化の深い精神世界に分け入っていることを聴衆に伝えましたが、その彼がル・マルトー・サン・メートルの作曲家でもあること、この連立方程式に解があるというのが感性ではいかようにも量り難く、それでもそれは事実としてあるのだから、西洋音楽には僕の理解できていないディメンションが在ることを認めねばならないという思いに長く駈られてまいりました。

僕はキリスト教徒ではないですが、神の存在は信じます。合理的精神から、そうでなくては宇宙の森羅万象が説明できないように思うからです。聖書の言葉を介さずともそれをshould、sollenと解し思考を突き動かす磁力が心に働くのでキリスト教世界観は漠然と感知できているつもりなのですが、畢竟そんな安易なものではなく、これを知るには理性の力ばかりでは足らず経験をともなった悟り(enlightment)が必要なのだと解釈をしております。

250px-helianthus_whorlブーレーズの音楽に合理的精神を読み取るのは容易でしょう。それが音楽の干物にならないことに先の「解」が存在するのであって、あたかもFn + 2 = Fn + Fn + 1 (n ≧ 0)というフィボナッチ数列が螺旋状に並んでいるヒマワリの種(右)の螺旋の数の中に潜んでいるがごとき自然の調和が干物への堕落から救っているというように思えるのです。

彼は自作に潜む「調和の数列」を開示せず、それを詮索されることも嫌いました。それが神の意志として聞く人間に美の作用をもたらすことを信じ、その作曲プロセスにおいて徹底的に合理的であったわけです。その意味で神、それは僕が存在を信じる神であるわけですが、その使徒として存在した彼の意識がブルックナーに共振しても不可思議ではない、むしろブルックナーというのはそういう音楽なのであろうと僕は理解しております。

そのブーレーズのラヴェルがあれほど劇的に美しい、あの日あの時、ベルリンのフィルハーモニーに満ちた空気の中で奇跡のような完璧さとエロスが神々しい光を放って僕の眼前に広々と存在したというのは、「ダフニスとクロエ」のスコアにはラヴェルが渾身の力で封じ込めた神性のようなものが宿っておって、それを空間に解き放つ秘法を彼が知得していたということに他ならないのではないかと思えるのです。51euu90shnl-_sx318_bo1204203200_

そんなことを考えるのは、ハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医エベン・アレグザンダー医師の興味深い著書(右)に、彼自身の臨死体験として『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』とあったのにどきっとして、というのはおもわずあの時のダフニスに陶然として意識が宙を彷徨っていた経験をなぜか反射的に思い浮かべたからなのです。完全に愛されている不安のない自分?これが僕の知らなかった、経験をともなった悟り(enlightment)なんじゃないかと。

弘法大師が洞窟で祈祷していると海の向こうから火の玉が飛んできて口に入った、と大師様は自らの神性の由来を述べたと伝わっている、そんな馬鹿げた空想をと笑う前に、空海にしてもモーゼにしてもイエスにしてもブッダにしてもアラーにしても、超人的感性と理性を具有した彼らは「何か」を見てしまい、悟ってしまい、それを凡俗の民に教え伝えるために予言や聖書や経典を方便としたのではないか。アダムとイヴや林檎や蛇は無知凡俗の経験的理解の及ぶ比喩であり、喩え話こそが彼らの悟りを自分と同じ姿かたちをした登場人物によるわかりやすいストーリーとして人間世界に具象化する最善のツールだったのではないか。

それは、とりもなおさず、宗教の開祖として彼らが超人であったというあまねく敷衍されている主張としてではなく、宗教と定義されている布教行為の本質こそ実はそういうものであって、この世にはのちに教祖と呼ばれることになった彼らを人生を通して駆り立てつづけたもの、つまり、その「何か」が存在するのだという主張において意味を成す考えだと僕は理解しております。

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ブーレーズが悟ったもの。それがダフニスのスコアという具象を通じて心に入ってくるという感覚。それはひそやかに打ち震える弦の囁きだったり、エマニュエル・パユの金粉をまき散らすようなフルートの飛翔だったりするのですが、僕の知っているあのクールに理知的なラヴェルというよりも、それはすべての人類を愛で包みこむオブラートのような、光のエーテルのような未知のものであったのです。

 

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前半のストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」がドビッシーの追悼であり、交響詩「ナイチンゲールの歌」は作曲時期が三大バレエ作曲の前後にまたがるという意味でR・コルサコフからドビッシーへとモデルが変転する中で作風も変わるという、彼の脳内で時々刻々新しい大爆発が起きていた、しかもそれを猛烈な勢いでアウトプットできる才に恵まれたことを刻印した曲です。これもそういう風に朧に響き渡りました。

 

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僕がブーレーズに負う種々のものは実に大きく多彩であって、空海の火の玉みたいに口から突き抜けて脳髄を直撃してくれたのであって、それによって僕は高校時代にクラシック音楽にひかれ、経験的悟りの端緒を得ることができたと信じて今に至っております。精神の波長を共有できた気がしており、駿台予備校の数学教師であられた根岸世雄先生と世の中で只の二人だけ、精神的負債を感じる偉人であります。

 

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