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ポンペイ通信 支倉常長の子孫

2016 OCT 2 15:15:35 pm by トム 市原

 

イタリアに残る油絵

イタリアに残る油絵

 歴史上名高い支倉常長、伊達政宗の命令を受け、ローマへ旅立ったのは、皆様の習った歴史上の事実で有りましょう。
 さて、彼は同時にかなりの艶福家でも有ったようです。
 ローマ法王に拝謁し帰国へと向かいましたが、時は移り秀吉の時代になり、キリシタン禁止令が施行されました。
 洗礼を受けていた常長は入国することが出来ず、アカプルコからフイリッピンの間を行ったり来たりを繰り返していたようです。
 ポナペの隣り、コズラエ島に「支倉常長の子孫」を名乗る一族がいます。
 シグラ大酋長です。
 なぜシグラと言う名前かというと、「支倉常長」の名は日本へ帰国してからの名前で、当時は支倉六之門(シグラロクエモン)と名乗っていたのです。
 賢明なる方はもうお判りとでしょう。
 今もアカプルコ、フイリッピンにも「シグラ」を名乗る家系が有るそうです。
 そのコズラエのシグラは、長年市長を務めていました。
 世が世なら、シグラ大酋長と言えばその家の前を通る時は頭を下げたまま通らなければならなかったそうです。しかし、最近(15年前ほど)になり,そう言う制度も廃止され、今では平民となりました。
 小生と彼(50代)とは長年の付き合いがあり、とても気さくなオッさんです。
 コズラエ島も同じく米国のコンパクトマネーで経済が成り立っているので、援助の金もほとんどが政府職員の給与となり、人の良い彼のオッさんも長年給与を貰っていなく、嘆いています。
「それならなぜ市長をやめないのか?」
「誰も立候補しないからさ」
とうとう、アメリカへ行ってしまいました。

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