Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______クラシック以外

BAND-MAIDは世界に通用する!

2022 OCT 2 13:13:26 pm by 東 賢太郎

僕はロックンロールの元祖というと、どうしてもドイツの港町ハンブルグを思い浮かべます。プレスリーじゃないんです。ハンブルグといえばブラームスではないのか?もちろん、まずそれが第一です。でも、この街に行ってブラームス博物館だけ見て帰るわけにはいきません。レーパーバーン(写真)があるからです。彼の生家はここからそう遠くはないんです。もう建物は残ってませんが、それに目をつぶりたくなる音楽ファンもおられるような地域だったそうです。ただ、ドイツの人は一般にそういうことに対しては日本人ほどピューリタンでないということは申し上げてもいいと思います。ここは東京なら新宿歌舞伎町で、だからどうということもなし。若い頃に飲み歩いてうろうろしたので僕は違和感すらなしですが、ハンブルグは港町ということもあってもっとストレートで強烈な歓楽街です。

レーパーバーンのクラブでロング・ジョンという男がポール・ラモーン、カール・ハリスンとバンドを組んで、荒くれ者の船員や売春婦の前で覚醒剤やりながら10時間のステージをやってました。3人とも流れ者のハタチぐらいの兄ちゃんです。ロングはというと、船員の親父は行方不明になるし貧しい母親は彼の目と鼻の先で車に轢き殺されるし、めちゃくちゃ不幸な家庭の子。グレて札付きのワルでした。世の中にどす黒い反抗心があったのでしょう、やがて麻薬LSDに走って誰も理解できない世界の人となって凶弾に倒れますが、彼のバンドの演奏はきれいごとでない高みまで登って行ってしまいます。そして The Beatles というものになる。僕にとってはそれがロックであり、ロックはそういうものなんで、原点はどうしてもあの劣情がたぎりまくっていて卑猥で低劣なレーパーバーンにあると感じてしまう。彼ら、生まれはリバプールでそっちでは偉人であって美化されてますが、そのせいかどうか、英国ではロックは美しいものなんてなってきて、その過程でロンドンにいたもんですから、そうでないものをロックと言われてもねってところがあって、後につまらなくなって離れてしまった気がします。

いっぽうでは、僕は交響楽団の奏者に女性がいない時代に育ちました。ベルリン・フィルもチェコ・フィルも、舞台を子細に見渡しましたが、本当にそうだったんです。教会で女性は声を出せないためカストラートがいた(ベートーベンもそれにされかかった)という根強い宗教的伝統から来たようですが、それがいまや指揮者まで女性という時代になりつつあって、違和感がなかったというと嘘になります。長らくのあいだ、ウィーン・フィルはハーピストだけか、なら許せるかなぐらいだったんで、僕の趣味も旧世代のものだといわれれば反論はできません。ところが、ことロックバンドとなると、今でも事情が違っていて、これだけは最後の最後まで男がやるもんでしょと思ってます。保守的だからではなく、レーパーバーンが原点だと思ってるからなんです。あそこの奥のほうは、いまどうか知りませんが、塀があって女性と18才未満の男は立ち入り禁止だったんです。宗教や時代がどうのって問題じゃない、ココばっかりは男の牙城であり、ジョン・レノンがなんでロング・ジョンだったか(隠語を知ってる方ならわかりますね)ジェンダー論ではどうもならんのです。

こういう事情なので、きのうコメントをいただいて初めて知ったガールズロックバンド、BAND-MAIDをyoutubeで見て、はっきりいって衝撃でした。ご紹介いただいた方に感謝申し上げます。これはカテゴリーキラーであり、コンセプトの革命です。でも違和感あったのは始めの2,3分だけです。ベース、ドラムスが問答無用でうまいしギターの速弾きもなるほどっていうレベルです。名前もバンド・エイドのシャレでしょう、センスを感じる。技術なしに奇をてらうのは何やってもだめ、日本の女子力である「カワイイ」は世界の公用語になりつつあって無敵ですが、AKBがニューヨークで旋風を起こすかっていうと絶対にありません。音楽の世界でそれだけじゃあワールドクラスはあり得ません。まずインストゥルメンタルのこれ、だめじゃない、イケると思いますね、だから運さえあれば旋風を起こす可能性はありますね。

女の子だけでやってると思えないヘヴィなサウンド。でも男になろうとしてるとも思えないんで宝塚の男役みたいな作り物感もない。単純に、好きなんだっていう磁力だけがビリビリ伝わります。音楽はこれがないといけません、その一点において、ロックもジャズもクラシックもないんです。ビートルズはそうやってできて、それがなくなって解散したんです。それをリアルタイムで経験してる旧世代にすれば、あらを探せばいくらもある。ヘヴィっぽいけどヘルター・スケルターの黒さはなし、アイ・アム・ア・ウォルラスの狂気も、やがてそういう方へ行くかもしれない兆しも、youtubeにあるものを聴く限りはですが、ないです。サウンドとは裏腹にいまどきの中性的なエンタメであって、初音ミクのリアル版といいますか、ある意味で「究極の作り物」なんで新奇で面白い。しかし、それが僕の知らない “いまどきの” かもしれないし、もちろん積極的に良いこともあって、「だから疲れない」ということですね。おかげでぜんぶ聴いちゃいました。

「秋葉原のメイド喫茶でアルバイトをしていた小鳩ミクがバンドをやりたいと思い、メンバーを集めて結成した」そうです。「やりたい!」という強烈な求心力のある人にはそういうタイプの才能ある人たちが寄って来るんですよ、僕はそこでレーパーバーンを連想したし、そういう集団を何より評価します。ビジネスの世界もまったく一緒です。そういう人が新しいものを作ります。そうでない人が何万人集まってもね、デモ隊にしかならない。デモは政治にはなるが、ビジネスにはなりません。バンドもオーケストラも似てますね。

彼女たち、メイド服姿の「カワイイ」と「ハードロック」とのギャップを狙ったと語ってますが、いいマーケティングと思いますよ。でもその位の手管は誰でも思いつきますんで、現に舞妓さん姿のロックバンドもyoutubeにあるんでね、普通のお姉ちゃんの受け狙いじゃない、自発性に富んだ、音楽的プロフェッショナルな部分を評価します。ギャップは売っても女で売ってませんから、とりあえずはね、AKBみたいな路線の作られた純エンタメと比べたら失礼なレベルです。日本でこれだけ本格派の土俵で堂々と勝負できる才能の人はあまりいない。これがすべてです。でもいずれバラードやれば、そこはまぎれもない女性なんで、作曲のクオリティとかね、高い次元のものが求められてきますね。ギャップは通用しません。ビートルズがそこまで行ったのは、男か女かではなく、そのハードルをクリアした唯一のバンドだからです。

日本人は、基本的に何事もそうですが、みんなちょっと売れると日本のスターの小さい幸せで満足して終わっていくんですね。バロメーターとしての収入でいうなら10億円ぐらいでね。日本でそれなら凄いじゃないかって、ちやほやされていい生活して浮き名でも流してね。この「日本でそれなら」ってぬくぬくした甘ちゃん精神が海外で長いことやった僕には気に食わないんです。怒りすら覚えます。そういうこと言ってるから国ごと「日本でそれなら」になって何のこっちゃとなり、ただでさえ国家経済がどんどんシュリンクして「ちんまりした国」に向かってるのに誰もそのマトリョーシカの矛盾に気づきもせず、沈んでいくタイタニック号の中でいい席の取り合いに精を出す。ところでその「日本」って何なの、誰が決めたのってところに目が向かなくなって、船体が10度ぐらい傾くと初めて大騒ぎになるはずです。でもそれって「誰がこんな船にした!」の大合唱でしょうね。それをいうキミも犯人の一人でしょってのは誰も言いませんよ。

彼女たちは100億円、野球なら大谷になるかもしれない原石でしょう。間違っても巨人の4番で終わって欲しくない。僕は韓国のBTSを見ていて、音楽も歌もダンスも確かにメジャーリーガーで凄いしアメリカ人の好みをうまくつかんでるマーケティング・インテリジェンスに感心もするんですが、遺伝子的に能力も容姿もかわらないのにどうしてあれが日本から出てこないんだというフラストレーションがあります。BAND-MAIDをビートルズに比べる僕の駄文を読んで、そりゃあんまりだ、買いかぶり過ぎだと思った方はもう立派にタイタニック号のお客様ですね。そういう方々からは、同じ東洋人のBTSがビートルズ並みに売り上げてホワイトハウスにまで呼ばれちゃうのに日本では彼らの追っかけが増えるだけで、どうして?っていう声は出てこないんですね。もう国ごと茹でガエルで、元々長い物に巻かれる国民性だから、こんなに奴隷化して支配しやすい国はないと見えてる可能性大ですね。

おそらくBTSにも事務所にも「韓国でそれなら」ってのは元からないんです。自国は小さい市場だから外国に売り出していくなど当たり前で、そうなると当然に大きい所を狙うので、隣でお手軽な日本なんてのは眼中にもなくて、一気に頂点のアメリカに出る。映画もゴルフもそうです。我々はそれを「ハングリー」で片づけてプライドを保ってましたが、一人当たりGDPでもう韓国に抜かれてますからね、要するに韓国より貧乏な国民なんでね、ハングリーじゃなきゃいかんのはお前だろって事態になってるんです。でも、これ、耳障りが悪いんでマスコミは報道しないし、自民党は責任を問われて支持率さがるから口にしないんです。国民に知らしめず、自分が生き残れればいい。繰りかえしますが、これが「沈んでいくタイタニック号の中でいい席の取り合いに精を出す」ってことです。国を背負う者が率先してそれをしてる、そういうキャプテンが操舵する船に我々は乗っています。ところが、一般の客である国民も、隣国より下ってのは棺桶に入るまで認めたくないんですね、偉かった先人たちが命を捨ててまで築いてくれた富と名誉にかまけて、ぬくぬくした甘ちゃん精神で、砂漠で敵に囲まれると砂に顔を埋めて見たくないものは見ないダチョウみたいになって、やがて食われるんです。そっちに船を近づけようと画策する左翼なんてのはもってのほかなんです。

僕は日本を席巻したアイドルグループ「嵐」が世界に出ないのにがっかりしました。まあ事務所の方針もあるでしょうし彼らの責任ではないかもしれません。しかし、やる気になればできたかもしれないし、失敗しても構わないのに挑戦もしないってのは若者のリーダー格としていかにも寂しい。いまの日本でジェンダーを論ずるなら、野球選手もゴルファーも俳優も歌手も、お山の大将でちやほやされて遊んじまって潰れてるのはほとんどが男だってことを問題にすべきです。破廉恥事件はもちろん、金に絡む悪事もだいたい首謀者は男なんで、べつに女だからクリーンとも思いませんが、日本男児って言葉はいつから死語になったんだろうと思うのです。

企業社会もアメリカさんのポリコレ戦略にまんまとひっかかって、大事なのはコンプラとコストカットとリスク管理ばっかりになってですね、カルロス・ゴーンを連れてきてこいつに100億円もやってね、日本人役員たちが自分も100億もらうぐらい仕事できる玉ならいいんですよ、でもそうじゃなくって、そうでもなければ絶対に出世なんかできなかった奴らが自分も1億円ぐらいの高額賞与の微々たるおこぼれにありつこうっていう悲しいセコさなんですね。そういうブレーキを踏む性質の人間が権力を持つとアクセルを踏む資質の人間は邪魔なのでパージしちまって、ついに「エンジンのないクルマ」の死屍累々たる廃車の山ができた。それが今の日本。するとそれを狙ってたアメリカ企業が、スクラップバリューでね、つまり激安のバーゲンセール価格でクルマの含み資産と技術を買っていくわけです。もちろんC国も虎視眈々とそれを狙ってます。こういう国賊経営者の犠牲になったのが「非正規雇用」という契約を「フレックスだから自由時間ができて良いことだ」というセールストークにして雇われた若者たちなんです。いいですか、男性諸君はド迫力のBAND-MAIDのロックきいて奮い立って、革命でも起こしなさいよ。このままだと国ごとどっかの奴隷になるよ。

社会に出ると男というものは、男性ならではのいろんなしがらみが出てくる、それは事実でしょう。僕もそうだったし、耐えられないぐらい重たいものだったこともあるし、でもそれに負けずにファイトバックして生きてきたから、家でも社会でも一応の男の尊厳、誇りは持たせてもらっているわけです。でも、それを甘受しているということは、それを女性ができるなら同じだけの尊厳を持っていただいて当然ということになるし、もし負けたらそれを認めないとおかしいです。僕が心からそう思うようになったのは駿台予備校でどうしても勝てない女性がひとりだけいましてね、いつも総合点で名前がトップあたりで、なんで本番落ちたのってみんな不思議がった方で、ついに1回しか勝てなかった。それでこうなったんですが、実力だけをリスペクトするっていう精神は真剣勝負を逃げて育ったぬくぬくした甘ちゃん精神からは絶対に出てきません。そういう人はダチョウになるから負けは認めないんで、ということは進歩もしないんですね。

誤解のないように書きますが、僕の言ってることはフェミニスト精神とは別物です。女性だから大目にというのはありません。娘がMBA取りたいと言えば女だてらになんてことは言いません、取るなら取っただけのことはしろよとだけ言います。そうでないフェミニズムは女性を元禄のお犬様に祭り上げるだけで、今度は男に不平等であり、その結果、できる女性はかえって不利になります。私大の医学部の入試はいい例です。まず、これからして困ったもんだが、勉強は女性の方ができる。だから正直に採点すると合格者は女性の方が多くなって病院の医局の現場が回らない。女性がやりたがらない仕事があるからです。それを大目に見ざるを得ないから、入試で男に下駄をはかせて調整せざるを得ないというあってはならない事態が発生したわけです。これはいかんと思います。ところが、そういう僕だって自分が患者になって死ぬかもしれないことになれば、熱意があって医師免許さえある人ならば入試の1,2点の差なんかどうでもいいんでそれも仕方ないかなと思わないでもない。根が深い問題ですね。

ですから、生き生き、のびのびと、屈託なくロックしてるBAND-MAIDの女性たちを見ていると、そういうもやもやのすべてが気持ちよく吹っ飛んですっきりしたのです。フェミニズムで高評価する気は毛頭ありませんが、男声でしか出ない黒さや狂気がないなんて評価もしません。そうやって聴いているうちに、もはや男女平等どころか、女子の方が上の時代になりつつあるかということに気がついたのです。男の妙なしがらみからフリーである。モテたい、ちやほやされたいじゃなく、「世界制覇したい」とケロッと言えてしまう。彼女たちの本音の狙いがモテたいだろうがお金欲しいだろうが、どんな私利私欲だってぜんぜん構わないんですよ、それでも、一世を風靡した「嵐」でも、男は怖くて世界制覇は言えんという事実があるからです。

コロナでトシだけ取って気の毒だったと思いますが、いよいよ来月からアメリカツアーでニューヨークに乗りこむそうです。地のまんまでビビらずやれば成功するし一気に取り返せますね。彼女たち、ロックかくあるべしなんてのはなさそうですし、なんたってカテゴリーキラーなんだから、そんなものはないほうがいいんです。あんたらアキバ行ったことある?ええ?メイド喫茶知らないの?田舎もんだねえ、恵まれない男ねぐらいのノリでね、満場を席巻して押し倒しちまってほしい。いけますよ。ニューヨークでそれすれば世界の話題になるからね、後はチョロいもんです。日本の宝になります。ファンになったんで応援します。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

オリビア・ニュートン=ジョン「そよ風の誘惑」

2022 AUG 15 12:12:38 pm by 東 賢太郎

何をやっても挫折挫折の暗黒期だった高校時代、そして、俺は何をやってるんだろうと迷う退屈男だった浪人時代を終え、昭和50年に晴れて大学生になれた僕にとって、FMで耳にしたこの人の澄んだ歌声はまさにそよ風だった。いろいろ思い出がある。まず見たこともない金髪美人である。さらに名前が変てこりんだ。オリビアはいい、ニュートンもファミリーネームでわかるが、ジョンって男名は何だ?いちいちこういうことが気になりながらも、この歌はすぐに気に入った。当時の僕にとって絶対的な歌姫はカレン・カーペンターで歌唱は及ぶべくもないが、この人の透明でなんだか素人っぽい歌声は、それはそれで可愛らしかった。その後にそこかしこのカラオケで聞くことになる日本人女性の喉声によるこの歌だが、ご本尊自身が先駆的な存在であったといえよう。伴奏セクションもカーペンターズの大理石みたいに盤石の造りに比べると隙間だらけでほのぼのだ。勉強に疲れていた僕は素朴なそれがリラックスできて好きだった。タイトルのHave You Never Been Mellowは「あなた、まったりしたことってないでしょ?」ぐらいのもんで、まるで当時の僕にふさわしい。大流行したこの歌が聞こえるたびに耳を澄ましてまったりさせてもらっていたが、歌詞の意味はぜんぜんわかってなかった。レコードは買ってない。買ってもよかったが、もう難解な音楽をたくさん聴いてしまっていた僕として、オリビアさんのLPを抱えてファンですなんて公言することは自分が許してくれなかった。難しい年齢だったんだ。

容姿にそういうイメージがあったんだろうか、今の今までフォークかカントリー好きの市井のお姉ちゃんと思ってたこの人、wikipediaを見たらなんとあのマックス・ボルンの孫であった。ニュートンじゃなかった。量子力学の確率解釈でノーベル賞をとったドイツの理論物理学者である。アインシュタインの歴史的名言「神はサイコロをふらない」は親友ボルンへの手紙の一節なのだ。そうか、ユダヤ系ゆえにナチを逃れて英国に亡命したんだね。さらに彼女の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授で、曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリング。凄い血筋だ。そんなやんごとなきお方がこうしてお歌で癒してくれていたなんてもったいない。まあそんなことは日本ではどうでもよく、歌姫さんのイメージにはどうかというのもあったろう、報道もされなかったと思われる。

これが実物

もうひとつwikiで知ったが、この曲を書いたジョン・ファーラーはクリフ・リチャードのバックバンドだった「シャドウズ」にいた(後期の方だが)。懐かしい。4ピースのバンド編成を確立したパイオニアで、ビートルズ登場以前に英国のポピュラー音楽シーンをリードしたのはシャドウズだった。カリフォルニアの同じ編成のサーフ・バンドだったベンチャーズとはレパートリーも重なり、その例として「アパッチ」がある。小学校4年ごろ、僕はその曲に完全にハマってしまったが、レコードが擦り切れるぐらい聴いていたのはベンチャーズのカバーのほうだった。そのEP盤の解説に「オリジナルはシャドウズ」と書いてあるのが滅茶苦茶に気になっていて、成城学園の駅裏にあったレコード屋で青いジャケットのそれをついに見つけだし、お年玉をためた大枚500円で親には内緒で買ってしまった。これはクラシックのクの字も知らなかった僕が後に猛烈に熱中することになる「同曲異演盤のきき比べ」の記念すべき第1号であったが、そういうことをするのがコモン・プラクティスであるクラシックの雑誌等で知って始めたことでなく、誰に教わったわけでもなく、10才の「本能」で始めたことだったのだ(ベンチャーズ 「アパッチ」)。

「そよ風の誘惑」のコード進行は清水の流れのようにきれいだ。ハ長調。このまっさらな感じも彼女によく似合う。ド・シ・ラ・ソと白鍵を順番に下がるバスの有名な例はサージェント・ペパーズの「A Day in the Life」(ト長調、1967)である。いとも自然な歩みであるのが、サビの入り口でイ短調の翳りを入れ、少々ギターっぽい無理くり感で変ホ長調になる。こういうのはカーペンターズもあるしそれはいい。問題はこれをどうやってハ長調に戻すかだ。いったんCに戻るには戻るが、もしそこでそのまま頭のメロディを出してたらこの曲はヒットしなかったことを僕は確信するしかない。そうでなくCmaj7を経てC7にして、今度は聴き手の心を明るくして希望を与える効果のあるサブドミナントのヘ長調に転調し、心弾むサビのメロディを2度繰り返して強いメッセージとして全曲の頂点を作る。そして十分な納得感をもってハ長調に戻るのだ。

8月8日にオリビアさんが亡くなったというニュースを見て、50年近く前の若いお姿のまま時計が止まっていた僕は、Have You Never Been Mellowを何度も聴いて当時をしのんだ。73才。7才上のお姉さんである。心からご冥福をお祈りしたい。

 

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「上を向いて歩こう」とは何だったのか?

2021 APR 13 17:17:30 pm by 東 賢太郎

1964年の少年サンデー

少年マガジン、少年サンデー、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオンを五大週刊少年誌という。僕はサンデーを本屋でとってもらっていた。それが6才から11才なのは「伊賀の影丸」の連載期間でわかる。僕にとって漫画=影丸で、同誌の他の漫画も他誌も興味なく、連載終了(影丸旅日記の巻)をもって自然に少年雑誌、漫画とお別れした。同工異曲の横山光輝作品である「仮面の忍者赤影」すら無視だった。かくして自分の潔癖主義、厳正主義、ピューリタニズムは小学校時代にできあがっていたことを知るが、コンプライアンスがcomplyするものに対して相対的であると同様に潔癖、厳正、ピューリタンであるべき対象はその後の経験に伴って変化してきた。

漫画はいまや日本を代表する文化財である。パリのジャパン・エクスポには20万人もフランス人のマニアが押し寄せるのは有名だ。世界を席巻した『鬼滅の刃』は少年ジャンプ(集英社)、『進撃の巨人』は少年マガジン(講談社)の連載と、僕が影丸に夢中になっていたあのトキワ荘時代からの延長線上にあるのだから感無量で、漫画・アニメ・ゲーム文化は他国が一朝一夕で凌駕できるものではないだろう。それに比べると、映画、音楽という本流のエンタメが弱いという指摘がある。ハリウッドで無名の映画監督がアカデミー賞を取った韓国の後塵を拝しているのは事実かもしれない。

しかし、実はエンタメの世界一には先駆者がある。

「上を向いて歩こう」である。中村八大作曲、坂本九の歌唱によるこの歌は東京五輪の前年1963年に「全米ビルボード1位」に昇りつめている。これの価値は以後58年間、韓国のBTS「Dynamite」が昨年選ばれるまで東洋人の1位が出ていないことでわかる。東洋人の1位というとゴルフの松山英樹がつい先日にマスターズで初の歴史的快挙を達成したが、米国に今の東洋人のプレゼンスがない半世紀も前だから事の大きさでひけをとるものではない。しかし当時は実感がなかったのか、「スキヤキ」のタイトルが不快だったのか、このニュースは日本で大きくは報道されなかった。

あるきっかけで僕はyoutubeでこの曲をきいた。半世紀ぶりにきき返した。そして、ヘッドホンで子細にきき直した。そして悟った。アメリカ人はこれが天下の名曲、名唱であることを正しく評価したから1位になったのだと。

なぜこの曲をyoutubeできく気になったかというと、仕事の気晴らしにドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」を弾いていたら、黒鍵だけの冒頭が「ひとーりぼぉっちの」にきこえたからだ。どっちもソ・ミ・ド・ラだ。「上を向いて・・」を半音下げて「亜麻色・・」と同じ変ト長調で弾いてみた。すると、ソ・ミ・ド・ラには共通する特別の効果があって、両者にユニークな性格を与えていることを発見した(以下、これを「亜麻色音列」と呼ぶことにする。音名は移動ドで記す)。その効果は一種の化学反応であり、「上を向いて」が音だけで全米を虜にした秘密と考える。それを本稿で記しておこうと思う。

(1)亜麻色音列は何色か?

玉虫

答えは「玉虫色」だ。見る角度によって異なる色合いに見える昆虫の羽の色である。政治家の「玉虫色の答弁」は評判が悪いが、玉虫厨子は飛鳥時代から日本人の美意識に合致したことを示してもおり、評価自体が玉虫色というトートロジーを包含する謎の色だ。音列も個々の構成音が喚起する色合いがあり、集合的に括れると和声として伴奏できる(コード)。

ではドビッシーは「亜麻色・・」の冒頭のソ・ミ・ド・ラの和声をどうしたか?答えはこうだ。

なし。空白。

ソミドまではⅠの和音だがラは非和声音でⅥに親和性がある。よって、コードがCにもAmにも見える玉虫色である。ドビッシーはここの伴奏を調性がわからぬよう白地とし、27小節目の再現でそのどちらでもない意外な Ⅳ(F)の和声で伴奏してもう一色増やす。旋律はオクターブあげて倍音を濁らせない工夫も見える。彼が骨の髄まで音響マニアでmeticulousであることはそういう細部に見て取れる。その男が野原にたたずむ美しい少女を描いたポエムに想像をたくましくし、その心の移ろいを曖昧にぼかしたのがこの曲だと僕は考えており、亜麻色音列はスコットランドの5音音階(蛍の光が例)で、騙し絵のような人工の曖昧を造り出すのに都合がよかったと思われる。「玉虫色の髪の乙女」なのだ。

(2)「ラ」はサブドミナントの使者である

一方の「うえをむーいて」はドドレミドラソだ。ドミナントの「ソ」に落ち着くからⅤ(G)が伴奏すべきだが作曲家・中村八大はミドラソ全部をⅢ(Am)にしたからソの部分は Am7 だ(C と Am のハイブリッド)。この曖昧はミドラソが亜麻色音列のソを最後に持ってきた転回形であることに起因している。亜麻色音列はトニック(T)のソミドを受け止めるのがドミナント(D)のソではなく非和声音の「ラ」だから落ち着かないのである。「うえをむぅいて あーるこぉぉぉ」のバスもド・ラ・ド・ラであり和声も自然に聞こえるが落ち着かない。

ところが、「ラ」には効用がある。サブドミナント(S)であるFの構成音であり、C⇒Fという和声連結には「希望効果」という心理的イフェクトがあるのだ。なにか人間の心を明るくし、わくわく感を醸し出すもの。証明はできないが、それは長調が明るく短調が悲しいのと同様の心の薬理作用としか言えない。ここに書いたのでご興味あればお読みいただきたい。

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

最初の3音がハ長調である亜麻色音列に闖入した最後の「ラ」。これが F にブリッジをかけて「希望効果」を持ちこんでいる。「亜麻色・・」の第27小節、そして「上を・・」のサビ部分のコードは明々白々の F になるが、実はどちらの曲も冒頭のメロディの「ラ」がそれをひっそりと暗示していた。これは料理における「隠し味」を連想させる。けっしてその味はしないが、いれると料理全体がおいしくなるというあれである。

私見ではこれが「上を向いて歩こう」を天下の名曲たらしめ、理解できない日本語歌唱のまま(だからタイトルはやむなくSukiyakiになった)「全米ビルボード1位」に押し上げた秘密だ。日本に置き換えて考えてみていただきたい。原語のままのアジアや中東の歌が日本レコード大賞に輝く可能性があるだろうか?それほど曲と歌が良かったということでなくて何だろう?それが「ラ」が隠し味としてワークしたサブドミナントの希望効果であり、田園交響曲を名曲たらしめた同じ原理が働いているなら全米を虜にするぐらいなんでもないことだ。

(3)楽節ごとの解題

曲はくり返しを含むABAの三部形式で、4小節が1単位(「節」と呼ぶ)である。第1~4節がAであり、第5,6節がBとなっている。

第1節「うえをむぅいて あーるこぉぉぉ」

軽快な前奏は打楽器による16ビートの弱起。リズムはあたかも軽快だが歌の入りは1拍目が欠けて(弱起)ためらいがあり、伴奏でバスがド・ラ・ド・ラ、チェロがソ・ラ・ソ・ラを弾く。「ラ」の存在が低音にも響く。旋律はドーレミドラソと一応は「ソ」(ドミナント)に落ち着き、繰り返しの瞬間にソ→ドの西洋音楽定式(D→T)の安定が聴こえる。そこに僕は失恋した青年のけなげな再起への意志をきくのだが、歌詞のわからないアメリカ人は「あーるこぉぉぉ」で「こ」が16ビート前打で前奏の入りのビートに乗っかって「ぉぉぉ」でスイングする部分でハートをわしづかみにされたのではないか。

第2節「なーみーだがーこぼれーなぉぉに」

この歌の最高音である「ラ」(青字)が早くも現れるが、前節のバスが暗示していたものだ。しかし音高にもかかわらず哀調はまだピークではない。坂本九は第1節を抑えめに歌っており、それだけにハスキーな高音部「ラ」は晴れた秋空のように透明であり、こぶしのように裏声がまじる「よぉぉに」が耳をとらえる。坂本は芝居、日舞、三味線、邦楽の素養もありヨーデルのファルセットボイスもできた。こんな歌声は日本人もアメリカ人も聞いたことがなかった。

第3節「おもいだーすー はーるのひー」

和声はC、DmときてDm7を経て悲しみのE majorに行き着く。バスが文字どおりド、レと上へ向かっていくが、Dm7のバスのファは脆弱な3度転回形で「希望のファ」として維持できず、力なく半音下がってミになる(意図ではないのだろうがジュピター音型を形成している)。上を向かないと涙がこぼれるほど悲しい「何か」がこの和音Eで痛切に語られ、哀調はピークに達する。

第4節「ひとーりぼぉっちのよるー」

「亜麻色の・・」にきこえた問題の部分だ。音はドドーラソミドラドドーだが、「ーラ」で凄いことがおきる。バスにファが入って(今度は根音)明確にFの和音がきこえる。つまり、Fの希望効果が炸裂するのである、歌詞は「ひとりぼっち」なのに彼は悲しみの中に希望を見ている。バスはラが飛んでファミレドと今度は下って安心安定のトニックに落ち着く。第3節の悲しみの極点がほどけて一時の癒しに向かう非常に重要なパッセージでその過程に亜麻色音列が配されているわけだが、その落ち着きはドミナント→トニックではないから脆弱である。「よるー」の1回目の伴奏和声は「ひとりぼっち」部分のそれのリフレーンでまさにここが当曲の目玉であることを示しつつ印象的な木琴の後打ちが重なり、トロンボーンの和声を従えてバスのファミレド降下が再現してさらに悲しみを沈静させる。僕はここが大好きで、強烈に古き良き昭和を感じる。

第5節しあーわーせーはーくものーうーえーにー」

そこでいよいよやってくるサビだ。ファファファソラーだが、「亜麻色」の変ト長調で弾くとここまですべて黒鍵だったのがファは初めての白鍵になって劇的に景色がバラ色に変わる。前半は思いっきりサブドミナント(F)= 希望、希望、希望!である。そうだ、もう涙はいらない、悲しくないんだ。

第6節「しあーわーせーはーそらのーうーえーにー」

ところがあっという間に幸せはしぼんで短調(Fm)になって希望が曇ってしまう。そして、また上を向いて歩かなくてはいけないのだ、涙がこぼれないように・・・。原曲は長調のままだったが、坂本が音を外して短調になったという説がある(wiki)。確かに第5,6節の歌詞の違いは「くも」と「そら」、「ほし」と「つき」だけで暗転を示唆するものはない。しかし歌をきく限り坂本は長短が曖昧になるような音感の持ち主ではない。とすると、坂本の意見でそうなったと考えることもできるだろう。現に彼は陽と陰の振れ動く感情をたっぷりのせて全曲を歌いきっており、短調部分は真骨頂を示している。

(4)卓越した坂本九の歌唱

この曲がブレークした秘密は音の原理だけでなく坂本九のユニークな歌唱にもある。前述のハスキー、こぶし、裏声、母音にハ行の子音が混ざる、「なきながら」のリズムを言葉なりにくずすなどだ。こういうことは人の声のなせる業であって、ハートにストレートに訴えてくる。何より彼は明るい。太陽のように。そして、邪悪の影もない良い人だ。好感度抜群の若者なのである。しかし、なぜか悲しんでいる。楽しかった春や夏を思い出し、いまは失意の底にある。涙を見せないようにやせ我慢で上を向いて歩いて、空の向こうにやがてくる幸せを願っている。歌詞がなくても、日本語がわからなくても、不思議と彼の歌だけでそういうことが伝わってくる気がしないだろうか。

クラシックの歌もずいぶんきいたが、うまい歌とはいったい何なのだろう?それを我々聴衆が味わうとはどういうことなのだろう?素人耳にも技術の冴えが見事な人はたくさんいるが、心を打つかどうかというと別だ。音程やリズム感を求めるなら楽器でもいい。そうではないことができるから、歌というものは格別なのだ。坂本はこの歌でそれを教えてくれている。音大の先生が優をくれる性質のものではないだろうが、僕は何度きいても素晴らしいと思うし、またききたくなってしまう。そういう人が何百万人も、しかもアメリカにまでいたから賞をもらった、これは誰が何と言おうと揺るぎのない事実だ。

太平洋戦争で日本が完膚なきまでに叩きのめされてから20年もたっていないころ、男が涙を隠しながら泣いてるこの歌。悲しみの背後にもう戦後ではない自由の息吹と新時代への憧憬がほんのりと漂ってもいる希望の歌。音楽がドとラで落ち着かないと書いたがそれは時代がまだそういうものだったのであり、そこに青年のアンビバレントな心理をかぶらせて描いた名曲というのが古典としての評価になっていくのだろう。ドビッシーがパリの新風だった曖昧模糊を楽想としてスコットランドの少女に、シューベルトが自らの暗い境遇と時代を冬の旅に反映させたのと変わらないように思う。

不遇の事故で故人となった坂本九を静かに偲びながらもう一度きく。昭和39年、東京オリンピックがやってきて我が家にカラーTVなるものが現れ、マイカーで伊豆に避暑に出かけ、希望、希望、希望と明るい先を希求する心情で国民みながこの歌を口ずさんでいた。その空気を吸って育った僕らは当たり前のように高度成長期を駆け抜け、自由を謳歌した。そして高齢者の端くれとなったいま、戦争で塗炭の苦しみを味わいながら日本を残してくれた親の世代、そして低成長が当たり前となってしまって成人した子の世代のことを思う。では何をすればよいのだろう、やり残したことは何だろうという疑問だけが解けていない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ポアロの主題曲はどこから来たか?

2020 AUG 27 23:23:28 pm by 東 賢太郎

高校のころ、アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロに僕はモーリス・ラヴェルの風貌をダブらせて読んでいた。灰色の脳細胞、ベルギー人の小男というというとなぜかそうなってしまった(ラヴェルはフランス人だが)。ミス・マープルのイメージがなかったのは、イギリス人のおばあさんを見たことがなかったからだろう。ということでTVドラマのデヴィッド・スーシェのポアロに慣れるまでしばらくかかった。

このドラマのテーマ音楽は英国のシンフォニストであるエドマンド・ラッブラの弟子で、やはり交響曲を12曲書いた英国人クリストファー・ガニングが書いた。皮肉屋で洒落物のポアロに良くマッチしていると思うが、この節はどこかで聞いた覚えがある。

こうやってメロディーを頭の中で検索するのは何の役にも立たないがけっこう楽しい。曲を聴いて何かに似ているという直感は急に天からやってきて、たいていなかなか正解が見つからない。そのくせ似ている相手のメロディを絶対に知っているという確信と共に来るのでたちが悪く、見つかるまで意地?になって他の事はみな上の空になってしまう。

ポアロのそっくりさんは簡単だった。シューベルトのアレグレットD.915の冒頭である。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏で。

シューベルトは、死の直前のベートーベンに一度だけ会っている。そして楽聖の死の1か月後、友人のフェルディナント・ヴァルヒャーがヴェニスに旅立つ際に書いたのがD.915だ。この曲、最晩年の作品でシューベルトは病気であり、今生の別れであるように寂しい。スビャトスラフ・リヒテルは黄泉の国を見るように弾いていて尋常でない音楽とわかる。ガニングがこれをひっぱったかどうかは知らないが、調の違いこそあれど(ハ短調とト短調)冒頭の音の並びは同じだ。

そして、そのシューベルトはこのメロディーを、ひと月前に黄泉の国に旅立ったベートーベンのここからひっぱったと思われる。交響曲第5番「運命」の第3楽章冒頭だ。

そして、ベートーベンはこのメロディーをウィーンの先達モーツァルトのここからひっぱった(スケッチブックに痕跡がある)。交響曲第40番第4楽章冒頭である。

他人の空似は気にならないが、音楽の空似は気になる。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ハイ・ファイ・セットの凄さ

2020 MAY 18 0:00:20 am by 東 賢太郎

一日ずっとピアノに向かっておりました。ハイ・ファイ・セット(以下、HFS)をひさしぶりに聞いて耳に残ってしまい、こうなるとどうしても弾いてみようとなる。ついでに荒井由実もカーペンターズも片っ端からやって、気がつくと夕食になっていたという塩梅です。

前稿のLP(最後から2曲目)に入ってる「真夜中の面影」(山本俊彦作曲)は名曲です。これが一番好きです。サビのところ、泣かせます。弾いてみるとコードは9thの連続で、メロディーラインはなんと9度、7度の音を歌ってる。

このまま歩いたら 君に出逢う前の 孤独なあの頃に戻ってしまうけど・・

僕は断然「歌詞より音」派なのですが荒井由実は女ごころの歌詞がときにひっからないこともない、これは男の歌です、ぐっときますねえ、こんなことあったよなあ、そこでG7で入ってくる(7thなのがすばらしい)彼女の声、

いい~の~

まいりました。よくないですね、戻ってます、僕なら。

ここはピアノでコーラスが完璧に再現できます。快感です。歌は男の地声のソロが素人っぽくて録音で作った感じはするものの、バスの大川茂はその市井の味が完全主義的な息苦しさを救って良かったりする。それがコーラスになると器楽的にビシッと音程が決まって完璧な “クラシック” になる。それが山本潤子。うまい。センス最高。声もそうだが、なにより、耳がいいんですね。

滝沢洋一の至高の名曲「メモランダム」はブログにしましたがアルバムバージョンがこれです。山本潤子の恐るべきアジリタで正確なピッチ、山本俊彦、大川茂の密集和音の見事なコーラスワークは芸術品の域である(音符を書いた滝沢が偉いということですが、それをリアライズする能力ということです)。これは耳のよい人でないとわからない、クラシックの方に味聴していただきたいです。

山本俊彦の曲で有名なのはCMになった「風の街」でしょう。1977年発表とは思えない新しさをお聴きください。なんて晴れやかにしてくれる音楽!心弾むリズム、抜群ににおしゃれな和声!永遠に残りますね、これは。

ところがHFSはCDを探してみると手に入りにくいのです。ポップスはファッションでもあって、「音楽」として聞かない層もあるから時と共に忘れられるのは仕方ないのですが、それ以前に、我が国には大人が音楽を楽しむ土壌がないですね。アメリカもイギリスもフランスも夫婦やカップルが夜にカクテルを楽しむような上質のエンターテインメントがあります。ショービジネスの客は大人であって子供は家で寝るのです。

J-ポップは今やとんだりはねたりで、観てる方もやってる方もガキだ。マイケル・ジャクソンの影響かなと思いますがジャクソン5は歌もうまかったのです。欧米のショーで日本みたいな素人並みの歌手というのは道化でもない限り見たことがありません。タレントもフツーの人が増えましたね、その同質感でステージと客席が一体で盛りあがる。一種の村祭りだなと思います。政治で言えば昔からの自民党支持層ですね、日本国はこの種族が数では圧倒的であって民主主義である以上は支配層だからどうもならない。

HFSやユーミンはお祭り用ではないですね。なお、これを都会派という人がいますが、都会である東京とて村祭り族の方が多いのです。そもそも当のHFSは大坂、奈良、三重の3人だから土地柄の問題じゃない。音楽のプロフェッショナリズムの問題であって、どこまで質を求めて追い込んで “音楽” を作っているかということです。聴く側からするなら、そのプロの仕事をじっくり楽しむクラシック型ポップスというべきです。となると日本では人口が少ないわけです。この種族は圧倒的に少数派ですし、3分以上じっと聞けない子供も無理だからです。

ピアノでじっくりとHFSの作品の魅力の秘密を探りました。書いたらたくさんになるのでやめます。陳腐になりますが荒井由実の影響が強いです(特に和声と倚音の使い方が)。しかし山本俊彦の独自の作曲センスもあるのです。HFSは昔からの一定の固定ファンがいますがほとんどが山本潤子ファンなんですね、旦那の方はwikiにもなってないし、そりゃないだろうと文句を言いたい。彼のコーラスワークの洗練ぶりは1978年のこのアルバム(第1曲・スウィング)で極致に達してます。

 

 

ハイ・ファイ・セット 「メモランダム」

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ハイ・ファイ・セット ”HI-FI BLEND”

2020 MAY 15 21:21:49 pm by 東 賢太郎

アメリカのコーラスグループというとダバダバで有名だったスイングル・シンガーズがあり、これはまで男4+女4でバッハがらジャズまでやってしまう。マンハッタン・トランスファーは男2+女2でありました。ア・カペラのハーモニーの透明感はとても魅力があるものですが、このレベルのグループはそうはありません。

日本でというと男2+女1のハイ・ファイセットでしょう。赤い鳥というと僕はフォークにさっぱり興味がなく、そこからこの人たちが彗星のように現れたのは驚きです。

この ”HI-FI BLEND” なるLP、ベスト盤でありファンであったわけではなくとにかく荒井由実が好きだったのでその延長で買ったのでした。1979年発売だから大学4年の最後です。

何回きいたかわかりません。とにかく全曲めちゃくちゃ好きであり日本のコーラスグループのLPで最高峰と評したいですね。

山本潤子は音域が違うがカレン・カーペンターに迫る稀有の日本人と思います。音程、声質、ディクションともホンモノ、速いパッセージでもアジリタで完璧なピッチ。何時間でも飽きることなし。これはクラシックのうるさいリスナーを黙らせるハイレベルな歌であります。僕の趣味としてはこのグループの真骨頂はテナーの故・山本俊彦による高音部のおしゃれな和声感覚とハモリと思います。この人はただものじゃない、このアルバムの収録曲の作曲者は荒井由実、村井邦彦、渡辺としゆきと実力者ぞろいなんだけど僕は山本の曲が好きです。

この3人、6-10才うえの兄ちゃん姉ちゃん世代。戦中派にはない洋楽(そんな言葉があった)の息吹にどっぷりつかって育ったサウンドで、僕もそうだからストライクゾーンど真ん中なんでしょう、荒井由実もひとつうえです。当時はお笑いだってクレージーキャッツもドリフターズもバンドで楽器やってましたからね、まさにひとくくりの洋楽であってクラシック、ジャズとも無縁なものではなかったですね。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

paris match 「太陽の接吻(キス)」

2020 MAY 10 13:13:40 pm by 東 賢太郎

ヤフーCSOの安宅和人氏が日本は国難の危機から立ち直るのに慣れた稀有な国だ、むしろチャンスだと語っていて刺激になりました。アフター・コロナじゃなくウイズ・コロナの世は確かに大きく変わって決して元には戻らない。逆にそこには大きなビジネスチャンスがあるという元気の出る話です。

バフェットがエアライン株を全部売りましたが彼は下がったから売る人じゃない、アフター・コロナで同じだけ人が飛行機に乗るか自信が持てなくなったというのが理由です。安宅氏もエコノミークラスはない世の中になるという。三密を避けて席数は減り、フライトは贅沢品になるといってます。海外出張は無駄だったね、ZOOMでいいね、もう何度もやったのでまさにそうなるという肌感覚はすでにあります。

東京とロンドン、フランクフルト、チューリヒ、ニューヨーク、ロス、シスコ、ウィーン、香港、シンガポールを何回往復したか数えきれません。起きてると不安なので(恐怖症)ワインをがんがん飲んで食事いらないと言って寝ます。起きてしまうと仕方なく機内の音楽を聴きます。ジャズ、ポップスの知らない曲ばっかりです。すると時々おっ!というのがあるから、これはこれでもうけものではあるんですね、こいつはいいと曲名を書いておいてCDを買うというパターンが定着しました。

J-popはユーミンとハイファイ・セット、山下達郎、竹内まりあ、ぐらいでしたが、だいぶまえにロンドンからのJALで発見したのがparis matchで「太陽の接吻(キス)」を聴いて曲も歌もこれは素晴らしいと。

リズムセクションなしでもOKなのは曲がいいからですね。

すぐCDを買って、最初の曲はさらに気に入りました。8番目のカメリアのコードはハーブ・アルパートばりで光ります。センス抜群。

コード進行が格好よくてメロディーもビートも作曲の才能を感じます。

ガキがとんだりはねたり。歌はのど声。どうして日本には大人のポップスが根づかないんだろう?ずっと考えるのですが、こういうのがマジョリティーにならないんですね日本って。paris matchの生い立ちのビデオを見ていたら杉山氏は好きなサウンドをロンドンまで求めていって見つけてる。そのグループの曲名がparis matchだった。外国へ行ったのがどうのでなくってセンス、感性の話なんですが、非常に良い意味でおたくなんですね。そうじゃないと行きません。

僕はこだわりの人が作った音楽だけが好きで、あとは感性があうあわないです。ブラームス4番のあとにJ-popでOK、ピアノでもカーペンターズのあとにブルックナーも弾いてますんで音楽と食い物についてはノンポリでだらしないということですね。カーペンターズは何時間弾いてもOKでだんだんリチャードの気分に乗り移ってきて歌の上手い女の人を見つけようかぐらいになってくるんで、もしピアノを早くからやってたらそっちに行ってたかもしれません。

paris matchの生い立ちのビデオを見ていたら杉山さんはミズノマリさんを「見つけた」のですが、それがカーペンターズを聴いてのことだった。これ、こじつけでなく、さっきそのビデオで、オーディションした曲が前回に書いたWe’ve Only Just Begunだったというのは偶然とはいえご縁がありました。これです。

ミズノさんちょっと固いですが、カレンがいかに凄いかということが逆に分かりました。でもこれだけ歌える日本人はあまりいないと思います。

ミュージシャンがライブできない事態がどう解消できるのかまだ誰もわかりませんが、音楽は決して贅沢品ではないですから必ず戻ってくると信じます。

 

カーペンターズ 「We’ve Only Just Begun」

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

寺尾聰「ルビーの指環」

2018 DEC 5 21:21:22 pm by 東 賢太郎

先生と「サインは V !」のジュン・サンダースは范文雀(はん ぶんじゃく)だ、台湾美人だという話になり、そういえば蔡英文の民進党が国民党に大敗したのは彼女は法学博士でインテリだが人の心がわからんからという話になり、帰宅して僕は范文雀は寺尾聰の奥さんだったことを思い出していた。

調べると「ルビーの指環」が世に出たのは1981年2月のようだから僕はまだ梅田支店にいたはずだが、ぜんぜん大阪とイメージが重ならないのは人事部から「留学だ」と辞令があってもう心が飛んでいた、というより、ウォートンに行けということになったはいいがあまりの英語力のなさに顔面蒼白だったからと思う。アメリカに一緒に来てほしいと家内にプロポーズして、6月に異動で本社に戻った。大阪に別れを告げるのは寂しかったが、2年半ぶりの東京は嬉しかった。

ちなみに当時の野村證券は妻帯者の留学は認めていなかった。なのにプロポーズしてしまった愚か者だったわけだが、妻をとるか留学をとるかという二択の頭はからっきしなかった。両方とる、なんとかなる、そういう超楽観主義だった。人事部長のGさんに馬鹿者と叱られ問題になったが、留学取り消しにはならず翌年2月に無事に式を挙げさせていただいた。もう転勤してるのに梅田支店の先輩同期後輩がたくさん東京まで来てくださったことは忘れない。

しかし留学のほうは大変に問題だった、当時ウォートンの入試はTOEFLの足切りが600点だった。大学入試の英語はちゃらんぽらんだったが社内の選抜試験は2番だったらしく、まあ平気だろうと世の中をなめて何の準備もなく受けたら480点だ。やばいなと思った。たしかもう2回受けてなんとかすべりこんだ。GMATは代々木の予備校に通って、こっちもぎりぎりのセーフだった。

なにせ全米最高峰だぞと先輩に脅されており、エッセイを必死に書いて祈るように願書を封書で送った。それを審査して合否発表は手紙で来るのだが何か月も待てど暮らせど音沙汰もなく、実家で悶々としていた半年はほんとうに辛かった。その間、所属は人事部付で仕事は英語のレッスンである。支店営業からすれば天国だったが、だからこそ不合格だったら支店だぞという思いがあった。

合格を知らせる封書が来たのは何月だったか忘れたが年明けだ。まずはやれやれの安堵、やがて、アメリカに行けるという歓喜、そしてしまいに、MBAなんか俺が取れるのかという恐怖が襲ってきた。「ルビーの指環」は、そのあたりで大流行していたはずだが、曲はよく覚えているのにそういう現実と結びつかないのは不思議だ。

38年ぶりに聴いて、感嘆する。なんてかっこいいんだろう。

寺尾聰は昭和22年生まれで8才上、まさに我々世代をノンポリと馬鹿にしてゲバ棒振ってた団塊のアニキ世代だ。彼に憧れてでっかめのレイバンをかけたっけ。でもこっちはアメリカへ行くんだぜなんて粋がってた。

歌がプロっぽくないのがいい。カラオケできまってる等身大レベル。ビートルズだってそうだし、ユーミンの男バージョンという感じだ。歌詞もいいね。女は別れた男なんか「上書き」しておしまいだが男はこんなもんだ。

枯葉ひとつもない命、あなたを失ってから・・・

それにしてもこの曲、なんでこんなに耳に残るんだろう?何度聞いても飽きない。音楽的な秘密があるわけだが、それは次回にする。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「Close to you」と「中央フリーウェイ」

2018 AUG 12 22:22:13 pm by 東 賢太郎

サラリーマンを辞めて8年たつとあの会社生活31年が人生の景色の中で、少し向こうにそびえる山のように遠目に見えてくる。登山しているその渦中では必死だったが、こうやって冷静に俯瞰してみると、僕は生涯を登山にささげようという仕事師でも職人でも奉公人でもなかった。それにしてはいい人生を送らせてもらったのだから、山はきっと本来よりも美しく見えているだろう。

小さいころ、自営業の叔父がフランス車に颯爽と乗ってバイオリンを弾いたりグルメしたりの、カッコいいシムカのおじちゃんだった。母の兄だが憧れていてそもそも就職したくなかったし東大に入ったのも上があると不愉快だからで目標があったわけではない。その延長で就職してしまったのだから、そういう人間が証券マンも兼業していたというのが正しい。

音楽は中学ごろから面白いものは何でも聞いたが70年代のリアルタイムのアメリカンポップスではカーペンターズが別格だった。ギター主流のポップスでカーペンターズほどピアノで忠実に再現できる音楽はない。ピアノはすべからく西洋音楽は弾ける万能楽器だが、エレキギターの新奇な音に依存度が高かったベンチャーズは弾いても面白くない。ビートルズが革命だったのは、不良のロックだったのが後期になって突然変異のごとくピアノで弾ける曲が出てきたからだと僕は思っている。

ちなみに僕の人生最初の楽器はウクレレだ。小学校の頃ベンチャーズを弾きたかったが、親父にとってはギターもウクレレもおんなじでそれしか買ってもらえなかった。ベンチャーズはどだい無理ですぐ飽きた。中学でついにギターを手に入れベンチャーズとビートルズは何でも弾けるようになったが、あとあとの音楽人生に絶大なインパクトがあったのは、それで耳コピ能力がついたことだ。

関心は好きな曲の「再現」にあった。人に聞かせようとか女にもてるネタにしようとかはなくて実験工房的に。だから耳コピが命で、それは要するに音を正確に記憶するということだ。世界は面白い音に満ちている。覚える。すると必然的に、ギターで弾けないものがあることに気がついてくる。それがクラシック音楽であり、物の道理としてギターはウクレレと同じ運命になり、次はピアノが常に身近にある楽器になった。

僕はジョンやポールもそうやってピアノにさわるようになったと想像している。そして、ジョージ・マーティンの影響で「ピアノで弾ける曲」がビートルズ作品に現れ、ステージで再現できない、つまりギターで弾けないアルバムに進化し解散後に後期と呼ばれるようになっていくのだ。彼ら自身、脳裏の音楽をリアル世界に再現するにはどうしてもピアノによるディメンションの広がりが必要だったと思う。

いっぽう、カーペンターズがピアノで弾ける、というか原曲の味わいを損なわずに鍵盤上で再現できるのは、それらが100%ピアノで作った音楽だからだ。リチャードはラプソディー・イン・ブルーが弾けるほどピアノがうまく、逆にロック的にはじけていないところが人気の限界でもあったわけだが。えっと思ったのはカレンがドラムだったこと。しかもそれがセンスに満ちている。Close to youのハイハット!こういう天性はヘタといわれたリンゴ・スターにもあったなあ。

しかしこの曲名、Walk, Don’t Run の「急がば回れ」もそうだが、何でも訳そうと努力していたのが昭和だった。そういえば上海のカラオケで選曲していたら「加州大飯店」という歌があって、中華料理店のテーマソングかなにかと思ったらイーグルスのホテル・カリフォルニアだった(笑)。いずれにせよあんまりカッコよくねえなあ。

Close to youはバカラックのカヴァーだが、お聞きの通り彼がこれでもかと偏愛した7th、9thコードというものはパリに留学してクラシックのダリウス・ミヨーに習った「フランスじこみ」なのだ。さかのぼること半世紀前のモーリス・ラヴェル氏の18番だ。パリではあまりにあたりまえの音であったが、田舎のアメリカでは新鮮だった

Close to youの出だしのミ・ソ・レーのレーがその9度だ。リチャードはそれをうまく自作にパクッてカーペンターズは7th、9thてんこもりになった。都会文化はこうして田舎で飯のタネになる。ところが地球はさらに先があって、ド田舎のウエストコーストを大都会だと信じてた70年代の辺境国で荒井由実が「中央フリーウェイ」をミ・ソ・レ・ド・ソーとはじめた。

ミ・ソ・レがClose to youから来たかどうかは知らないが、この曲は冒頭のイフェクトもカーペンターズにあるし「翳り行く部屋」の最後のコーラスはGoodbye to Loveのそれにそっくりだし、影響はあったのかもしれない。

やっぱりラヴェルの18番が西へ西へと流れて次々と田舎で飯のタネになってたのではないかと考えてしまう。思えば大学時代にクラシックとして聴いていたカーペンターズ、荒井由実は今でも大ファンだし、どちらもピアノで弾くのが無上の喜びだ。ご両者の和声の父祖はラヴェルだとなると、そこも大好きなのだからもうファミリーを形成している。

荒井由美 「14番目の月」

バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

小林未郁「進撃の巨人」と「Mika Type ろ」

2018 AUG 11 13:13:21 pm by 東 賢太郎

女の人と一対一で話すのが生来苦手であり、これは相手が好みのタイプかとかそういうこととはあまり関係なく、おそらく高校までは3分と続いたケースはなかったように思う。硬派とか奥手だったとかでもなく、まあひとことでいえば、つまらないからすぐ終わってしまうのだ。

いまや変わったといえば変わったろうが、それは年を取って丸くなったのではなく、仕事なりなんなりの処世でそれも必要だということであって、実はあまり変わってないように思う。こんなことをここで公言してしまうとただでさえ女性に理解されないのがさらに危くなるが、ウソの自分で生きるのはやめたのだ。

ところが先日、シンガーソングライターの小林未郁さんとお食事で、僕はユーミンさんのファンなんで、まあ荒井さんの頃だけど、そう、中央フリーウェイってね、Fで始まって5小節でFmになっちゃうでしょ、あれ考えられんね、お会いしてどうしてってきいてみたいね、なんて話になったらなんだかんだで、ウチのスタジオ?音いいよ、ピアノ3台あるよ、録音?できますよ、たぶん、みたいなことになった。こういうこともたまにはある。

いただいたCDをさっき聴いた。僕がここでどうほめてもお世辞でしょとなるが、事実として記しておくと、2枚組ぜんぶ聴いた。ベルリンフィルでもピッチが悪いと1分で捨てるのでクレジットのつもり、一般的な言い方なら歌がすごくうまいねって、つまんないことになってしまうが。ちょっとダークでアトモスフェリック、女の子の歌なんだろうけどいまやJ-popでは貴重な大人の歌ですね、オンリーワンの世界が確立している。「EGO」「献血」が好みだ。和音よりメロディーが先に来るタイプとおっしゃったがこれだけきれいなメロディーが出てくればうらやましい。和音もオシャレ。ピアノ弾き語りっていいね、その昔はシューベルトがやってた。自分がやるなら?なんたってロング・アンド・ワインディング・ロードさ。

小林さんといえばこれが有名な「進撃の巨人」。

音楽というのはメディアの進化につれてあり方が変わってくる。20世紀初頭に映画ができると、最初はサイレント・ムービーだったが、やがて音が入る。すると「映画音楽」というものが出てくる。それが現代ではアニメのテーマや挿入曲、ゲームのBGMに進化してきているわけだ。音大の作曲科を出てゲームミュージックを書く時代なのだ。

この世界的にはやったアニメについて、彼女はこう語っている。

お食事しても自分の人生を訥々と語られる姿はこういう感じで、ああこの人はアーティストである以前から自分のやりたいものを探してたんだなと思った。

彼女の生き方は「やめないこと」。まったく同感である。僕も63年の人生で、野球、受験、仕事で3回も大きな挫折をしたが「挑戦をやめない」だけでなんとか生きてきた。

自分は空洞の状態で生まれて何もなかったが、それを忘れずに来て、見いだされて今がある。自分にはないもない、何ができるのか?どうしよう?迷っている人は、そう語る彼女に力をもらえるのではないか。

フィレンツェのドゥオモに昇ってインスパイアされて書いたという「迷宮入り」という曲は面白い。

こんど、ウチでこれを弾き語りしてもらおう。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊