Sonar Members Club No.36

月別: 2015年9月

こっそり対談 安部総理VSプーチン大統領 in国連

2015 SEP 30 19:19:09 pm by 西 牟呂雄

プ「オヒサシブリ!シンゾゥ。」
安「ズドラーストヴィーチェ。ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ。(ロシア風のファーストネームの呼び方。ウラジミールの息子のウラジミール。プーチンは父親もウラジミール)。」
プ「久しぶりじゃないか。再選おめでとう。」
安「スパスィーヴァ。お互いもう暫くやることになったな。」
プ「いや良かったよ。オレ国連でも誰も寄ってこないから困るぜ、シンゾゥがいないと。」
安「友達がいないのはオバマの方がひどいだろう。ここも盗聴されてるかも知れんぞ。」
プ「ハハハハ。構うもんか、お前も知ってるくせに。それより安保法制はよくやったな。」
安「何ならそちらと安全保障条約もやるか。」
プ「クリミア認めるって言えよ、一発で調印できるぞ。」
安「まぁそうもいかんよ。そっちだってエトロフに何人も来てるじゃないか。」
プ「そこはしょうがない。シンゾゥには悪いがあのオバマやシー(習)にも緊張してもらわんと。」
安「しかし二人で会うのがいちばんいいな。谷内もよくやっているんだが。」
プ「それは優秀な官僚であることは疑いがない。だが彼は酒が飲めない。こっちだってオレにオベンチャラ言うために強硬なことを言い触らす奴は多い。条約官僚同士ではダメだ。」
安「で、シリアはどうする。」
プ「その質問はⅠSをどうするのか、に尽きる。あんなもんをのさばらせてアサド退陣とか言っても難民の流れすら止められない。アメリカもヤキが回ってるぜ。自由シリアなんざ影も形もない。」
安「それはそうだが、そっちだってウクライナは実際苦戦だろ。」
プ「ほう、痛いところを突くじゃないか。マッEUもあんまりロシアをなめるなよ、ってところで寸止めだよな。」
安「メルケルとは仲いいんじゃないのか。」
プ「あいつとは通訳なしで喋れるからな。でもメルケルだってあんまり調子に乗っていられんはずだ。VWなんかアメリカの警告だぜ。」
安「それは分かってる。こっちも三菱やトヨタで散々やられた。事実無根だったがね。」
プ「さすが日本だ。」
安「それでいつ来る。」
プ「早く行きたいんだがアメ公大丈夫か。」
安「イランやジャマイカと国交正常化してみせたんだ。制裁だって随分経ってるしそんなに長くやれんよ。ルーブル暴落してるんだろ。」
プ「石油下がったいからな。是非行きたいが。体はどうなんだ。日本のシューカンシに吐血したと書かれたそうじゃないか。」
安「ガセネタだ。ちょっと立ち眩みがしてね。第一オレが弱いのは腸だ。するとしたら吐血じゃない、下血だ。」
プ「ワーハハハ。ロシア風の冗談がうまくなったな。訪日したらテンノーヘイカは会ってくれるか。」
安「大丈夫だ。領土も『引き分け』でいい。だがオレ達後3年はやるからな。」
プ「その通り。とにかくこの話はサシに限る。いつ手打ちにしようか。」
安「サッカー・ワールドカップの時でどうか。オレも行きたいし。」
プ「オッ、じゃトーキョー・オリンピックのときはオレを呼べよ。大統領辞めてるかも知れんが。」
安「組織委員長を誰だと思ってる。ヨシ(森元総理)だぞ。あなたを呼ばない訳が無い。」
プ「ヨシは元気か。よろしく言っておいてくれ。」
安「引き受けた。10分経った、それじゃまた。ダスビダーニャ。」
プ「サヨウナラ。オーイ、オバマ!聞いてるか!」
安「よせよ。ワルだな(爆笑)。」

安倍 VS トランプ ゴルフ対談

安倍総理 VS オバマ大統領 (パールハーバー)

架空緊急極秘対談 トランプ VS 習近平


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議事進行を遅らせると何が見えるのか

2015 SEP 26 20:20:05 pm by 西 牟呂雄

 SMCのご法度の一つが政治ネタだが、洗練された民主主義とはあの混乱でしょうか。
 私の立場を言えと言われたら『安保関連法改正』に賛成の立場です。あの条文が実際に役に立つのはギリギリ有事の際に邦人救助のアメリカ艦艇の護衛ぐらいなのは読めば分かります。戦争でも仕掛けられなければまず効力はないでしょう。
 テヘランの日本人を助けに行くのに自衛隊機が使えなくて、見かねたトルコがエルトゥールル号の救助(1890年)を恩に着てトルコ航空機を飛ばした時には、自国民も助けに行けないのかと恥ずかしかった。それが行ける様になるような話でしょう。
 雨の中、反対を叫ぶ信念は立派としか言いようがないが、どこをどう読めば『戦争法案』になるのか理解に苦しみます。『徴兵制』なんかできるわけがないじゃないですか、独裁国じゃあるまいし。第一、専守防衛の我が国に大幅な兵力増員のニーズそのものがない。
 絶対に戦争なんか(自分から)やらない国になってから十分な時間が経っています。具体的にと言われて、まさか某国に上陸されたら、と言うわけにもいかないから無理矢理想定したのが機雷の掃海、後方支援、邦人救助、総理の説明もそうならざるを得ません。

 野党の質問は、かつてきた道・蟻の一穴・戦前への回帰、どれも的外れですよ。
 それを言ったら身も蓋もないが、今上陛下もお許しにならないに決まってます。
 国会前に集る人が真面目そうなだけに、個別の意見交換では結論は出ませんね。朝生みたいな番組で、それではこれで行きましょう、となったのを見たことがない。100時間が1000時間になっても、いくら説明しても『理解したくない』人を相手にするのは壁に向かって説明するようなもの。
 『今来なければこのまま突っ走ってしまうと思い、居ても立ってもいられなくてここに来ました。』とインタヴューに答えた先輩の人がいたが、ありゃ見るからに全共闘世代。その人達の前でマイクを握った△△党〇野幹事長は往時を思い出したかのようなアジ演説をしましたが『お前のためじゃない』とヤジられていました。つまりある政党系の動員なのが見える。
 学生さん達もがんばる。だがあのノリはどうなんでしょう。今更ですが『安保反対』の大騒ぎの渦中にいた田原総一郎や西部萬が白状していました、当時ダレも安保条文を読んでいなかったと。学生さんは真剣なんだろうから法案くらい読んでいるとして、どこが『戦争法案』なんでしょう。どうもサッカーの応援とかぶる。
 ネットを見てやって来たと言う人、子供を連れているお母さん、地方から来ている人、これらの皆さんのロジステクス=兵站はどうなっているのか、フラっと来たにしてはプラカードは持っている。食事は、トイレは、誰かが面倒を見ているでしょう。

 それで議事堂内ではどうかと言えば、フィリバスター作戦やら牛歩やら泣きに絶叫、最後は委員長席に殺到して採決。あれはプロレスなのでしょうか。ヒールが凶器攻撃するのを暫く泳がせておいて、終いにベビー・フェイスが立ち上がる。その後でカメラに向かって『ケリ殺すぞ、オラー。』と言っているのと『議論も尽くさずに採決とは言語道断。徹底抗戦する。』観客に向かって言っているに過ぎない所がそっくりです。議員の場合は党上層部か選挙民か。
 プロレスならそういってくれれば楽しみようがあるんですが。
 その次の引き延ばしの議案提出に至っては、もう勝手にやってくれ。
 混乱させて、徹底抗戦を叫ぶだけで支持が増えると思っているのだったら時代が違うと言わざるを得ません。
 〇産党・社▽党はいいでしょうが、維△の党なんかこんなところで野党面してもどの道次の選挙でなくなるんでしょう?
 もっとひどいのは喪服に数珠のパフォーマンス。小沢先生、少しは教育を。

 で、それから一週間経ちました。『終わりではなく始まりだ』とカッコいいアジを飛ばしたセンセイはどこで何をしているのでしょうか。
 大体国会前が大騒ぎになっていたように思う方も多いかと思いますが、あそこは毎日毎日何かの団体がワンサカやって来て『原発反対』とか『雇用を守れ』とかシュプレヒコールを繰り返している名所で、安保法制の時だけ異常に盛り上がったのでも何でもないですよ。試しに行ってみれば日本は十分に言論の自由が保障されている先進国だとよくわかります。
 ちなみに憲法違反を表明した某学者さん、極めつけの右の人で『理論的には違憲になってしまうから憲法から変えなさい』という改憲論者なんですけどね。

地域住民説明会で思ったこと

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ゴルフ三昧 難行苦行

2015 SEP 24 21:21:13 pm by 西 牟呂雄

 このシルバー・ウィークに思い立って3日続けてゴルフを楽しんだ。
 喜寿庵から10分くらいの所にホーム・コースのTカントリークラブはある。
 僕のゴルフははっきり言って大したことない。飛距離がないためにパー・オンが絶対に無理(ショートは別として)だからと、一日中緊張感を維持できないのか、必ずメチャクチャになるホールがあるからだ。

一日目(20日)
 この日は中央道が物凄い渋滞だったらしく、遅れる人が多発したようでキャディー・マスターがある御夫婦に入れてくれた。
 やれ久しぶり、始める時は多少の緊張感が嬉しい。ファースト・ショットは午前中にスライスが出る癖があるので、打ち下ろしの広いフェアウェイの左端を狙った。なかなかいいではないか。御夫婦もなかなか上手いのでスムースに進む。コース内に美しいクリークのあるミドルで、珍しく1パットで入りパーも取れた。
 ところがこの日はバンカーに祟られた。午前中だけで二度も入れていずれも深く入り過ぎて一発で出ない。
 午後からは日差しが強くなってうっすらと汗ばむ。出だしで3パットが出た。次も2段グリーンの上につけて(カップは下)1パット目でグリーンからこぼれてしまった。苦しい。
 ショートであわやバーディーのパットも外す。
 そして、それまで比較的安定していたショットが上がり3ホールで乱れた。
 17番は第一打が左の林に、ラスト・ロングは二打目のスプーンがダフッた挙句に右の林に。
 しかし、僕は突然目覚めた。誰しも思い通りに玉を打てれば全員がパー・プレイになってしまう。そうは行かないぞ、と設計者はバンカーを造りグリーンアンジュレーションをつけ木を植える。素人の下手が何とか偶然にもそれを潜り抜けたら天誅が下って実力を思い知らせる力が働くようにできているのだ。そう思うしかない。
 結果はいつも通りのスコアになる。先に白状するとこの30年間全く進歩していないのだ。

二日目(21日)
 昭和天皇は戦前はグルフを楽しまれていた。そして『朝のティーグラウンドに立てば昂然の気は養える。』のお言葉を残されている。僕は昨日悟りを開いたので「さあ来い、トラブル。」の気迫がみなぎっている。本日は4時間かけて東京から来たという息子さんとご夫婦の親子と一緒だ。
 ところがトラブルは思わぬ所から降って来た。6ホール目に何かの電気トラブルでカートが止まってしまった。前も後ろも止まったらしく、ゴルフ場のスタッフが廻って来て全カートを手動に切り替えるのに20分くらい立往生した。朝の気迫は失せてイライラした。ゴルフ場の真ん中で何もすることが無くただボーッと立っているのは、ティーグラウンドで前の組に追いついて待っているのとは違う。置いてきぼりを食ったような実に手持無沙汰なもので足元の雑草を抜いたりした。そしてやっと動き出して打ったところ、これをチョロ。そして昨日苦しんだバンカーでまた出ず、3パットして頭に来た。このホール、一緒に回っていた息子さんの方がナイスショットを連発して2オン・1パットでバーディーを出した。同じ条件で待ちぼうけを食ったというのにこの違いは何だ。
 午後から少し持ち直したものの、一発OBが出た。
 ラスト・ロングでは下りのラインを読み切って本日唯一のパーが取れた。
 疲れた。スコアは昨日より1打悪くなった。

三日目(22日)
 朝起きるとさすがに体があちこち痛い。暫くジョギングもやっていないし、年齢による体力の低下も深刻だ。
 ゴルフ場に行くと『すいてるから一人でスタートしていいよ。』とマスターが声をかけてくれた。それもいいなと一人でカートに乗り込んで、ボール二つ打って遊ぼうかと考えた。
 ラストのスタートにしてくれたので本当にやってみたが、球筋が安定しないので動く距離が3倍くらいになってしまう。足が痛くなってきた頃、メシを食った次の組が追いついたのでやめた。
 きょうはバンカーには入らずに済んでいたがパットがひどい。1ホール置きに3パットが出る。これは試練というより本当にやる気をなくさせる。
 午後からは疲れがたまって林に打ち込み隣のホールまで転がった。いよいよ艱難辛苦がはじまったな、と言い聞かせ冷静にリカバーした。打ち下ろしのショートを1オンさせてもパーは取れず。ラスト・ロングはいいショットを3発打って残り70ヤードの斜面から打ちそこなってオーバーし、返しはトップしてグリーンに乗れない。この時点では僕の感覚は『我が身に七難八苦を与えたまえ』にまで昇華しており、悪戦苦闘に身悶えていた。一人プレーでよかった。人が見たら狂人に見えたかもしれない。
 そしてスコアは又一つ悪くなっていた。3日間毎日やって次第に下手になっていくという結果に一瞬呆然とする。

 しかし、ゴルフというものはさすがにスポーツで3日もやると体はガタガタ。こんなのを毎週やっているプロは、やはり別のカテゴリーに属する人種なのだろう。一種の修行というか、やればやるほど難行苦行に近くなる。
 これは(腕はともかく)ゴルフ道に邁進していることになりゃせんか。よし、また一つ悟った。これから(しつこいようだが腕はとももかく)胸を張ってゴルフに精進するぞ。

 え?スコアは幾つか?そんなことは聞いちゃいけません!

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江戸っ子に伝わる都市伝説

2015 SEP 22 18:18:52 pm by 西 牟呂雄

 僕は江戸っ子四代目になる。子供の頃は下町で育ったので生活圏は東は銀座から西は靖国神社まで、北限は上野で南は大手町といったところだ。そして面白いことに銀座より東側を『下町』と呼んで、ガラが悪いとバカにしていた(失礼)。ガラは同じくらい悪いくせに、自分たちは山の手だと思い込んでいたのだ。当時は新宿があんな繁華街だとは知らなかった。
 四代目クラスの家は地元の言い方で『震災前』となる。現時点ではお江戸の昔からの家は余程の老舗でない限り絶滅していて、そういう家は『御維新前』で別格。次が『震災前』組で『戦争前』と続く。ゴチャゴチャしていた街はバブル期の地上げで様相が変わりビル・マンションだらけになり戦後に住みだした人が大半だろう。
 口裂け女が流行ったように子供の噂は千里を駆ける。思い出すと懐かしいヨタ話があった。

上野戦争は彰義隊が勝ったはずだった
 結構昔から御徒町あたりで言われていたそうだ。正しくは大村益次郎指揮の元、佐賀藩の新型アームストロング砲を撃ちこまれて粉砕されたのだが、意地っ張りの連中が言い触らしたのだろう。
 勝海舟と西郷隆盛の談合で無血開城してしまったのが癪にさわったと見えて、寛永寺に屯する彰義隊はえらくモテたのだそうだ。破れかぶれになって毎晩吉原で遊び倒したのだから『いいお客さん』だったはずだ。
 上野戦争が始まる直前に会津藩の旗を掲げた正体不明の一隊が御徒町あたりに加勢にやって来た。いよいよドンパチが始まってその一隊は黒門から寛永寺の境内に入って行ったのだが、こいつらは実は長州の回し者で直ぐに裏切って彰義隊は大混乱に陥りコテンパンに負けたのだ、とか。
『裏切り者を信用してなきゃ官軍なんざ屁のカッパだったんだ。』
と子供相手に熱弁を奮ったオヤジは実在した。更に良く分からないが
『ノガミの山が燃えるとアオいんだ。』
というのもあった。ノガミは上野をサカサマ言葉にした言い方。浅草はエンコと言ったっけ。 

広瀬中佐の銅像は戦犯にされた
 神田の須田町の交差点に、日露戦争の軍神広瀬中佐と杉野上等兵曹の銅像があった。交差点の横に『広瀬中佐の銅像は所在が不明になっています。御存じの方はお知らせください。』というタテカンがあったのを記憶している。
 おそらく戦争中の金属供出令の時点で溶かされたのだろうが、地元ではまことしやかに解説する奴がいた。
「ありゃ進駐軍が来るまであったんだ。アメ公が本当に来ちゃったんで町内のオッチャン達がビビりあがって『戦犯だ、責任を取らせろ』とか言い出して捨てちゃったんだよ。」
 本当かよ。

番町更屋敷は六番町のあの家のことだ
「本当の話なんだって、あれは。」
お皿が一枚、二枚、お菊さんの声が聞こえて来る怪談『番町皿屋敷』の話。
 イサムちゃんが教えてくれた。場所は六番町で今でもその井戸はあるのだとか。
 早速ガキ探偵団が結成され、僕達は四谷まで遠征した。電車に乗り駅前の双葉学園の横を通り、その頃日本テレビがあった方に行き、二番町の方に曲がる。隊長のイサムちゃんは▽▽小学校の奴から教えてもらったと言ってドンドン進む。確かベルギー大使館があったのじゃなかったかな。そのあたりのお屋敷の前で
「ここのウチだ。」
と厳かに告げた。今では生垣だったかブロック塀だったか記憶が定かでないが、皆でしがみついてその家の庭を覗きこんだのだ。すると、本当に井戸があって簾のような物が被せてあった。
「・・・・ホントに井戸がある。」
「あれか。」
「じゃ、この家の人はお菊さんの声を聴いてるのか。今でも。」
「どうかなー。どうする夜になるまでここにいる?」
「やだよ。」「オレもやだ。」「もう帰ろうよ。」「このウチの人に怒られるんじゃない。」
声がデカくなったのか、家の中からおばさんが顔を出したのが見えた。
「逃げろ!」「ワーー!」
走って逃げた。今でもあの家はあるのだろうか。場所は思い出せない。

六方詞(ろっぽうことば)

狼少年ケン


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世阿弥 初心忘るべからず Don’t forget your failure

2015 SEP 20 21:21:08 pm by 西 牟呂雄

 古典を現代語で読んでは誤る、と当たり前のことを書いたら急に思い当たることが出てきた。
 初心忘るべからず、この有名な言葉も世阿弥であり今日尚頻繁に使われている。
 これは『風姿花伝』では無くその晩年に書かれた『花鏡』の中の言葉。一つだけではなく
 ぜひ初心忘るべからず
 時々の初心忘るべからず
 老後の初心忘るべからず

 と三つ続いている。
 
 通常は、始めた頃の純粋な気持ちを忘れずに最後まで道に外れることなく精進に励め、と解釈してしまうが、そうすると二行目・三行目の意味が薄まる。独断解釈を施すと、
 「調子に乗って、その都度チョンボをしただろう。」
 くらいに集約できるのではなかろうか。なかなかいいではないか。さすがに古典だ。

 そう言えば『Look back in anger』は普通『怒りを持って振り返る』と訳されるが、これも『思えば腹が立つ。』とやった方が余程こなれている。実はコレ、我がオリジナルではない。誰か。
 漢学者で『王陽明研究』を世に出した故安岡正篤の著書にあった。
 そのノリで良ければ、クラーク博士の『Boys, be ambitious like this old man』も『お前等、好きにやってみろ。オレみたいにな。』がふさわしいと思う。この台詞は送別の演壇で述べられたのではなく、馬上から見送りの生徒達に向かって投げられた言葉で、クルリと振り向くと一鞭を当てて去っていった時に発せられた。西部劇のフィナーレのノリなのだ。

 「日出処天子至書日没処天子無恙云々。」聖徳太子が遣隋使の小野妹子に持たせ皇帝煬帝に送った書だ。天子の称号を使ったことに皇帝は怒り狂った。
 倭国を臣下扱いする書を持たされて妹子は返されるが、返書を百済に盗まれて無くしてしまったと言い訳する。そのまま見せて怒りを買う事を恐れた妹子が、返書を破棄してしまったとやら。このあたり今日の外交問題にも参考になる様々なエピソードで、元大蔵官僚のミスター円榊原英資氏は、日米どちらも自分のいい分が通ったと思わせるようにわざと翻訳する事をテレビで語っていた。
 実際に第二回遣隋使の10年後に『隋』は滅びてしまうのだから時節柄的を得ていなくもないと考えると・・・。
 『落ち目のおっさん、元気かよ。』
 が本当のニュアンスで、それで怒ったりして。

 許されるならば人類の師『孔子』の言葉も現代語独断解釈をやってみると、
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」は 
『二日酔いで帰り道を聞くようなら、夕べのうちに死んだ方がましだ。』
でしっくりくるし、
「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰えず(こえず)」も
『もう年で体も効かねぇ!何やったって人の迷惑にゃならねーよ。』
くらいかね。 
 その70まであと9年と100日ない!

 せっかく世阿弥から始めたのにとんでもないオチになっちゃった!

世阿弥  秘するが花 Confidentiality should be The Flower

狂言 附子 並びに 能 大般若

船弁慶

月窓寺 薪能


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世阿弥  秘すれば花 Confidentiality should be The Flower

2015 SEP 18 12:12:39 pm by 西 牟呂雄

yjimage[7] 世阿弥の能楽理論書として名高い『風姿花伝』にある有名な一節ですが、『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。』となっています。私は長い間この言葉をどうやら間違えて理解していたようです。
 そもそも室町時代に書かれたのですが人口に膾炙したのは明治になってからで、本当に『秘』されていました。
 私は勝手に、表現者(アーティスト)としての天才世阿弥が観客に向かった際、ズバリそのものの感情を出してしまうのではなく、なるべく隠すことによって深みを出すのが芸だ、ということだと。例えば『悲しい』を表すのに打ちひしがれる仕草ではなく『佇む』、『喜び』を表すのに小刻みに『手振り』をする、というようなことを指していると考えたのです。
 ところが、最近気になって文献をめくったところ、少し違うようです。
 能は面をつけて、老人・女性を表現します。自分の表情や性別を隠します。yjimageCAT8ZKII
 世阿弥はそういったものを演じる際の心構えを『風姿花伝』に書き付けていますが、長い歴史に埋もれた間も流派別に口伝として受け継がれて、色々な解釈が伝わっているのです。
 ある解釈によると、「花」というのは人が発見する気付く「珍しさ」「面白さ」を指していて下世話な言葉でいえば、それに至るネタはなるべく隠しておきなさい、と教えていると。
 これはいかがなものか。演目も同じ物を等何度も見れば見巧者は粗筋も結末も分かっていて今更「珍しさ」「面白さ」もない。観阿弥・世阿弥の天才親子により幽玄美を追求する「夢幻能」にまで磨き上げられた芸は、奇を衒うでもないでしょう。鑑賞者は『さすがはあの間の取り方だ。』とか『今日のは多少大げさだな。』等と思いながら見るものと思います。

 世阿弥は将軍足利義満の庇護をうけて極めて寵愛されます。大変な美少年でもありました。しかし義持・義教と代がかわるに連れて、弾圧が加えられるようになるのです。その背景には足を引っ張られたり、はたまた世阿弥の器量も落ちてきたり(仮説ですが)挙句の果てに1434年に佐渡国に流刑されてしまいます。
 『風姿花伝』はその絶頂期の少し後、義満没後に書かれたものですね。image[1]
 ここまで完成させた我が芸を、余興紛いの猿楽・田楽などと一緒にされてたまるものか、と思ったかどうか。その失意と執念が『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。』と書かせたと考えれば。
 いや、古典を現代語で読んでは誤ります。
 今日の口語で言えば『分かるやつにはいつかは分かる。花になるまで隠しておけ。それまで決して漏らすな。』ではないか。うーん、どうかな。
 
 事実『風姿花伝』は能の各流派に秘蔵され、極一部の大大名家にあるだけで、明治42年に吉田東伍が『世阿弥十六部集』を出版するまでは一般の目には触れなかったわけです。

世阿弥 初心忘るべからず Don’t forget your failure

狂言 附子 並びに 能 大般若

船弁慶

月窓寺 薪能


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アグリカルチャー・デヴュー Ⅳ

2015 SEP 15 20:20:15 pm by 西 牟呂雄

 収穫を終えた夏野菜の後、耕運機でネイチャー・ファームをかき回していると、はじっこにポツンと立っている栗の木からまだ緑色のイガ栗がいくつも落ちていた。まだ小さいが試しに拾って割って見ると、かわいい実がチョコッと入っていた。やれやれ、もう秋になったのか(8月23日時点)。
 耕運機のエンジンオイルを買いに行くと『秋の野菜』の種が並んでいて、大根なんかは秋に種蒔きすることを初めて知った。ホゥ!それではと一袋衝動買い。
 さてどうすればいいのか、と見渡すとご丁寧にも『野菜の育て方』という本も置いてあって早速大根の所だけ立ち読みする。なんだか「五粒づつ蒔け」「間引きしろ」等と色々難しいことが書いてあり、面倒になって買うのはやめた。
 それでまァ畝くらいは造らなければとスコップ(これが鍬じゃないんですな)でそれこそウネウネと土を盛って種の袋を破いてアッと驚いた。ネイチャー・ファーム一面に蒔くくらい入っているのだった。
 既にジャガイモは1年分備蓄している上にこんなに大根ができても消費できないので少しだけ蒔いて後は捨てざるを得なかった。あちこちに投げたからおそらく色んな所に大根が育つことだろう。

 種蒔きをしてから三週間が過ぎたが、ずっと雨だった。どれ間引きでもしてやるかと見に行ったらヤバいことになっていた。雑草が生え散らかしてどこに大根を蒔いたかわからなくなってしまった。確かこの辺だったか、と見てもさっぱり見当たらない。仕方なく勝手に伸びている草を抜きまくった。
 大体九月になってから台風がきたりその後堤防決壊になるほどだったのに、雑草の方はそんな天気にも関わらず日照時間の少ないのも何のその。ようやくむしり取ってみると、大根が生えてない!あんなにあきるほど種を撒いたのに、間引きもへったくれもない。
 と思ったら、手前に一つポツンと写真でみた大根の芽がチョロッといった具合に出ているではないか。セッセと場所を開けて5粒づつ丁寧に蒔いた所は何も育たず、捨てちまえっとバラ蒔いたところでひっそりと芽を吹くとは僕をなめているのか。それとも買ってきたのは栽培用のものではなく、野生の大根の種だったのか。

謎の花

謎の花

 野生の大根などは考えられないが、100~200粒はバラ蒔いて10株くらいしか芽が出ない。歩留りにして10%以下とは情けない。とても写真を載せられないと落ち込んだ。雑草を引き抜いているときに気付かずに大根を抜いてしまった可能性もあった。
 手を止めて見るとこんな花も十分野生している。毒々しい色かもしれないが、秋口にこんな花を咲かせるのもなかなかの根性ではないか。うまく撮れなかったがアゲハ蝶が飛んできて留っていた。
 傍らの栗の木は先日の台風と大雨で大半の実が落ちてしまって、栗の収穫は今年も断念。

 喜寿庵を後にして家に帰ってみると地元のお祭りでお神輿が出ていた。『町』『街』『通り』別にお神輿がそれぞれ町内を練り歩いて御宮入りする。
 引っ越してきて10年、下町を離れて50年経ったのか。

商店街を行く御神輿

商店街を行く御神輿

 下町の御神輿は僕の体が小さかったせいもあっただろうが、もっと荒々しかった。事実『千貫神輿』なんか今見てもデカくて重い。こちらはやや小振りで手作り感あふれるものだ。
 そうか、ここ武蔵野は秋の収穫祭りを手作りでやったのか、みんなで楽しめればそれが一番いい。

 その収穫の時期に水害に合ってせっかく育てた稲や野菜が水に浸かったのは本当に気の毒だ。それどころか苦労して建てた家が流れていくのを見るのは正視に耐えない。
 しかし絶対に大丈夫。復興します。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

 ところで被災地で暗躍するコソドロ!それでも日本人か!

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アグリカルチャー・デヴュー

アグリカルチャー・デヴュー Ⅱ

アグリカルチャー・デヴュー Ⅲ

ファイターズ 少しはオレの言うことを聞け

2015 SEP 13 22:22:02 pm by 西 牟呂雄

 CSは短期決戦なので、最も調子の良かった頃から夏場の投手がバテた頃にはあせらずローテーションだけをきちんと守り打線の集中力だけでペースを作れ、と栗山監督には伝え続けた(テレパシーで)。
 ホークスが強すぎるのだから勝手に舞い上がらせてCSの頃まではふやけたフリで相手を騙せ、とも(テレパシーで)伝えてある。
 それが、だ。9月になってからの試合は何だ。2勝6敗で本日まで4連敗中とマジック減らしに大貢献している。おまけに今月になって大谷が勝ってない。打線も中田・陽を中心に気迫の欠ける凡打を繰り返し、ふやけたフリどころではなくふやけ切っているではないか。
 本日はカモの中のカモだったバッファローズ相手に有原が試合を作れず自滅し、必死の継投を打線が見殺しの必敗のゴールデン・コース。
 8回1アウト1塁の岸田対陽ではボテ・ゴロのダブル・プレー。ちゃんと野球やれ、このやろう。
 最後佐藤がクローザーに出て来たので、博多の悪夢をもう一度と臨んだが、パ・リーグでもっとも頼りにならない4番中田がチョロしてゲームセット。5連敗のおまけまでついて、最下位を争うようなチームに負けた。

 こうなったらCSの秘策をそろそろ開示しなければ。
➀ 大谷を指名打者8番で使い、同点ならば7・8回のセットアッパーに使う。
➁ 休みの時もベンチ入りして延長戦の代打に使う。
➂ あるいは増井を8回に大谷を9回に投入するダブル・ストッパーとする。
➃ ホークスの優勝のかかった試合まで先発させない。
➄ こっそり引退した松井秀喜を選手登録して4番に据える。マー君に5億円払って助けに来てもらう。

こんなところなのだが、栗山監督たまには私の作戦マジメに聞いてください。無理だろうが。

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通り過ぎた国 

2015 SEP 12 20:20:51 pm by 西 牟呂雄

 英国体験は少ない。行ったのは出張、それも泊まったのはエディンバラで翌日はお隣アイルランドのダブリンだった。食事はホテル(名前も忘れた)に付いていたパブで済ませて慌しく通り過ぎた。季節は夏で、それなりに暑かったことを覚えている。ロンドンは乗り換えただけ。
 従って観光もせず、人ともロクに触れ合わず、印象を語る何物も持たない。印象は古い町並みが随分とくすんでいたような、淋しい印象。今はだいぶ違うのかも知れないが、このままスコットランドが独立して首都になったとすれば何となく景気の悪そうな首都になりそうだ。

 エリザベス女王が来日した際の晩餐会で『デューク・エディンバラ アンド アイ、~』と言ったことが記憶に残っているが、これご主人の元ギリシア王族フィリップ・マウントバッテンの公式名称だ、エディンバラ公という訳だ。これはただの爵位で別にエディンバラが領地ということではない。将来は三男のエドワード王子が継ぐらしい。

 私的な旅であればリヴァプールにでも行ってキャバーン・クラブでも覗きたかったが、実に味気ないことに翌日はダブリンに。こっちはもっと暗かった。なぜか黒いTーシャツが流行っていたようで、特に女性は黒ずくめのような恰好だった。パブに行くと変なオヤジととびきりの美人のカップルに絡まれた。いや、正確に言うと構われたくらい。働いていたのが中国人で、そいつの悪口を僕に言い散らす。よく見分けがつくもんだと感心したが『あんたジャパニーズだろ。だから言うけどチャイニーズはねぇ。』といった具合にエンエンと続くのだ。その向こうから”変なオヤジ”がしきりにウィンクして見せる、『コイツ酒癖悪くてな。』と言いたげに。

 さて出国してニューヨークまでアトランティック・オーシャンを一跨ぎ、と思ったらイミグレを通った後にすぐまたイミグレがあってびっくりした。その場でアメリカに入国してしまうのだ。余程の人数が行き来しているのか、ダブリンで入国手続きをしてニューヨークの国内便エリアにランディングさせてしまう。
 ところで昔の一筆書きのチケットをご記憶だろうか。堅いペーパーが長い出張の予約だと手帳のように繋がっていた。従って客毎にどんな旅程なのか直ぐ分かるようになっていた。その時は八泊十日で地球を一周するようなひどい日程だった。そしてバゲージも預けずにアタッシュケース一個の出で立ちを怪しんだらしい。別室に連れて行かれて全ての荷物をチェックされた。『一体最終目的地はどこなんだ。』『何のビジネスだ。』『どうしてコンナに荷物が少ないんだ。』オレはテロリストじゃない!

 実はこの後大西洋を越えてメキシコに行き、再度米国への入国で同じようなトラブルに見舞われている。更に恥を白状すると上海でもマニラでも出国の際に大モメしたことがあったが、それはまた別の機会に・・・。

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ヴェトナムに行ってきた

狼少年ケン

2015 SEP 10 19:19:21 pm by 西 牟呂雄

 物凄いドラミング。ボバンババンボンボンババンバババボバンババンボンバンボバン。舌を噛みそうなこの出だし。そう、還暦に近い世代はあのボーイ・ソプラノを思い出すはずだ。
『いつーもオイラは泣かない』
 私にはこれがまた人一倍郷愁を誘うのだ。それにはわけがある。

 お江戸は下町、神田〇〇町に映画館がまだあって『夏休み子供ナントカ大会』という企画物をやる。小学校低学年の私は見に行った。それはテレビで既に放映された『狼少年ケン』だったが、当時はビデオも何も無い。性懲りも無く見に行った。走れよ「ケーン!」他にも子供が一杯いて合唱するように「ケーン!」に声が上がる。何しろ私の本名が建だから、自分の名前が歌われているのが嬉しくてしょうがない。

注)当然ながら映画は白黒だ。

 後ろの方に一際高い声で叫んでいる一団がいた。そしてそいつ等は行儀が悪く、ストーリーが始まってからも大声を出したりバリバリお煎餅をたべたりしてうるさかった。あんまりなので見てみると、その一人と目が合った。キューピーだ!画面が明るかったので向こうもこっちが分かったようだ。
 〇〇小学校の奴で、大きな目がクリッとして巻き毛の可愛い顔をしている。ついたあだ名がキューピーなのだが根性は悪い。少し前に仲間のイサムちゃんがからかったところケンカになり、コテンパンにやられて泣いた。私も調子に乗ってキューピーの顔を踏んづけてやった。奴はそのことを根に持っているに違いない。しかしきょうは私一人でイサムちゃんはいない。あっちは集団だ、マズいぞ、マズい。逃げようかと思ったが、そんなところを見られたら『あいつはビビッて逃げ出した。』という悪意ある噂を流すに違いない。
 一話が済んだ。奴等はまだいる。
 とうとう終わってしまった。そうっと見ると、いない。しめた、と鉢合わせしないようゆっくり席を立った。
 しかし甘かった。出口で待ち伏せしていたのだ。キューピーの奴、真ん中でエラソーに腕組みをして薄ら笑いをうかべていやがった。
「おい、ケン。この間はよくも可愛がってくれたな。」
「走れよ、ケーン!」
口々にからかってくる。5人もいて中の二人は知らない顔だった。他はヒロシとカズヤだ。ヒロシは界隈で最強と言われている兄貴が二人いて、凶悪な兄弟として知らぬ者のないクソガキだった。
「ちょっと公園まで来てもらうぞ。」
「お前一人で行け、このキューピー。」
「何だと。イサムがいなきゃ何もできないくせに。」

注)しかし今から考えるといくらマセたガキとは言えなぜあんなに大人っぽいチンピラ口調をきけたのか。想像するに当時年上の兄貴達がカブれていた日活映画のマネが伝染したものだろう。ピストルのことをハジキと言う隠語は知っていた。

「ふざけんな。行ってやろうじゃないか。」
「逃げるなよ。ついて来い。」
 私は本気でイサムちゃんとばったり会える奇跡を神に祈った。当然会うはずもない。〇〇公園に着いてしまった。砂場のところで取り囲まれた。私の恐怖感は頂点に達した。
「やいっ!この〇〇町でデカイ面すんなよな。」
「近所に住んでんだ。何が悪い。」
「近所って△△町だろうが、そっちで遊べ。〇〇まで来るな。」
「あいにく映画館がないんだ。だから来てやったんだ。」
「映画館もないようなイナカか、おまえんとこは。」
「そんな薄汚いもんはいらねーんだよ。」
「ウルセー!」
 ついにヒロシが、今でいうキレた。強い力で私の胸倉を掴んで砂場に引き倒したのだ。

注)そういえばチビガキのケンカはボクシング・スタイルのパンチの応酬にはならず、相撲スタイルで蹴りも頭突きもない。これは今でもそうなのだろうか。チビガキのケンカなんか何年も見ていない。

 砂まみれにされて顔を庇おうとしているとヒロシの巨体が乗っかってきた。くっ苦しい、鳩尾にドスンと入った。チキショーっともがいていたら大声が聞こえた。
「こらァー、何やってんだお前等!」
通りがかりのおじさんらしいが、砂が目に入ってしまって良く見えない。ポロポロと涙がこぼれるのを見てキューピー一派は『アッ泣いた泣いた。』等と囃し立てた。
「何だお前たち。大勢で寄ってたかって。どっちが悪いんだ。」
「こいつだよ。こいつこそこないだ二人掛かりでオレの顔を蹴ったんだ。」
「何言ってんだ。お前こそ横断歩道で石投げたじゃないか。」
「ちがわい!石じゃない。」
「いーや、石だったね。この卑怯者。」
あー、わかった。わかったからやめい!うるさい!
薄目を開けられるようになって気が付くと、別に遊んでいた子供達が遠巻きに見ているじゃないか、恥ずかしい。おじさんは跨っていた自転車から降りてこう言った。
「どうでもいいが、やっちまったケンカは両成敗だ。並べ。」
そして一列に並んだ私たちの頭に軽く拳骨を一発づつポカリとやった。助かった。おじさんは私を水飲み場に連れて行ってくれたので目を洗えた。見えるようになると、職人風の体の大きな人だった。口の中にも砂が入ってがジャリジャリするのでうがいもする。
 キューピー一派は『もうウチの町内には来るなよ。』等と言いながら走って行った。
 お礼でも言わなくちゃと振り返ると、もう自転車に乗って行くところ。ケンカをして帰ると母親に怒られるので、良く砂を払って帰った。
『いつーもオイラは泣かない。』と元気に歌いながら。

注)昔はこういったオジサンやオバサンがいたもんだったが。

 ところで家に帰った途端にバレて怒鳴り飛ばされた。背中にベッタリ砂がついていたからだ。

古い記憶

【昔のテレビ】今でも言える一節

【昔のテレビ】プロレスやアニメ・コント 

酷な出題


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同級生が・・

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