Sonar Members Club No.36

月別: 2014年5月

リングネーム・中継の傑作

2014 MAY 30 21:21:41 pm by 西 牟呂雄

 僕は、ご存知の通り大のプロレス・ファンであるが、昔からある疑問を抱いている。昔のレスラーのネーミングはどうしてあんなにマヌケ感が漂うのだろう。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ストロング小林、グレート東郷、ジャンボ鶴田・・・・。そのもの、と言うのか捻りも何も無いではないか。特にひどいと思ったのは外人選手の日本で付けられたニック・ネーム。「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ、なんだかドテッとしているだけ。せめて英語にして「ヒューマン・パワー・プラント」の方がニューヨークの帝王にふさわしい。「千の顔を持つ仮面貴族」ミルマスカラス、実際は多くて3種類のマスクしか使ってない。「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー、マスクが白いだけ。「美獣」これはひどい、ハンサム・ハリー・レイスの直訳過ぎる。
 いいなーと思ったのは「褐色のアポロ、スーパー・フライ」ジミー・スヌーカ。フライって蝿のことなんだが、本人の実力も含めて申し分なかった。やっぱりこれくらいゴロがあってないと。
 
 しかし、時代と共にプロレスが洗練されてくると、これは、というネームが出てきた。感心したのは「邪道・外道」コンビ。現在は一緒にやらないが非道も入れてトリオ・ユニットでもあった。このネーミングの切れ味!昔全日本に極道コンビというのがいたが数段上である。又、ハゲかけた頭といい顔つきといい、バンダナの巻き方まで小憎らしくて合格。
  たまたま見た蛍光灯マッチの大日本プロレスに黒天使・沼澤邪鬼というレスラーが出ていたが、この名前にもマイッた。邪鬼ねぇ。
 大阪プロレスには、とても洗練されているとは言い難いがその名も「えべっさん」という覆面レスラーがいて、さぞ戦いにくいと思うマンガみたいなギミックの覆面を被っている。タンク・トップというよりランニング・シャツを着ているの・・。

 ダイナマイト・キッドもいいネーミングだと思う。この選手はたいへん切れ味のいいファイトを見せてくれて僕の好みだった。従兄弟のデビー・ボーイ・スミスと組んだブリティッシュ・ブルドックスはキッドのダイビング・ヘッドバットと怪力デビーのリフトの組み合わせが良く、どの試合も取りこぼしがなかった。特に初代タイガーマスクとの一連の抗争は目を見張るスピード感で、ルチャとも違う重量感に溢れていた。物凄い筋肉だったがドーピングしていたのだろう、廃人になった。
 余談であるが、タイガーマスクが初めて登場したときの試合をテレビで見ていたが、飛び後ろ回し蹴りを見た瞬間に佐山サトルが正体だと分かった。異種格闘技戦でムエ・タイの選手とやった彼のファイトを見ていたからだ。その後極真会の黒崎道場に行ったことも知っていた。この話は研究者の間では大きな論争になり、結果として僕の慧眼は高く評価されることになった。それはいいとして、試合後に中継のマイクを突きつけられて「あなたは日本人ですか?」と聞かれて「言えません。」と日本語で答えてしまったときは噴いたが。

 新日では古館一郎のプロレス中継が一世を風靡していて、思わず感心したのがアンドレ・ザ・ジャイアント。
「一人というには余りにも巨大だが、二人と言ってしまうと人口の辻褄が合わない!」
これは原稿を書いて言ったのだろうか。
 確かにTVは古館氏の中継で数字を取ったのだろうが、僕としては隣で必死について行きながらボソッと解説する山本小鉄の解説に味があったと思っている。例えばラッシャー木村について、
「木村選手は打たれ強い、蹴られ強い。だからあんなに打撃をしてもだめです。もっとワザでいかないとダメですね、ワザで。」
理論的にどうだか知らないが、何となく分かるではないか。
 解説については、日本テレビで長年解説をしていた東京スポーツの記者、山田隆さんが思い出深い。ミョーな解説が腑に落ちた。
「プロレス固有のジャンルであるタッグ・マッチは、1プラス1が単に2になるのではなく、3にも4にもなるところが面白いんです。」
みたいな事を言う。年末にやっていた「世界最強タッグ・リーグ戦」のたびに使ったフレーズだった。どうも聞いている限りでは個人的にはファンクスのファンで、特に兄貴のドリーが大好きだったようだ。
「ドリーは老獪ですねー。相手の技を一瞬にして切り替える。こういうことは普通の人にはできないですね。」
老獪ってまだ40代だろうそのころ。ついでに言えばドリーはグレート・テキサンと言われていて、僕はテキサス贔屓だからこれは合格のネーミング。弟のテキサス・ブロンコはイマイチかな。
 テキサスでも州都ダラスはフリッツ・フォン・エリックの地元で、この人の5人の息子も皆レスラー(長男は早世だから六人兄弟)。やっぱりアイアン・クローをやるのだ。しかし悲劇の一家と言われ病死・事故・自殺で次男しか残らなかった。ところがその次男の息子がまたプロレスラーで、日本にも来てノアに出ている。

 突然テキサスの話だが、仕事でよく行っていた。あそこは自分達が本物のアメリカンだと思い込んでいる人ばかりで、他所はアメリカという名前が付いている”モドキ”くらいの言い方をする(リアル・アメリカと自称)。綿花畑なんかになるような土地が無いせいか黒人は少なく、代わりにメキシコ系が多くて「テックス・メックス」と呼ばれている。野球はレンジャースでフット・ボールはカウボーイズ。共和党がメチャクチャ強い(ブッシュ一家)。あまり口を大きく開けないサザン・ナントカという方言で、ハウディーという挨拶も覚えている。反中央、反リベラルの気風に満ちていて、僕は何故かしばしば中央に逆らった鹿児島みたいな所だと理解した。
 商売相手だった奴は全米ブル・ライディングという牛に乗るロデオのような競技のチャンピォンで、カラテのブラック・ベルトだったが、僕に向かって「レッツ、ケイコ。」とか言って組手をやりたがって困った。男も女もデカくて、初めに行った頃は怖かった。

 また話がズレてアホブログになってしまった。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

ジミー・スヌーカの訃報


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ウクライナ投票後

2014 MAY 27 10:10:55 am by 西 牟呂雄

 たいへん慌ただしく投票が終わってしまい、東部二州の投票率は妨害によって20%以下とも言われている。そもそも選挙妨害が露骨に行われていること自体が、問題の根幹だが。武装勢力の中心にはロシアの一部勢力が相当入り込んでいるのはミエミエだがプーチン大統領は放置している。
 ところが、ウクライナ民族主義者の方もツッコミどころ満載で、ティモシェンコ元首相は評判はイマイチ。追放されたヤヌコービッチ大統領の蓄財も凄かったらしいが、同じくらいダーティーだったと言われてしまう始末。キエフの暫定政権には右派と言われるイケイケの武闘派が入り込んでいて、ロシア語の禁止まで言ったのでは怒る人も出るだろう。民兵があんな重装備ができるもんじゃない。煽った奴は誰だ。対する親ロシア派もロシア至上主義という意味で右派であり、右も左もあったものではない。それじゃ左派はどうしたのか、と言えばちゃんと元共産党員のシモネンコ氏が立候補していた。もはやイデオロギーの問題は無くなっている。
 ウクライナは世界で3位の穀物輸出国で、日本にも飼料用のトウモロコシを中心にアルゼンチンに次いで年間100万t程度輸出している農業国。東部の工業地帯は冶金が盛んだが、資産24億ドルでウクライナ3位の大富豪、コロモイシキー氏は所有の製鉄会社をロシアのグループに売却しており、関係悪化が望ましいはずがない(もっともこの人、東部ドニプロペトロウシク州の知事)。
 それにしてもプーチン大統領は鮮やかというか、自身に満ちており、ガタガタ言うなら中国があるぞとばかりに欧米をあざ笑うように合同軍事演習だ。何と言っても事実上クリミアに軍事侵攻したのだから。ひょっとしたら本当にドンパチの覚悟を決めて後ろを固めたんじゃないだろうな・・・・。どちらも引っ込みがつかなってもNATOじゃ手に余るし、アメリカだって本気にゃなれない。
 日本の場合もここまで来たらアメリカにベッタリとは言わないまでも、反米なんて言ってられなくなる。中国機の自衛隊機への接近だってどっかで誰かが操っているに違いない。北方領土も集団的自衛権も自主独立も大事だが、下手にすり寄ったって足元見られるのがオチだろう。返って中露の間に楔を打ち込むような奥の手はないか。中国だってベトナムとイザコザしてるくせに、クリミアの住民投票をチベットや新疆でやられたら目も当てられんだろう。テンヤワンヤで気の毒な韓国海洋警察の足元をみて漁民はやりたい放題だそうじゃないか(中国はいかなる投票もしたことはないが)。世界は同時多元的に動いてる。よく考えなくては百年間違えるぞ。しかし戦争はしませんので、念の為。
 当選したポロシェンコ氏もウクライナ7位の金持ちであり、資産は16億ドルくらい。48才だそうだからソ連崩壊時には青年で、あの国有財産の分捕り合戦の勝ち組オルガリヒだが、親欧州で大丈夫か。国を立て直せるか。ただ、プーチン大統領はもう係り合いたくはないのじゃないか。メルケルあたりと落とし所を話してたりして・・・。
 先日、少しでも情報が欲しくて都内のあるロシア人を訪ねたが、その際に言われた。その人はウラジオストック出身の白人なので「私は仕事柄ロシア派なんです。」等と軽率なことを口走った。するとその人、ニッコリ笑って
『西室さん、ロシア人とウクライナ人の区別がつきますか?』
と聞くではないか。わからない、と答えると、
『私は母がウクライナ人で、父はポーランド人なんです。あのあたりは昔からグチャグチャなんですよ。』
と言われてしまった。ヨーロッパは奥が深い。

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管理人からのお知らせ

2014 MAY 26 9:09:20 am by 西 牟呂雄

会員の皆様。
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フ(ホ)ァン・チン 名前考 黄金

2014 MAY 25 11:11:24 am by 西 牟呂雄

 黄金を中国語で読むとファン・チン、大和言葉ではコガネ、満州語ではアイ・シン。清のラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀(アイシン・ギョオロ・プーイー)のアイシンですね、黄金を名前にして当て字をしたようです。司馬遼太郎氏の考察によると、この黄金の筋目が南下して半島での金(キム)姓の多さになったかも知れない、となるそうですが。あのあたりは女真族や契丹族が、古くは渤海国・遼といった国を建てて、その後にその名も金が建国されていますね。日本にも金姓はあってコンと読ませます。東北に多く、今東光・日出海の今兄弟の家もかつては金だったはずで、いつ頃からか今になりました。二人は津軽出身です。義経伝説の金売り吉次の流れでしょうか。或いは遠い昔の環日本海経済圏のなごりでしょうか、東北に渡ってきたのかも知れません。その後この勢力は勢い余って『刀伊の入寇』として壱岐・対馬になだれ込んだこともあります。
 ずばり黄金さんという人もいて、こちらは岡山の苗字のようです。想像ですが、小金沢、小金井さんあたりも元をたどれば黄金沢、黄金井さんだったのではないでしょうか。
中国本土では金姓は少ないが、台湾出身の金美麗(チン・メイリン)さん、彼女は本省人ですが地元の高砂系ではないと思われるので、福建省くらいから先祖が来たのかも知れません。
 又、黄姓も中国・韓国ともにポピュラーな苗字なのでズバリ『黄金』というフルネームの人もいないとも限らない。
 
 欧米ではどうかと思っていたら、女子フィギア・スケートのアメリカ代表にグレーシー・ゴールド選手がいます。どうもゴールドさんという人は少なからず居るようで、ゴールドナントカという一連の苗字はユダヤ系と言われていますが、なかなか魅力的な名前ですね。イエローゴールドさんという人がいるかどうかは寡聞にして知りません。

 フアースト・ネームの方では何と言っても『金太郎』坂田公時(金時とも)。そのものですね。源頼光の四天王として大江山の酒呑童子や土蜘蛛退治に活躍しています。この金太郎という語感は格別で、銀太郎という人もいるのでしょうが、やはり銀次郎になるのが不思議と自然です。息子が金平(キンピラ!)となっていますが江戸期の創作です。
 話しは逸れますが、四天王は他に剛力の渡辺綱、碓井貞光、卜部季武と続くのですが、一方の酒呑童子にもちゃんと四天王がいて、熊童子、虎熊童子、星熊童子そして金熊童子。ちゃんと金が入ってます。
 続いて「金さん」遠山景本。こちらは彫り物奉行でお馴染み、金四郎さんです。

 しかし、衝撃的だったのは百歳の双子キンさんギンさんでしたね。どことなくホンワカした二人はCMに出てブレイクした人気者でしたが、私はこの二人が男だったらどんな名前になっただろうかと考えました。金男・銀男とかいった名前をつけられたらイジメにあったかな、弟は鉄男だったろうな、等と下らないことを考えたものです。

名前考つづく

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黄金の分銅(燎原の果て)

2014 MAY 21 22:22:36 pm by 西 牟呂雄

 決戦に臨むに、いまだ不安は拭えなかった。野戦になれば百戦錬磨の家康といえども、燃え上がる闘志と共にいくつもの心配事が頭をかすめる。特に野戦本隊となるべき秀忠直轄の部隊の遅れはいかにもまずい。このタワケめ、と叫びたいくらいだ。指揮する東軍も、元はと言えば三成憎しで固まっているだけで、豊臣打倒などと本気で考えているのは一人家康のみ。徳川方も又、烏合の衆とも言えるのだ。
大阪城の毛利輝元が五万の軍勢を率いてやって来ればひとたまりもない。三成は大垣城に四万人の軍勢と共に居る。無論大阪方には諜者を送り込み、噂を流させ、懐柔の手紙をバラ撒く。秀吉が存命ならば、やったに違いない謀略である。当然敵方のそういう動きには側近を通じて目を光らせる。
 ところが、大阪側からのそういう動きが全くない.考えてみれば何年も戦乱に明け暮れて、共に智謀の限りを尽くして戦った武将は少なくなっている。諸将はみんな息子のような世代になっていた。情報によれば、小早川・吉川の毛利の両川ともいわれた連中が調略によって動揺してきている。
「そろそろ三成を大垣城から引きずり出してしまえば、短期の決戦に持ち込めるわ。」
家康は腹を括った。

 天下分け目の大いくさはたったの半日で片がつく。
 それまで行政の実権は五奉行筆頭石田三成が握っていた。その手腕は鮮やかだったが、どうにもこうにも小面憎いのが我慢できなかった。家康だけではない、豊臣恩顧といっても武断派の荒くれ武者は例外なく三成が気に入らない。特に朝鮮に遠征させられた連中は三成には憎しみを覚える程嫌っていた。それにしても、あの大軍勢が半日で壊滅してしまうとは。ここまでは筋書き通りとなった。
 さてどう料理してやろうか。大阪城には未だに途方もない金銀が唸っていて、十万の兵を養える。秀頼は幼いが、憑き物がついたような言動の淀君がいつでも激を飛ばせる、現に飛ばしている。まずは分断工作の手始めに西軍加担の毛利を弄りにいじった。 同時に秀吉糟糠の妻、京都隠棲の高台院にも届け物を欠かさない。家康は京都にあって朝廷・公家に影響力のある北政所の使い道を心得ていた。示唆を受けて東軍に立った者も多い。淀君を孤立させるには貴重な重石となる。
 
 二年後、征夷大将軍の座についても直ぐに秀忠に譲る。幕府体制を固める腹だ。その際のドサクサまぎれに伏見城の莫大な金銀を運び出すが、その物凄さに肝を潰した。大阪城にはこの数倍の金銀があるはずで、イザという時に天下の名城大阪城に立て篭もられては攻め手の損傷も尋常なものではない。家康の取った戦略は、未だに天下人の母親として傍若無人にふるまう淀の君に「亡き太閤殿下の御威徳を偲ぶため。」と吹き込み、全国の社寺仏閣に多額の改修・寄進をさせ尽くしてしまおう、というものだった。しかし使わせても使わせても大阪は悲鳴一つ上げない。時間が経つに連れて焦れてくるのは家康の方だった。

 佐渡の金山から未だにいくらでも採掘される金を鋳潰し、て大法馬金の分銅にして眺めて見ても、何も感慨が無い。眩しく美しくはあるが、こんなものが身の周りにあっては気が休まるものじゃない。一つ四十四貫(165kg)もあって容易に持ち上げることすらできない。陰鬱な輝きが軽快になるものでもない。家康には、茶室を金張りにして喜んだ秀吉の心情が少しも理解できないのだった。何故『金賦り』などしたのか。お追従を言い立てる青公家の化粧面なぞ見たくもない。大法馬金10個20個積んだところで、もしもの時以外必要なし、と江戸城奥深くに秘蔵させ人目に触れないように封印した。
 将軍職を譲って数年経ち、ついに秀頼と会う運びとなった。未だに朝廷からは摂関家として遇されており、家康に仕えているつもりは毛頭無い。秀頼はこの時まで大阪城からほとんど出たことがなく、京都二条城まで生まれて初めての移動をして来た。見るもの全て珍しく、特に路上を歩いていた牛を見て腰を抜かした。

 謁見ともなんとも言えない会談となったが、家康は実際に会ってギョッとする。見上げるような大男なのだ。六尺五寸(2m近い)の肥大漢で言語明瞭。立ちあがれば圧倒されそうな気配に腹を固めざるを得なかった、抹殺のである。

 淀君と秀頼の側近に人材はいない。大阪冬の陣の包囲と同時に、家康得意の諜報・謀略が始まる。大阪城はビクともしないが、家康は舌なめずりをするように、砲撃をしかける。家康の脳裏には黄金の分銅の山の鈍い光が浮かび、すぐに消えた。謀略は直ぐに効き、淀君は講和を結ぶ。さすがに秀頼は渋るが逆上した淀君には逆らえなかった。
 続く夏の陣では、真田の一隊が家康の寸前までせまるも、辛くも退けた。家康自身動転してしまい、腹を切る覚悟までしたものだった。真田、天晴れなり。
 焼け落ちた大阪城から、煤けた金銀が回収される。黄金は全て分銅金となり、以後人目に触れることはなくなる。

 家康はつぶやいた。
「あのようなもの、側におくのは目の毒じゃ。」

 筆者注 江戸中期には21個の分銅金があった記録があるが、幕末にはわずか1個しか残っておらず、それもどこかに行ってしまって新政府の物にはならなかった。これが徳川埋蔵金伝説のネタ元で、幕臣小栗上野介が持ち去ったのではないかと、糸井重里がテレビで山を掘っていたアレである。

黄金の首 (紅蓮の炎)  

黄金の茶室(見果てぬ夢) 

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ファイターズ事始め

2014 MAY 20 14:14:32 pm by 西 牟呂雄

 自身のブログで明らかにされたが、中村兄は少年時代からブレーブスを熱狂的に応援していた。ただ『日本シリーズの常連』は正確な表現ではなく、『日本シリーズに出てきてはいつも巨人にコテンパンにやられていた』が正しい。名将西本監督が必死に采配を振るうが惨敗し、そのたびに氏は「ウォー!」とか「クソー!」とか叫ぶのだが、周りの大半の東京ボーイは誰も何故だか分からなかった。それは涙ぐましくも、一面微笑ましいヒトコマと言えよう。
 そういうお前は何なんだというと、実は東映フライヤーズ、後には日拓ホーム・フライヤーズ、今日の日本ハム・ファイターズを応援した。何故か。当時のフランチャイズは後楽園球場で(巨人とのシェアリング)いつ行ってもガラガラだったからだ。僕の実家から水道橋は都電(当時路面電車があった!)でホイの距離で、外野スタンドなんぞガキの運動場と化していた。そういえば真剣にゲームを見てはいなかったが、土橋投手・張本外野手・大杉内野手の姿を思い出す。
 強かったのはその前の駒沢球場時代で、速球投手尾崎行雄が活躍した期間じゃなかったか。こちらは記憶がない。
 長じて学生時代に師と仰いだ計量経済学の泰斗が、日本ハムの故大沢啓二監督の義弟だった関係で、大量の内野席チケットが(タダとは言わないが)出回ったので、ゼミ生一同で応援に繰り出していた。この時点でも優勝は程遠い。
 それがですぞ、かの江夏豊投手が『優勝請負人』の呼び声とともに広島からトレードされて来たら、本当に優勝してしまった。
 ペナント終盤にクローザーとしてマウンドに上がり、ピンチをスイスイと締めた後のヒーロー・インタヴューが中継された。アナウンサーが「江夏さん、きょうは気合が入ってましたね。」とマヌケな事を聞いた時の返事
「あっこで気合入れんでどこで入れるゆうんや。そうでしょう。」
には痺れたなぁー。元々ファンだったが大好きになった(サシでつきあったら堪らんだろうが)。
 その後北海道に行って、新庄が活躍し(この人はモノを考えてないらしい)ダルビッシュが打者をなで斬りにし(彼関西弁ですけどね)北海道の顔になったのは誠に喜ばしい・・・・。まァ僕のフライヤーズじゃないし。

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黄金の茶室(見果てぬ夢) 

2014 MAY 17 23:23:19 pm by 西 牟呂雄

 いつも戦場では走り回っていた。将になってからも走り続け、馬に乗り駈けずり回ってきた。中国大返しの時は高松城包囲からたったの一昼夜で姫路まで駆けに駆けた。山崎の合戦まで十日もかからずに光秀との決戦に臨んだ。
 賤ヶ岳の時も、大垣から琵琶湖湖北まで軍勢を率いて五時間程で戦場に現れ、宿老柴田勝家を撃破。将も兵も走りに走って来たのだ。

 清洲会議を上手く立ち回って信長後継に先んじた。元々謀略、気配りで生き抜いてきた上に、初めは最下層の底辺でのた打ち回ってきたのだ。武辺の輩など何ほどのものか。この時点では最大のライバル家康が大きく出遅れていたのも幸いした。小牧・長久手で肝を冷やしたものの、ナンバー2の座を安泰と吹き込みおとなしくさせた。島津攻めも寸止めで十分、小田原は二十四万人で囲い攻めし三月で事足りた。おかげで家康を関東に追っ払うこともできたのだ。

 何をすればいいと言うのか。猿呼ばわりはされたものの、常に高見からものを言う信長はいない。戦ばかりしていた後には、もうすることが無くなってしまったのだ。折から直轄金山・銀山からとてつもない採掘量が上がった。何もしなくても湯水の如く金銀が手に入る。
 時期は多少遡るが天正十五年、天下の形成を手中にした後のにお気に入りの公家・大名に金賦りをやる。三方に金銀を山盛りにし、くれ与えて遊んだ。あから様に媚び諂い、あわよくばもう少しと囃す者にはその倍も与える余興も見せた。市中の人気はうなぎ登りに上がり、秀吉は黄金にただ酔いしれた。
 無論、女にも溺れた。人の女房だろうがお構いなしである。正妻おねは苦言を呈するも、ものの数ではない。とりわけ、想い人お市の方に生き写しの、お茶々を篭絡した時の有頂天はいかばかりか。しかも懐妊までする。喜び狂って天正十七年にまた金賦りをやった。
 
 大阪城内に黄金の茶室を造ってみた。座り心地から何から全く違う。金は触れれば女人の肌のようにやわらかいのである。まるで母親の胎内にいるような落ち着きを感じる。自分はここまでやって来たのだ、と柄にもなく息を吐いてふと思った。信長に見せられた黄金の髑髏の衝撃。上様は何故あのように狂えたのか。自分も石川五右衛門を釜茹でにしてみたが、ああまで狂えない。唯溺れるのみ。それでいて、黄金の茶室でふと口に出るのは、「死にたくない。」「この世にしがみつきたい。」という卑俗なことばかりなのだ。これから何をすればいいのか。

 信長から聞かされた日の本の海の向こうの世界。南蛮へのあこがれは全く持ち合わせない。バテレン追放令を出したくらいであり、しまいには処刑までした。しかし一方で朱印船貿易で儲けてもいる。倭寇は散々暴れて情報は入る。天下取りの後に、それならとばかりに、何の戦略もないままに『唐入り』まで始めた。それがいきなり大明国の征服にまで肥大した。戦勝続きで野郎自大が進んでしまい、諌める者もない。利休は石田三成の讒言により切腹させられ、その時点では讒言を見抜くこともできなくなっていたのだ。

 半島上陸後個別の戦闘では常に勝利、当たり前である。朝鮮山城に逃げ込んで籠もってしまうのだ。しかし秀吉の元には大げさな大勝利の報告しか上がらない。すでに老衰の著しい兆候が出ており、状況分析などはできなくなってしまった。この時点では、頭の中は幼い秀頼のことばかり、時として海を越えての戦争中であることも忘れる。そして・・。
「死にたくない。」「この世にしがみつきたい。」
 ついに明の大部隊が満州より南下し、碧蹄館において同時代では世界最大の陸上決戦が行われた。日本が、名将李如松率いる十万人の軍勢を撃滅しているその時にも、この言葉を唱えていたのだった。

黄金の首 (紅蓮の炎)  

黄金の分銅(燎原の果て)

犬山城見聞記

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和の心 (巡る季節)

2014 MAY 15 14:14:38 pm by 西 牟呂雄

2014051108400000

  二月に大雪に見舞われた喜寿庵の手造り花壇です。きれいに花が咲きました。このあたりが1.5mもの雪に覆われていたことが嘘のようです。後方の生垣もほぼペシャンコになったのですが芽を吹きました。山梨は全県の幹線道路が通行止になり、鉄道も運休して陸の孤島でした。確か観測史上最高の降雪だったとか。ちょうど大雪の降り始めた日に、東京で入院加療中の母を、看護の負担を考えて喜寿庵のあるこちらに移送したのです。朝から移動を開始しましたが、高速道路に乗った後には次々に入り口封鎖となって慌てました。
  その母が逝ったのが四月、桜が満開でした。そして四十九日法要の時の庭がこの写真です。楓はあまりの雪に一本の枝が落ちてしまったのですが、新芽が出ると御覧の通りそれなりの昔からあるような佇まいになりました。
  芝生を刈り砂を入れ雑草を抜きます。そう言えば毎年毎年この庭の芝生には、十俵くらいの目土を入れるのですが、別に盛り上がってくることもありません。手入れをしても”あるがまま”なのでしょうか。                -合掌ー

鮮やかな楓と藤

鮮やかな楓と藤

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黄金の首 (紅蓮の炎)  

2014 MAY 13 13:13:21 pm by 西 牟呂雄

 ついに戦端は開かれた。といっても戦力・戦略ともに初めから勝利に決まっている戦闘である。勝つに決まっている戦は進んで起こすべし、その敵は比叡山延暦寺。
 国体鎮守、伝教大師最澄以来の権威を護持し、何人たりとも手を付けられなかった叡山はひとたまりもなく灰塵に帰した。武装した荒法師も火をかけられて逃げ惑うばかりで物の数ではない。前線の精鋭部隊はかたっぱしからなで斬りにして何の仏罰も起きなかった。総大将信長は、ただ遠目に今まで見たこともない炎が巻き上がるのを見て、あまりの美しさに心奪われた。折しも紅葉の季節とあって、昼はただ赤味の射した黄色い火炎と巻き上がる黒煙、夜には軽快な金色(こんじき)の炎、この世の色彩が一度に出現したかの光景は、忘れえぬ快感を伴った。
 ちょうど1年前に越前朝倉と浅井が、霊山であることをいいことにこの山に登り立てこもった。元亀元年九月のことである。信長は歯ぎしりするする思いでこれをやり過ごし、越前兵が引いた後に中立を勧告する。無論答えは否であり、迷うことなく焼き払った。次の主敵はその浅井・朝倉である。
 年号が代って天正元年八月、これを攻め潰した翌年正月、岐阜城にて年賀に訪れた公家、配下の諸将、その馬廻り衆を集め大酒宴を催す。それぞれが大いに楽しみ、年初の祝辞を受けた信長は上機嫌となり、夜には戦場で苦楽をともにした身内ばかりとなった。燭台を灯させた大広間での無礼講が宴たけなわとなった時、『これへ持て!』信長の大音声が通る。一瞬にして、何が起こったのか、と静寂に静まるのが信長旗下の作法である。すると白木の方形の盆の載せられたものが三つ、上段の間に並べられた。
「おのおの、近う参れ、存分に見聞せよ。」
初めに進み出るのは柴田勝家、佐久間信盛といった宿老、次に明智光秀、丹羽長秀、羽柴秀吉、といった野戦の大将。他の武将、小姓、馬廻り等は遠巻きにして、燭光を照り返す不気味な黄金色の物体を見入る。暫くは誰も何かわからず、ただただ眩しそうに眼を細めていたが、やがて驚きとも何とも言えない低い声が広がる。それぞれに名札が立てられたからだ。昨年打ち取った朝倉義景・浅井久政・長政父子の首級だった。最前列で間近に見た者は呻き声を上げた後、何ともいえない驚きを表し、口々に信長への賛辞を述べ出す。事情が後ろの方に伝わるに従ってうなりのような歓声が上る。そのたびに酒が所望され人々は酔い狂った。
 酔いが進むとあまりの趣向に鎮痛な表情になるものも出てくる。特に明智光秀。首の一つ朝倉義景は旧主君であり、またその趣味の悪さに表情を保つのが精一杯だった。
 信長は次第に目を据えてくる。叡山焼き討ちの際の紅蓮の炎と、目の前の憎い敵の金色(こんじき)のしゃれこうべが煽るような快感をもたらす。延暦寺の大量殺戮を思い出すばかりなのだ。
 あからさまな態度なのは羽柴筑前守秀吉ただ一人。わざわざその来歴を信長に訪ねては大げさに相槌を打つ。『なんと!』と声を上げる。首は晒された後に漆で塗り固められ金泥を施され、梨地の光輝を放っていた。秀吉は冷静に、こみあげてくる笑いを主君への賛辞にすりかえることで、噛み殺していた。
 一つは、主君の首を見た時の後味の悪さ、そしてあまりに下品な趣向へのおののきを隠せない、明智光秀に対する思いである。惟任日向守の心胆はやはりあの程度か、と組し易さを感じたこと。いま一つは、密かに想うことさえ叶わぬ主君の御妹君お市の方を妻にした浅井長政に対する復讐遂げた、との思いである。その性が丸出しになる薄ら笑いが浮かびそうになるが、信長に気取られては命取りになる。いきおいお世辞を口にして誤魔化した。酔った信長の返事はいつもの響きであった。
「デアルカ。」

 だが秀吉の心を見透かすように、後家となったお市の方を信長は宿老柴田勝家にやってしまう。諸将をすり潰すように使う信長の心情が鈍く光る。狂気は次の殺戮を欲する。標的は元亀元年以来交戦が続く石山本願寺。本願寺第十一世顕如光佐も比叡山焼き討ちに覚悟を決め、門徒衆に激を飛ばす。まず血祭りに上がったのは伊勢長島門徒である。半年後の天正二年六月、九万人の総力と九鬼水軍で長島願証寺を包囲した。ここは尾張西南とあっていわば信長の膝元であり、過去に苦杯を舐めた経緯もある。二月あまりの兵糧攻めにした後に降伏させたが、信長は全く満足しない。出てきた老若男女を全てなで斬りにした上で、城砦に閉じ込めた二万人を火責めにした。大量殺戮と炎の競演を存分に味わう。
 翌年には加賀門徒の一揆勢。直轄の部隊を率いて前線を一蹴。後に羽柴・明智の両将と挟み撃ちにした数万人を片っ端から討ち取った。
 さすがに本願寺顕如上人は和睦を申し入れ小康状態になるものの、天正四年には激突する。この時、窮地に陥った明智勢の応援のために三千の兵の先頭に立って突進した信長は、雑賀党の一斉射撃を受けて被弾。憎悪が狂気を燃え上がらせる。
 耐えられなくなったのは本願寺だけではない。荒木村重は反旗を翻した。信長は勿怪の幸いとばかりに人質の女房衆を磔にし、数百人の罪無き若党・下女は閉じ込められた所に火をかけて焼き殺す。九鬼水軍の巨大装甲船が大阪湾の毛利水軍を沈めてしまうと兵糧を絶つ。天正八年にはついに顕如光佐も石山本山の明け渡しを飲まざるを得なくなった。
 残存勢力を蹴散らした後は火炎地獄。五十にも上る支城全てに火を放つと、大阪は三日に渡り昼も夜も燃え続けた。
 因みに坊主嫌いは宗門を問わない。石山陥落の前には法華宗に弾圧を加え、後には高野山金剛峰寺を包囲した。

 本能寺に火が上がる。外に翻っているのは桔梗紋、明智の軍勢である。驚き入った森蘭丸が駆けつけて「惟任日向守様、御謀反に、」と言いかけたときには信長は赤々と巻き上がる紅蓮の炎に目を奪われていた。この光景を待っていたかのように一言発する。
「是非に及ばず。」
その声にはかすかな狂気が宿っていた。吸い寄せられるように火炎の中に進んでいった。

黄金の茶室(見果てぬ夢) 

黄金の分銅(燎原の果て)

桶狭間 訪問記

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本能寺の変 以後

 

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(198X年女子高編Ⅲ)

2014 MAY 9 19:19:48 pm by 西 牟呂雄

 「ごきげんよう。」
E女子高独特の挨拶をしながら、鮨屋ののれんをくぐると、そこには異様なオヤジが4人いて、既に飲んでいた。それも4人とも違うものだった。ビールと焼酎と日本酒にウィスキィだった。
 今回は相手が相手なのでファッションは各々勝手にしたところ、B・Bは例のスーツ、英元子はトックリのセーターにジャケット、椎野ミチルは例によってハマトラ、出井聡子はワン・ピースとそれなり。だが、オヤジ達は見事に予想を裏切って、業界風ジャケット、ジーンズ上下、濃紺のスーツ、そして遊び人風着流し!事前に椎野ミチルが『何か相当壊れたオッサン達らしい。』と言っていたのもうなずけた。
 その中の業界風が、時々椎野ミチルを映画に連れて行ったり、食事をご馳走してくれる、彼女に言わせると『アニイ』なのだそうだ。
 「ごきげんよう。アニイ。」
 「オウ、何かもめてるっつー話しだからこっちもあらゆるバリエーションに対応できる面子を揃えたよ。まあスシ食いねー。」
 豪華な鮨桶が運ばれ、早速パクつきだした。
 「(アニイ・ウィスキィ)じゃ一応自己紹介と行くか。合コンの礼儀だからな。広告代理店をやってるイベント屋だよ。趣味バクチ。別にヤクザじゃないから、そこんとこヨロシクウ。」
 「(着流し・ビール)僕は物理屋、この着物シブいだろ。ネット関連やってて今は受験産業で食ってます。」
 「(スーツ・焼酎)オレはアジア屋。オレ一人マンサラだ。サラリーマンね。趣味ヤ・ザ・ワ、よろしくゥ。」
 「(ジーンズ・日本酒)オレは英語屋。ブスっとしてても機嫌悪い訳じゃないんでご心配なく。大学で教えてます。趣味翻訳。」
 「あのー。どういうお仲間なんですか?」
 「ミチルちゃん達と同じさ。高校の同期だ。それじゃそっちもやってよ。」
 「はあい。私は椎野ミチルです。アニイの会社でキャンギャルやったんで知り合って、時々映画みたりご飯ゴチになってます。」
 英元子と出井聡子はなんというカマトト喋りか、とあきれた。
 「私は出井聡子と申します。テニス部やってて、あとお料理が好きです。ずーっと女子校なんで男の方の考え方に興味あります。」
 「私は英元子です。英語のエイと書いてハナブサです。フオークソングが好きでギターやってます。」
 「へー。オレ達フオークバンド仲間だったんだよ。」
 「ウソー。どんなのやってたんですか?」
 「サンフランシスコ・ベイ・ブルース。」
 4人が一斉に答えた。
 「ナンですか?それ。」
 「ぎゃはは。」「オレ達のテーマ・ソングだよ。」「現存する唯一のレパートリー。」
 「あのーわたくしは・・・・。」
 「どういうバンド編成なんですか?」
 「あのーわたくしは・・・・。」 
 出井聡子が気がついて、英元子に目配せした。出鼻をくじかれたB・Bがすっかり上がっていた。緊張のあまりウルウル状態だ。
 「原部玲と申します。バラベなんて読みにくい名前なんで皆様B・Bとお呼びになります。クラブはバスケットをやっております。趣味は読書です。それから・・えーとー・・・。」
 「お嬢さん、お嬢さん。」
 すかさず合いの手がはいる。こういうときはオヤジは役にたつ。
 「はい。」
 「オレ等はみんな妻帯者でヘタすりゃあなたくらいの娘がいてもおかしくない。だからそんなに硬くなんなくてもダイジョーブ。こう喋れって誰かに言われたのかい?」
 「はい。わたくしの母に今日の会食の話を致しましたところ、」
 「チョット待った。コレ一口のんでごらん。」
 英語屋がニコリともしないでグラスを差し出すと、自分の日本酒を1/3ほど注いでやった。B・Bは両手でグラスを持って香りを味わっていたが、クッと一息で飲んでしまった。
 「あー!おいしー。」
 やがてボナールの話になったが、オヤジ軍の絶妙の捌きで、いままでのような大騒ぎにはならずにすんだ。熱くなりそうになると、軽くチャチャが入り、突っ込みをいれ、笑いに持ち込む。正にオヤジ恐るべし!である。こんな具合だ。
 「しかし、そもそも男女の前に男同士、女同士で厳密な友情がそこらじゅうにあるもんかね。オレ等は一番ヤバイ悩み事をこいつ等に相談するように見える?」
 「恋愛っていうけど僕達の仲間で熱烈恋愛をして彼女の自慢までしてたマヌケはもうバツ2で、この暮れに性懲りもなく3回目の結婚だよ。又呼ばれてんだけど祝辞のネタがない!」
 「そんな厳しいことを言われると、オレ達があと50年くらいして、女を見ても何にもときめかなくなってからじゃないと、友達になってもらえないじゃないか。」
 「大体君達の倍以上人間をやってるけど、愛だ恋だなんて未だに分らんよ。煮詰まって切羽詰ってもうニッチもサッチも行かなくなった時思わず『結婚してくれ』って言っちゃったんだもんなー。」
 「そういやーこの前同窓会に行った時、隣に座った美人に『旧姓はなんですか。』って聞いたら、『昔、愛してるって手紙をもらったヒカワトモコです』とか言われたが、おりゃーそんな手紙を書いたことも忘れててもう面目まるつぶれ、よ。オレのセイシュンを返せ!」
 「だけどさ。友情・友情っていってテンパってたら、そのうち男道、すなわち衆道に走ることになりゃせんか?」
 そして、オヤジ軍はギャハハと笑いながらのみ続けた。彼等はお互いに名乗った名前では呼び合わず、『イベント屋』『物理屋』『アジア屋』『英語屋』と語りかけるので、結局本名は最後まで分らなかった。

 しばらくたって、椎野ミチルは、B・Bに呼び止められた。みると、見違えるようにキレイになって、キチンと髪をウエーブさせている。
 「ごきげんよう。ねえ、ミチル。」
 「ごきげんよう。玲、どうしたの?」
 「聞いて欲しいの。アタシあのおじさん達に又会いたいの。」
 「はあー?どうしたの、急にしおらしくなって。」
 「あたし、あの人達の言ってることが良くわからないの。」
 「そんなこと心配することないよ。アニイたちは嘘ばかり話してんのよ。」
 「違うの!この前分ったの。あたしが一番バカだって。」
 「頭が悪いとは思わないけど、まあ、時々変にはなってる。」
 「皆がB・Bっていうのは、バカでブスっていう意味なのよ。」
 「はあー?・・・・。」

 「ねえ聡子。」
 「アラごきげんよう、ミチル。あたしも話あるの。」
 「それがさ、B・Bが変なの。まあ元から普通じゃないんだけど。何か壊れてきてるみたい。いきなり又アニイ達に会いたい、だって。」
 「アラ、あたしもお願いしようと思ってたのよ。」
 「エッ!・・・・」
 「結局この秋3回合コンやったけど、一番気楽だったじゃない。」
 「気楽と言えば、それはそうだけど。」
 「ミチルだって後でスッタモンダしなかったじゃない?」
 「それはそうだけど・・・・。」
 「今度はあたし振袖にしようかな。お正月以外に着たことないから。フフフ。」
 「・・・・・あの、・・・・。」

 「元子、元子、チョッ、ちょっと来て。」
 「なあに。」
 「アナタは正常よね?」
 「何言ってんの?当たり前じゃん。」
 「もう元子だけが頼りよ。ねえ、聡子と同じクラスにいて何か変だと思わない?」
 「別に、変じゃない。」
 「そうお?お願いだから元子だけは普通でいてよ。」
 「何よ。ミチルこそどうしたのよ。何焦ってるの?」
 「だから、変なのよ。B・Bは壊れかけているし、聡子は変だし。あのオッサン・コンパ又やりたいって言い出したのよ。」
 「っていうかー、B・Bは元々少し変わってるしー、聡子だって、ねえ。そういえばB・Bキレイになった気がする。普段だらしなさすぎるからだろうけど、少しかまってるよね。だけど面白いじゃん。あたしサンフランシスコ・ベイ・ブルースって曲調べたのよ。」
 「・・・・。」
 「オリジナルはアメリカの古いフオーク・バンドで、それを日本の武蔵野何とかっていうマイナーなバンドがリメイクしてるのよ。」
 「・・・・・一体どうなっちゃうのかしら。・・・・。」
 「何が?」

 かくして、椎野ミチルの絶望感にも関わらず、2回目がセットされた。おりしも巷にジングル・ベルが奏でられるクリスマス・シーズンになっていた。場所は例の『物理屋』が別荘を持っているという富士山麓でのパーテイーと決まった。午前中から始めて、日没とともに帰京する、という趣向なのだそうだ。
 4人は冬休みである。25日当日、駅に集合した時、椎野ミチルは度胸を決めざるを得なかった。出井聡子は本当に振袖だった。B・Bはどうせ『お母さん』がろくでもないアドバイスの上に、これ貸してあげる、とでもなったのか、ショッキング・ピンクの洋装に毛皮のコートを羽織っている。英元子はジーンズの上下で、ギター・ケースを持っている。これで中央本線の特急4人掛けに座っているところは、まるでコミック・トリオ漫才とマネージャーだと思った。
 とはいえ、楽しくお喋りしながら、駅について、駅からすぐというその別荘を探した。その住所は鎮守の森の様な佇まいで、近くまで行くと人の声が聞こえた。男の声ではない。何やらはしゃいだ声がキャアキャア言っているのだ。4人は顔を見合わせた。意を決した椎野ミチルがドアをノックすると中から「ハーイ。」と声がして中からバアサンが顔を出した。
 「アーラー、お嬢ちゃん達、もう見えたの。さあさあ。」
と中に招かれた。中には大年増がいて、後片付けをしていた。呆気にとられた4人にお茶が出され、お菓子が出され、バアサマたちはその間騒ぎちらしながら、片付けをすると「オニーチャン達は、今近所に黒湯に漬かっていて、すぐ帰るから。」と言って帰ってしまった。
 「チョット何あれ。」
 「分んないよ。でも夕べからいるみたいね。」
 と話しているうち、オッサン達が帰ってきた。手に洗面器を持ち、タオルを持っていたが、恰好が予想を上回っている、と言うより下回っていた。『イベント屋』はまあ前回のような業界風、『アジア屋』は会社帰りに来たのか、それにしても工事用の作業服のようなものを着ている。英語屋は無粋なスーツにネクタイ。物理屋はライダー・フアッションのような皮の上下。この人達に比べれば、トリオ・漫才+マネジャーの方がまだマシかも知れない。
 「よお、もう来たのか。早いじゃないか。」
 「ごきげんよう、アニイ。ところで何よ、あのオバーチャン達。」
 「お前等のおかげでミョーなもんが流行ってんだよ。まあ始めよう。」
 要するに『男と女の友情論』の応用編なのだそうだ。実態はたかだか合コンのことらしいが、条件として酒が好きでないと困る、ヒマでないと困る、ワイ談が好きでないと失言した時に立つ瀬が無い、といった下らない条件が追加されたため、物理屋がこの別荘近くの知り合いのバーサマに声をかけたら、すぐに集まったらしい。
 一応はクリスマス・パーテイーである。プレゼントなぞ準備したりして、シャンパンが抜かれ、かの女達も多少嗜み、オッサン達は自分達の酒を別々に飲み出し、ケーキなども用意された。
 「それでアニイ。合コンはどうだったの?」
 「オウッ、それが大盛り上がりでな。アジア屋は潰れるし大変だったよ。」
 「しっかしバーサンってのも元気だよなー。」
 「ありゃもうストレスがないんだよ。」
 「歌も出ちゃったよな、あれは昔の唱歌かね。」
 「こっちも歌ったから人のことは言えんよ。」
 「何を歌うんですか?」
 「(全員で)サンフランシスコ・ベイ・ブルース!ギャハハ。」
 「キャー、あたし覚えてきたんですよー。」
 話しは弾み、アチコチに飛び、午後には朝帰っていったバーサマ達が暇になったらしく又乱入してきた。そして『男と女の友情』。アジア屋が総括した。
 「そもそも、恋愛と友情が両立しないという話しなんだ。どちらがいい、の問題じゃない。実験してみて分かったが、ある意思をもっていれば男女の友情は成立する。但し、そこはある程度の修行が必要で、それによって味のある友情がマナーと信頼の上に成り立つ、ということだろう。そこでだ、君達のような子供は(4人はムッとしたが)まず恋をしてしてしまくってから、ゆっくり男女の友情を楽しめばよろしい。」
 「じゃあロクに恋をしなかったら友情も味わえないんですかー。アタシなんか恋とは縁遠いのに。」
 「時間にとらわれることなんかナイ!先は長いし君達は自由だ!年なんか関係ない!」
 「(酔っ払ったバーサン)そうだよーオジョーちゃん、この人は昨日アタシに惚れたって言ってた。」
 「言ってねー!ぜーったい嘘だー。」

おしまい

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(198X年女子高編)

サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(198X年女子高編 Ⅱ)


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