Sonar Members Club No.36

月別: 2015年1月

潮目が変わった  ー日本人人質Ⅱー

2015 JAN 29 12:12:03 pm by 西 牟呂雄

 どうしろと言うのか、こういう時は。
 初めの画像投稿から1週間。(恐らく)一人は惨殺され、そして次の24時間もとっくに過ぎてしまい、死刑囚の開放とヨルダン軍のパイロットの交換を人質に読み上げさせた。
 色々あるが、気の毒な湯川さんのお父さんは搾り出すような声で『みなさまにはご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。政府や関係者の方々のご尽力に深く感謝します。』と仰った。なかなか言えるもんじゃなかろう、中には『やりやがったな。このやろう。』となる人も多いだろうに。
 マスコミはもう解放して差し上げたらどうか。これから葬式だって出さなければ。恐らく彼の『民間軍事会社』のスポンサーかと思われるあの顧問にも取材しないほうがいい。カメラの前で喋る方も喋る方だよ。
 そりゃ『民間軍事会社』の荒唐無稽さや、いくらなんでも誰が(反シリア政府?シーア派?クルド人?)オファーするかも分からずに実績作りにフラフラ迷い込んだりすれば・・・。

 あの残酷な画面からは凶悪な犯罪のにおいが立ち上がってくるが、イデオロギーは感じられない。
 映像をインターネットで見たが、あんなものを手に持たされてお仕着せの原稿を読まされた後藤さんの心境はいかばかりか。
 もう一つ。今更だが表現の自由はその通りだが、偶像崇拝を硬く禁じているイスラム教のオチョクリ漫画ってあまり趣味のいいことではない。自粛なんてしなくていいんですよ。それはそうだが、傷ついている人もいたろう。
 だからといってテロをしていいわけがなく、そうはならないようにマナーを積み上げてきたはずだが、あの凶暴さの前には無力だった。
 
 後藤さんのお母さん。この人への取材も控えてはどうか。あの方の前歴は知らないが、やや拡散型のアガリ症のような。息子が大変な目に会っている渦中にいきなり外人記者クラブは荷が重かったのか、パニック・シンドロームになっていないか。『地球』とか『原発』とかねえ。もっとも自分で売り込んだとしたら背後関係含めて何かの意思があったのか、という話。
 そっとしておくべきだ。

 元外交官の宮家さんが解説に出ずっぱりで目の下にクマが出ていた。こういう問題に対応する冷静な解説・評論をするのは難しく、下手にシロウトを出しては国際問題にもなりかねない。外交評論家の岡本行夫氏・手塚龍一氏・佐藤優氏あたりが妥当なところかな。朝まで生テレビなんかで好き勝手雑音を入れるのは絶対にやめた方がいい。そろそろマスコミも焦れてきて報道が荒っぽくならないか心配ではある。こういう事件はマスコミがヒステリー状態になると突発的におかしなことを言い出す奴が必ず出る。
 日本は戦争当事者ではない。善意の第三国であり、日本人がテロリストとの人質交換に応ずる謂われは無い。ISISの振る舞いを『卑怯な振る舞い』と認識する人が多いだろうが、相手は日常的にしょっちゅうやっている。
 一方本件で政府を批判するのは更に当たらない。テロに屈しないのは政府だけの仕事じゃなく、我々一人一人に突きつけられているかもしれないのだ。これを下手に政権攻撃に使おうとすると、某政党の議員のツイッターの様に炎上するのがオチ。しかもこの手の交渉は絶対に水面下で秘密裏にしなければ失敗する。イスラム国がしばしばネットで流すのは、その時点での交渉妥結点が気に入らないから潰す意味合いがあるのかと睨んでいる。

 厳しく難しいほうに事態が進んでしまったので再びゲーム理論のモデルを立ててみた。だが結果は芳しくなく、あまり文章にしたくない。それでここからはバーチャル・ブログだが、いっそのことイラクにも行ったアントニオ猪木とピースボート出身の辻元先生にイランまで行って『理解』を表明したハトもつけて特使として送り込んではどうか、いや冗談です。
 あっこれ戦争しろ、という意味じゃないですからね。念のため。
 後藤さんの無事と速やかな開放を祈っている。

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国松公 異聞 求厭(ぐえん)上人

2015 JAN 27 19:19:11 pm by 西 牟呂雄

 延宝(えんぽう 1680年頃)の江戸、五月晴れの日であった。
 芝増上寺の高僧、求厭上人に尋ね人が来た。門前の警護に当たる寺侍は一目で分かる武士の貫禄に気圧され、まだ幼い子供の高貴な凛々しさにも目を見張った。二人は「樹下(じゅげ)秀忠とその息子藤丸」と名乗った。
 奥の庫裏に通され,しばらく待つと僧衣の求厭上人がやってきて樹下秀忠と対面する。求厭はその顔をみて『ホッ。』とかすかに驚いた、瓜二つの面立ちなのである。年は少し上の大柄な老武士だった。派手さは微塵もない。
「樹下殿と申されるか。」
「いかにも。」
互いに見つめ合い静寂の時が流れた。

 沈黙の内に室内にも関わらずどこからとも無く霧状の雰囲気が漂い始めて、求厭上人は視界が悪くなるような錯覚を覚えた。そして樹下親子の背後に黒い何か影のような物が浮かび上がりそれが段々と人の形を成していく。既に悟入十分の求厭と雖もさすがに驚いた。二人は忍び装束だった。
「御上人。これなるは大阪で討ち死にした真田幸村の遺臣の猿飛佐助に霧隠才蔵。共に二代目ではあるが。」
「何と!」
「お主の隠し姓を存じておる。ワシが誰か分かるか。」
「ムッ。そのお顔立ち。」
「ワシの樹下とはすなわち『きのした』。」
「まっ・・・・。まさか!兄上でおられまするか!国松様でおられるのですか!」
あたりを憚ってか小声で言ったつもりだが裏返っていた。求厭は白昼に妖怪変化を見たような表情で我に返り居住まいを正し、頭を畳にこすりつけるように挨拶し直した。
「初めて逢うた気がしない。互いに苦労した。真田十勇士も残るはこの二代目が二人のみとなり、浪々の身であった。」
「ご身分をお隠しなされての今日まで・・・。世が世であれば天下人の兄上が。」
「お互いに。しかしその苦労もこれまでじゃ。ようやく長年の恨みを晴らし」
「あいや、お声が大きい!本山は徳川家の菩提寺。」
求厭上人が声を励ましてを制すると、秀忠は『フフフ。』と笑った。
 霧隠才蔵がスッと立ち上がり庫裏の障子を開けると冷気とともに濃い霧がたちこめていた。
「一山全て霧の中でござる。霧隠れの術の内、忍法『霧幕(むばく)』。」
「しかし人に聞かれては。」
今度は佐助が呟く。
「我等以外、当寺の境内の時を止めてござる。不動金縛りの術の内、忍法『猿止(えんし)』。動く者あらず、鳥も虫もまた飛ばず。」
「求厭よ。先日、慶安の変(*筆者注 軍学者由比正雪が槍術家丸橋忠也等と起こそうとした幕府転覆計画、発覚して阻止された)の際、由井正雪を操ったのはこの者達。」
「あれは・・・兄上の・・・兄上は幕府転覆を・・・・。」
「さにあらず、謀りごとはこれからなり。その折りにこの佐助と才蔵は徳川頼宣公と見知り合い、江戸紀州藩邸には出入り自由となっている。」
(*筆者注 慶安の変には紀州家徳川頼宜がバックにいたと疑われ、10年江戸に留め置かれ紀州入りできなかったのは事実だが真偽不明)
「身分を偽ってでしょうか。」
「佐助。」
「御上人。我等は何人(びと)にでも替われまする。」
「江戸藩邸には現藩主徳川光貞公の庶子、四男新之助殿あり。只今疱瘡を病んでおられるそうな。」
「・・・・。」
「わが子藤丸とその新之助殿は年回りもさしてたがわず。」
「そっ・・それは。しかし庶子の四男の行く末とて・・・」
「その新之助殿が徳川将軍になるのだ。」
「まさか!」
もはや求厭は蒼白となっていた。そこからは才蔵がささやいた。
「我等が授かりし秘術を使い、成就の暁には我等は果てまする。」
「のう、救厭。我等は大阪より下りし折りには初めは女中衆と真田十勇士のうち七人と共に落ちた。真田十勇士の内、幸村様と最後を共にすることを許されたのは青海入道・穴山小助・海野六郎の三人のみ。由利鎌之介は宮本武蔵と立ち会って敗れ、根津甚八は力尽きた。更に残党狩り服部半蔵の伊賀十三人衆を引き受けて伊佐入道を失った。」
「残り四人。」
「浪々の末に落ち着いた山郷では暫く百姓とも交われぬ。夜な夜な褥を共にした女中頭白梅があろうことか懐妊。」
「それは和子なるや、姫なるや。」
「おの子なり。致し方なく望月六郎と筧十蔵に女中を二人つけて九州に逃した。鹿児島に落ちてただ今は日田に落ち着きやはり樹下を名乗っておる。残った女中と先代の佐助・才蔵が子をもうけたのがこの二人。二人は『不動金縛りの術』『霧隠の術』を徹底的に仕込まれ今日に至っておる。ひたすら豊臣の再興を願って耐えた。儂が無聊にまかせて近隣の百姓娘を夜伽に参らせたところ、この藤丸が生まれた。これこそ天の時と心得し。」
「しっしかし、藤丸様が将軍に御成り遊ばした後は。」
「徳川御三家なら心配いらん。御三家に替わる藤丸の血筋が連枝として残る。従三位なる御三卿なり。以後幕府は豊臣の血筋のみと成りおおせる。フッフッフッフッフ。」
つられて佐助も才蔵も不気味な笑いを漏らしていた。
「フフフフフフ。」「フッフッッフッフ。」
 聞きながら求厭上人は気を失った。

「御上人様。お茶で御座います。」
「ホッ。」
庫裡の障子が開け放たれたままなので、小坊主がお茶を三つ持って来たが入りかねて、声を掛けた。明るい陽光が入っていた室内には上人一人が放心していた。
「上人様、お客人はいずこに。」
「アッいや、・・・・既にお帰りか・・・・。いすれにせよお茶はもう良い。」

おしまい

 求厭上人は実在の名僧で増上寺の後山城国伏見に至り、同地で没した。臨終の際に廻りの者に、姓は豊臣であり秀頼の次男だと告白した記録が残っている。
 樹下家は日田に実在し、吉宗も秀吉の末裔という噂を聞きつけ樹下民部と会見している。その後大江戸総鎮守、日枝神社の宮司となる血統が残っている。
 徳川新之助とは後の徳川吉宗である。御三卿は清水・田安・一橋で、吉宗以降将軍職はほとんどが紀州系と一橋家(養子は含むが)から出ている。

国松公異聞 大阪落城

国松公 異聞 宮本武蔵

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国松公 異聞 宮本武蔵

2015 JAN 25 14:14:04 pm by 西 牟呂雄

 少年に女五人、心細げな逃避行が続く。由利鎌之介・筧十蔵と名乗った二人は街道筋では姿を消していたが、山中での道案内にはどこからとも無く陽炎のように現れ、一度は野盗を退け、更には徳川の追手と思しき落ち武者狩りの侍を撃退していた。
 怪しげな者が舌なめずりをするように威嚇をすると、ダーン、という鉄砲音がして先頭の一人の頭が砕ける。驚く間に忍び装束の男がスッと現れもう一発撃つ。二人目の首が吹っ飛ぶ。
「鉄砲名人、筧十蔵。」
の声が聞こえた。賊が怯む内に煙が晴れると(火縄は物凄い硝煙が出る、たった二発でだ。)分銅を回す姿が現れ、一閃で三人目の者の顔面を砕く。素早く引き寄せまた以前より大きく分銅を回しながら言う。
「鎖鎌、由利鎌之介。」
その時点で野伏り共は逃げ散った。

 一行が深編み笠を被った野武士と何事も無くすれ違った。その男、全く興味を示さず先を急いで行った。街道が大きく曲がり互いの姿が見えなくなった時、野武士にどこからともなく声が掛かった。
「あいや新免殿。いや、作州浪人宮本武蔵と見た。」
野武士は気配を察知してじっと踏みとどまった。
木陰から忍び装束の男がボウッと浮かび上がった。
「宍戸梅軒を倒し兵法日本一とは片腹痛い。梅軒は未だに名人に至らず。遺恨は無いが尋常に勝負いざ!」
言うが早いか鎖分銅を回し出した。武蔵は自然体のまま振り返る。いきなり『ハァッ』の気合もろとも武蔵の頭部を狙った。が、一瞬の見切りでかわしたが深編み笠は裂け飛んだ。同時にスラリと大刀を構えた。
 鎌之介は素早く分銅を手繰り寄せると先ほどより鎖を長めに持ち替え又回す。にらみ合いが続く。
 武蔵がスッと上段に構えようと剣先をそらせた刹那、横殴りのように分銅が飛んできた。武蔵は反射的に刀を払ってこれを受けた。ガッと火の出るような音で分銅が刀に絡みつく。鎌之介が渾身の力で引き寄せようとしたが、武蔵も超人的な金剛力でビクともしない。鎌之介は左手の鎌を握りしめ直した。
「梅軒の鎖鎌と違う。何者だ。」
「真田の遺臣。十勇士の七、由利鎌之介。」
「いかにも!」
言うが早いか武蔵は鎖を巻き付けたままで突進し大刀を突きかけた。
 鎌之介は両の手に鎖をたぐり受けようとする。武蔵は体当たりの勢いで搦め手(右手)片手面のように躍りかかって刀をあずけ、鎌之介が辛くも体を捻りながら二人が交差したかに見えた。かすかにドンッと音がしたがしばらく二人とも動きが止まり、何かの手応えが見て取れたが。
 ドサッと倒れたのは由利鎌之介だった。荒い息がまだある。武蔵の左手には小刀があり、鎌之助の胸に深々と突き立てられていた。
「由利鎌之介破れたり。死にあたって二天一流の極意を知らしむ。我が利き腕は弓手(ゆんで、左手の意)なり。」

 大津港に国松・女五人、武者装束二人、巨漢の僧形一人、忍び装束三人が揃った。男達は片膝座りに右の拳を地面に突き立て頭を下げている。初めて見る顔が二人。その内小柄な武者装束が語った。
「拙者は真田の遺臣、十勇士の一、猿飛佐助。国松様にはお初のお目通りでござる。既に十勇士の三・三好兄弟の兄、清海入道、五・穴山小助、九・海野六郎どもは大阪城を枕に討ち死にいたし、お目通り叶いませなんだ。又、由利鎌之介は途中兵法者との果し合いで亡き者になり申しましてござる。ここにもう一人。」
「十勇士の八、根津甚八にござる。」
「これよりはこの甚八の手引きにて近江を水行して落ちて頂きまする。我等は先に廻り、徳川から逃れられる隠里を探索いたしまする。」
国松が久しぶりに口を開いた。
「佐助。豊臣再興は成るのか。」
「我らが命に代えましても。」
 
 一行を乗せ帆を張った丸子船が風を受けて滑るように湖上を進む。古来より水上は徴税対象ではなく無主の独立エリアとされた。この当時は江戸期の海上廻船はまだなかったため、淡海(琵琶湖)は越の国から京阪地区の物流の要であった。いわゆる湖賊のはびこる所以である。織豊時代となり湖上の管理に力が入れられたものの、幾つもある隠し浦から出没する略奪者は後を絶たない。
 この時も櫓漕ぎの船が一団、丸子船を目指して寄せて来るのが見て取れた。根津甚八は遠目にその船団を認めて呟いた。
「堅田(かただ)衆か。」
堅田の湖賊船団だった。
 女中頭の白梅は不安そうに聞いた。
「根津様。見れば15~6艘は寄せてまいります。」
 甚八は舵を取る手を止め、帆を緩めて風に這わせて船を漂わせた。船団の船足は速い。火矢を放つのであろう、赤い炎のような光がチラチラした。そして暫く九字を切ると刀を抜き『御免!』と言うやいなや湖水の飛び込んだ。水音がして波紋が広がった。
 しばらくは何事も起こらず、寄せ手ての歓声が次第ワァワァと聞こえるまでになった。
 と、その時音も無く湖面が裂け次々と堅田の船団が吸い込まれて行くではないか。
「あれっ!」「あぁ!」
女中達が慄く。一瞬の出来事だった。後には静けさが残るのみである。不思議なことにあれだけの後にウネリひとつ起こらないのであった。
 風の音のみになった時、ザバと水中から人影が飛び出し船の舳先にフワリと立つ。
「水遁の術の内、忍法『呑龍』。」
 こう告げると何事も無かったように再び帆を張って舵を固定した。
 船は滑るようにスーッと進みだした。しかし甚八は国松や白梅の呼びかけには何故か返事もせず、行く末の一点を凝視したままであった。
 やがて北岸の塩津浜に近づくと、霧が立ち込めだした。女中の一人が漏らした。
「もしや、霧隠殿がおいでになるのやも。」
 果たして霧の中に浜が見えると、人形に黒い影が舳先に現れた。才蔵が立っていた。
 素早く懐中から縄をだして舫うと、砂に乗り上げる前に反転させ、浜に向けて降板を渡した。
「御一行、船から下りられませ。」
 国松の手を引きながら才蔵が浜に降り立つと、白梅以下女中達も裾を濡らしながらついてきた。一人甚八は微動だにしない。才蔵が先に案内しようとするのをさすがに見咎めた白梅が聞いた。
「霧隠殿、根津様が未だ・・・。」
才蔵は振り返り、
「甚八は既に果てております。『呑龍の術』を使ったのでしょうや。一世一代の秘術でござる。水に没するのは甚八が本望。一同ご案じ召されるな。」
と言いつつ丸木船を大力で押し戻した。船はユラユラと霧の湖面に消えていった。一行も霧の中に消えて行く。

つづく

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国松公異聞 大阪落城


 

国松公 異聞 求厭(ぐえん)上人

国松公異聞 大阪落城

2015 JAN 24 10:10:02 am by 西 牟呂雄

 大阪夏の陣総攻めの前夜、秘かに本丸から数人の人影が城を落ちていった。徳川軍の誰もが殺気立っており、丸裸にした大阪城の残る支城に狙いをつけているスキをついて、ゆっくりと声も出さずに城外にまでたどり着くと、武者が葛籠(つづら)のような大荷物を肩から降ろし小声で諭した。侍の名は田中六郎左衛門、蓋を払うと小柄な少年が出てきた。影が七つ、気配を消して寄り添うに進んでいることに気付いた者はいない。
 更に、行く手に居た多少の雑兵が声を出す間もなく屠られていた。
『若様、拙者はこれまで。若君のお顔は敵方の誰にも知られておりませぬ。時を待つこと幾星霜、必ずや天下に亡き秀頼公のお恨みを晴らさざるべからず。拙者はこれより若君の身代わりを連れ京に姿を消しまする。後のことは全て『闇』が手筈を整えて御座ります。暫くの後、若様と称する者と拙者が京にて晒されること相成りましょう、御覚悟あるべし。では、これにて御免。』
 少年のくっきりした目鼻立ちが強い意志を感じさせた。田中六郎左衛門が去った後は若狭京極家から遣わされてきていた女中衆が四人、心細げに佇むだけであった。誰も行き先を知らず、さりとて足は進まず立ち尽くしていた。徳川の武者達の歓声が遠くで聞こえる。女中の一人は思わず声を立てそうになったその時、漆黒の闇に濃い霧が立ち込めだした。
「若君、お女中、声のする方に進まれよ。」
男の声がした。柔らかく澄んだ高い声だった。女たちは小声をあげて怯んだ。声は続ける。
「さっ若君。進まなければ道は開けず。留まる事死ぬるに近し。徳川の追手も来ますれば。」
 少年がおもむろに振り返って命じた。物事がやっとわかるか、というか細い声ではあった。
「導かれるしかあるまい。六郎左衛門はもう消えた。」
一行は足元を確かめつつソロソロと進んだ。霧は一行を包むようにその濃さを増していく。
 もう何時歩いたことだろう。何やら山道に迷い込んだように周りに笹を踏み分けるような場所まで至った。せせらぎも聞こえて来た。すると心持ち霧が晴れていく。漆黒の闇の夜目にうっすらと人影のような凝ったシルエットが見えてきて、一同ハッとして立ち止まった。例の声が聞こえてきた。
「若君、お女中。拙者は真田家中、十勇士の二、霧隠才蔵でござる。ここまでご案内申し付かりました。」
表情までは分からなかったが、総髪の痩身の侍が足元の霧の上に浮いているように立っていた。
「あそこに粗末な小屋がしつらえてござる。ご一同暫くのお休みをされましょうぞ。お女中、憚りあれど帯を解きなるべく若君をお体でお包みなされませ、夜霧は体に障りますゆえ。ささっ。」
一行は促されるままに粗末な野良小屋に導かれると、なかには干し藁が敷き詰められているだけのあばら家であった。女中たちは多少恥らったが、筆頭格の白梅が思い切りよく帯を緩め襦袢姿になり、着物を敷いて『若君これへ。』と促すと少年の衣服も解いていった。他の女中衆も帯を解きだして、少年を抱きかかえるようにしている白梅の周りに身を寄せた。疲れきった一行はすぐに眠りについた。
 しかし互いにその身が触れ合い纏う襦袢が乱れだすと、母の肌が恋しい少年は白梅の体をさぐり、女中達も深い官能の夢に落ちていく。いつしか汗ばむほどの熱気があばら家に漂っていく。すると屋上にあって廻りに気を配りつつ九字を切っていた先ほどの霧隠才蔵は満足そうに呟いた。
「霧隠れの術の内、忍法『霧艶(むえん)』。」

 朝が明けてきた。少年がまず目覚め、半裸の白梅以下女中衆の寝乱れた姿に目を丸くした。同時に気配を感じたか白梅が『ハッ』と瞼を開け、他の女中衆も起きて身だしなみを整えた。戸を開けて外をそっと伺うと『きゃあ』と思わず声が出た。見上げるような大男が金剛杖を地に突き立てて仁王立ちしており、傍らに忍び装束の者が控えていた。
「お女中、声を立てられるな。拙僧は真田が遺臣、十勇士の四、伊佐入道と申す。」
低く通る声だった。
「それがしは同じく十勇士の六、望月六郎と申しまする。」
こちらはくぐもった声。
「もし、昨晩の霧隠様は。」
白梅が聞く間に一同が這い出すように出てきた。
「才蔵は既に次の地へと飛びましてござる。それより若君、とうとう今朝から大阪総攻めが始まりました。一刻も早く摂津を抜けなければお命が危のうごじゃります。野伏せり野盗のはびこる前にご出立願います。まずは、僅かながらの握り飯と清水を。」
と、一行をあばら家の前の沢を少し登った平地まで連れて行った。
 毛氈をしいて食いだしてすぐ,ざわめきが近づいてきた。握り飯を取り落とし腰を上げた女たちを制し伊佐入道が立ち上がって傍らに目配せする。追手が迫ったようだった。少年と女中衆はひたすら伏せた。
 望月六郎が『ご免』と女中衆の小袖を掴むやトットットとあばら家に向かう。何と遠目には泣き声と共に女があばら家に逃げ込んでいるように見えるのだ。
 『そりゃ、女があそこに逃げ込んだぞぃ。』『身に着けたお宝は切り取り次第』『はぎとりゃ中身もいただきじゃ』下卑た歓声とともに武具をガチャガチャさせながらあばら家に殺到した、その数2~30人もいたろうか。
 ダーンと轟音がした。続けてもう二回。その後バチバチバチとの破裂音。
 その後すぐに火の手が上がった。女達は『ヒーッ』と声を出すが大音響にかき消される。寄せ手の野盗と思われる集団は吹っ飛び、火を浴び、炎に包まれ焼けただれた。
 人型の炎の塊が歩いてくる。女達は更に悲鳴を上げたが、その塊が右手を一閃すると火が消え、望月六郎の姿があった。
「火遁の術の内、忍法『火龍』。」
そのまま進んできた。
 今度は後の藪から鎧宛の音をさせながら雑兵風情が数名忍び寄る、恐らく先ほどの大爆発音を聞きつけたのであろう。抜き身の刀を持ちガサガサと降りてくる。『あやしげな、ぬし等、豊臣の残党かァ。』等と喚き立てる。
 伊佐入道はギョロ目をむいて振り返ると、物も言わずに手にした金剛杖を一閃した。女子供ならば両の手でも掴みきれない鉄(かね)を打った業物を軽々と音もさせずに振りぬくと、ボクッと小さな音がして先頭の者の首が見事にもげて飛んで行った。足軽共、何が起こったのか『エッ』という感じで首が飛んでいくほうを見た。更に一歩踏み出し『喝!』の音声とともに金剛杖を突きたてる。すると今度はゴウッ!と音を立てて地が裂けた。雑兵共が地中に飲み込まれ、再び轟音とともに地割れは閉じる。
「土遁の術の内、忍法『地割』。」
振り返り伊佐入道は告げた。
「御一同、先を急がれよ。あれなる者がご案内つかまつる。」
金剛杖の指す先、初め黒い影が漂い次第に忍び装束の男が二人音も無く姿を現した。
「真田の遺臣、十勇士の八、由利鎌之介。」
「同じく十勇士の十、筧十蔵。」
 一行は辛くも京の町をかわし、大津までやってきた。そして京にて落ち延びてきた豊臣国松と田中六郎左衛門がさらし首になったという話しを聞いた。

 本物の豊臣秀頼の子供国松こそ、一行が若君と呼ぶこの少年なのだった。

つづく

国松公 異聞 宮本武蔵

国松公 異聞 求厭(ぐえん)上人

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潮目が変わったー欧米だけじゃない 日本人人質ー

2015 JAN 22 22:22:08 pm by 西 牟呂雄

 いかなる善意も正義感も今回の身代金要求の野蛮さには無力だ。テロとの戦いを何年もやっているアメリカは日常的にこういった危機感に苛まれているのだろうか。或いは現在のフランスは。自国民を殺された諸国は。
 聞くところによるとこのイスラム国とイエメンのアルカイダとは過激派の主導権争いにおいてライバルとか。
 しかし同時に『拉致』をさんざんやり公開処刑を日常的にやる国とも被らんでもない。
 従ってイスラム教だから、何派だから、ナニ教だからとはならない。しかしですよ、こう非日常的な映像を見せられるとそりゃイカンですよ。ナニナニ教でもナントカ主義でも歴史的に必ず過激派は現れ、その残虐行為は枚挙にいとまがない。キリスト教同士だってさんざんやった。こうなると思想・宗教というのはやはり一大虚構というか机上の空論というか、どうにもやり切れない。
 一番いいのは自衛隊特殊部隊が密かに侵入し誰も傷付けずに一人も殺されないで奪還することですかねぇ。自衛権も何も、相手は国境も法律もないクニ。最近よくある疑似国家・グローバル過激派なんだから(アルカイダ含む)。ハリウッドが目を付けてそんな娯楽映画なんか作られたらテロが来てしまうぞ。
 そうこうしている内にアルカイダの拠点の一つイエメンでクーデターが起こり、政府軍・ザイド派・アルカイダのいくつ巴か知らないがグチャグチャ状態に陥ってしまった。
 恐らくアラブ諸国ではどこも日常的にテロと戦争に麻痺していて日本の苦しい立場なんか知ったこっちゃない。国際社会全体で対処といっても自分で考えなければどうにもならない。

 この構図をゲーム理論のモデルを立てて均衡ゾーンがあるか計算しようとしてみたが、『日本ーイスラム国』の2国でやってみると複数の均衡は見出せなかった。
 僕のモデルの結果は『水面下で交渉し身代金を値切る』が突出していて他の均衡点がない。理由は二つ。イスラム国が中東を代表している訳ではないからと、もう一つ人命尊重の荷重が高すぎるからなのだ。イスラム国側をもう3プレイヤー(アルカイダ・シーア派・スンニ穏健派)日本側に3プレイヤー(イスラエル・EU・アメリカ)を加えられたら2つ以上の均衡点が見出せたかと思うが手に余った。ただ、上記特殊部隊の強襲・奪還条件は荒唐無稽なので初めから除外はしていた。
 このとんでもない事件も19世紀以来この地域で様々なヨソ者が手を突っ込み(サイクスーピコ秘密協定・バルフォア宣言)おまけに石油の一大産出エリアということでモミクチャにされた結果と言えなくもない(私はテロリストが起こした誘拐事件で犯人が悪い、という立場ですが)。イラク戦争をやったらイスラム国ができた・・・、違うか。

 改めて強調するが私はイスラム国支持じゃない。
 もう50年もすればアラブのことはアラブに任せる、という時代が来るだろうか。

 要するに日本は何もできない?タイム・リミットまで後16時間。
 
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100年前の同時多発戦争 

2015 JAN 20 20:20:54 pm by 西 牟呂雄

 第一次世界大戦の経緯を中村兄が詳述してくれた。
 このあたり、ヨーロッパの離合集散とそれに対峙するロシア、また目下の複雑な中東情勢も絡み今日的な意味でも分析は重要と考える。

 1912年から1913年にかけて既にバルカン戦争が二度にわたって起こり、直前イタリアーオスマン・トルコも領土問題で衝突する、もう手の付けられない状況に近かった。いくら合意をとりつけても止まないウクライナ。正統な領土すら存在しないイスラム国。どこか今の様相に被って恐ろしい。
 獨仏国境は普仏戦争でナポレオン三世が負けてしまい、かの『最後の授業』で知られるアルザス・ロレーヌはドイツ領だった。
 銃弾二発のテロから一ヶ月。7月28日にオーストリアがセルビアに宣戦布告すると、8月には露・獨・仏・英と一斉に戦争に参加する。ロシアの総動員令が下るや直ちにシュリーフェン・プランが発動されてしまい、ドイツは8月2日には対露・3日には対仏の宣戦布告をする。そして獨軍のベルギー侵入により、イギリスは4日に対獨宣戦布告に踏み切る。5日からベルギー軍と獨軍が戦闘に入ると、直後14日には英国から派遣された陸上部隊とフランス軍がドイツとガチンコの戦いを10日間やる。
 一方のロシアは以外と早く東プロイセンに侵攻して17日には小競り合いが始まるが、驚いたことに80万人以上のロシア軍がたったの15万人のドイツ第8軍にコテンパンにやられる。

 この時期、ヨーロッパは植民地のブン取り合いをしていたからすぐにアフリカに飛び火。8月8日時点にトーゴで、10日には南アで戦闘が行われている。
 はじめの宣戦布告(それもバルカンの小国にハプスブルグ大帝国が、だ)以後たったの2週間以内で世界中でドンパチが始まった訳である。同時多発戦争だ。悪いのは一人だけでも一国だけでもなかろう。

 更に当時は日英同盟が機能しっかりしており、すぐさま英国より日本への参戦要請が来た。ドイツ東洋艦隊が膠州湾租借地にいたからである。何の恨みもござんせんがこれも浮世の義理。手続き上に問題無しとしないが、15日に最後通牒、23日には宣戦布告している。ところがこのドイツ東洋艦隊は巡洋艦中心の大したことない部隊だったため、日本海軍とはやらずに逃げ散っていった。青島の要塞を攻撃して、この時の捕虜が松山に収容され日本で初めて第九の合唱をやったのだ。
 日本では宝塚少女歌劇団の第一期生が卒業した頃なのです。
 その後同盟の誼で陸軍を派遣しろ(ロシアからも英・仏を通じあった)艦隊を寄越せとなり地中海に派遣された巡洋艦『榊』が被弾する。僕はマルタ島にあるその慰霊碑まで訪ね英霊を慰めたことがある。これ、集団的自衛権のキモですよ。近隣エリアでの『我が国土・国民に重大な被害』は発生しないものの、同盟・条約によって行かざるを得なかった訳である。
 結果として戦争景気に沸いてしまい、その後色々あって大日本帝国は潰れてしまうのだ。

 ヨーロッパがドロドロの膠着状態になってロシアに革命が起きるのだが、今後の中村兄の研究結果に譲る。

 と、ここまで書いてイスラム国に日本人を誘拐・拘束し身代金を要求しているニュースが飛び込んできた。先方は去年の内から拘束していた日本人を、安倍総理の中東歴訪と人道支援発表のタイミングでぶつけて来たのだろう。冗談じゃない。ご家族の心中察するにあまりあるが助けに行くといっても・・・。交渉も何も相手は『国』ですらない。

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2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅲ)

2015 JAN 18 14:14:47 pm by 西 牟呂雄

 油壺の日曜も暮れる頃、又オレを打ちのめす事態に陥った。またしても彼女の一言だった。
 「ご隠居。明日は月曜ですよね。あたしT文大の講義の日じゃないですか。」
 「あー?それが?」
 「あたし又乗せてってもらえますか?」
 「えっ?」
 オレは抜けていたので、ボーっとビールを飲んでいた。ふと目を上げると、彼女だけじゃない、英語屋、イベント屋、物理屋の血走った目が邪悪な光をたたえてこっちを見ている。そのゾッとする気配は悪魔のようだった。
 オレは小さい声で『みなさん御家庭があるんじゃないですか。』とか『お嬢チャンさんのお部屋のお掃除は。』とか『お仕事が忙しいのでは。』もっとあからさまに『ボクの自由は。』などと言ってみたが、誰一人振り向いてもくれなかった。かわりに、
 「おい、酒が残ると困るからお前もう寝ろ。」
 という愛情あふれる声がかかったとき、フーッと気が遠くなった。

 月曜の朝焼けの中、東名を突っ走るワン・ボックスの中には、ハンドルを握るオレの他、熟睡しているバカじじいどもと美女がいた。
 オレは自由と時間の関係について、必死に考えた。
 要するに完全な自由になるには、あらゆる誘惑に耐え、完全な孤独に打ち勝つ、鉄のような意思が不可欠なのではないか。そしてそのような意思を持てるのはごく限られた人間だから、そうではないオレのような人間は多少の不自由にならざるを得ないのではないか。
 時間が無限にあれば、人間は自由になれると思ったら大間違いなのだ。時間を無駄なく使うことこそ、自由への近道に違いない。現に、最も時間のあるはずのオレが、色々と制約のあるはずのこいつ等にオレの生活を奪われ、奴隷のような扱いをされ、運転手にされているのが、何よりの証拠だろう。
 何とか時間通りT文化大にたどりつくと、ヤマトヨシコは『じゃ、後でオウチに行きます。』と跳ぶよう
にキャンパスを走っていった。
 「フアー、なかなか洒落た学校だな。」
 「散歩でもしようぜ。」
 オレも近くではあるが、中まで入るのは初めてなので、4人でフラフラと迷い込んだ。
 授業中なのだろう、人影もまばらな静かな佇まいだった。裏手の学食と思われる建物に近づいたとき、明るいギターやバンジョーの音色と屈託のない歌声が聞こえた。
 「オッ、やってるのかな。」
 「懐かしいなー、フオークソングだな。」
 裏手の、もう山のふもとの当たりの雑木林のところで、4人編成のバンドが何とブラザーズ・フオアの”花はどこに行った”をやっていた。随分古い歌だ。実はオレ達4人は今やっている学生と同じ編成でバンドをやっていた。英語屋がギター、イベント屋がバンジョー、物理屋がフラット・マンドリン、オレがベースだった。曲が終わると思わず拍手した。
 「君達随分古い歌やってんだね。」
 「恥ずかしいです。僕達ヘタですから。」
 「他にどんなのやってるの?」
 「いや、レパートリーこれしか無いんです、まだ。」
あれこれ話しているうちにオレ達も同じようなことをやっていたことが話題になり、『じゃ、やってみせてくださいよ。』となってしまった。何しろ45年ぶり、四捨五入で半世紀も前のことだ。それぞれの楽器を手にして音を出してみると何やら怪しい感じだ。
 「おい、何ができるか?」
 「そりゃー、アレだよ。あれ。」
 「あー。アレか。ありゃーさすがに忘れないな。」
 ギターの軽快なイントロを英語屋が奏でると、何と一発でそろった。都合千回は演った曲、サンフランシスコ・ベイ・ブルースだ。
”オイラを残して あの娘は行っちゃった  富士山の麓まで とってもイカした 娘だったが”
 途中の間奏は物理屋のフラット・マンドリンだが、やはり往年の早弾きは無理なものの、無難にこなした。ヤツは天才だ。エンデイングまでやったところで、全員息が切れた。おまけに指がふやけてしまっているので弦を押さえる方と弾くのと両方とも痛いのなんの。皆もそうらしい、マイッタ。
 「皆さんお上手ですねー。」
 ここで、オレの悪いクセが出た。
 「いやなに、昔はプロで鳴らしたもんさ。オレ達はフジヤマ・マウンテン・ボーイズって言うんだ。」
 「へー、知らなかった。プロだったんですか。」
 ふと気がつくと、他の奴等の視線が痛かった。
 そして、しばらくヨタ話をしているうちに、オレの嘘っぱちが止まらなくなり、学生達は純情なのかバカなのか益々それを信じ込み、オレの山荘に遊びに来ることになり楽器ごと車に8人も乗り込み、ガサガサと移動した。
 着いたら着いたで、驚いた顔の学生を尻目に早速雀卓を囲みだした。ところで、昨日の段階で手持ちの現金がオケラになったオレは一度終了を宣言したのだが、彼等はそれを許さずツケを主張した。
 学生の目が点になっていた。しかしこの時点からおれは勝ち出したのだ。もうどうでもよいが。
 そしてそこへ、講義の終わったヤマトヨシコが帰ってきた。もはや『訊ねてきた』という表現は当たらないだろう。皆も『おー、早かったな。』『メシ、メシ。』とか言っている。同級生の娘の扱いではない。更に学生達の反応は以外なものだった。
 「大和先輩!どうしたんですか?」「お知り合いですか?」
 「君達こそなにしてるの。ここはあたしのシマよ。」
 オレのウチなんだけど。聞くところでは、彼女が師事している大学院の先生の学部ゼミ生のようだ。すなわち彼女が姉貴分らしい。呆気にとられた学生を尻目に『2抜けでしょー。』と麻雀にも加わりポン・チーやり出す。
 この日またもやオレは続け、自由を奪われ続けた。
 

 今何曜日なのか分らない。部屋はきれいに片付いている。
 「クソッ。」
思わず呟いた。一体何なんだ。やっとの思いでメールチェックをした。バカジジイどもからほぼ同じ内容のメール。読んでみると、とんでもないことがわかった。学生達がやる、チャリテイーのミニ・コンサートのゲストに既に在りもしないフジヤマ・マウンテン・ボーイズが出ることになっていて、いくらなんでも少し練習でもしよう、と勝手な日程がそれぞれ書いてあり、レパートリーに入れたい曲がこれまた勝手に列挙してあり、最後にこう締めくくられていた。
 『お前は暇で自由でいいなあ。調整をたのむ。』
ヤマトヨシコは、
 『とっても楽しかったです。皆さんとの話を母にしたら、懐かしがって、次ぎの麻雀デスマッチは筑波のうちに来て欲しいそうです。自分もやりたいみたい。ご隠居一番自由なんで日程のこと、幹事お願いします。』
 オレは頭に来た。ある、強い怒りとも何ともいいようのない言葉が胸に湧いてきた。それは半世紀前にあいつ等と会ったころオレに芽生えた言葉だった。そうだハッキリ思い出した。あいつ等と会ってオレは自我に目覚め、こう呟いたことがあったのだ。
「こうなったら、もうグレてやる!」

ーおしまいー

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅰ)

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅱ)


 

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2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅱ)

2015 JAN 16 20:20:21 pm by 西 牟呂雄

 このあたりは、梅雨時は実にきれいだ。セーターを着込む程肌寒くなる。特に朝方、川霧がもやっているところなんかは、思わず一杯やりたくなるくらい幻想的だ。
 メールチェックをすると、朝の早い木更津の物理屋から、メールがあった。
『いよう、ご隠居。久しぶりに会おうといっても、皆寄る年波で腰が重い。こっちに来ないか?』
とあった。それもいいな、と仲間に転送した。
 2日ほど、スッタモンダしたが、結局次の木曜日に行くことになった。木曜はゴルフの日だが、先日前代未聞のスコアが出てしまってくさっていたので別に惜しくない。例によって、黄昏プレイと称して午後2時頃に行くと、その日1.5ラウンド目という主婦3人組みと回らされた。この人達がうまいのなんの。そして、年は40台だろうがオレのことをオジイサン等と呼ぶのだ。すっかり調子が狂ってショット・パット全てダメだった。聞けば東京から来たそうだ。子供がいいかげん大きくなると、自分より年上はみんなオジイサンかね。
 さて、木曜になって、翌日金曜の仕事、洗濯と畑仕事(キュウリ、トマト、枝豆)をチョイチョイとや
って、それじゃ一人旅とばかりに車を出そうとしたら、
 「ごめんくださーい。又来ましたー。」
の明るい声。なにい!またあの娘か。
 「いい天気だから、チョット寄ったんですけど。」
 「えっと、スマン。実は今出かけるところなんだよ。」
 「あら残念です。お昼作ろうと思ったんですけど。」
 「いやー、そいつは残念だったな。又今度頼むよ。」
 「どこまで行くんですか?」
 「うん。ちょっと千葉まで。」
 「わあー、いいなー。あたしもサボッて一緒に行きたい!いいですかー?今日は講義じゃないんですよ。」
 「はあー。・・・・。」
 結局一緒にドライブになってしまった。目的地まで、首都圏の渋滞も含め3時間のロングトリップ
だ。そして、ここがバカバカしさの極みだが、その道中の殆どを、ヤマトヨシコは後部座席に転がって寝ていたのだった。
 
 暖かな潮風が吹いている。良く晴れてアクアラインからの東京湾が眩しい。山から下りて来た身にはもう充分夏が感じられる。
 奴、木更津の物理屋こと出井の住むトレーラー・ハウスの前に着いた。
 家は横浜だが、ここの分譲地にそんなものをドデーンと置いて、一人暮らしをしている。周りは洒落た造りの家が点在し、近所はさぞ迷惑だろうと思うが独特の個性とやわらかな物腰で仲良くやっているそうだ。お祭りなんかには積極的に参加していると言っていた。ナニ、大概の人はあいつの殺気に気がついていないだけで、ここ一番の切羽詰った壊れ方はなかなか見破れるもんじゃない。現代の忍者とでも言うべきだろう。
 フト気がつくと、芝生のチェアーには、先に着いたのか、蒲田の英語屋、英が何かを読む手を休めてコッチを見ていた。
 「いよー。久しぶり。」
 例によって、笑っていないがどうも機嫌は良いらしい。喜怒哀楽が通常と逆なので困る。もう40年以上のつきあいだが、こいつが人から強く影響を受けたり何かに衝撃を受けたのを見たことがない。悪く言えば、頑固、偏屈、凝りすぎ、よく言えば・・・・わからない。現代の隠者か。
 「おう。もういたのか。物理屋は?」
 「居るよ。バーベキューの下こしらえしている。イベント屋は買出しにいって、アッ帰ってきた。」 
 振り返ると紙袋を両手に持ったイベント屋、椎野が歩いてきた。いつものレイバン・サングラスにヒゲの笑顔が近づいてくるところだ。今までにオレには想像もつかない、大事故、大借金、大病、それからどう言えばいいのか大女難、大博打を潜り抜け、辛くも生き延びたタフな野郎だ。どれが原因か知らないが、あまりの凄まじさにしばらく日本に居られなくなって上海・香港にトンヅラしていた。現代の大陸浪人というところか。狭い日本にゃ住み飽きた、という台詞が似合いそうだ。
 こいつらは何故かそれぞれ忙しくしている。オレだけが真面目にサラリーマンを勤め上げて引退した途端、誰よりも隠居になってしまったのは、一体どうしたことか。
 と、その時、後部座席で熟睡していたヤマトヨシコが起きたらしい。
 「起きた?着いたよ。」
車を降りて、軽く伸びをすると、若い女と一緒なのに気がついた二人がさすがに驚いた表情を浮かべた。出井もトレーラー・ハウスから出てきた。よし、『実はこれがオレの今の女だ。』とでもハッタリをかけてやろう。
 「紹介しとくぜ。オレの一番新しい彼女・・・・」
 「おう、これが氷川さんの娘さんか。」「なんだそっくりじゃないか。」「ホントだ。高校時代を思い出すなー。」
 「・・・・。」
 「初めまして。氷川智子の娘です。」

 目が覚めた。寝返りがうてず、息苦しくて目を開けると何と寝袋にくるまっているではないか。目を凝らすとテントの中だ。えーと、バーベキューをしてたんじゃなかったか?全く最近本当にボケが進行しているんじゃなかろうか。随分昔話で盛り上がったはずだが。
 それにしても、我ながら驚いたが、高校時代にオレは詩人を気取っていたのだった。忙しいサラリーマン暮らしですっかり忘れていたが、ある時期一人でいくつかのペン・ネームを使い分け、小説やら詩やら評論を手書きで書きチラシた雑誌を出していた。雑誌の名前まで思い出して、あまりの恥ずかしさにもだえ苦しんだまで、覚えている。その段階で気を失ったのだろう。
 みんなはどうしたのだろう。ヤマトヨシコは帰っただろうか。ゴソゴソ寝袋から這いだして外に出ると、曇り空の夜明け、今にも降りそうだった。 さてはオレをおいて帰ったな。物理屋も横浜にもどったか。だがこのテントと寝袋をどうすりゃいいいのか。しばらくタバコを吸っていた。きょうは金曜日のはずだが、畑はやってしまったから山に帰る必要もない。のんびりともう一つの隠れ家、油壺にでも行くか。オレは油壺にヨットを隠していて、夏はそこにも行っている。隠れ家といっても家族や仲間は承知の上であるが。
 「オーイ。起きたか?」
 「全く世話焼かせやがって。」
 「水掛けても起きねーんだから。」
 「おはようございまーす。」
 何だ、こいつら。結局みんな泊まったのか。そうか、わかったぞ。トレーラー・ハウスにスペースがないから、自分たちの寝場所を確保するためにオレを体よく外に追っ払ったんだな。奴等が親切にオレをテントに寝かしてくれたのか、などと思いそうになった自分がバカだった。オレをほったらかして、近所のクアに朝風呂を使いに行ったのだそうだ。
 雨が降りそうだったので、早々にメシを食べた。昨日のバーベキューの残りに物理屋がサッと炒めたチャーハンを皆で食べて帰り支度を始めたが、オレはこのまま山には帰らないことにした。
 「おいご隠居、車乗せてくれ。」
 「ああ、特に急ぐわけじゃないから、オレは海に行く。」
 「ここも海は近いが?」
 「うん。でも海岸じゃなくて入江だな。油壺の隠れ家に行く。」
 「オッ、それもいいな。」
まず反応したのは英語屋だった。そして以外なことに、ヤマトヨシコも
 「あー、アタシも行きます。」
 「おい、学校はどうするんだ。」
 「あたしは週2回だし、問題ないです。」
 「いや、あの家の方に言わなくていいの。」
 「やだなー、もう説明するの3回目ですよ。親は筑波にいてあたしは一人で住んでるんです。」
 「昨日も何回も聞いてたぞ。このアル中め。」
 「じゃあ僕も行く。ここのハウスなんか鍵1個で戸締りOKだし。」
ぶっ物理屋まで。結局イベント屋も乗ってしまい全員そのまま移動することになった。
 そして、車はワン・ボックスだから5人でゆったりだが、イベント屋は隣に座ってアクアラインのトンネル以外ズーッと携帯を握り締め、『あの件はどうなった?』とか『それじゃ見積もりにならん』とか時には『冗談じゃねえ』のような迫力も交えてシゴトしっぱなし。英語屋は昨日から持っていた何やらの原書を読みながら、ノートパソコンンにカタカタと原稿を書いていて、少し静かだと思うと目を閉じていた。そしてヤマトヨシコは最後列にいて、来た時同様出発してすぐに寝てつく頃は横になっていた。物理屋はやはりネット関連を熱心に。オレは運転手か!

 ハーバーは雨に降り込められ、人もまばらな梅雨時。何故ヨットもセーリングさせずにもいるのかというと、麻雀をしていたからだ。最初から間違っていた。
 しばらくはしっとりと煙る港をみながら、船のキャビンで話をしていたが、備品に雀牌があるのをヤマトヨシコがみつけて言った。
 「あらー、こんなところに雀牌がある。懐かしいなー。ウチはよく家族麻雀やったんですよ。」
 我々は顔を見合わせた。今から半世紀近く前のはるか昔の都内のある高校で、日々雀荘でとぐろをまいて麻雀白虎隊を名乗っていたのは他ならぬオレ達なのだ。イベント屋は局長英語屋は副長、物理屋は参謀、そしてオレは監察として一部に(某高校内に)その名を轟かせたものだった。異存のあるはずもない、2抜けのデス・マッチが開始された。
 ところが最近は麻雀なんか何年もやっていないので、みんなカンが鈍っていた。どういう訳かどいつもこいつもヤマトヨシコに振り込むのだ。
 彼女がトップを走り続けているあいだ、オレは3-4位を低迷し、バカどもは2抜けのたびにカップ
ラーメンを買出したりビールを注いだりしていた。しまいに頭に来たオレはビールを買い置きのウイスキィに変えてガブ飲みし、最後の審判を聞いて失神したらしい。
 「キャーッ。ご隠居それ大三元当たりー!」
 そして次に目が覚めると、オレ以外はキャビンでそれぞれ勝手に携帯やらパソコンで仕事にいそしんでいるではないか。二日酔いで朦朧としている。どこにいるんだっけ、ああそうかハーバーだ。
 「アッ、やっと起きたな。」
 「いや、まだ眠い。」
 「だめだ。早くシャワーでも何でも浴びろ。時間がない。」
 すぐに又始まってしまった。もう午後じゃないか。一体何なんだ。何十年も前に似たようなことをした記憶はあるが、まさかこの年でこんなことをするとは・・・・。
 しばらくしてヤマトヨシコがいないのに気がついた。やっぱり帰ったのだろうな。
 と思っていたら、『ただいまー、です。もうトンボ帰りですよー。』の明るい声。見るとすっかりラフないでたちに着替えた彼女が、両手一杯の紙袋を下げてキャビンに入ってきた。皆、口々に『おかえり。』とか『ごくろーさん。』とか言ってる。
 「これで2日は大丈夫な分を仕込んで来ました。」
と言いながら、早速大きなフランス・パンに包丁を入れだした。
 「ふつかって何のこと。」
 オレは恐る恐る聞いた。オレがつぶれた後どうやら夜明けごろまで続いていた麻雀が一段落し、彼女は着替えと買出しに東京へ行き、皆は仮眠してオレが目覚めるのを待っていたようだった。
 やがて、『お待たせしました。』の声とともに、具をたっぷり載せたオシャレなパンが出され、ご丁寧にもオレには缶ビール付きで出された。

 その状態がズーッと続いた3日目の朝に、オレは一人で起きたのだ。皆寝静まっているが、今日は何曜日なんだろう。ああ、日曜だ。土曜の勉強と日曜の買出しがパーじゃないか。
 他の奴等はオレが寝てしまった時や自分の2抜けの時に勝手それぞれに過ごし事が足りているようなのだ。この通信の発達は、何もこんな連中のボヘミアン生活のために進歩した訳でもないだろうに。そして隠居のオレが自分の立てたスケジュールがこなせないで悶えるとは、少しおかしいんじゃないのか。
 そうこうしていると、誰かが目を覚ましたらしく、キャビンから声がする。オレは一人で自問した。
 自由とは何か、引退とは何だったのか。

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅰ)

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅲ)

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2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅰ)

2015 JAN 15 20:20:10 pm by 西 牟呂雄

 Y県T市は渓谷と清流が売りであるものの、さして観光資源がある訳でもない。深く浸食されたK川の崖の上の山荘は川風が冷たく、遅咲きの桜がチラチラした後も冬支度のままだった。
 メールチェックをすませ又ろくなニュースが配信されていないのを確認した後、今日は掃除の予定だったことをカレンダーで見て遅い朝食をとった。
 この山荘はオレから2代前のじいさんが往事羽振りが良かった時に、普請道楽と暇に任せて立てた凝った造りのウチだ。
 オレはB・B(仮名)通称は『山のご隠居』。長年勤めた会社を2年程前に退職してしまい目下のところプータローではある。東京は下町の生まれだが(現在還暦)一足早いスロー・ライフに対応するため、普段はこの山荘で暮らす。典型的な1週間の予定はこうだ。
 月曜、家の掃除及び庭手入れ。夜、酒抜き。 火曜、身辺整理(振込み、引き落とし等)夜、日本酒。水曜、二日酔いのリハビリ。夜、ビール。 木曜、ゴルフ(午後のハーフのみ)。夜、ウイスキイ。 金曜、洗濯。畑仕事(キュウリ、トマト、枝豆)。夜、焼酎。 土曜、勉強(漢字書き取り、物理、英語ボケ防止)。夜、酒抜き。 日曜、買出し(車)後、昼前から1週間の残った酒をみんなやる。
 暇といえばヒマだが、やっていると結構忙しい。夏は海に船遊びにいくし、冬は今でも現役スノー・ボーダーだからジットしてここにいるわけでもない。各種会合で月に2-3回は東京に出ているのでしばしば予定も狂う。不思議なもので、この程度の予定がこなせないと頭に来て翌日ガンバルから腹が立つ。ところで今日は、そういうわけでまず掃除だ。
 「ごめんくださーい。」
 わりと明るい女性の声がした。一体なんだ。このごろ変な勧誘が来ることがあるが、又それか。玄関に出てみると二十歳くらいの若い、それもとびきりの美少女、と言うか美人が立っていた。
 「はい、なんでしょう。」
 「あのー、初めまして。B・B(本名を言った)さんですか?」
 「はあー。なんでしょう?」
 「わたしはヤマトヨシコと申します。」
 「はあー。」
 「あのー、氷川智子(ヒカワサトコ)を覚えていらっしゃいますか?」
 「エッと、誰ですかね。」
 「B・BさんとE高校で同期と聞いてますが。」
 「あー。はい、わたしはE高出身ですが。なにしろ1学年300人だからねえ。」
 「実は、母はここのT文化大学の研究室にいたことがあって、私もこの街にいたんです。」
 「えーと、マッまあお茶でも入れるから上がんなさい。何もないけど。」
 かいつまんで聞いたところによると、その『ヒカワサトコ』なる人は結婚して『ヤマトサトコ』になり、出産後しばらくここの地元のT文化大学で研究をしており、今目の前にいる『ヤマトヨシコ』が小学校就学前まで住んでいた。その後一家は引越し現在は筑波住まい、まあ学者一家なんだろう。そして『ヤマトヨシコ』は親の後を継いだわけでもないのだろうが、T文化大学の大学院に籍をおいて週に2日程やってくるそうだ。そして、偶然オレの現住所に気がついた母親が教えたらしい。
 ヤマトヨシコはかいつまんで以上の説明をしながら、オレがやりかけていた掃除機やダスキン・マットに目を留めた。
 「あのー、お掃除してたんですか?」
 「そうだよ。」
 「あら、じゃお手伝いしますよ。」 
 というが早いか、長い髪をパパッと留めて掃除機をかけだした。何じゃこれは。オレはあっけにとられたがしょうがなくてダスキン・マットを持ってそこらを拭いた。本当は風呂に入ろうと思ったのだが。
 「ああ、そこはそんな拭き方じゃだめです。ここの掃除機をかけていて下さい。ちょっと貸していただけますか?」
それからオレは掃除機を掛け続けたのだが彼女は吹き掃除をした後台所に移動して水周りをやっている。しばらくしてなんだか不安になったオレは声を掛けた。
 「お嬢さん、お嬢さん。」
 「こっちはすぐ済みますから。」
 「はい。でも、あの、学校の方・・・・。」
 「キャーッ、こんな長居しちゃった。すみません途中で。あの、大学までは・・・」
 「歩いて30分くらいだな。」
 結局オレが車で送っていった。こりゃ一体何なんだ?ヒカワサトコは良く覚えてないし、そもそも住所を聞いただけで訊ねてくるのもいい度胸だ。ところがこれだけでは済まなかった。
 夕方、オレがメシを食おうと野菜を切って、どれ一息とばかりに風呂に漬かった。ここの風呂は西日が見事に入る造りになっていて、こんなところにもジイさんの凝った趣向がこらされている。
 窓を一杯に開けて、ぼんやりしていると、カタカタと足音がして、「ごめんくださーい。」という明るい声がした。と思ったとたん、朝方の笑顔が、目の前に飛び出した。
 「あらー、お風呂ですかー。いいなー。」
 「アッ、そっそうか。」
 「今、授業が終わって又おじゃましよーかと。」
 「ほう。オレこれからメシだけど。」
 「じゃっアタシ作ります。」
 「ナニ?そりゃーまあ助かるんだが、あのー、ウチに入っててくれないか。おれ出らんないよ。」
 「アハハー。そうですねー。」
 何か妙だなと思わないでもなかったが、急いで風呂から上がり普段はすぐパジャマになるところを、まあGパンをはいて出て行った。すると、えーと、ヤマトヨシコは楽しそうに鍋の下拵えを造っていた。何か高倉健の映画で娘役のヒロスエがやっていたシーンに似てる、と思った。
 「あのー、オレはビール飲むんだけど。」
 「アッはいはい。えーと。」
 といいながら冷蔵庫から手際よくビールを出して、グラスもどうしてどこにあるのか分るのか知らないがパッという感じで2つ並べた。
 「はーい、どうぞ。乾杯ですね。」
 しまった。今日は飲まない日程だったんだが。
 食事をしながらヤマトヨシコは母親から聞いたE高の同級生の名前を何人か出して、どんな昔話をしていたかを喋った。驚いたことに、誰一人知ってる名前がなかった。焦ったオレは、逆に今でも付き合いのある、名前を3人出してみたが、これは向こうが聞いたことがないそうだ。本当に同じE高なのか、同じ学年なのか不安になる。
 ヤマトヨシコは結構酒に強く、オレと同じペースでビールを飲んでいる。中途で冷酒に変えたがこれも平気で付き合う、オレは酔っ払ってしまった。
 でもって目が覚めると、オレはふとんで安らかに寝てしまったようで、テーブルの上はきれいさっぱり片付いている。もう朝じゃないか。きのうはナントカいう女の子と散々喋っていたような気がするが、ハテ誰だっけ。E高校の・・・・。
 オレはパソコンに向かいメールを開いた。オレの引退後は会ってなかったが連絡は取れる仲間、木更津の物理屋、蒲田の英語屋、大井のイベント屋にメールしてみた。彼等は別に勤め人でも何でもなく好き勝手にやっているので、そもそも引退の概念がない。先生・社長などと呼ばれるハッキリ言って胡散臭い人々ではある。従って今でも忙しく、またある時はオレ以上にヒマな暮らしをしている。
『えー、お久しぶりですが。昨日突然ヤマトヨシコ、なる美人がオレを訊ねてきて、母親がE高校でワシ等の同期生だそうなんだが、お前ら知ってる?ヒカワサトコさんが母親だそうです。聞くところによると、そのヒカワサトコさんはワシに恋をしていたそうで、いまだにワシを思い出しては泣いて懐かしんでいるそうです。』と嘘っぱちを書いて送った。
 さて今日は諸手続きの日なので、通帳を持って市役所と郵便局に出かけた。しかしオレは完全に自由になったはずなのだが、自分でアホなルールを作っては、かえってそれに縛られることになって、昨日のように予定外の酒を飲むと、思わずしまったとなる。すると、オレは完全な自由になるのが怖いのか、と自問しては苦笑せざるを得ない。
 帰ってみると、早速奴らから返信が来ていた。『その人は私と同じクラスだったが、お前に恋をしたなんて嘘にしてもシャレにならない。ところで元気なのか?久しぶりに一杯やるか。』これは、木更津の物理屋こと出井から。こいつは木更津にトレーラー・ハウスを持っていてそこで暮らしている変人。ウルトラ級の方向音痴だ。『忙しいんだバカヤロウ。氷川は中学で一緒だった。良く知ってる。』こいつは大井のイベント屋、椎野。社長と言っているがハッキリ言って悪人。『その人はお前があこがれて手紙を出そうとしたのをオレがやめさせたじゃないか、バカ。』ナニ!英(ハナブサ)通称、蒲田の英語屋。偏屈なる奇人でそれはどうでもよいが、てがみ、だと!だけどこいつは滅多なことではウソなんかつかない。オレは慌てた。卒業アルバムは東京の自宅に置いてある。こりゃ急げだ。車を飛ばして東京に向かった。また大幅に予定が狂った。

 いた!氷川智子さんだ。いや娘はあんまり似ていないのはオヤジ似か。わかったぞ。
 オレは翌日改めて奴等にメールした。
『いや忘れてた。確かにこの人にあこがれていたが、ワシャ忘れてた。娘も美人だぜ。今度紹介してやる。』と強がったのはいいが、連絡先も何も聞いてないし、まあ当分訊ねても来ないだろう。
 東京は桜が満開だった。そのままブラブラして3日程してから山に戻った。
 車を停めようとした時、ウチの木戸が開いているのに気がついた。しまった、慌てて閉めるのを忘れていたのか。最近ボケが来たのか、こういうことがしょっちゅう起こって困る。
 入っていくと、アレ、人の気配がする。
 庭に廻って『アッ。』と驚いた。氷川じゃなかった、えーとっヤマトヨシコだ。彼女は何と毛氈を芝生の上に敷いてお弁当を食べているのだ。
 「オイオイ。何してるんだ。」
 「あらー。あんまりいいお天気だったからお弁当こしらえたんですー。一緒にいかがですかー。」
 「うん。まあ、昼時ではあるな。」
 「ほら、鍵鍵!お茶ですか?それともビールかしら。」
 「ええと、ア、アノッ、ビール下さい。」
 まずい、今日は洗濯じゃなかったか。と思う間もなく彼女はテキパキと鍵をあけて家に上がり冷蔵庫からビールを出してハイドウゾ、とグラスまで持ってきてくれた。が、ここはオレのウチじゃなかったっけ。
 翌日、正確には夜中の3時に目が覚めた。夕方まで一緒に花見をしてあの娘は授業に行った。一体全体これは夢じゃなかろうか。それとも本当はボケが進行しているのか?

つづく

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅱ)

2015 サンフランシスコ・ベイ・ブルースが聞こえる(還暦編 Ⅲ)


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潮目が変わったーヨーロッパがテロと戦う日ー

2015 JAN 13 22:22:45 pm by 西 牟呂雄

 フランスでの恐ろしいテロ。そして利害の対立しがちな40以上の各国首脳が先頭に立っての大デモ。フランスの並々ならぬ姿勢。ヨーロッパが、ロシアが、イスラエルが、パレスチナが、そしてシーア派までもがいくら何でもあれはやりすぎで治安を立て直さないと平和は維持できないと感じたはずだ。
 監視下にあったせいか音声が残された。イエメンと口走った、アルカイダとも。要するに9.11のショックが繰り返されたのだ。ただごとではない。

 2015年の僕の見立て『ドイツが孤立しEUが瓦解する』はこのテロで全く外れた。地続きのヨーロッパは言うに及ばずキリスト教国にテロをしかけたに等しい。
 読者は思い出さないか(生まれてない人は別、オジサン達)。1991年はかなり昔だが、筑波大学の五十嵐助教授がムスリムをおちょくった『悪魔の詩』を翻訳してキャンパス内で刺し殺され未解決。日本にも犠牲者はいるのだ。
 2007年のロンドンでの同時多発テロに英国は敢然と対峙し、執念で犯人を追い詰めて全員を挙げアングロサクソンの根性を見せた。
 アメリカは戦争まで仕掛けた。
 誇り高いフランスがこのままデモだけやって引き下がるはずはない。
 
 ところで今回4人のテロリストは単なる暴発だったのだろうか。イスラム国・アルカイダの指揮・命令はあったのか。ある組織的な意思決定が効いているのとないのとではまるで違う。インターネットの今は、何でも言ったもん勝ちで扇動効果も高い。日本からも行こうとした者がいたくらいなのだから。我が国もネット上の防諜を充実させなければ。これ、チョットした戦争並に金もかかるだろう。一言で言えば迷惑な話ではあるが。この場合の防諜って言論統制とは別の話ですからね、注意して見ておくこと。
 ともあれこれからフランスをはじめヨーロッパは徹底的に追い込むだろう。フランスのアラブ諜報はアフリカで結構強い。イスラム国の周辺はそれこそ武器商人が暗躍するようなエリアになりはしないか。
 十字軍じゃあるまいし、大ぴらな宗教対立や植民地戦争をやらかすわけにも行くまい。地上軍投入はともかく、封じ込めは厳しいものになるだろう。中東のアフガン化である。時計は100年以上戻ってしまう。国同士の利害とは別に強くまとまって当たるだろう。マッ見立てはもろくも外れましたけど。

 そして圧力が加わると・・・。この恐ろしさは、地球儀でここを中心に見ればすぐ分かる。アフガンや過激派のいるパキスタンと新彊ウィグル自治区は国境を接しているのだ。フランスの事件ほど報道されないが、先週末にも5~6人が亡くなる騒ぎが起きた。あまり想像したくないが、追い込まれた過激派なイスラム国なりがこのルートで国境をこえると・・・。

 アメリカ・オバマ大統領の動きはピリッとしない。まぁピリッと戦争しに行けという訳ではないが、もっと強い声明を出した方が良くはないか。安部総理も『日本も訴える。ジュ・スィ・シャリル。』とか。
 本日は未だユーロが下がってはいない。

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