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フィリピン侵攻作戦 下 

2014 AUG 27 12:12:55 pm by 西 牟呂雄

 マニラから南に下った所のバタンガス州、美しい湖のある所にご他聞に漏れずゴチャゴチャした町があり、ここの工業団地に工場を建てることにした。検討に費やした物凄い密度の会議で、最期に僕はキレた。
「採算についてはもうこれ以上は分析できません。しかしたとえ嵐に遭遇してもどこまでも海原を行ける航海の可能性を選びます。」
言った時には加山雄三の『海・その愛』が頭の中でガンガン鳴っていて自分の言葉に酔った(バカだったなあ)。
 エリアの契約、現地法人手続き、派遣人員人選、顧客説明、現地オペレーターのトレーニングと事務処理が続く。フィリピンから第一陣の研修生が日本にやってきた。全員初めての海外である。見るもの聞くもの珍しく、学習意欲の高い子達だ。日本のコンビニが楽しいらしく、仕出しのお弁当はすぐに飽きて自分達でオニギリ、から揚げ、、サンドイッチを買って喜んでいた。僕達がレクリエーションでやっていたバーベキューやキャンプには大はしゃぎで参加し『フィリピンに帰って工場でやってみたい』。そして休日には『ディズニーランド』と『アキハバラ』に行って見たいと言う。現地でも有名なブランドらしい。これは操業してから来た第3次研修グループまで皆同じだった。
 一方でフィリピンの方でも、工場建設を進める。レンタル工場の中に設備を搬入する。ガード・マンを手配する。現地の有力者とコネをつける。
 この際注意しなければならないのは、日本人の現地コンサルには相当ヤバいのがいるのでご用心。ある人間に相談したら、それから『傭兵を紹介する』とか『レストランに出資しないか』とか、更にはあからさまに『女を調達してやろう』などと言い出す。その辺りで切ったが。

 さて、準備が遅れつつも何とかスタートしてからは、この工場は驚異的に伸びた。数名の女の子のオペレーターと少数のスタッフに日本人二人。思えばかわいらしい南の前線基地のスタートだったので、僕達はここを『ラバウル』とコードネームで呼んだ。1年もすると品種も増やし、オペレータも倍々のペースで集まり、すっかり定着した。
 ところがやっぱりこの国、気を抜くわけにはいかないのだ。ある日同じ工業団地の敷地内にフィリピン空軍の練習機が落ちた。火災等の二次災害はなかったが心胆を寒からしめられた。プロペラのヘナチョコ機ではあったが。
 近隣の繁華街で怪しげな日本人が射殺される。
 ビビッた僕達はガード・マンにショット・ガンを持たせた。  
 
 ここはカトリックの国だからクリスマスが近づくと、どうやって楽しむかが職場の話題の中心になる。普段は福利厚生などにはコストをかけていないので、各スタッフは大はしゃぎで出し物を提案する。カラオケ大会に至ってはそれぞれ代表を選抜し、点数を付けて競う。派手な振りのダンスの練習も始まる。本番は近くのゴルフ場のレストランを借り切って、プロのバンドまで入ったドンチャン騒ぎだった。僕としてはタダでフィリピン・パブで遊んでいるような気がして楽しんだが・・・。
 自作の衣装を派手に着飾ったミスコン、各職場の代表によるプロはだしのカラオケ。バンドが始まる頃には全員立ち上がって踊り狂う。何故か僕は『カーネル(大佐)』と呼ばれていて、会場のアチコチから声が掛かりツーショットに収まったり握手をしたりして・・・・。通常一般のフィリピン人というのは我々程にはガブ飲みすることはない。しかし僕は悪しき日本人の酔っ払い丸出しになり、アッと気が付いたときはステージの上に立っているではないか。このバンド、見たところ若いメンバーなのに70年代の曲ばかりをやっている。特徴のあるギター・イントロにつられてマイクを握っていた(この間打ち合わせもナシ)。僕は普段は人前ではしゃぎまわったりは断じてしていない(と思う)が、この時は酒が十分に廻ってしまった。曲はワイルド・チェリーの『Play that’s Funky Music』だということは直ぐに分かった。
「Once I was a Boogie singer
Playing such a Rock’Roll band」
とやってしまい、社員のフィリピーノ・フィリピーナには大ウケした。
 が、このときの写メが後日さるところで公開されてしまい『あいつは工場を造ったと言っていたが、本当はマニラでクラブでもやってるんじゃないのか。』と少なからず問題になったと聞く。

 その日の帰り、焼けたコンクリートが涼しくなったようで、後から後からバカでかいフィリピンのガマガエルが這い出して来ていた。

フィリピン侵攻作戦 上 

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