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カテゴリー: 若者に教えたいこと

小池都知事の英語力を判定する

2024 APR 20 1:01:49 am by 東 賢太郎

英語がうまい人を「ぺらぺら」という。この語は漱石が「坊ちゃん」に使っているから古い。ぺらでもべらでも構わないが、要するに何を言っているのかわからないものの擬態語だから犬のわんわんに等しい。猫と会話できるなら「あの人、猫語にゃーにゃーだよ」という感じだ。我々は誰しも日本語ぺらぺらだがそれ以上でも以下でもないように、外国語もぺらぺらだからその国の大学を卒業できるわけではない。

政治家に必要な英語力なるものは、相手を動かすための複合的なパワーである点でビジネス英語に似るだろう。その観点からすると、動画で見る小池都知事の英語はうまい。政治家の中なら偏差値70だろう。発音のそれっぽさという点でも余裕で使いこなしているという点でも間合い・抑揚という点でも、ネイティブと相当な時間を費やさなければこうはならないと断言できる。しかし、とすると不思議なのだ。なぜカイロ・アメリカン大学からカイロ大学に転校したのだろう。学問的意図かというとそうも思えない。前者は米系私立大学で英語だから頑張れば卒業できたかもしれないし、そうしていれば何の問題もなかったわけだ。両校の違いを知る日本人は多くないだろうから、もし箔をつける目的だったならあまりリスクリターンの良くない選択だったように思える。

とすると「女帝」にある以下の仮説がより説得力を増す。中曽根総理とコネのあった父親が現地でそれを使い、エジプト政界有力者が “面倒を見よう” となった。軍政下だから大学は従うため、有力者のお墨つきを得れば「卒業」でも「首席」でも大学は否定しない。よって日本で自信をもってそう発表した。お墨だけだから卒業年月日はない。したがって、それのある名簿に載らない。卒業証明書も出しようがない。しかし有力者の決定を覆せないカイロ大は卒業していないとは言わない。よって、消去法的に、「カイロ大を卒業している」のだ。

だから2020年に日本で「嘘だ」と騒ぎになっても証明書は出なかった(よって「困ってるのよ」となり、今の偽装工作問題になっている)。2022年に小池氏はカイロ大学を公務として訪問し歓迎されているが、喉から手が出るほど欲しいはずの卒業証明書をなぜもらってきていないのかもそれなら説明がつく。押しても引いても出なかったのならカイロ大は政治に配慮しつつも学府の矜持は守ったことになる。小池氏が声明文を自作したとしても大学は自らが書いたとは言わず、エジプト国家(大使館)が裏書するだけだ。しかし大学も偽物だとは言わないのだから、「卒業がなかった」という証明は物証からは難しいのではないか。

この有力者の後継者が現在の有力者で、小池氏が日本国でODA等に関わる権力を握ることはエジプト政府にとって格好のポジションだから、私文書偽造罪で裁判になれば2020年のお手盛り声明を大学もが追認して救い、しかし卒業証明書は出さないまま小池氏の弱みを握る政略に出る可能性は否定できない。となると、法律違反であろうがなかろうが、それ以前に、小池氏が政治家でいることは日本国のリスクであるという主張には反論が難しくなる。岸田氏がアメリカ盲従なら、小池氏はエジプトのそれになるかもしれないという疑念は否定できなくなるからである。

この事態をまねいた種は小池氏が自らまいたものだから自分で除去するしかない。ただ、マスメディアにも責任がある。エジプト留学帰りだ、要人のアテンドもしてる、きっとアラビア語は堪能なのだろう。ここで彼らは「ぺらぺら」だけで海外の大学を首席卒業できると本気で信じたか、疑いはもちつつも商売として祭り上げたか、いずれにせよ彼女をキャスターに起用するなどして囃したて、様々なストーリーをまつりあげ、その国民的人気に乗じて政治家が群がってくることで『小池百合子というキャラクター』を国民の脳裏に植え付けることに成功したのである。それは小池百合子その人ではない。彼女に似てはいるが画面上だけに存在するバーチャルなイメージである点、ボーカロイドの初音ミクや、そらジローや、チコちゃんや、ひこにゃんや、くまもんや、つば九郎のようなものだと考えた方がわかりやすい。

小池氏を揶揄するわけではない。その現象はフランスのマルクス主義理論家、哲学者、映画監督であったギー・ドゥボールが看破した「スペクタクル」であるといっている。ここで詳述しないが、彼の著書によれば「社会」はマスメディアが生成して拡散するイメージ(表象)が支配し、イメージの集合体としてではなく、それが媒介する人と人との関係のことをいうようになる(もちろん政治もだ)。発刊は1967年だが半世紀を経て世界はまさにその通りの様相を呈している。トランプ大統領の出現はその象徴であり、小池百合子のキャラ化もその素地に根を張っている。だから彼女は選挙に圧倒的に強く、楽勝で東京都知事になり、キャラ化したら醜怪なだけの自民党議連のお歴々をぶっ飛ばせたのである。

もっと具体的に書こう。昭和のころ、銀幕のスターたちは映画館でしか顔を見ないにせよ、ファンには生身の人間として認識されていた。サユリストの間では吉永小百合はトイレに行かないという伝説があり、そう信じたいファンが多そうだなというフィーリングの伝播は “さもありなん” だという婉曲な形態でもって、彼女は半ばキャラクター化されてはいた。しかし、それがどうあろうと、昭和の世の中においては吉永小百合は早稲田大卒の女性であった。かたや初音ミクはというと、女性のようだが年齢も出身地も不詳であり、学歴はあるかないか誰も知らない。しかしファンにはどうでもいい。キャラクターとはそうした性質のものであり、それでも人気があって人が集まるのだから銀幕スターと何が違うのかということになり、社会も政治もイメージによってドライブされていくのである。

つまり、これを世相の移り変わりであるとして、小池百合子は時代の申し子なのだで終わってはいけない。ドゥボールの「スペクタクル」は今も社会構造を根底から変えつつあるムーヴメントである。人気=権力であるという接合点を媒介して、日本の政界は芸能界と “同質化” した。参議院に芸能人やスポーツ選手が数合わせでいたのとは根本的に異なる、遺伝子交換に類するともいえる現象がおきている。キャラで釣られる低学歴層が多数派になって国を動かしかねず、とんでもないポピュリズム政権が誕生して独裁者が日本を破滅させかねないということだろう。

いま、大手メディアは報じないがネットメディアが取り上げている小池氏の学歴詐称疑惑を見るにつけ、僕はちょうど10年前に社会を騒然とさせたもうひとつの「キャラクター」を思い出している。それは、内容こそ違えども、「外国に渡って外国の利害に知ってか知らずか関わってしまい、日本を舞台として日本において利用されたと思われる女性」に関わるものであった。これが当時の稿である。

小保方発表で暴騰したセルシード株(7月25日、追記あり)

小保方さんはハーバード大学に留学した女性科学者であり、安倍内閣の「女性が輝く社会づくり」キャンペーンの花形であり、電通やマスメディアによって割烹着を着せられてテレビに登場し、「STAP細胞はあります」と世界を驚かせる論文をNature誌に発表した。日本人女性初のノーベル賞か!と報じられて世間の耳目を集め、あっという間に国民的キャラクターにまつりあがったのである。ここが小池氏のデビューと重なる。

当時、僕の関心は、セルシード社の株価がNature誌掲載と同時に急騰した裏にあると感じた不正取引(らしきもの)を調査することにあり、専門外のSTAP細胞に関心はなかった。ところが、しばらくして、小保方氏の論文にデータ改竄が見つかり、ハーバード留学も単なる数か月の短期ステイであり、密室での実験の結果STAP細胞は再現できないことが、これまた大々的に報道された。

科学の姦計と証券市場の姦計。実は「その両者が日米にまたがった同一犯の仕業である可能性がある」と指摘したのが上掲ブログと一連の補遺だ。胴元は米国だからだろう、本件を当局は捜査しなかった(と認識している)が、その帳尻は魔女狩りの如き小保方さん叩きによって合わされたかに見える。とすれば彼女は科学者としての心得の是非はともかく、巨悪に利用されて贖罪させられた犠牲者であるとも考えられる。同稿は毎日数万回ペースで読まれて多くの方の知るところとなり、不審なファイナンスが中止になるなど、天下の公器である証券市場が詐欺師に悪用されるのを抑止する一助にはなったと自負するが、後味はけっして良くはなかった。

小池氏が現況をどう打開するのかはわからないが、違法性があるとするならそれが立証されるか否かの可能性は既述のように思え、畢竟、最後の審判は有権者にゆだねられるのではないだろうか。僕は小保方氏の科学者としての心得についてだけは厳しく批判した。嘘となりすましの横行は国の幹を腐らせ、日本をますます衰退させるだろうが、真実・真理をひたすら追求するはずの科学者がそれに淫する図を見せられて心底衝撃を受けたからだ。政治は必ずしも真実・真理に基づいて行われるものではなく、国家の安泰と国民の幸福を得るための方策が何かは自国だけの都合で決まるわけでもないが、憲法が定める国民の多数決だけで常に最適解が出てくるわけでもない。それを導く叡智があり、その実行力を有し、正義に忠実な人が望まれる。国民はそれを審判するだろう。

岸田総理の英語力を判定する

2024 APR 15 21:21:58 pm by 東 賢太郎

まず少々の前置きをしたい。他人の英語力についてネーティブでない人間があれこれ書くには、まずお前はどうなんだが問われるからだ。英語力を発音のことだと思ってる人が日本にはとても多いが、そういうものはカラスの鳴きまねを競うようなもので所詮は外人の英語だから目くそ鼻くそレベルだ(ただし帰国は違う、幼稚園からインターだった娘の英語は別次元だ)。我々後発組は正確に通じればいいのである。僕は自分の英語がうまいと思ったこともそういわれたことも一度もないが、電話一本で10年あまり何百億円も動かして失敗はない。

英語でスピーチした経験のある人もおられるだろうが、外国で現地法人の社長を7年勤めたから回数は多い。X’masパーティーや各種のセレモニーもあったが、特に多かったのは「調印式」であり、現地の銀行、証券、業者、マスコミなど100人ぐらいが集まり、株式や債券を発行する上場企業の社長が契約書に署名し、野村證券代表者として僕が署名し、幹事団の多くの皆さんが署名する。それを社長にお渡しして、握手してツーショットの記念写真、拍手という段取りである。この瞬間に何十億円というお金が動く。これが主幹事証券会社の職務であり、スイスでは多い月は週に1,2回これがあった。

調印が済むとさてレセプション(会食)となる。MC(司会)が皆さんご静粛にとやり、ホストである僕が乾杯のスピーチをするわけだ。ワインが注がれ皆さん壇上に注目し、大会場がシーンとなる。ここで当然、お会社様をほめ讃えなくてはいけないわけだが、日本人流に原稿を読んだりクソまじめな話をしては一気に座が白け、来ている幹事団は手練れのライバル社だから「あいつはボケの若造だ(他社の社長より一回り若い40歳だった)、次回は弊社に主幹事を」などと裏で平気でやられる。といって、ちょっとは気の利いた話をしようにも、それは俗にスカートにたとえられるほど短いほうがいいのである。これを何十回もやってどう切り抜けていたかはあんまり記憶にないが、高校時代にマウンドに登るぐらいの緊張はあった。まあ首にはならなかったが。

スピーチの良しあしはもちろんコンテンツにもよるが、役者と同じく演技の面もあり、これが結構大きい。慣れた人がやれば中身ゼロでも印象に残すことはでき、スピーチとしては成功なのだ。たとえば、僕はいきなりしゃべれと言われても大丈夫だ。何も頭にないのに、まず「それについて大切なことが3つあります」と、したり顔で言ってしまう。演技だ。1つぐらいはすぐ思いつく。それを語って時間を稼ぎながら2つ目3つ目を考えるのである。これはウォートンで習った技だが、MBAを取った人は訓練されている一種の「芸能」といえる。このぐらい屁のカッパでできないと金融の世界で大金を動かすことはできない。それを「英語でできる」ということであれば、通訳業はいざ知らず、ビジネスマンの僕としては「英語がうまい人」という評価になる。

ジョークが有効打であることは確実だ。面白いかどうかはともかく「ジョークを言う奴」はおしなべて好感がもたれる。言いそうもない日本人がやると効果は大だ。アメリカはエレベーターで他人と目が合うと必ずニコッとする。初めての時、若い女性にこれをされて驚いた。もちろん好感ありでもなければいい人なのでもない、誰が銃を持ってるかわからない国だ、お互い「危害を加えないよね」という合図である。ジョークも似たもの。いきなり原稿を読んだりクソまじめな話をするなんてのは匿名で顔を隠して他人をディスるイメージを持たれても文句は言えない。ジョークは中身より「人柄をあらわす」ことに意味がある。そこにウィットというひねりがあれば満点。そうなってしまえばそこから多少おかしなことを言っても受けいれられてしまうから不思議なものだ。

ということで本題に入る。

岸田総理の米国議会スピーチだ。うけるようにおさえる所をおさえていたから、十中八九プロが書いたものだろう。それはいい。述べたように、スピーチはコンテンツがどうあれ相手のハートをつかむことに意味があるからだ。つまり古典を演じる落語家やクラシックのピアニストにちかい。

結論。岸田総理は合格。英語力は日本の政治家として偏差値60代上の方、あれだけできる人は国会にほとんどいないだろう。ビジネス能力次第だが、英語だけなら証券、商社で生きていける。小学校1~3年をニューヨークで過ごしたのが大きいと思ったのは発音ではない、ここで笑いが取れると確信してあける “間” の取り方とポスチャー(所作)だ。ジョークも、ここをこう強調して言わないとうまく通じないなということをわかって言ってる。あれは日本の学校秀才ではできない芸だ。仮にスタンディングオベーションがやらせだったとしてもああいうものはごまかせないし、台本を家で猛練習しても知らないものはできない。丸暗記とディスっている人がいるが、その程度の人にあれを批判する資格はない。その場面は見てないものの、彼はアメリカ人と会話で意思疎通が十分にできるはずだ。

総理をほめているわけだが、これはもろ刃の剣で、あのシーンを見せられるとポチになってしまう素地がやっぱりあったのだ、こりゃもうだめだという危惧もいだく。ここは日本だ、英語なんかどうでもいい、そのために外務省や通訳がいるじゃないかという人もいるだろう。しかし、習近平ならともかく、ただでさえ軽くなった日本の総理の言葉が通訳をとおして米国を動かすなんて、もうそんなパワーはかけらもない。何より威力があるのは総理大臣自身の「パーソナリティと言葉」である。相手に心を開かせ、聞く耳を持たせ、日本の言い分を理解させ、納得させ、行動させる。サンフランシスコ講和会議に臨むまえ、マッカーサーは吉田茂は駐英大使だったから会話できると考えていたが、会ってみるとあまりの英語のひどさに唖然としていたとマッカーサーの側近の手記に書いてある。講和会議の契約書に日本語訳はなかった。いいようにやられてめくらサインをして今の日本のていたらくがある。最低、岸田スピーチぐらいの英語力がないと現状打開などまったく無理である。総理大臣を「純ドメ」(純粋ドメスチックの略)議員たちのくだらない政局なんかで決めていてはますますやられ放題になる、というより、純ドメがそうやって権力を握ってもアメリカのポチになるだけ、対米隷従が利権になっていくだけで、永遠に我々の子孫は独立できない。

希望は持った。岸田総理、むしろそれはあなただからやろうと思えばできる。「ポチのふり」だ。日本の国益になることを「アメリカが世界の主役であるために不可欠だ」とバイデンに思い込ませ、それを日本に「命令」させる。「さすがですね、それをやればトランプに勝てますよ」ぐらいヨイショのダメ押しもかます。そのぐらいのことはやってくれ、それなら長期政権でいいじゃないか。ぜひお願いしたい。

大人の童話「つるのおんがえし」

2024 APR 13 10:10:23 am by 東 賢太郎

昔々、おじいさんとおばあさんが田んぼで罠にかかった1羽の鶴をみつけました。哀れに思ったおじいさんは罠をはずし、鶴を逃がしてあげます。すると、その日の晩のこと、1人の娘がおじいさんの家の戸をトントン、トントンとたたきました。「この雪の中、道に迷ってしまいました。どうか一晩泊めてくださいな」。快く受け入れると娘は家の手伝いをしてくれるようになり、喜んだおじいさんとおばあさんは「うちの娘になっておくれ」と3人で仲良く暮らしはじめたのです。

そんなある日のこと、娘は「今から布を織ります。布を織っている間は、決して部屋をのぞかないでください」とお願いをします。おじいさんとおばあさんが約束すると、娘はいいました。「これからこの部屋にこもりますからね。布を町で売っておじいさん、おばあさんの借金をゼロにします。田んぼの害虫もゼロにします」。おじいさんは涙を流してよろこびます。「おお、なんとありがたいことだ。あなたはあの日に助けた鶴だったんだね」。

数日たったある日のことでした。娘の部屋から布を織る音が聞こえなくなっていたのです。「どうしたんだろう」。気がかりになったおじいさんはとうとう部屋をのぞいてしまいました。すると、そこには憔悴し、途方に暮れた表情をした娘がいたのです。「のぞいちゃダメって言ったじゃない!」。そんな姿を見るのは初めてだったので、おじいさんはおどろきます。「いったいどうしたというんだい?」。娘は答えます。「困っているのよ」。おじいさんは助けてあげようと思い、部屋を見回すと、なんと、家具一式がなくなっているではないですか。びっくりしたおじいさんは尋ねます。「どういうことだ?あなたは鶴なんだろう?」。「そりゃ鶴だわよ。鶴の証明書だってあるわよ」。「おい、おばあさん、お奉行様を呼んでくれ!」。「おじいさん、だから言ったじゃないの、あの鳥は鶴じゃなくてサギだったのよ」。

 

鷺(サギ)

 

自民党に漂う「オワコン感」の真因を解く

2024 APR 7 1:01:35 am by 東 賢太郎

ネーミングのセンスというものはある人にはある。「アベノマスク」は歴史に残る傑作であるし、その昔、平成になって日本に帰ってきたすぐのころ、猥雑な新宿の歌舞伎町をタクシーで通りかかったとき目にとびこんできた「平成女学園」の看板にはいたく感心したものだ。最近のところでいうなら、上から目線のぼったくりが過ぎて日本ハムファイターズに逃げられた「札幌ドーム」だろう。大繁盛の「エスコンフィールド」に対抗したいのだろうが、気張って募集した命名権は値段を半額にしても応募ゼロ。これぞ政治家とお役所による殿様商売の見本なのだが、当人たちは相場観がないから不人気の理由さえわからない。そこで週刊誌FLASHが命名した「オワコンドーム」。なかなかの出来ではないか。

札幌ドーム

「札幌市」を「日本国」にズームアップしてみよう。象徴である札幌ドームが小さく見える。日本国の政治の象徴である自民党本部も小さく見える。よく見ると、政治家とお役所の昭和的センス、いわれなき殿様感覚、救いがたい相場観の欠如において両者はいい勝負である。ということは、すなわち、論理的帰結として、「自民党のオワコン感も半端ではない」ということになってくるのである。

「裏金議員」事件。そもそも検察は裏金づくりを犯罪と考えているのかどうか?それで脱税すれば逃れようもない犯罪であるのだがどうして国税は厳格にメスを入れないのだろうか?岸田派の会計責任者だって有罪なのになぜ安倍派、二階派だけ悪いとされるのか?どうしてそういうことが法治国家で堂々とおこなわれて放置されるのか?そして、どうしてマスコミはそれを報道しないのか?

こうしたことが初めから思いっきり意味不明だったが、岸田政権が米国民主党にハイジャックされた傀儡政権だという仮定をとれば、これまで僕がブログで予言してきたことが現実になりつつあることと同様に説明できてしまう(ということは、やっぱり傀儡だったのだ)。見抜き方は実に簡単だ。マスコミがこぞって報道しない。これを見つけたら「政府は何か隠してる」「なにかバレるとやばいものが裏にある」と自動的に考えるだけでいい。マスコミは実はそれ自体が丸見えの「報道」になってることに気がつかない。確信犯かもしれないがみんなで赤信号を渡っているから怖くない。だから毎回やってくれる。

論考のスタートは検察によって安倍派だけで91人の「悪人」が疑義ありとあげられたことだ。この時点でキックバックの記載漏れ、使い残しは脱税問題であるというのが世間の認識だった。ところがそれが裏金という下世話で甘い定義の言葉に置き換わり、検察が「4千万円以上は立件」としたことで、「なんだ4千万未満はオッケーなのか」の空気に変わった。というより、マスコミが巧妙に変えた。そんなことは法律に書いてないし、堂々たる法律違反ではあるが訴訟技術上の理由で、というより、それ以前に政治資金規正法が阿保らしいほどザル法すぎて、当面は起訴はしないという判断を下しただけのことだ。

注目しておくべきは、ここまでは検察という「国家」の判断だということだ。検察庁は行政機関だから国家(=主権者である国民)ではなく総理と官邸の支配下にあるではないかという議論は違う重要な場所で展開されている。私見ではこうなったのは第2次安倍政権の功罪の「罪」の方であり、政権のチョウチン持ちであるマスコミ・政治評論家はそれを「そんなに悪事でもない」というニュアンスで報道し、世論の認識を徐々に変質させた。それこそがまさしく重罪なのである。本稿はその解明が目的ではないので「裏金」という下世話で甘い定義の言葉を「気持ちが悪い」と思いつつも、皆様への説明の便宜上、論旨を損なわない範囲で使用する。

 

検察の判断はサンフランシスコ市が決めた「950ドル以下の万引きはセーフ」と同じである。米国はバイデンの政策で激増した不法移民を現状の警察力で取り締まれず、万引き程度で厳罰にして凶悪犯罪を起こされても困るという窮余の策だ。欧米にはこの手がよくあって、僕がチューリヒにいたころ、政府が若者の麻薬取締りを断念して駅前の公園で新品の注射器を無償で配っていた。無闇に厳罰に処すと地下に潜伏されてしまい、仲間の回し射ちでエイズまで国中に蔓延するのを防ぎようがない。その国家的損失の方を重く見て「やっていいから新品で射ってくれ」と釣って中毒者を表にあぶりだしておいて、いずれ一網打尽にするという意図である。そうであるなら(そうと信じるが)、日本の検察の判断はすぐれて欧米的なのかもしれない。

目の粗いザル

とすれば、国民の理解としては、政治家の裏金作りは万引きかシャブ中毒みたいなものかという話になってくる。だから「合法だ」と言い張ってその芽を摘んでしまわないとまずい。そこで、目の粗いザルである「政治資金規正法」が大活躍だ。「ザルを通しました」といえば、どんなザルでも “合法” になる。しかし、この法律は泥棒が「戸締り用心!」と言いながらあけやすい鍵を売っておいたようなものだ。罪刑法定主義の国だからそうは言えない検察は、「4千万円以下は立件しない」とせざるを得ない。それを奇貨として、岸田総理は「検察が所要の捜査を尽くしたものと認識しております」「収支報告書の不記載については、法と証拠に基づいて、処理すべきものは厳正に処理したものであると認識しております」と、ことあるごとに “合法性” をにおわせているが、その「法」こそが問題なのはほおっかぶり。総理大臣は国会議員であり立法の責任者である。瑕疵のある法律を放置してその責務を果たさないなら国会議員を辞職してもらうしかない。あげくの果てに「報告書に記載があって領収書があれば中身は問いません、各議員がおのおのの判断に基づいて政策活動に支出していると認識しているところでございます、(50億円でも)」なんて凄まじい答弁がしゃあしゃあと出てくる。こんなものを主権者たる国民は許していいのか?

非常に重要なことだが、ひょっとして、われわれ国民は知る由もない自民党の深い闇に関わっているのではないかという直感を多くの国民が今回の事件で言わずもがなに懐いてしまったのではないか。マスコミは隠す。しかし隠されると見たくなるのが人間のサガだ。総理大臣が「認識」するなら国民だって「認識」するのだ。裏金事件をうわべのもみ消しで葬ろうとすれば、そうすればするほど、そうした国民の疑念はふくらみ、自民党は自ら終わらざるを得ないデス・ロードに入りこむだろう。

「4千万円未満はセーフでいいのか」。これはコップに半分の水を見せて「まだ」か「もう」かとやるに過ぎない。どっちであろうが「法律違反」なのだ。マスコミが「おかしいではないか!」と正義の味方のふりをして扇動し、ああだこうだとお遊びに興じているうちに国民は何が問題だったか忘れてしまう。それに乗じて法律違反という火種を消してしまう。すると「法律問題ではないのだから」というウソがだんだんホントに見えてきて、「犯罪事件」が「裏金問題」というとんでもない大嘘、つまり、やんちゃな子をお仕置きすればすむ程度の話にすり替わってしまう。これが本件のメイントリックである。だから、いつの間にか国家(裁判所)でなく自民党の党紀委員会が本件を「裁く」ことになってきて、党則および党規律規約に基づいて、国会議員ら39人の処分を決定するという、学芸会の劇にすぎない出し物で「大団円」感を演出しようとしているのである。台本作家には申しわけないが、日本国民はあなたが考えているほど馬鹿ではない。

いつの間にか悪人が39人に減っている。

まず、これがトリックの小ネタなのだ。この数字が何度も報道されて目が慣れると、なんだ91人の大事件と思っていたが高々39人の話だったのかと、事件全体の重さが軽く感じられ矮小化されてくる。10万円の物を売ろうと思ったら、10万円でも安いと説明してはいけない。まず100万円のを見せれば、何も言わなくとも安く見えてくる。猿をだます朝三暮四に引っかかってはいけない。党紀委員は民間人も入っており国家機関でない。党則および党規律規約など法律でも何でもない。ところがだ。脱税議員は裏金議員にすり替わり、裏金は犯罪ではないが怪しからん、綱紀厳正である自民党は国民と一緒に怒っておるぞ、ついては自民党の議員なのだから自民党が自ら裁くのがいいだろう。

こうして「被告人」のはずの自民党がいつの間にか「裁判長」になっていて、やりたい放題の判決を国の顔をして出してしまう。これは「換骨奪胎」という「なりすまし技」で、だまされる人がいても無理ないが、所詮はタコの変身とおんなじで、ハリボテのインチキである。

「いつの間にやら裁判長」作戦

メイントリックをわかりやすくご説明しよう。サラリーマン時代のことだ。どこかの本部で不祥事があると本部長が本社に呼びつけられ、監督不行き届きで左遷される。普段はいい稼業に見えるが実は体を張っているから部下は命令に従う。これが組織の規律というものだ。ところがだ。某本部長は被告人のような気弱な顔をして本社に出向くのだが、戻ってくると裁判長の厳しい顔になっていて部下だけ処分され自分は昇進する。サラリーマンのプロというのがいるのだ。部下は委縮して戦々恐々となり、仕事のパフォーマンスは落ちるわ、あいつ早く死なねえかなと飲み屋で呪詛するわでムードまで最悪だ。

タコの変身術

被告席にいたと思ったらいつの間にやら裁判長席に座っている某本部長の変身術はタコもビックリで、こりゃ凄いとタコが彼の顔真似をするんじゃないかと思うほどだったが、社員にも真似る奴がどんどん出てくる。これがまた見事なもので、得意なものはいろいろあるができないのは仕事だけという奴ばっかりだ。そうやって体を張らないタコ上司が蔓延しだしてからだ、会社がにわかにおかしくなったのは。いま自民党が仕掛けている技がそれであり、そうやって自民党も腐っていく。「おまいう」の岸田総理が「岸田派の超過分は性質が違う。検察がそう判断している(捜査は米国によるやらせだ)。だから再発防止、政治改革に全力で取り組まなければならない。それが総裁としての責任である」と強調。皆さんどうですか、白状してますね、「総理」でなく「(自民党の)総裁」なんです。自民党など下野すれば国家でも何でもない。その総裁が、国家元首の顔をして国民が選挙で直接選んだ国会議員を処分している。部下だけ処分され自分は昇進。外野席から見ても見事なタコ野郎っぷりでしょ?生贄(いけにえ)にされた議員たちは怒って当然。怒らないならいずれタコの仲間になって腐敗を加速する奴だ。個人的な趣味ではあるが、僕はお寿司屋のタコは好きだが、こういう糞ずるい奴は子供のころから大嫌いである。

もっと詳しく見てみよう。

39人のお裁きの理由を4月4日夜に岸田総理は「派閥幹部などの立場にありながら、結果として長年にわたり不記載の慣行を放置し大きな政治不信を招いた責任」と述べている。罰を受ける具体的な行為は1回でも法律違反の「不記載」ではなく、法律違反にならない「不記載の慣行の放置」に巧妙にすり替わっている。慣行を最初に作った人は無罪になっており、「落選中」「政界引退」の者は1人を除いて消えており、「派閥幹部などの立場にありながら」の部分が重いかのように見せている。つまり、派閥が害悪だと自分の派まで潰しておきながら、その幹部の立場は重要だったと矛盾したことを自分で言っている。「暴力団だ」と解散させながら「組長は不信を招くな」と言ってる。さすがにここまでくるとこの人は真正の馬鹿ではないかと疑わざるを得ない。「じゃあその一人であるお前は何なんだ?」と言われれると「私は裁判長だ」(=それが総裁としての責任である)としゃあしゃあと答える。タコの変身の瞬間を皆様は心の写真に残し、絶対に忘れてはいけない。そのためには、脱税議員を裏金議員にすり替え、法律問題を自民党問題にあらかじめすり替えておくことが絶対に必要であり、それが何月何日に誰によってどう行われたかは良いケーススタディなので若い方はご自分で調べてみる価値がある。

そして問題の39人の顔ぶれだ。

とても著名な面々がリストから消えており、話題にもならない人がたくさん入っており、著名だが消せないほど悪辣な場合は役職についてもいないのに「役職停止」だ。しかも「党の」である。そんなものは国民にとってどーでもいい。次の選挙に出ません。そんなものは**県民じゃない国民にとってどーでもいい。

つまり、このリストの顔ぶれを眺め、マスコミに乗せられて処分は8段階あるとかないとかクソどーでもいいことをああだこうだピーチクパーチクやりだした瞬間に、あなたはすでに自民党の詐術にかかっている。タコがアンコウに化け、あなたの目の前でゆらゆらさせてるチョウチンがそのリストなのだ。もちろん、食いたいのは「あなたの貴い一票」である。

それだけではない。チョウチンを光らせて脱税および政治資金規正法の改正という法律問題に国民の目がいかないようにしながら、総裁選のライバルになる他派閥の幹部(要は例の5人組)に罪人のイメージを着せて追い落とし、場合によってはリストから外してやってもいいがとゆすっておいて取るものは取り、雑魚はへへーっと土下座させる。森、二階はなぜリストにないのか?「落選中」「政界引退」はセーフだからで帳尻があう。派閥を消し、その幹部も葬ってしまい、選挙の公認剥奪という議員が実は最も怖いお仕置きで他派だった下々の議員を脅せば岸田と官邸にひれ伏して忠誠を誓うようになり、トップダウンがやりたい放題になる。これが狙いだろう。

ここまでが米国民主党の意図とは思わないが、巨額のウクライナ復興予算等を通すためにはトップダウンやりたい放題になっている必要がどうしてもあり、それには抵抗勢力である現状の派閥体制をぶっ壊す策略がどうしても必要だった。それが米国の意で動かせる地検特捜部を使った裏金あばき、派閥潰し、邪魔な幹部の追い落としであり、岸田氏は総理大臣としての延命にそれを利用もしたということではないか。こういうことはビジネスでも日常茶飯事であり、猫がネズミをとるようなもので政治家が目の前のチャンスを拾って悪いことはないからその行為だけをもって総理を批判する気はない。

政治資金規正法

しかし、ここからが本稿の最も大事なポイントだ。国民は「裏金議員」は脱税という “法律違反” を犯したと怒っているのである。なぜ国民は裁かれるのに国会議員は裁かれないのだと。しかしその「法律」は、税法以前に、ザルで大甘の「政治資金規正法」だ。検察が「4千万以上しか立件できない」とするのはザルの目が粗いからで、それを棚に上げて岸田総理はことあるごとに「検察が判断している」としゃあしゃあと「検察」を免罪符に使って逃げている。検察は法律は作れない。だからお前が政治資金規正法を改正して政治とカネの問題にケリをつけろ。「自民党総裁」としての責任なんかどうでもいいから「総理大臣」の仕事をしろ。

この怒りのマグニチュードは、岸田氏が食ったネズミが運悪く納税(確定申告)の最中に出てきたことで、国の隅々まで凄まじいレベルに増幅されてしまった。91人をぜんぶ打ち首にしても「金の切れ目は縁の切れ目」「百聞は一見に如かず」を払しょくできたかどうか。それが39人?課税はゼロ?政治資金規正法の改正はどこへ行っちまったんだよ? ふざけんなコノヤロー、となってる。

そこに39人の処刑の図などぶちこめば、ほとんどの国民はそれが「やらせ」「目くらまし」「ほとぼり冷まし」「いけにえ」だと知ってしまう。そのセコくて薄っぺらい人間性というか党員性というか、国民はそれを見抜いてさらに怒っているのだが、それは、自分が苦労して働いて納税した金を使ってこいつらはこんなことを一生懸命やっているのかというもっと凄まじい怒りである。

しかも、どうも、こいつらそれに気がついてないんじゃないか?命名権の値段を半額にしても応募ゼロ、それ見ても気がつかねえんじゃねえか?

そういうのをオワコン終わったコンテンツというのである。

札幌市民の皆様には申しわけないが、このままだと自民党は静かに札幌ドームの運命をたどるだろう。マスコミ、御用評論家の皆様もごいっしょに。エスコンフィールドが出てくるだろうから僕はどうでもいいのだが。

 

(追記)

39人を処刑。記憶の中でどこか引っかかる数字だ。わかった、これだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e534336fa534d3ba0e51e94cc5b7e669c0620cf9

申しわけないが、この作戦を岸田氏が自分の頭で考えたとはとても思えない。参謀の人間は受験で日本史を選択していればこの事件を知らないはずはない。もし僕がするならこのぐらいは遊んでみたくなるなあと思わないでもない。

誰でもわかる株式投資概論(1)

2024 MAR 21 12:12:13 pm by 東 賢太郎

日経平均株価4万円越えがお茶の間の話題になる今日この頃だ。株が上がって困る人はいない。ショート(空売り)していれば損だが、それは少数のプロか熟練者だから国民的には関係ない。一般投資家には吉日続きであって、辛い話題で始まった2024年に一縷の光明をもたらしたという意味では目出たいことである。しかし日本人の金融資産は2000兆円あるのに半分は現預金で、株式・債券等は15%しかない。真逆の米国は半分が株式・債券等で現預金は12%しかない。これじゃ日本国はだめだよと僕は野村證券金融研究所の投資調査部長のころから口酸っぱく言っていたから、日本人の投資リテラシーは20年たっても微塵も変わっていないことになる。デフレで自国株が上がらなかったことはあるが、円の価値は円/ドル相場が70円台と今の2倍だったのだから外国株を買えばよかったのだ。しかし日本株も買えないリテラシーだからそれは上級者コースだった。

もう聞き飽きた議論だが、その結果、日米の個人の金融資産の伸び(2000~2020年)に大差がついている(下のグラフ)。ソナーのファンド(投資手法の運用履歴)はその期間に10倍ほどだから、米国のまた3倍以上のパフォーマンスになっている。20年間という充分に長期の成績だから、この投資手法と哲学に基づいて「株式投資概論」を語っても許されるだろう。お断りするが、本稿は自分のファンドを売ろうというPRではない。なぜならお売りしてないからだ。

この差に加えて円安になると日本人の国際的な購買力はさらに落ちて自信を失い、企業も輸出関連以外は元気がなくなるだろう。いま株が上がっているのは、元気のない経済状況で株価は上がらないという時代がすでに30年も続き、安値に放置されてきた日本株が円安でさらにバーゲンセールになっているのを外人が評価したからだ。日本人にはさして魅力がなかったニセコの土地が買いまくられて品薄になってしまい、坪単価が暴騰したのと同じことである。この株高が我が国の個人金融資産にもたらす恩恵の割合は15%あるとはいえ、その人口というと想像だが10分の1ぐらいではないだろうか。

ちなみに僕は資産に現預金も円も保険もほぼなしだが、日本に住む米国人なら不思議と思わないだろう。金融資産というものは「遊び金」であって、それが自分で働いて増えてくれた分は不労所得である。こんなにありがたいものがどこにあろう。ところが日本人は額に汗して働いたお金は貴いと考えるが不労所得はあぶく銭だと下に見る農村社会の思考回路がいまだにぬけていない。江戸時代のままだ。ちなみに税金もお代官様に否応なく奪われる年貢と思っているから五公五民でも一揆をせずに耐えしのび、裏金・脱税事件を知って初めて怒る。お代官のほうも「おぬしもワルよのう」のイメージが消えない。日本の歴史、文化に良い物はたくさんあるが、こと金銭に関しては国民はもっと勉強し、スマートに生きた方が自分も家族も楽しい人生になるように思う。

「金持ちしか買えないから株は関係ない」という声をよく聞く。つまり、それは本当なのだ。しかし株は数万円で買えるのだから実は金持ちの贅沢品ではない。そういう人の傾向として「株はバクチだ」と信じ、いかがわしい行為であるかのように「株をやる」と表現するが、ここまで喜ぶ人が増えてくると「酸っぱいブドウ」の言い訳と気づくのだろう。すると今度はそれが別の酸っぱいブドウになって「だって金持ちでないし」に行き着くわけだ。自虐心理はその方の人生航路にとっても社会の活力にとっても好ましいものでない。そんなことはない。参加してないだけだ。政府も大事という見解だからNISAで非課税にしてくれており、民間でも小学生に投資を教える動きが出ている。大賛成だ。

「投資は難しい」という声もよくある。難しいか易しいかは人によるが、確実にいえることは未体験の物事は誰にも難しく見えるということだ。だから自転車には補助輪がある。世界で何億人も難なく乗れているのだから、それがあることをもって「難しい」という人はいない。投資も世界で何億もの人がやっているのである。補助輪がないと怖いという人は仮想の売買(エア投資)をゲーム感覚でしてみるか(家族や仲間で1か月の運用競争をするとけっこう楽しめる)、あるいは気にいった株式を練習として1銘柄実際に買ってみればいい。持ってみるだけで世界が変わることに気づくだろう。まず毎日株価が動くので気になる。その企業に関係があるニュースに目が行くし、それを理解しようと経済にも政治にも興味が出る。大事なのは「ゼロになっても授業料だ」という余裕の金額で始めることだ。1円も損したくない人はあきらめるしかないが、日経平均株価のようなインデックス(指数)に入っている会社はまず倒産はしない。よって、株価がゼロになることはない。もし失敗しても「安い授業料だった」で済むはずだ。

その数万円は投資金額というより「気持ちの糊(のり)しろ」だ。捨ててもいいと覚悟すれば冒険ができる。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で、冒険しなければ収穫がないのは世の中の基本原理である。宝くじは外れれば全額パーであり、学ぶものも何もない。それこそがバクチの定義なのだが、なぜか多くの人がジャンボを買い、株式投資はバクチと思っている。日本は非常に不思議な国だ。投資は大いに経済、社会、人間を学べるうえに全額パーはない。この「学びを得られること」こそが投資の大きなメリットであり、学校で教われば授業料を取られるのだが、投資の場合は逆にお小遣いまでもらえる。そんな学校がどこにあろう?「学び」のうちで僕が最も大事と思うのはリスクとリターンの関係だ。それが肌で判るようになることは人生で大きなアドバンテージになるというのに。

簡単だ。「虎穴に入らずんば」は “リスクを取らないと” の意味だ。「虎子を得ず」は “リターンはないよ” の意味だ。「虎の穴に入る」冒険は「虎の子」の数に関係があることがお分かりだろうか?これをゲーム化してみよう。いつ帰ってくるかわからない虎の親に見つかればgame over、子を1匹持ち帰れば1000円もらえるとしよう。穴にいる子の数は自由に選べるが、増やすと1回遊ぶコイン代(ゲーム料金)が上がるとする。これを不特定多数の人にやらせてみる。例えば1匹ならコインは100円、2匹なら200円のようになる。そのまま10匹1000円なら大安売りに見えるが、すぐ親が帰ってきて丸損があるからわからない。最も売れ筋が3匹350円だったとすれば、それをコインの値段に設定すればゲームの売上は最大になるだろう。株価決定のメカニズムはずっと複雑だが、おおまかにはそうして決まっている。子の数がその企業の配当だ。来年減益だと3匹と思った子が2匹になってコインは下がり、増益なら4匹になってコインは上がる。

以上でご理解いただける重要な学びはリスクとリターンは何らかの関係で均衡しているということだ。数学の関数関係である。つまり、リスクのない所にリターンはない、これは「法則」だと覚えてほしい。何がリスクで何がリターンかを理解しないといけないが、初めはそれだけ覚えれば理屈は無視でいい。もし損したら、「取ったリスクよりリターンが少なかった」と考えるだけでいい。均衡しているのだからおかしい、どこで間違ったんだろう?と考える。これが投資を理解する第一歩だ。投資の決め方はチャートの形が「上がりそう」でもいいし、テレビで経済評論家がほめていたでもいい。何度もやれば、それらが信じるに足る情報(インテリジェンス)ではないことを学ぶだろう。

もちろん投資をバクチとしてやっても構わない。そういう人にとって売買するのは「株価」であって「企業」ではない。よって、短期売買を繰り返す「トレーダー」という種別の投資家になりがちだ。していることはFX、金、石油、暗号資産のミセス・ワタナベとかわらない。往々にして熱くなって売買手数料がかさみ、良い投資家ではなく証券会社の良いお客さんになる。日本はそれを投資と思っている人がインテリにも多いという意味で、投資の超後進国である。それを見ている臆病な人たちが「バクチ」と思ってしまうのも無理はない。証券会社にはディーリングフロアにスクリーンがずらっと並ぶ「トレーディングデスク」があって、無智蒙昧のマスコミが投資のプロのように放映するが、あれと運用会社のファンドマネージャーは目的も手段もまったく異なる別物の業種で、志望する人間のタイプ、学歴からしてぜんぜん違う。もちろん僕はトレーダーとは程遠い。

証券会社にいないとわからないことではあるが、そんなことも知らない素人が本を書いたりテレビでコメントしているのは草野球のおじさんがプロ野球の解説者をしているように見える。そういうものを信じているのだから投資家が育たないのはあまりに当たり前のことである。

では良い投資家とは何か。利益をあげられる投資家である。投資のプロを名乗っていながら自分の資産はひと並みというのを羊頭狗肉という。成功した人から教わるしかない。投資は国民の義務でも慈善事業でもないから結果が出なければ何の意味もない。アスリートで喩えるなら、フォームは美しいが結果が出せない人より、自己流でも出せる人の方が良い選手だ。投資の仕方を書くのは自転車の乗り方を文章で教えるようなものだ。「やってみなはれ」しかない。乗りたい子は転んで泣きながらも勝手に覚えるし、やっているうちに体でわかるようになる。投資も同じだ。アスリートのフォームにあたる色々な理屈はあるが、それはあとで学べばいい。なぜなら、理屈から入った人全員が学ぶのは「投資は理屈通りいかない」という屁理屈だからだ。それに納得して心が折れてしまってはもったいない。「工学や流体力学を学んだのに自転車は乗れません」と嘆くに等しい。

理屈を書きだすと一冊の本になってしまう。そのぐらいあれこれある。僕はウォートン・スクールでそれを全部学習し、証券マンとして元々あった「自転車に乗る体感」に当てはめて試し、ある結論に至った。「確実に結果を予見する理論は存在しない」「リターンを増やすことはできないがリスクは減らすことができる」の2つである。したがって、「1年で2倍になります」なんて投資戦略はなく、そうなる株はあってもそれを確実に当てる理論はない。したがって、その類のことをうたう者は確実に詐欺師であるということだ。したがって、僕は「リスクを減らす」方法に集中した。後に知ったが、孫氏は「戦わずして勝つ」を兵法にしており、投資は参加する(戦う)必要があるが「負けないように戦え」と読むことができる。大勝は狙わず、長くやって負けが他人より少ないポジションを狙う。麻雀やポーカーはそれが強い人だし、野球も時々10点取って大勝するチームより、平均3点しか与えないチームがペナントレースを制する。

つまり、10点取って大勝した快感がたまらず、夢よもう一度という人はだめだ。もし初回にそうなればビギナーズ・ラックと思った方がよく、長くやるとまず負けるからそこで「勝ち逃げ」をお薦めする。なぜかというと、大勝を狙うと無意識に過分のリスクを取ってしまっているからだ。リスクとは何かを知らない人に自分が取っているリスク量を知る方法はない。だから「リスク・リターンは裏腹で均衡」の法則が働いて負ける。失点を3におさえられれば(これは学習できる技術だ)、ラックがあろうがなかろうが地道に4点取って勝ちを重ねていけばいい。それ以上の点数が運よく入ることがあれば投資では貯金になるのである。

なぜ「リスクを減らす」と勝てるか。企業のリターンを少数株主が増やすことはできないが、それは時間とともに勝手に増えるからだ。企業は経営者、社員が収益を求めて日々働いている。「株価を上げたい」と思うのは経営者だけかもしれないが、社員も出世競争や賃上げをモチベーションに努力すれば会社の収益になる。したがって、それを反映する株価というものはマクロ的に見れば「浮力」がある。全企業が経営に失敗して減益なんてことは先進国ではまずなく、増益企業の数の方が多い。だから株価指数はその国のGDP程度のリターン(上昇率)になり、いわばゲタをはいているのである。しかも、GDP成長率というものは、どの宝くじ売り場で1億円の当選者が出るかよりも研究して予測する余地がある。それが「理屈」であり、学習すれば全勝することはなくても負けの数を減らすのには役立つ。

投資は人間学でもある。人間は感情がある。理屈は理性に訴えるが、理性は感情に左右されてしまうことがある。すると先に書いた無意識に過分のリスクを取ってしまい「リスク・リターンは裏腹で均衡」の法則によって高い確率で負けてしまう。これを突き詰めると「だから人間は投資に向いていない」という結論になり、コンピューターがプログラムにだけ従って売買するアルゴリズム取引が現れた。AIが人間の誤謬を学習し予測して百万分の1秒単位の速度で執行するから、同じ投資戦略なら人間は確実に負ける。しかし執行速度の争いはそこまでいくと光速の域になり、即ち電線の短さの戦いになる。コロケーションといって取引所のホストコンピューターの隣りの部屋に置けば必勝というわけだが膨大な設備投資になるから我々には不要だ。僕は2008年に破綻したリーマンの電子取引チームの20名を丸ごと引き抜いてその戦略を子細に研究した。トレーダーが勝てる望みは皆無だが、別な投資戦略であればそれと競わなくても済むことを知った。

投資戦略というものは無闇に変えてはならない。市場がどう動こうが変えなくても利益を生むものだけを戦略と呼ぶからだ。だから、アルゴリズムに頼らないのであれば、感情に左右されないための訓練がいる。これは会社経営にも当てはまる。フレキシブルなことは大事だが、戦略変更の場合はどこをどう変えたかを計量的感覚で記憶しないといけない。それがないフレキシブルはただの根無し草にすぎない。僕は仕事においては感情に竿刺されにくい人格と思っている。それでは生身の人間が壊れるからアートと哲学が必要で、その分、音楽をききピアノを弾いて大いに感動して涙し、哲学書を読んで心の平安を保っている。

最後に現在の日本の株式市場について私見を書いておく。日経平均株価4万円越えというが、日経平均株価とは東証プライム市場に上場する1,655社(3月19日現在)から選んだ225社の株価指数であって、それが4万円になった定量的な意味は何もなく、前回の高値を更新したといっても、してなかった先進国はなかったというだけだ。チャートで判るように、上がっているといってもプライムのほんの一部の銘柄主導であり、主体が外人だから時価総額の大きいもの、半導体関連、といった偏向がある。それでindexは上がってしまうからこの上げは活況感がなく、些か人為的だ。対照的に、時価総額500億未満の中小型株は業績は「グロース」であっても株価に反映されず、バリュー評価もPBR1倍割れが目白押しだ。この歪みはいずれ解消に向かうだろう。

 

自民党の「罪と罰」

2024 MAR 15 8:08:22 am by 東 賢太郎

「第2次世界大戦はなぜおきたの?」

小学生にきかれ、ちゃんと答えられる大人は何%いるだろう?

ドイツでナチ党が政権を獲得し、国際連盟を脱退した(1933年)。ベルサイユ体制打破の狼煙が上がり、日本は日独伊防共協定を結ぶ(1937年)。ところがドイツはポーランドとの不可侵条約を破棄し、8月23日に共産国ソ連と不可侵条約を締結して世界を驚愕させ、9月1日にポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまる(1939年)。独ソにポーランド分割秘密議定書という裏契約があったからである。

日独伊防共協定は大義を喪失、日独外相はソ連を加えた4か国による対米同盟を望んでいたが失敗する。バルカン半島やフィンランドを巡って独ソ関係が悪化したからで、6月22日にドイツ軍は不可侵条約を破棄してソ連へ侵攻し、12月8日に日本は真珠湾攻撃によって米国から宣戦布告を受ける(1941年)。そしてソ連は日ソ中立条約(1941年)の破棄を通告して日本に対して宣戦布告を行うのである(1945年)。

以上は前稿のくりかえしになるが、このくだりは僕もあまり勉強しなかったし、人間を性善説で見るように教えられていたのでよく理解できてなかった。のちに三国志を読み、外国でディールに明け暮れているうちに腑に落ちたのが現実だ。

ワルぞろいの英米独露に比べれば計略に乗せられてブチ切れた日本軍は純真だった。それじゃだめなんだよ。中国は2千年も前からやってる。いまさらハニトラなんてきくと「貂蝉がいただろ、お前ら少しは勉強せいよ」と言いたくなる。

世の中には「罪と罰」のラスコーリニコフのように「1つの罪は100の善行によって償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」と信じている者がいる。

国を救う善行のためには原爆で何十万人殺してもいいと考える人間が現実にいたのだから、条約の破棄など罪の意識すらない。まして国のために選ばれた自分は脱税しても許されると信じる国会議員がいても驚きでもなんでもないのである。

ラスコーリニコフが殺した老婆が金貸しに設定されたのはキリスト教の利息禁止を犯した悪人だからで、「1つの罪」の重さを減じている。「政治は金がかかるんです」という永田町の教えも資金使途記載漏れの罪を巧みに減じている。

法と証拠に基づいて適切にやっているので、ダンサーにお札を口移ししようと腰を触ろうと、法には触れていない。しかも当時の記憶の中では触ってないし、今の記憶の中では覚えてない。個別事案についてはお答えを差し控えます。

「赤ベンツで歌舞伎町のラブホに乗りつけ、一戦を交えたその足で国会議事堂に何食わぬ顔で出勤して居眠りすることを禁ず」なんて法律はない。ワタクシも法と証拠に基づき、厳正公平・不偏不党を旨として、適切に政務を執行している。

選ばれた我々なのだから少しぐらいは行政権が法を乗り越えてもいい。「泥棒に追い銭」はあっても「泥棒に立法権」という格言はない。罪であっても罰はないように巧妙に法を作ってあるから裏金作りだって安心安全なのだ。

昨年の9月に「岸田政権の支持率は0%まで下がる」と書き、11月に「次は上川陽子になる」と断言した。僕は政界情報など何もない。あるのは仮説だけ。それによると自動的にそうなる。ホントにそうなってきたぜ、恐いなといってる。

我が周辺は自民支持の右派ばかりだが、皆さん怒ってる。やっぱり確定申告だ。エッフェル姉さんで笑えた空気はもう皆無。議員はいったんアダ名がつくとネットで永遠に言われ、いずれ100%がネット社会になる。人生棒に振るよ。

「ラブホ出勤も口うつしも、どうでもいいけどさ、フケツだわな不潔、こいつカネにもケガレてるんだろうってなっちまうな」。もっぱら遊びには寛容なYがこう言う立場をとるのはけっこう稀なことだ。

 

株の儲けとブラームスのジレンマ

2024 MAR 5 7:07:58 am by 東 賢太郎

自分の行動と信条が合わないことがある。うまくいっていても、どこか心持ちが良くない。今がまさにそうで、前稿に書いたように現在の自民党政権には幻滅どころか亡国の危機感さえ持っているのだが、そんな政権なのに株式市場は新高値4万円をつけ、いっぽうで円が安くていよいよ150円台に定着しそうだ。僕はもう2年前から思いきって全財産を「日本株ロング」、「円ショート」のポジションにしているから当たりだ。しかし、これがその政治のおかげであるならジレンマがあってそう喜ぶ気持ちにならない。我が国は首相官邸ごとハイジャックされていて、自民も立憲もその軸で国会の裏でつるんでいて、何と証券市場までそうだったかと嘆かわしい気分すらある。

この利益は知恵をしぼり、体を張ってリスクを取った対価であり、誰でも市場で売買できるもので儲けているのだからどうこういわれる筋合いはない。ではお金と信条とどっちが大事かと問われればどうだろう。信条と答えたいが「武士は食わねど・・」の人種でないから自分を騙して生きるのはまったく無理だ。よって、どんなに唾棄したい政府、政策であろうと、それが存在する前提で投資戦略を練って勝ちに行く。そこに何らかの感情が入ってしまうと往々にして負ける。したがって信条は完全に無視である。つまり内面に矛盾が発生するのだ。株も為替も石ころの如く無機的な「対象物」でしかないという感性を持つことで信条優先の人間だという矜持を持ちこたえている。理が通った気はするがなんとも危ういものだ。

いま新事業というか協業の提案をいただいている。4つもあってどれも面白そうだ。モーツァルトなら作曲依頼は4つでも受けるだろうし、僕とて40歳なら迷わず全部受ける。69歳なのに気持ちがはやって簡単にできる気がしてしまうのが自分が自分たるゆえんではあるのだが、無理はいけないから部下たちの判断を尊重しようと考えていて、6時間も議論したりの日々だ。やればその分、余生の時間が減るという気持も出てくる。カネなんかのために早死にしたくないし、儲けて無理して使えば体に悪くてやっぱり早死にだ。つまり何も良いことはないのである。やがて「いつ辞めるか」考える日が来るだろう。江川は小早川のホームランで辞めた。貴乃花は千代の富士に負けて辞めた。トスカニーニはタンホイザー序曲でミスして辞めた。何になろうが、継ぐ人が現れての話になるが。

先だって、シンガポール在住の事業家で慶応ワグネルのフルーティストであるSくんとZOOM会議をして「仕事やめたら指揮してみたい」「何をですか?」「シューマンの3番とブラームスの4番かな」という会話があった。先週に渋谷で食事しながら「ブログにはモーツァルトが一番好きと書いてありますよ。どういうことですか?」と鋭い質問をいただいた。「モーツァルトは人間に興味があるんだ。なんか同類の気がしてならない、あんなに助平じゃないけどね」と答えた。君はと尋ねると「バッハのマタイとブラームスのドイツ・レクイエムです」ときた。「素晴らしい。マタイの最後、トニックの根音が半音低くて上がる。ブラームス4番はその軋みがたくさん出てくる。ドイツ・レクイエムは信教のジレンマがあったんだ。だから ”ドイツ” をつけたが、ドイツ人指揮者は意外に振ってないね、ベーム、コンヴィチュニー、クナッパーツブッシュはないんじゃないか」なんてことを話した。

ブラームスのジレンマ。比べてみりゃ僕のなんか卑小なもんだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

いまの政治家の誰がトランプを御せるか?

2024 MAR 3 7:07:50 am by 東 賢太郎

今年のダボス会議のテーマは「信頼の再構築」とされているが、それを脅かすものとしてAIフェーク動画の危険性をあげ「誤情報」(deep fake)の拡散が問題であることを含んでいる。嘘の画像をとっかえひっかえ見せて大衆を騙す手法は「どんぐり遊び」の進化系であるが、朝三暮四は古代の中国の話だから古典派の手法といえないこともない。最も大事なポイントは、何が「正」か「誤」かは歴史や社会通念が決めるのではなく権力者が決めるということだ。

目的はAIフェーク動画を潰すふりを装いながら「都合の悪い情報をどう消すか」である。では、誰の「都合」なんだろう。 Xやyoutubeのコンテンツは検閲者が消せる。前回の米国大統領選でそれが起きたのをご記憶だろう。そこでメディアが「トランプの言論の自由を封殺できるのか」とまっとうな議論が沸騰した。しかし鎮火された。誰がしたのか?実行したのは企業の検閲者でも命令したのは彼ではない。彼は米国の法律に縛られるからだ。では誰か?法律に縛られない者だ。なぜ縛られないか?どこの国民でもないからだ。

10年ほど前、E-コマース(電子商取引)のグローバル企業が日本人にモノを売りながら日本国に税金を払わないことが問題になった。それと根っこは同じ話だ。その国の国民が見るサイトで検閲・削除しようが言論統制しようが、それを外国から操作しようと思えばその国の法律で裁かれずにできてしまう。言葉で行う政治への干渉も外国から操作できてしまう。米国大統領選でロシア、中国が盛大にやったのは世界の常識だが、ラインが韓国企業であることを国会議員すら知らなかった恐るべき情報後進国に住む日本人はあまりこのことを実感していない。

リズ・トラス首相

「その者」のことをドナルド・トランプは国家の裏にいる「影の政府」(deep state)と呼んだ。インテリジェントでスマートな命名だ。実行部隊はその国の者だが、命令するのはマネー(通貨)を支配する者たちだ。マネーに色はない。支配者たちも様々な国籍はあるが意味はない。だからどこの国から見ても「影」の存在である。たった45日で辞任させられた英国のリズ・トラスはCPACで「国を動かすのは首相と思ったらイングランド銀行(BOE)だった」「影の政府にクビにされた」と演説した。「BOE=影の政府の手先」であることを暴露したことになるから大騒ぎになった。彼女はその単語を公の場で使った二人目の国家元首だが、日本ではあまり報道されなかった。世界元首に都合が悪いからだ。

高橋是清

「その者」は国家元首のように暗殺されかねないリスク・リターンの悪い地位にはつかない。目立ちたくもない。米国の元首に傀儡を据えて通貨と軍事のパワーで世界を支配すれば、それが自動的に世界元首であるからだ。G7諸国、U国、I国のトップは全部傀儡だ。そうならないR国のPをやっつける大義のもとに荒稼ぎの場に使われたU国は、百万人いたはずの兵士がいなくなって傭兵で戦っている。それなのにZ大統領の発表は「兵士3万人が死亡」だ。世界中が嘘と確信しているが、世界元首様がハンコをつけば情報は「正」になるのだ。犠牲になっている国民が気の毒でならないが何兆円もの義援金の大半はA国の兵器屋に回る。

100万を3万と嘘をついてバレても構わない。要はどうでもいい。そうやってJ国では300万人が死んだ。そういうことだ。U国は今年で幕引き、I国は暗礁に乗り上げてしまった。次を物色しなくては。勘違いのトラスは外したがJ国のKはEの完全支配下に置いたから大丈夫だ。何でも言うことを聞くぞ。「どうだい、Z大統領役をやってみないか、1兆円やるぞ、君と家族の身の安全は保障する」。危ないのは巷でいうC国でもTW有事でも半島でもない、そっちではないかと心配になる。まさか300万の人命を失うとは思わなかった、国賊とはいわないがあれを始めた者たちはそう言っただろう。

権力の傘の下にいると楽だ。すいすい出世もする。しかし怖くもある。これは自分の経験だ。周りはいざ傘が消えたら斬り殺そうと狙ってるからだ。J国K首相殿の心境は拝察しないでもない。左翼が莫迦だ無能だと騒ぎ、A国盲従に国民は怒って支持率は0%へまっしぐら。しかし地検特捜部も国税も味方につけてくれ、派閥まで一掃してもらって党内では向かうところ敵なしという「A国に守られている全能感」は麻薬であろう。それで自ら脳を麻痺させてしまい、恐怖を忘れてひた走る。しかしどうだろう。彼が本当に怖いのは傘のほうではないかと思えてならない。だとすれば・・・。

先日のこと、ある会合があって、同年配で地位も見識も情報もある一流ビジネスマンの皆様と円卓で会食した。「ところで皆さんWは打ちました?」ときくと8人中7人がイエスであり、6回ですという人もいた。これは些か驚きだ。J国ではすでに情報統制がほぼ完璧ということだ。だから世界で最も打ちまくった優等生の国になっている。ヘルスケアのグローバルな専制的組織化はダボスのテーマにちゃんと入れこまれているわけで、F社M社およびA国政府に治験データ付きで巨額のマネーを提供した日本国首相の評価が高いのはごもっともである。そのうえにA国人もびっくりのLGBT法まで通してくれているのだから国賓待遇ご招待は当然だ。

「出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ消滅するだろう」とイーロン・マスクに心配してもらわなくとも、緊縮財政と増税で日本人はもっと貧しくなり子供は減るだろう。少子化対策は異次元でなくても結構で、その2つをやめるのがベストだが絶対にしないだろう。それどころか日本人を減らしたいのが裏の本音かもしれない。ピークの昭和24年に270万だった新生児数が去年はなんと4分の1になって73万だ。内閣府の推計によると日本の人口は2060年に8700万人ほどになる。つまり3700万人減るわけだが、それは東京都、神奈川県、大阪府、福岡県が無人になるということだ。そこで「どんどん移民に来てもらおう」が「正」の情報となる。文化の障壁は取り壊そう、インクルージョン、ダイバーシティ、LGBTだ。E大使殿は建国の父だ、銅像を建てよう。

冗談に聞こえるだろう。しかし「冗談と思っていた」という日が来たときには日本はすでに消滅している。絵空事ではない。なぜなら、現実にそれが1868年に起きているからだ。

日本人は着物にちょんまげ姿で草履をはき、武士は刀をさして歩いていた。

それが、あっという間にスーツにネクタイ、革靴になった。

良くいえばフレキシブル、しかし、ある意味でまったく節操がない。我々はこんな軽薄な民族だったのだろうか?

日本人が外圧に弱いのは今に始まったことではない。まず白村江で大敗し唐軍に征服されている。渡来人を招いて文化を流入させたと美化されているが、朝廷皆殺しかの激震が走ったろう。唐が滅んで平安の世となるが強者崇拝で漢文、詩歌、仏教がセレブの教養、権威の象徴となる。その崇拝対象物が黒船来襲、英国の薩長砲撃でびびったことで、今度は西欧に移る。その挙句のクーデターが1868年に起き、後に美化され、明治維新と命名されたわけだ。

日本人は平時においては保守的であり、節操がない民族とは思われない。ということは白村江と黒船は為政者にとって人格が変わってしまうほど恐ろしい出来事だったと推察する。だから平安と明治の建国は火事場の馬鹿力とでもいう尋常ならぬ気合が入っており、武力はもちろんのこと、新たな文明文化が花開くほど精神の奥底まで変容が及んだのだろう。その2つに比べれば源平合戦も応仁の乱も戦国の合戦も関ケ原も、所詮は武士同士の内戦であって、異民族侵略で人民まで何をされるかわからない不気味な恐怖はなかっただろう。

さように明治維新の変革のマグニチュードは凄まじかったが、それは米国が南北戦争を終え外に目が向くという、時代が大転換する余波であった。いま、その米国は再度の南北戦争に発展しかねないといわれる分断に見舞われている。その余波が日本に来ているのであり、民主党政権による近来にはない強権的な外圧は白村江、黒船に匹敵するレベルになっているかもしれない。つまり、現政権による米国への見苦しい「面従腹従」をやめさせ、おためごかしの政権交代は打破し、先例を凌ぐ尋常ならぬ気合で戦後体制を革新するぐらいの政治改革が必要だ。

もしトランプになるならそのチャンスがあるがリスクもある。彼は利に敏いディール屋だ。好敵手なら四つに組むがヘボと見れば相手にしないストレートな男とみえる。安倍晋三なき後の政治家で誰がトランプを御せるだろう?その人間に日本の命運がかかっている。申しわけないが現首相ではバイデン以上にやりたいようにやられて**の毛まで抜かれ、日本はさらに凋落の途をたどる予感がする。

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これぞ絵に描いたような「どんぐり遊び」

2024 MAR 2 13:13:24 pm by 東 賢太郎

大谷さんのニュースは実にめでたい。おめでとう!今年は更にパワーアップしてメジャーリーガーどもをなぎ倒してくれ。しかし、この稀代のビッグニュースが政界のビッグニュースである自民の政治倫理審査会を直撃ってのは凄い確率だ。ホールインワンより凄すぎでしょっていう、これぞビッグニュースだ。

即座に「やったな」と思った。

「どんぐり遊び」の政治的効用について

大谷さんは「なぜ今日の発表ですか?」と記者にきかれ「マスコミがうるさいので(笑)」と純真に答えている。彼の景色はそうなんだろう。でも、災害の報道じゃないんだからぶつける意図がなきゃこれはないだろうと苦笑するばかりだ。

政倫審なんてもの自体が「どんぐり遊び」であることは猿でもわかる。3人だ4人だ、朝だ暮れだ、それでもだめか?ええい仕方ない、総理大臣様が出るぞ!!

どうでもいいわ。

野党も妙に詰めが甘い。完全に国会どんぐりショーである。そこで「やりました感」だけ残して総選挙では忘れてもらうため「でかいどんぐり」(大谷さん)にすり替える。全メディアの番犬ぶりは一昨年7月からもう国民におなじみだ。

記憶に残るのはこのイメージだけだな。しめしめ、うまくいったぜ。

「心より深くお詫び申し上げます」

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