Sonar Members Club No.36

月別: 2015年8月

ネットがもたらした事

2015 AUG 31 0:00:32 am by 西 牟呂雄

 それこそ20年前くらいからか。『失われた』と言われた間にネットは我々の生活に深く浸透した。それまでの職場はベテランも新人も電話にかじりついて怒鳴り合っていたり、罫紙に定規を当てて線を引いて資料を書いていたり、遥かに騒々しいものだった。又、経費節減のために通話料金が表示される受話器が導入されているところもあった。
 それが世界規模で通信費は限りなくタダになるメールのやりとりはおろか、スカイプで顔を見ながらの会議さえほぼゼロ・コストで毎日でもやれる。
 挙句の果てにこのブログのように、出版でもすれば大変な金と手間がかかりそうな(従って世に出すことが不可能な)どうでもいい文章が人目に触れることも可能になった。
 便利と言えば便利であり、お手軽といえばお手軽。
 聞けば大変な出版不況ということだが、それはネットでお手軽活字が世の中に溢れかえり、金を払ってまでそういったモノを手にしなくなったからではないか。一方で質の高いベスト・セラーはちゃんと売れている。
 しかしそれで、かつてであれば金と手間この部分を担っていた人の仕事が雲散霧消してしまったのではないか。

 山本夏彦氏が既に述べている。便利になって失うものは多いが人は絶対に前には戻れない、と。

 グローバル・スタンダード(好む所ではないが)も規制緩和もどんどん進むだろうが、多くの業務が失われていくだろう。行きつくところは好むと好まざるとに関わらず二極化が進む、当然ながら。
 中途半端は更に分が悪い。ITも取り入れた、海外展開も力を入れた、と一生懸命やってみるが、一般的に中堅企業は苦しい。運営するのに腰が引けてチェックしようと会議ばかりやることになる。尚且つ一人が暴走してしまうと致命的なダメージを負うことになるから、いきおい慎重にもならざるを得ない。更に、各種システムが運用可能になった時点では多くの人が余るのだが、大企業ならいざ知らず家族経営的な中堅所では思い切った人減らしを躊躇してしまう。

 世に『格差問題』が言われ出して久しい。恐ろしいことに広がる一方との報告も散見される。ネットの使い方も競争優位のツールとして使う側と、短い捨て台詞や娯楽の対照としてしか使わない層に分化しているのかも知れない。そして生活・仕事全般に至るまで、ネットのおかげで前者は一層密度濃く時間を使い、後者はよりスカスカな時間を過ごす。

 話が戻って、冒頭の『手間』の掛かる部分を担ったゾーンはそれでは失業したりニート・引き篭もりになったのだろうか。そういった統計を寡聞にして知らない。まさか全部がそうなったとも思えないのでやはり社会のある部分を支えているのだろう。
 そう言えばメールが『電子メール』等と言われていた頃、こういう物が普及したら会議などは無くなるかも知れないと思ったが、一向に無くならなかった。方針を上から下へと伝えるにも未だにそれなりのナントカ会議の体裁を取らないと組織は統括できない。
 労働人口が減るのだから『余計な手間』を省けるだけ減らすのは大変結構。だが今まで述べてきたように生産性の格差は縮まらない。
 

 ところで最近アグリカルチャー・デヴューしてから気が付いたのだが、農作物を小規模に育てることは実に精神衛生上好ましく、一方でオタク・ニート向きの作業かもしれない。大規模ともなれば機械化・企業化が必要かもしれないが、担い手が元々そういう管理形態に向いてない人々だから、あくまで個人的にやらせる。
 ちょっとだけ作業して有り余る時間をネットの娯楽に当てればメデタシメデタシとならないか。

 もっと別の話に展開したかったが、道草を食っているうちに下らないなオチになってしまった。

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爆買いの行方

2015 AUG 29 0:00:26 am by 西 牟呂雄

 銀座を昼間歩いて、今更ながら中国観光客の多さに感心した。
 地元のドラッグ・ストアにも『免税コーナー』ができて、いつも日用品をガッサリ買い込んでいる列に中国人が並んでいる。比率は圧倒的に大陸だが、どうやら台湾・タイといったところの人達もいるようだ。
 イン・バウンド効果大いに結構。これにはアベノミクスの円安誘導も一定の役割を果たしているだろう。

 一方で、その買い物客達の行儀の悪さも報道にある通り(九州に居たとき湯布院に新婚旅行に来ていた韓国人カップルは慎ましやかだったな)。しかし爆買いにはかすかに既視感がある。

 30年以上前のイタリアはフィレンツェのグッチ本店。バスで乗り付けた日本人のオバチャンの買いっぷりも凄かった。こちらも同じ観光客なのだが、一人でノコノコ見ているとダーッと日本語が聞こえてきて『ちょっとこれハウマッチー!』といった喧騒に囲まれ逃げ出した。「クオント・コスタ」くらい覚えて買い物に来やがれ、と思った。バブルの前のことだ。
 バブル時にハワイや香港ではもっと凄い光景があったことだろう。
 もっと昔、JALパックが人気があった頃。日本人団体旅行のマナーが問題だったのではないか。〇春ツアーがヨーロッパ某国や東南アジアで失笑を買ったことはなかったか。

 繊維だ鉄鋼だ半導体だとアメリカさんが散々ゴネた頃は『日本異質論』がバラ撒かれ、休日をやたらと増やされた。バブルの弾けにもガイアツの影を感じた。
 だが今に見ていろよ、と思った日本人の息の根を止める事などできはしない。このあたりでむしろ日本人の良質な部分が覚醒したと考えている。そうか、郷に入っては郷に従え、この前の戦争の時もコッチの言い分だけじゃ通らなかったじゃないか。マナーは合わせてちゃんとやりますよ。そこからが日本人の勝負所だ、と。
 まぁそう覚醒して20年以上経つわけだ。
 このあたりの感覚は爆買いの主人公達にはおそらく全く分からないだろう。何しろアノ連中は自国が世界なんだから。むしろ『日本よ、もっとチャイナ化しろ』と言って来る方が心配だ。

 昨今中国の株の下げっぷりが凄い。人民元を切り下げても、だ。おかげで世界同時株安が地球を2周した(8月21~25日)。円は上がった。天津の爆発もその影響の全貌は見えない。人民元切り下げという超非常事態をせざるを得なかったところに2015年からの憂鬱で予言したような不穏な雰囲気が漂う。

 しかしどうであろう、大陸からの爆買いに来日する人数は減りこそすれこのトレンドは続くのではないか(円が120/$の水準である限り)。それに消費される金額の何万倍もの不正蓄財が海外に移された後でもあるし。
 中国の実体経済は7%成長と言い出した頃からせいぜい3~5%が実態だろうと噂されていた。
 彼・彼女等がやたらと買い求めているのは日用品や家電量販店、免税の化粧品店が多いと聞く。彼らが使うのはもっぱらLCCだろうから富裕層と言わなくとも十分来日できるのでは。自国ではニセモノだらけだということをもう知ってしまったのだ。そもそもあの爆買いグループが全て株に投資している訳でもあるまい。
 この際、上海あたりから近い九州の空港内に、例えば佐賀・大分・北九州・宮崎あたりで一大爆買いランドのような温泉付きショッピング・モールでも作って、入国しないで買い物とスパ・リゾートを組み合わせてしまえばお金をジャカスカ落としてくれないだろうか。
 特に北九州は人工の海上空港なので密入国の管理なんかもし易いし、意外とコストは安いだろう。他に海上なのは神戸・関空・中部国際に長崎か。
 現代の『出島』にしてしまえば輸出に係る輸送コストもゼロで済むし、むしろ採算に苦しむ地方空港などは乗ってこないか、どうであろう。対馬に行って韓国人観光客の多さに仰天したことがあった。彼・彼女等はフェリーで来ていたが大して観光する訳でもなくウジャウジャ固まっていただけだった。

 プチ・富裕層が根絶やしになる前に『バクガイ』をブランド化してLCCとコラボし、北九州空港あたりを『KBL(キュウシュウ・バクガイ・ランド)』にする構想を誰か計画しませんか。

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せせら笑うポルシェ

2015 AUG 26 18:18:53 pm by 西 牟呂雄

 すいている中央高速の上りを好い調子で飛ばしていた、無論十分な車間距離を取って。
 バック・ミラーの遠くに一台の速い車が追いついてくる。白いスポーツ・タイプに見えた。『何をムキになってんだ、あの野郎』と思う間もなくアッと言う間に近づいてピタリと後ろにつけられた。空冷水平対向6気筒のバケ物ポルシェ911だ。

悪魔のポルシェ

悪魔のポルシェ911

 前を空けてやってもいいが、ガラガラとは言え私の前にも車は続いていてしょうがないだろう。と、ちょっと考えたが、まあいいやと車線を譲る。するとスーッと隣に並んできた時にドライバーと目が合った。年恰好は同じくらいのオヤジがサングラスをしていて、白い歯を見せてニヤリとしたような。『ご苦労さん』とでも言われた気がして思わずムッとした。
 実は1964年にデヴューした時点では「ポルシェ901」という名称だったのだが、プジョーが真ん中に0の入った3桁数字をすべて商標登録していたので「911」と変えさせられたという因縁がある。そして現在の我が愛車はプジョー407。
 とにかくやり過ごして後ろに捻じ込んだ。むこうも気配を感じたか、バック・ミラーでチラリと見た。
 しかし、先行している車が私の時とは違って次々と道を譲るのだ。あのケロヨンみたいな面に臆するのか。何しろアウト・バーンを我が物顔に走るBMWやベンツも250km/hのリミッターは義務付けられているが只一社例外とされている悪魔である。そう言えば昭和亜空間戦争で平将門に憑依されたと表現したかの白洲次郎が80歳まで乗り回したポルシェ911だ。悪魔的なのも頷ける。
 前がズーッと空いた頃合いを見たのか、ポルシェはグングンスピードを上げた。
 私はフランスの著名な人口学者エマニュエル・トッド氏の言説に大いに影響を受けている。氏はEUをドイツによる一極支配体制と喝破し、EUのユーロ体制の崩壊を予言している。特に現仏政権の独スリ寄りを批判する自称親米左派。

我がプジョー

我がプジョー407

 その気になって愛車をアウディからプジョーに変えた私としては、このまま置いていかれるのは我慢ができすに敵わぬまでも意地になってアクセルを踏んづけた。
 ちなみに以前のアウディに関してはワーゲン・BMW・アウディ・ベンツすべてハッチ・バック車の『ドイツ機甲師団』を編成する、と言い出したバカに譲った。

 私が精一杯アクセルを踏み込んで、多少車間が近づく。再度バックミラーでこちらを伺ったような気がした刹那、空冷エンジンのバリバリ音が上がりバック・ファイアを吐きながら物凄い勢いで加速した。コッチのメーターも〇〇〇kmを越えてコーナーはもうヤバい。向こうはまるでせせら笑っているようにいきなり400mくらい離されて追いかける気力を失った。悪魔め。
 こうなったらこっちはゾンビになって10年後にポルシェに乗ってやる(現在還暦)。

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車というオモチャ

8月15日終戦に因んでのある話

2015 AUG 24 22:22:46 pm by 西 牟呂雄

 今年は10年毎の総理大臣談話が出ました。いきなりこのブログに軽薄なことを書くのは趣旨が違うかとも考え、少し落ち着いた時期まで待っていました。
 私自身は靖国神社にも行き、安保法制改正に賛成で、安部総理を応援するプチ・ライトです。

 あんな戦争はやるべきでなく、これからも絶対にしない。これは反省します。
 負けてしまったのだからツベコベ言えないが、一回負けたくらいで卑屈になることはない。
 今後半島・大陸には絶対深入りしない。どうしてもと頼まれたら考える。北方領土は返して欲しい。

 といった認識です。
 ところが先日さる方の著作を読んで心の底から感動しました。
 その状況が凄い。
 8月15日に終戦の詔が出され、大陸の現地部隊はそのまま武装解除となるのですが、その際武装解除潔しとしないという強行派が台頭し異常な緊張状態になったのです。
 著者は,戦前の玄洋社の流れを引く宗教関係者で、投獄されたこともある人です。懲罰的に徴兵されて関東軍の万年二等兵にされました。その部隊が詔を聞いた後大隊長(大佐)以下思考停止になっていた時に『お前なら』と駆り出され、部隊に向かって武装解除の演説をした人物です。この、世間では無名の烈士の声にプチ右翼の私は心を打たれました。以下、私見をはさむことを恐れ全文を引用します。尚、出典については必要に応じて対応するつもりですので悪しからず。

「諸氏は今回の敗戦を建国以来の大恥辱として、失望と憤懣の情に耐えないであろうことは、私といえども同感であります。だが、勝敗は戦うものの常であり別に不思議はありません。だが、この戦争が敗北に終わることを予言した、大預言者が日本にいたのであります。今この預言者の名を私の口から申しませんが、その人は戦前不敬不逞の人物として当局より弾圧され獄中に投ぜられ、迫害されました。今回の大戦に日本の指導者は八紘一宇の大理想をかかげこの戦を聖戦と称し、国民に奮起をもとめました。だが世界の諸国はこの戦いを聖戦などとただ一人でも認めるはずはありません。まず中国に侵略し測りしれない不幸を中国人民に与えたのであります。強烈な中国の抵抗にあって戦線は長期化し、泥沼化して、如何ともしがたき状態に入ると、日本の指導者は百年戦争を覚悟して戦えと国民を激励したのであります。百年といえば孫子の代までも日中が戦わざるをえないのですが、国民はこれを信じて戦うでしょうか?国民の意思をを無視した戦争が勝利に終わるはずがありません。更に戦争は米英を相手に拡大し、日本の困難は一層加わったのであります。どんな困難に会おうとも日本は神国である天佑神助によって最後の勝利は我にあると豪語した指導者も、祖国日本に爆弾の雨が日夜降り注ぐに及んで一億聡玉砕を叫びだしたのであります。賢明なる諸氏よ。一億玉砕して日本列島に何が残るというのでしょうか?彼らが信ずる現人神天皇も日本国民も共に地上より消滅することではありませんか?もはやここに至っては八紘一宇も聖戦も夢のまた夢であります。一億玉砕といえばいかにも壮烈な言葉に聞こえますが、これは日本民族滅亡論なのであります。これをあくまで強行しようとしたのが日本の軍部を中心とした指導者であります。狂える一匹の狼は多くの羊を犠牲にしてあくことを知らざると同様に、狂える指導者に引きずられ地獄の果てまで行かんとした国民は、九分九厘のところで引き返したのであります。それが即ち日本降伏という最後の切札でありました。期待した神風は一度も訪れず、天皇の御稜威も今やその光を放たず、日本は歴史の審判に服さざるをえなかったのであります。顧みれば世界の歴史において稀世の英雄と称された幾人かの英雄が出現しました。古くはアレキサンダーといい、シーザーといい、ジンギスカンといい、ナポレオンといい、近くはカイゼルといい、ヒトラーといい、武力をもって世界統一を夢見た人々であります。だが、誰一人として成功しなかったではありませんか。しかるに日本の指導者は、歴史の事実に学ばずして天皇を擁して八紘一宇の旗を高らかに掲げて立てば、天下のこと手につばして成るべしと考えた。お粗末極まる人々でありました。そして失敗し、敗北し、今日を迎えたのであります。もし日本が世界を統一し、人類の指導国として仰がるる日ありとすれば、武力を放棄して道義を以て世界に冠たる栄光を輝かすその時であります。流血を以って得たものは流血を以って失うことは自然を貫く因果律であり、歴史の証明するところであります。なぜなら流血の恨みは深くして、一朝一夕に忘れ去ることはできないからであります。いつかは時を得て報復をせんと心中深く決しているからであります。現に今諸氏が持ってる兵器に執着しその提出を拒否している事実こそ、中国人の怨恨を恐れ報復を恐れているからではありませんか?もしその恐れなしといわば何を好んで敗軍の兵が兵器を必要としているのでありましょうか?日本が武器を放棄して平和の使徒として立ち上がろうとするとき・・・。これを怯懦の民として笑うものがありましょうか?どの国もこれを理想とし、これが実現せんことを願っているのでありますが、率先してこれを実行する勇気なきを悲しんでいるのであります。今回の敗戦は日本及び日本国民を、武力の迷信と悪魔の陣営より脱せしめ、平和の使徒として神の陣営に迎え入れんとする神慮にほかなりません。この神慮にそむくことあらんか、日本の不幸と悲惨は更に倍加し、再び立つ能わざる日を迎えるか、測り知れないのであります。むしろ我々は喜んで武器を放棄し神慮にこたえることこそ、日本民族の使命を自覚した英雄的行為であり、この行為に対し中国人民も双手を挙げて賛成し、我等を同文同種の兄弟として、祝福するであろうことを疑いません。今諸氏の立場は歴史的試練の絶頂に立っておりその右にするか左にするかによって運命は決せられ、栄光と恥辱に別れざるを得ないのであります。願わくば諸氏の決断に、あやまちなからんことを祈るとともに、諸氏が将来の日本の柱石として光栄ある生涯を送らんことを祈るものであります。」

 これ、敗戦直後の殺気立った武装部隊の前での言葉ですよ。その見識と度胸に脱帽せざるを得ません。切羽詰った時にこそ、こういう偉人が出ることが日本という国の国柄なのではないでしょうか。
 

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八丈島航海記 後編 

2015 AUG 22 23:23:01 pm by 西 牟呂雄

 

黄八丈織り

黄八丈織り

 今回の航海は台風の端境期にちょうど当たった。全く日頃の行いの賜物であろう。
 しかし天候は何があるかわからない。予備を一日取ってはいるが、万が一を考えて本日出発する。出際に民宿の前にあった民芸品のお店で素晴らしい黄八丈の織物コースターを買った。どうだろう、この鮮やかな黄色は。他にも欲しくなったネクタイがあったが、それは高くて手が出なかった。
 きのうのニュースで湘南にサメが30匹も出た、と聞いて多少怯えた。落水してサメの餌食は勘弁して欲しい。

15日午前9時50分
 視界良好の晴天にいざ出港。風はラッキーなことに南西の追い風だ。っと思って船出したところ、セールが風をはらんでいるにも関わらず船が走らない。対地速度がやはり2ノットの逆潮を食っている。暫くは仕方がない。

水平線上の御蔵島

水平線上の御蔵島

 幸い天気がいいので3時間も走ると御蔵島が見えて来た。往路では灯がうっすら見えるだけだったが島影が分かるだけでも少しは士気が上がる。目標が見えると方向を決め易くなって舵取りが簡単だからだ。
 ところが御蔵島が見えてもまだ逆潮が続く。おとといこれに十分苦しんだので帰りは押してもらえる、と話していたのにどうしたことか。
 パンにソーセージとタマネギ・ピクルスを挟んだだけの昼食を取る。
 波はさすがに外洋の大きなうねりは続く。
 御蔵島の島影に入り、波が小さくなって1回目の燃料補給。キャビンで少し休む。
 
午後6時三宅島
 次の三宅島あたりで日が暮れて来た。本日もまた夕日が海に落ちる所は見られず。一回目のワッチで8時頃から舵を握る。
 すると、三宅をかわしたあたりから潮に押されるようになった。どうやらこの2日で少し変わり、黒潮が御蔵島と三宅島の間を直進して島の南北に巻いたのではないだろうか。風は相変わらず南西の追い風だった。
 夕食は御飯を炊いてザーサイ・海苔の佃煮。
 そして暫くすると、往路では見ることができなかった神津島か新島の灯台が見えてきた。
 夜間に月も星も出ていない時に灯台のフラッシュが見えると、ホッとするやら元気が出るやら。

15日午前3時
 キャビンで横になっていたら突如慌しく人が降りてきてバラバラと甲板を叩く音がする。スコールだ。ワッチまで時間があったが、急ぎ合羽を羽織ってファーネスを装着し上がって行くと土砂降りだ。舵を取っているクルーは手が離せずにズブ濡れになっていた。いや参った。
 こうなると灯台もうっすら明るくなるくらいに視界は落ちるし島なんかとても視認できない。急遽ワッチ人数も増やして体制を立て直した。外洋レースのベテランは『もっと南でレースだったらこんな時は「ハイ、シャンプー用意」とか言って裸になるんだよね。』等と笑っていた。
 しかし台風でもないし、おそらく前線を抜けたのだろう、暫くすると雨は止み天空には星が見えてきた。満天の星に流れ星が良くみえる。流れ星は狭い都会の夜空ではなかなか見えないが360度の視界の利く海の上ではしょっちゅうなのだ。

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 いつの間にか波浮灯台、房総の灯台が瞬く。東京湾を行きかうフェリーや貨物船のライトが目につきだす。航海灯は右が緑左が赤、前後は船首の方が低くなっているので向け先の見当をつける。大型貨物船からみればこちらは米粒みたいなモンだから時々懐中電灯をセールに当てて相手にも注意喚起する。何しろ船舶航行量日本一の東京湾の入り口である。
 ワッチが終わる頃、東の空が明けてきた。どうやら随分千葉方面に寄ってしまった。
 北西に進路を取ると、観音崎・剣崎そして城ヶ島の灯台が見えてくる。遠くに江ノ島の灯台も瞬く。ようやく帰ってきた。

16日午前5時45分油壺入港
 まず、航海の安全を祝してビールでかんぱーい!お疲れ様でした。結構潮の押しが効いて帰りは20時間で着いた。
 ライフ・ジャケットやロープの潮抜き、食器洗い、甲板にブラシ、キャビンの雑巾がけ、感謝を込めてセッセとやる。その間にも冷えたビール・ビール・ビール。
 久しぶりにオーバーナイト・セーリングをやったのだが、まず(帰りのスコールは別として)天候に恵まれてよかった。全員ケガも体調不良(二日酔い除く)もなく、南の島と海を堪能した。

 ところで私はビールをやりすぎて、昼まで爆睡してしまった。

こうなったら後には引けない!次は小笠原か!
 

八丈島航海記 前編 

八丈島航海記 観光編 

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八丈島航海記 観光編 

2015 AUG 21 20:20:49 pm by 西 牟呂雄

 朝起きてみると涼しい。島はヤシの木やカシュガルが繁りハイビスカスの赤い花がいかにもトロピカルだが吹く風が涼しい。やはり東京の照り返しとは違うのだろうか、気温も猛暑日ではなかった。
 少しは観光しなければ、と島の奥の裏見ケ滝温泉と言うところまで行くことにした。ph02[1]

 水着着用の男女混浴という触れ込みだ。

 途中、丸い石を積み上げた石垣の家を見る。島内の大里地区には何万年かかったか分からないが波に打たれて角も取れた丸い石が採れてこれを積んだとか。玉石という。
 その玉石の運搬は島に流された流人が一つ一つ海岸から運び上げたらしい。そして石1個につき白米のオムスビ一つが報酬として与えられたという話だ。恐ろしく低い生産性だ。
 八丈島は有史以来人は居住していたが、食糧確保には常に苦労していた。観光案内には明記されていないが、口減らしに餓死するため年寄りが進んで篭って死んでいく姥捨て山のような洞窟もある。そういった所に流人を送り込むのだから、オリジナルの島民は迷惑だっただろうに。
 ご存知の通り八丈流人の第一号は宇喜多秀家でお墓もここにある。他に源為朝の来島伝説があり、八丈小島で自害したと言うがどうだろう。確かに為朝神社があり、また次男が建立したとされる宗福寺があり、そこの住職は源を名乗っているそうだ。
 流人は江戸期を通じて1800人程度で年で言えば7人くらいのペース。テレビでは大岡越前や遠山の金さんが毎週毎週『終生遠島申し付ける』とやっていたが、そんな人数ではない。おそらく最下層の労働力だったろうが、島の女性と暮らすことはできた。多くは江戸にいたころの職を営んだらしい。
 島民の食料事情を劇的に改善したのは薩摩芋である。痩せた土地でも良く育って多くの島民の飢えを救った。それで造ったのが昨日堪能した島酒『八重椿』。

覗き込むと滝壺が

覗き込むと滝壺が

 そんな話を聞きながら着いたのは『裏見ヶ滝温泉』
 密林の中を分け入っていくようなロケーションに秘境感が漂う。海で遊んだ若いサーファー達が来ていた。
 崖の途中にあるので湯船から下を覗き込むとインディー・ジョーンズ的な迫力のある風景。
 ぬる目のお湯にそれこそ1時間でも2時間でも入っていられそうだったが、もう一つ景勝地があるので先を急いだ。それはこの温泉の名前になっている裏見ヶ滝である。これ「恨み」じゃないですよ。
 以前、SMCメンバーの中島さんが九州の名所として紹介していたような、滝を裏側から見物できる場所で、温泉から細い山道を登ったところだ。その途中に玉石の参道があって前述の為朝神社もここにある(険しすぎて行けなかった)。

 滝はまるでジャングルの中の水晶のような美しさでたたずんでいた。思わずその滝壺に飛び込みたくなったが、環境を破壊してしまいそうで止めた。是非このままで取っておいて欲しい。裏側から見ると濃い緑の中のプリズムのようで少し寒さを感じる。

 さて八丈島にはヨット乗りには是非お参りしなければならない碑が立っている。
 1991年ジャパン・グアム ヨットレースに参加していたマリンマリンの慰霊碑だ。落水のあとトラブルが続いて最後にキール脱落で転覆し、全員遭難したのだ。同じレースでやはり転覆しライフラフトでの長期間漂流後たった一人生還者がいた「たか号」のことは大きなニュースとして取り上げられたのでご記憶の方もいることだろう。
 幸い来る時は荒天にもならずに無事に入港したので、帰りも、そしてこれからの色々な航海の安全を祈りお線香を立ててきた。
 
 安全第一で酒も控えますから我等に好天を

八丈島航海記 前編 

八丈島航海記 後編 

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八丈島航海記 前編 

2015 AUG 19 20:20:08 pm by 西 牟呂雄

 伊豆七島の南端八丈島、東京から280kmだ。大島みたいに「チョッと行ってくる」という感覚では行けないが、夏休みを取ってヨットで行くことを共同オーナー達と決めた。
 大体一昼夜の航海でオーバー・ナイト・セーリングは久しぶり、僕は張り切った。

出港前準備
 安全備品チェックや落下防止のネット張り等、汗だくになって作業。ふざけたノリだけでは命に関わる。準備は入念にやってやり過ぎはない。
 前の艇で使ったチャート(海図)をそのまま利用。
 ラダー(舵)がギコギコして動きが悪いから分解して中を掃除。
 エンジン・オイル、ギア・ボックス・オイル交換。
 オート・パイロット(自動運転)のテストで沖に出てみると、パイロットは作動するのだが微調整スイッチを入れるとそのまま押し続けになってしまう。これヤバいのでもう一度バラす。
 ファーネスという落下防止用のベルトを装着したまま甲板の移動ができるようにジャック・ラインというロープのようなものを張り巡らす。
 食糧買い出し。
 体調を整えるため、前日は酒を抜く。昼間二日酔いで熱中症になるだの夜間航海なんかで腹が痛いのとなっても、仮に最寄の港に寄港するにしてもすぐには着けないから大騒ぎになる。計画はメチャクチャになるし、他のメンバーの迷惑になるからだ。
 

12日油壺10時42分出港。
 総勢7人のクルーで女性2人。これから24時間は波の上だ。海は今のところ穏やかな表情をしている。普段からやっているように出港祝いと称してビールを開けるようなことはしない。
 大島を右に見ながら南下して行くがモヤってしまって島影は見えない。
 ところで、艇長はベテランのヨット通であり、一人は元大学ヨット部キャプテン、二人は外洋レース(グアム島レースとか)の腕利きクルーというメンバー。素人に毛が生えた程度の遊び半分なのは僕一人だ。
 そして長い航海になると実力の差はテキメンに現れる。ロープの複雑な扱い、ちょっと風が変わった時のセールの調整、等でモタモタしていると皆が不安そうになるのが分かる。夜間のオーバー・ナイト・セーリングはワッチ(WATCH)と言って必ず一人は他の船舶や障害物の監視、もう一人が舵を取る、というバディ体制にして入れ替えながら一人当たり2時間ワッチ3時間休憩のローテーションを組むことになる。すると僕のワッチの時には組んだ相手の負担が物凄く増えてしまうかもしれないからだ。
 一般的に技量が違う場合は『当然こう考えるだろう』というつもりで指示を出すとまるで逆に受け取られるというリスクがある。これは普段の仕事なんかでもよくあることで、双方注意が必要だ。また、別のところから正反対の指示が出たりすれば混乱して事故にならないとも限らない。指揮命令系統は常に確保しなければならない所以である。要は冷静な判断とチームワークという訳だ。
 初めに舵を取った時点で『当て舵(波の当たりに合わせて直線を維持しようと大きく舵を切る)』のやりすぎと指摘される。風は微風の東風なのでエンジンを掛けながらの汽帆走で7ノットを確保する。

午後3時
 なかなか見えなかった大島だったが次第に輪郭を現した。

霞んで見える大島

霞んで見える大島

 日が暮れて来る。これから暫くは島を視認できないからコンパスだけを頼りに航海する。ただ現在では通信技術の発達によりデジタルに位置の測定ができるので、アッと気が付いたらとんでもない所に来てしまったとはならないですむ。
 残念ながら本日は伊豆半島辺りが全部雲に覆われていて、ドンと落ちる夕日を見ることはできなかった。
 明るいうちに夕食を食べる。レトルトの牛丼とか中華丼をご飯を炊いてかけて簡単に食終わり。18時からワッチ体制に入り、まず艇長が舵を取ってぼくは見張り。19時から操舵した。このあたりから先日の逸れた台風のうねりが残っていて船が叩かれる。

午後20時
 ボウッと浮かび上がる感じで灯が見える。三宅島だ。
 どうにも曇天で視界が悪い。星は天頂あたりに瞬いているだけで、きょうは新月だから月はない。ペルセウス座流星群が見えるかと期待したが全くダメであった。
 今年は黒潮の蛇行が凄いという話で、八丈島にぶつかった後大きく北上しているらしい。事実三宅を越したあたりから対水速度メーターが7ノットを示しているのにGPSの対地速度は5ノット以下。2ノットの潮を食っていることになる。

八丈島 右に八丈小島が

八丈島 右に八丈小島が

 その後0時、4時とワッチの舵を取ったが思うように南下できなかった。風が強くなり19~20ノットの強風と外洋のウネリになる。波飛沫のシャワーを浴び始めたのでパーカーを着込みライフ・ジャケットを着けてファーネスを巻き付けるという重装備に。その間休憩時に横になってみたが結局暑くて眠れない。
 夜中のワッチ交代時に燃料の給油。これも備品一つ落っことす訳にいかない作業で、酷いときは危険な作業だが、今回は比較的楽だった。

13日6時八丈島目視
 明け方になっても曇っていてやはり日の出は見えない。遠くの方に雲の塊があって、暫くすると八丈富士の稜線が視認できた。大島も三宅もそうなんだが、この時期は島に当たった風が山頂にまで吹き上がって雲をつくる。これが島雲でまるで傘をかぶったようになる。
 島がようやく見えると突然潮の流れが変わり対地速度が上がりだした。巻潮と言って島に海流が当たって大きく向きを変えた時に流れの端っこが渦を巻く。その流れをとらえたようだ。

8時30分八丈島神湊港入港
 やれやれ、お疲れ様と入港して岸壁に船を舫う。ともかく安全にたどり着いた。22時間。
 岸壁に立つと弱冠の岡酔いでフラフラした。それにしてもお江戸の昔に流された罪人はどんな気持ちでこの島を見上げたことだろう。ホッとはしたのかこれからの暮らしに絶望感を抱いたか。

 この日は艇長のヨット仲間(八丈在住)のご厚意で、軽自動車を2台借りて民宿に泊まる。
 まずは山の中腹にある温泉に浸かりに行くこととした。高台にある『見晴らしの湯』でプールのような露天風呂で太平洋を一望の元に見ながら入る。うーん、太平洋も八丈島まで来て眺めると余計にだだっ広いような。

島寿司

島寿司

 そしてお楽しみの宴会。八丈島ではお寿司は『島寿司』焼酎は『島酒』。ハナからシマズシをガツガツ食べた。白身の魚を醤油ダレでヅケにして青唐辛子をチビッとかける。
 『島酒』の方は芋の八重椿という奴をこれまたガンガンやる。
 持込の日本酒も含めて、終いには何を飲んでいるのかよく分からないまま南の島の夜が更けて寝入ってしまった。あー疲れた。

八丈島航海記 観光編 

八丈島航海記 後編 

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あれ等はどこに行ったのだろう

2015 AUG 17 19:19:50 pm by 西 牟呂雄

 見る事もなくなって、古い写真で『あー、あんなものもあったな。』と感じるもの。それも今の視線で見るととても正視に耐えないようなものがその昔流行した。それらを幾つか上げると社会学的考察にはならないか、ならない。

ガングロ・ヤマンバyjimageCAD3G74S

 いや、本人達はお互いに止めるに止められなかったのではないだろうか。しかもここまでやってしまうと元の顔は想像もつかないから、似合うも似合わないもない。
 更にオジサンはいらんことも心配になる。このノリでその場の恋に墜ちてしまい、コトに及んだときにはこの化粧は落すのだろうか。
 昔、音楽プロデューサーの松任谷正隆氏は化粧の厚かったユーミンを口説き落とした時のことを『男たるもの180度も違ったスッピンに怯んではならない。』と雑誌のインタヴューに語っていた。ナンパしたアンチャン達もその根性はあったのか。
 ちなみにガングロとは『顔が黒い』の意味ではなく『ガンガン黒い』なのだと言われていたが本当?
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ルーズ・ソックス

 制服に揃いのレッグ・ウォーマーのようなダブダブの靴下を、ことさらユルく下げて履く。これは最初に履いた子と最初に紺のソックスに変えた子が一番偉い。
 実は当時来日した外国人に『なぜあのようなソックスが制服なのか。暑いだろう(その時は夏)。』と聞かれた。あのソックスは制服じゃないから『彼女達は膝から上を細かく決められているので、ソックスは数少ないおしゃれ(のつもりでpersonal fashionと言った)なんだ。』と説明したが全く通じなかった。何故全員同じにあんなヘンな格好をしたがるのか、と聞かれて答えられなかった。

バギー・パンツyjimageCAB42ZYV

 これは今でも着こなす人はいるが、大昔メチャクチャ流行した。写真ではこざっぱりした感じだが、大昔は困ったアイテムが必需品だった。男も女も高いのになると15cm位の靴を履き、引きずるように着ることになっていた。短足歌手で有名だった野口五郎や布施明がやる分には構わないが我々がやると歩きづらいの何の。
 大体そのために、それにしか役に立たない例えばロンドンブーツ(結構高い)を買うという行為は実に無駄であった。当時の格好を今の僕が見れば髪型といい気違いが歩いてるとしか思えなかっただろう。
 しかもこのバギーという代物、雨が降ったら大変なことになった。ただでさえ引きずっているのだからビチャビチャに濡れて汚れる。
 結局、ブーツとともにいつのまにか消えた。
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スケバン

 スケバン刑事とかあったが、現在こういうファッションを見かけることはなくなった。ヤンキー・ガールは減ってはいないだろうが、制服をこういう風に(上を詰めて長いスカート、ロンタイを引き摺る)極端なスタイルは絶滅したのか。目撃情報があったら教えて欲しい。
 そういえば、その格好が売りのナントカ言う芸人がいたようだったが。
 まさか竹刀や木刀は持ち歩いてはいなかったが、薄っぺらく潰したチョンバッグを持っていた。貫禄のある子は顔色も悪く見るからに家庭に問題があったように思えた。
 こういうのが学校帰りに固まっているのを見ると皆おんなじ格好なので、きっと学校で先生はスケバン・ルックだと知らなかったのじゃないだろうか。露出の多いミニ・スカートよりはマシだと勘違いしてたりして。

みんなどこへ行った

あれらはどこに行ったのだろう Ⅲ

あれらはどこに行ったのだろう CM編

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贋作 ジェット・ストリーム Ⅱ

2015 AUG 15 6:06:55 am by 西 牟呂雄

 =インストゥルメンタルの理由なき反抗が聞こえてくる=

 ユーラシアとはまたとてつもない大陸だ
 その一番はじっこの島国からやってきた東洋人
 そのユーラシアで、ヨーロッパとシベリアを分ける街
 外気はマイナス30度だと『きょうは暖かいね』だって

 ロシア人はなぜか一生懸命
 とても頑固で話が長い
 ウォッカばかり飲むかと思っていたら
 パートナーは珍しく下戸だった
 
 ホテルの中は半袖でいいくらい
 若いロシア娘はウィンクひとつ
 とうとう一日も晴れてくれなかったが
 車のラジオからローリング・ストーンズ

ローリング・ストーンズ

ローリング・ストーンズ

 今回はライヴを中心にローリング・ストーンズをお送りします。クリックしてお楽しみ下さい.タイム・イズ・オン・マイサイド

 クアラルンプールでタクシーを拾った
 運転手は巨漢の中華系
 言葉の全てに濁点が振ってあるような
 濁ったハスキーボイスだ

 日本人か いつまでいるのか トウキョウか
 どこか観光はしないのか もう帰るのか
 降り際に シンガポールに行くんだよ と告げたら
 オーケー、モゥ・マン・タイ と笑ってくれた

 日帰りのシャトルで戻り 車を待つ
 スーッと寄って来る運転手に見覚えがあった
 オー、サー! ジーユーアガイン 朝の彼だ
 あなたとは必ず又会う その時はオレを雇ってくれ だってさ

一人ぼっちの世界

一人ぼっちの世界

 クリックしてお楽しみ下さい
一人ぼっちの世界

アタッシュ・ケース一つでの出張は
着替えは一組 
これではとても 旅 とは言えない
思い出も何も 
残るのは議事録と注文書
(時にクレーム)
スカイプも十分使えて、出張もなくなるかな

旅をするのはそれからでも遅くない
いや、むしろ目的がなくなり
いい旅ができるかも知れない

ともあれ クニに帰ろう
ミッドナイト・フライト
久しぶりに見る 日本語の新聞

高度1万メートルから見る
新たな夜明けの光
まどろんだ後に気が付いた
後、6時間のフライトだ

ホンキー・トンク・ウィメン

ホンキー・トンク・ウィメン

 クリックしてお楽しみ下さいホンキー・トンク・ウィメン
  
=インストゥルメンタルの理由なき反抗が聞こえてくる=
 お相手はジェット・ニシムロでした。またお目にかかりましょう。

贋作 ジェット・ストリーム 


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贋作 ジェット・ストリーム 

2015 AUG 13 7:07:04 am by 西 牟呂雄

 =インストゥルメンタルのミスター・ロンリーが聞こえてくる=

 やれやれ、と携帯の電源を落す
 これから暫く吸えないな、とタバコをポケットに
 旅先での商談には一抹の不安もなくはないが
 今は多少開放された気になれるのがうれしい

 この夏の日本から、更に南へ飛ぶ
 原色の花、熱い風、
 深々とシートに座って
 まずは冷えたシャンパンを
 
 あっそういえば
 一つ引き継ぎを思い出したが
 今は高度一万メートルの空
 次のランディングまで持って行くとしよう

ラヴ・アンリミテッド

ラヴ・アンリミテッド

本日は魅惑のレディス・ソウル・コーラスです。

まずはラヴ・アンリミテッドの I belong to you クリックしてお楽しみ下さい。アイ・ビロング・トゥ・ユー

 灼熱の熱波も
 風はまとわりつかず消えていく
 カラカラに乾燥して
 ユーカリの木が自然発火する

 現代と古代、民族と宗教
 ここインドは大陸なのよ、と
 やけに明るい女子大生
 サディーヴァが言った

ラベル

ラベル

情熱のほとばしる パティ・ラベル Lady Marmalade クリックしてお楽しみ下さい。レディ・マーマレイド
   
 未明のフライトはいつも落ち着かない
 またすぐ来るよ、と言っておいて
 一年も来ない 日本人
 嘘つきにだけはなりたくはないが

 いくら親切なCAさんでも
 そう何度もウィスキィを頼むのは
 それも10杯目にもなれば恥ずかしい
 だから今度呼ぶときは一度に二杯

シュープリームス

シュープリームス

お別れは シュープリームスの Someday will be togather クリックしてお楽しみ下さい。サムデイ・ウイルビ・トゥギャザー

 ようやく東の空が明るくなると
 機体はゆっくりと向きを変える
 さて 今度の旅では 
 何をおいて来ただろう
 何を拾って来られただろうか
 飲みほして 少し又眠ろう

 お相手は ジェット・ニシムロでした。

=インストゥルメンタルのミスター・ロンリーが聞こえてくる=

贋作 ジェット・ストリーム Ⅱ

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