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道元流 鬼谷子の帝王学 Ⅳ

2014 MAY 16 11:11:50 am by 西 牟呂雄

連載四回目です。今までの流れを整理しましょう。
 まず、何かの変化が起きる。古代では天災、異民族の侵攻といったものを想定していましたが、今日に於ける日常社会の危機に置き換えれば、それだけではありません。競争企業の台頭、ユーザーの嗜好の変化、国際状況の大きな流れ、為替変動、何でもそうです。こういったものに、新たな対応をしていかなければなりません。
 そのために計謀を巡らす。前回までの言い方ではカウンター・インテリジェンス、戦略とも言えます。
 そして、同志を募り情報を集める。
 この後に組織作りとなって行きます。人材を集めることになり人が増えていきます。すると、必ず賞罰制度が必要になってきます。統制を取るのですね。
 これらを上手く積み上げて相手の弱点を突くのです。
 実は領袖の才が問われるのはここからなのです。組織ができる、即ち人が増えていくのです。人材は千差万別で多くのトラブルも起こります。疑心暗鬼になる人も出ます。鬼谷子は三才の使い道を説いています。三才とは仁者・勇者・智者のことです。
 仁者は完成度の高い人で、私欲が余りないので利を説いてはいけません。事に当たる際の経費をふんだんにつけること。現代で言えば、調査費の類や設備投資をケチらないことだと思われます。副官、若しくは高級参謀となる人でしょう。
 勇者は、小難しい問題には触れさせるな、とされます。危機管理のときに使うのです。勇者は恐れることが少ないので、ヤケを起こされると組織内でも面倒なことになります。最前線の将校向きです。
 智者は頭の回転が早い人を指します。筋道を立てて諭して使います。側近として懐刀に合っています。ところがこの智者という者はしばしば使いづらい場合が多い。傲慢になり人の話を聞かなくなりがちです。ここが大事なのですが、そういう人を辞めさせたり甘やかしてはいけません。反旗を翻すことになりかねません。なかなか難しいのですが、時々小さな失敗を時々させるのがいい、とされています。
 以上は優れた人材への対応ですが、組織にはとんでもない人材も混じってきます。これに対しては三法と言って簡単な手法があります。
 愚者は命令して使え、不肖者(ならず者)は尻尾を掴んで脅して使え、貪欲な者は誘惑して使え、の三法です。説明の必要はないでしょう。

 余談になりますが、邪道のはびこる歪んだ状態にあって、正道を深く心に秘め、周りに疑心を起こさせないように機会を待つことを『背行』と言います。この背行の道を使う人は自分より智慧のある人を頼ってはいけない、と鬼谷子は言います。失敗し禍根を残す、と。私の解釈では背行の道は常に一人で行く覚悟を決めていないと、うっかり人を頼ると見透かされてしまう、ということだと思っています。

それでは、そろそろ領袖の心得に入りましょう。鬼谷子の教えを解釈して行きます。領袖の九得です。
 ①主位 ②主明 ③主徳 ④主賞 ⑤主問 ⑥主因 ⑦主周 ⑧主恭 ⑨主名 と言います。
 主意者は領袖になった段階において、新たに目標を堅持できる人のことです。領袖になる、今日の日本で言えば言い方は悪いですが勝ち上がってくることです。そうして、いざそのポジションに座った途端、ただ権力を弄ぶのはいただけない。トップになりたいだけの人は、その座についたその瞬間から凋落が始まります。温めていた計画を実行するのみならず、新たに目標を見出していかなければ領袖とは言えないでしょう。
 主明者は、目明るく、耳聡く、心は智の人です。これは衆人のことが良く分かりるだけでなく、自分達でもそういった目線で見られるように指導する、或いはどれか優れていればその人を重用する、それが領袖だ、と解釈されています。現代で言えば、顧客、部下といった者の立場を知り得る上司といったところでしょうか。
 主徳者は読んで字の如し、徳のある人ですが、二点ほど強調しておきます。謙虚よりも寛大であれ、容赦する人であることを衆に知らしめるべきです。もう一つはオープンであること。隠し立てをするなどもっての外です。現代でいえば、注目を集めた成功者が脱税などで転落するような、「私」を隠す謎の人物など到底領袖の資格はありません。
 主賞者は信用を大事にする人なのですが、この場合は賞罰を明確にすることを説いています。組織の引き締めの要であります。「賞」の方は公平を心がけ、「罰」は正義を尊べ。組織の場合は処分を決裁する人と刑罰者、本人に告示する人は別です。その場合、本人への告示者が絶対に使ってはいけないのが「私はそう思わないが~が(上が)やれと言ってるから。」ですね。その場しのぎに口にする人がいるようですが、正義を尊ばなければ領袖どころではありません。
 主問者は原典では天道・地道・人道の三道を弁別(識別)する人。本義は易に関わる内容なのですが、私は現代社会風に、天道をPDCA(完結へのスパイラル・アップ)に、地道をTQC(品質管理)に、人道を人事に置き換えて、ケジメをつける事の重要性を唱えています。
 主因者とは、危機にあって道理に従って徹底的に原因追求する人です。組織というものは成長過程においてはどうしても、人体でいう毛細血管のような細かい部分が肥大していくものです。通常に業務をこなしていても、様々な要因により危機が来ます。その時に対応できないということは、必ず内部にも問題をかかえているはずです。原因追求といっても外部のせいにばかりして反省なし、といったことを戒めているのです。
 主周者は、情に通じ理に達する人です。これは閉塞状態にたいする警告なのです。組織が硬直してしまうと、何に対して喪いわゆる総論賛成・各論反対がはびこります、どうしてもそうなるものです。疑心暗鬼になり、交流も滞る。これは実は重大な危機なのです。領袖はその風を最も早く気が付かねばなりません。それを『情に通ずる』と表現したのです。
 主恭者は聡明才智な人のことです。これも単に頭の回転の早い人を言っているのでは勿論ありません。『長視』『長耳』と言って、衆の目で見て衆の耳で聞く。そしてその力を以って、対象の大小を問わず一目瞭然に見抜く、社会を思い慮ること。これを『樹明』と言って特別な概念と位置づけます。
 主名者は名と実を併せ持つ者のことです。ここまで来れば領袖としても安泰です。ですが反面、名声ばかりを追いかけることを『邪』とし、そういう輩を奸謀毒悪の徒として退けることでもあります。味わい深いところですね。

 さて以上が九得ですが、ここで鬼谷子の流れの道家と孔孟の儒家との違いに触れておきます。儒家では、いままで述べて来た『計謀』を混乱の本源を考えるのです。大乱は『知恵』と『法』の所為であるとして、礼を好み、命を天に任せるように説きます。ここが実は大きく違うところで、より形而上の概念を上に持って行きます。その上位概念を『仁』としており、『計謀』は形而下のものとして貶められます。現在でも道教が現世利益的な宗教とされる所以です。これは儒家の考え方で、改めて言うまでも無く、私は道家の伝人ですのでこの考えはとりません。念のため。

 きょうはここまでにします。 

Categories:鬼谷子の帝王学

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