「あの日」 異変が生じた Ⅰ
2016 JAN 30 23:23:14 pm by 西 牟呂雄
実は正月早々に体に異変が生じた。蕁麻疹ができたかのようにあちこちが痒い。そしてバリバリ掻くと少し赤くなって蚊に刺されたような後が残り、30分位で跡形も無くなる。
それはある薬を飲むようになってからだ。その薬の名前は教えられないが、ある団体から被験者の依頼があってそれを飲む事にしたのだ。長年ブログを書いていると色々面白いメールを貰うことがあり、その中にわりと熱心に医療の研究を手伝って欲しい旨の内容があった。先方は私を良く知っていたそうだ。
差し障りがあるので詳述は省くが薬を飲んで毎週身体検査を受けることになった。トータルで人間を活性化するような触れ込みで、体力の衰えを実感していたから一石二鳥のつもりで受けた。昨年末から飲みだした。
すると年が明けて痒くなったのだ。腫れは直ぐに治るのだが引っ掻いているので皮膚がポロポロ落ちる。お風呂に朝晩二回入ることにしたがキリがない。何だか脱皮するようだ。
身体検査を受けるために団体事務所に行くのだが、不思議な所で殆ど人に会わない。検査も全部自動化されている。受け付けも無人でディスプレイにタッチして指紋認証をすると『お部屋にどうぞ』と女性の声がして診察室に入る。そこで衣服を脱いで検査カプセルに入る。中は青く暖かい液体が満たしてあり狭い空間に入るとフンワリと浮く。自分でジタバタしないように両腕を肘掛のようなところにもたれかけて横になる。ハッチが閉じられ外観から遮断されると自然に眠っているように漂った感じがして、柔らかい音楽が聞こえてくる。そしてこのフロート・システム浸かっていると、勝手に身長、体重、血圧、採血、胸部レントゲン、どうやっているのか知らないが胃・大腸ポリープの内視鏡、心電図とやってくれているらしい。
終わった後に診察室のパソコンに向かって問診めいたことをやる。そこでいつもは『お変わりありませんか?』等と女性の声の質問に『あまり良く眠れません』とか『酒に弱くなってます』等と答えていたのだが、今回は必死に訴えた。
「何だか蕁麻疹みたいに全身が痒くてしょうがありません!」
すると又女性の声が
「診察室を出て右側億にある3番のドクター・ルームにおいでください。ムサシ先生が往診します。」
と言った。急いで服を着て出てみると右側の廊下の奥に厳かな感じの厳重な扉あって、ドクター・ルームとあった。ノックして入ると照明がついた。誰もいない、しょうがなくて立っていた。
するとノックがあって白衣の先生が二人入って来た。一人は女性だ。
入会する時に面接があって、その人とは違う。
「あっおまたせしました。ムサシです、どうぞおかけください。」
「どうも、お世話になってます。」
「えーと。早速ですが湿疹が出ていますか?」
「そりゃもう。ホラッ見てください。」
僕は両腕を捲り上げた。内側にポツポツと蚊に刺されたような跡がある。瘡蓋になっているのもあって痛々しい。が、ムサシ先生は
「ハッハー、出てますな。オビナタ先生サンプル採りますか。」
オビナタと呼ばれた女性は
「そうですね。やっと効果が出だしましたね。」
とーいいつつピンセットで腕の瘡蓋をピッピと採取して何故かガラスのケースに入れる。ここで僕は少しムッとした。言い方も言い方だがオビナタ先生のいかにも機械的なやり方もだ。第一サンプルとは何だ、人間様に向かって。オビナタ先生は僕の瘡蓋を持って出て行ってしまった。
暫し沈黙の中、ムサシ先生は僕の数値データを見ながらパソコンに何かを打ち込んでいる。
「先生。効果って何ですか。」
「はい、簡単に言うと代謝が物凄く良くなってるんです。」
「老廃物が排出されるんですか。」
「もっと言うと患部でフレッシュな新細胞が分裂を繰り返して治癒できる、ということです。」
「ハァ~。万能細胞みたいですね。」
ムサシ先生の顔がピクッとしたような気がした途端、オビナタ先生が入って来た。
「やっぱりステップ現象が起きていますね。」
「ああ、そうですか。ようやく効き出したようですね。」
ステップ現象って何なんだ。まぁ体にいいことが起きているような説明ではあるが。
「それじゃあ西室さん、もう少し続けて飲んで様子を見ましょう。」
しばらくすると体の方は少し収まったが今度は何とも無かった頭がかゆくなり、のべつまくなしに頭を搔きむしるようになった。体のほうは次第におさまったと思っていたらいきなりだ。ガリガリやっていると髪の毛が抜ける。年だから仕方がないがいい気持ちはしない。
新年会に行った。同年代の仲間が集ったのだ。「おめでとう」とか「久しぶり」と挨拶していると、一様に相手がちょっと変な顔をして僕を「西室だよな」と確認する。そりゃ相手も中には相当頭が後退した奴も多いからこっちだって念の為名前を呼んで確かめもするが。そしてやたらに「お前は元気そうだ」とあきれた顔になるのはどういう訳だ。
後日集合写真が送られてきた。それなりに懐かしい思いで眺めていると、いいお爺が写っている中に一人子供みたいな奴が混じっている。なんだこいつはとよく見たところ、驚いたことにそれは僕ではないか。
つづく
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喜寿庵の雪
2016 JAN 28 20:20:48 pm by 西 牟呂雄
頼んでもいないのに今年も喜寿庵は雪に埋もれた。
何しろ門から家までラッセルしないと入れない。幸い近所の北富士総合大学の学生さん達が手伝ってくれたので何とか母屋にたどり着いたが、庭を見て息を飲んだ。この風景を見て風情がある等と思われてはたまらない。奥のネイチャー・ファームまでとてもたどり着けず、手前の庭木は雪の重みで潰れてしまっている。
門の入口付近はもっと酷く、通行を確保するためにシャベルカーで雪を積み上げてしまい、フェンスがたおされた。この部分は私有地化どうか微妙なあたりなので、行政にイチャモンを言っていいものかどうかわからず、毎年山のような雪を一人で道路に撒き散らして捨てる。これがまた恐ろしく空しい作業だ。腰をやられる。
寒い中汗まみれになってつらつら考えた。これと似たような仕事とは何だろうか。初めに思いついたのは炭鉱。しかし小倉時代に筑豊の炭鉱跡地を見学したが、昔の採鉱は坑道も狭くシャベルでホイッと言う感じではなかった。
現在の海外の巨大露天掘りは大規模に機械されて更に人手はないだろう。
他にはないか。そうだ、蒸気機関車の石炭をくべる『投炭』というのがある。これだってやたらに釜に放り込めばいいというものじゃなく、ちゃんと投炭の練習をする場所があって訓練を受ける。
右手に少し短い投炭専用のスコップを持ち、左手でタイミング良く釜の口をサッと開けシャッよ放り込むそうだ。この当たりの技も、火床の部位によって(奥・中・手前と右・左)高さを変えて熱効率を上げる熟練が必要らしい。
名作「坂の上の雲」に日本海海戦の詳述があるが、開戦直前の最初の命令は『石炭捨テ方ハジメ』だったとある。長期航海のために甲板に積んでいた石炭を海に捨てる、戦闘の際に引火してしまうからだ。当時の天丼一杯がスコップ一すくい位の値段で、水兵は『天丼一杯』『天丼二杯』と思いながら捨てた、とある。
ふぅー、これだけやっても大雪塊は少しも小さくならない。春まで待とうか。
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贋作 ジェット・ストリーム Ⅶ
2016 JAN 26 7:07:34 am by 西 牟呂雄
ーインストゥルメンタルの「エデンの東」が流れるー
皆さま又お会いしましたね。旅のお相手は私、パーサーのジェット・ニシムロでございます。
これからの旅に心躍る思いではありませんか。たくさんの出会いがあたなを待っていることでしょう。
さて旅の途中で、フト立ち止まり物思いにふけるようなことはありませんか。
本日はそんな時に耳に残るような曲を選んでみました。しばしおくつろぎ下さい。
ーロシア・チェリャビンスク州でー
「こんにちは。」
こんなところで日本語を聞くとは
「わたしの名前はアリューナです。」
12歳のロシア娘が話しかけてくれた
「日本のアニメが大好きです。」
きっと君はとびきりの美人になるだろう
そのころ日本においで
おいしい日本食を御馳走してあげる
楽しみにしているよ
ーアリゾナ州フェニックスにてー
あんたがたどこから来たんだい
おかげで200日ぶりに雨が降った
砂漠の街にようこそ
セミコンダクターの本拠地だよ
なぜだって?
そりゃ他に何も無いからさ、アッハッハッハ。
土地なんか タダでもいらないくらいだ。
どうだい、引っ越してこないか、日本人。
Knockin’ On Heaven’s Door – (Bob Dylan)
天国の扉
クリックしてお楽しみ下さい。
ー帰国の機中にてー
高度三万フィートの高さから
雲海に落ちる夕日の最後のひとかけらが
小粒の宝石のようになっていく
今度の旅も名残惜しいが、そこは所詮流れ者
国に帰るときも 多少はワクワクする
何一つ変わってはいないだろうが
さて また元気を出そなくては
旅は終わったが 明日からがある
もう一眠りしようか
いかがでしたでしょうか。お相手致しましたのはジェット・ニシムロでした。
また、空の旅でお目にかかる日をお待ちしております。
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マカオの怪人
2016 JAN 23 11:11:17 am by 西 牟呂雄
もう十年くらい経ってしまっただろうか、ちょっとしたヤボ用で上海に滞在した後マカオまで足を伸ばした。距離が近いのでアップ・クラスの席を取ったところ、アイル・サイドの反対側に恰幅のいい東洋人が座った。僕より少し若いのではないか。髪はスポーツ刈りのように短く少し薄い。サングラスをしていた。
テイク・オフした後飲み物にシャンパンを頼むとその人も同じ物を頼んでいて、グラスを持った時その人がサングラスを取り目が合った。何故か人懐こい表情で「チアーズ」と声を掛けてくれたので僕も笑いながら返す。
2時間チョイのフライトでランディングしてヤレヤレと荷物を降ろす時また目が合った。今度は僕の方から「ナイス・フライト。ハヴ・ア・グッデイ。」と声を掛けると、満面の笑みで「サンクス。ユー・オルソー。」
ホテル・サーヴィスで定宿のリスボアまで行きチェック・インしようとすると先程の人と偶然にもまた会った。私は少なからずそういう経験をしているが、やはり驚いた。
「ハッハッハッハ。」
笑いながら握手の手を差し伸べてくれる。
「あなたもここだったのか。」
すると彼は
「二度も会ったのならフレンドだ。ディナーの約束はあるのか?私はフリー。」
と言う。チョット面倒かなとも思ったが、結局食事する事に。『カジュアルに着替えて来いよ』と彼は続けた、僕はスーツにネクタイだったからだ。
約束の時間に降りて、さて何を食べるかとレストランの案内を見ているとポンと肩を叩かれる。
「ハイ、マイ・フレンド。アーユー・ジャパニーズ?アイム・キム。」
「イエス。アイム・ニシムロ。ケン・ニシムロ。」
そうか、コリアンなのか。まだサングラスをしている。
「ところで何を食う?今レストランを見ていたが。」
「ハッハッハ、こんな高い所より私は安くて旨いコリアン・バーベキューの店を知ってる。そこに行こう。コリアン・フードは好きか。」
「大好きだ。」
ホテルからタクシーに乗り、彼は運転手には中国語で何か指示を出した。
「コリアから観光か。」
「いや、ビジネスだ。あなたは?」
「不幸にして同じくビジネスだ。」
「ハッハッハッハ。」
会話していると、携帯を取り出して今度は韓国語で喋り始める。しばらくしてハングルの看板の高級そうな店の前に着いた。金を払おうとすると
「私が招いたんだ。私が払う。」
サッサと金を払って降りて行ってしまった。まァいいか。店に入ると店員にテキパキと指示した。階段を上がって二階に案内され、そこには個室が並び一番奥の部屋に連れて行かれる。
「ビール?」
「オフコース。」
早速乾杯した。その時サーヴィス精神で『コンペイ(韓国語)』とやると相手は『カンパイ』と日本語でニッコリ笑った。
「メニューは任せてくれ。」
ハングルと中国語併記のメニューを見て矢継ぎ早に女の子に注文をし、その娘が部屋を出て行くとそこでサングラスを取った。柔らかい目つきをしている。
韓国料理は小さいお皿が沢山並ぶ。
「日本の景気はどうだ。」
「相変わらず良くない。もう少しリセッションが続くだろう。」
「私は何度も日本に行ってる。スコシハシャベレマス。アカサカニイキマシタ。」
「おぉ!英語もこんなに上手くてタクシーでは中国語も喋った。何ヶ国語喋れるのか。」
「ハッハッハ。ロシア語もできる。」
「ハラショー。ズドラーストヴィーチェ。」
「なんだ。あなたもできるのか。」
「挨拶だけだ。ビジネスはできない。」
流暢な英語で良く笑い、洗練された会話が進む。なかなか優秀そうなビジネス・マンに見受けられた。
こういう時、経験上絶対に政治と歴史の話はしない。特にタケシマとかイアンフはマズイ。利害関係のない場合でも、こちらにも言い分があるだけに怒鳴り合いになりかねない。そうなったらオジャンだ。そもそもお互いに納得するような結論など絶対に出ない。但し、サシで喋っているときは滅多にそういった話題にはならない。どうも第三のコリアンがいると勝手に煽りあって激昂に拍車がかかるようなのだ。
それでは真の友情は育たない、等と言わないで欲しい。ましてや今はただ行きずりの気のいいコリアンと食事をしているだけ。
「ビールも疲れたろう(飽きただろう?)。マッコリは飲めるか。」
「ホワイ・ノット。」
望む所だ。しかし僕は今まで酒の弱いコリアンには会ったことがないが、目の前の金氏も強いようだった。その旨を伝えるとまた。
「ハッハッハッハ」
と哄笑する。随分高級なのかマッコリも焼肉も旨い。金氏は多少酔いが廻ると僕に向かって『ニシムロ』と呼びかけるようになっていた。こちらは『キムサン』。年は僕より若いのだろうがお互い聞かなかった。韓国は儒教(ユーギョーと言う)社会だから年が分かると年長を立てなければならず、多少ぎくしゃくする。こちらから聞かない方がいい。
お互いの家族の話。どうも僕の息子と年の近い男の子がいるような口ぶりだった。
こっちも酔いがガンガン廻るが、負けちゃいられない。コップをグッと飲み干すと『ホウ』と言う表情をし、例の『ハッハッハッハ』と共に彼もグッと飲んで私と自分のグラスに嬉しそうに注ぐ、なかなかやるじゃないか。
僕が中国ビジネスの難しさをグチると、金氏も次から次へと例を上げチャイナ・ビジネスの厳しいことを訴える。いちいち尤もでそのたびに『コンペイ』『カンパイ』と飲み干した。
そろそろ酔っ払ってきた。
「日本ではカラオケをやっているか?」
「勿論。一番得意なのはエルビス・プレスリー。」
「私もレパートリーは100曲あるぞ。」
「本当か?全部コリアン・ソングか。」
「アニョン、イングリッシュ、チャイニーズ、コリアンで100曲だ。エンカも歌えるぞ。」
面白い人物だ。会話に日本語や韓国語が混じるようになった。
金氏は突然、
「あなたのサインが欲しい。書いてくれるか。」
と言った。ここの支払いを頼むと言う事なのか、よくわからない。すると店の女の子を呼んで何かをことづけた。女の子は『イエ。』と韓国語で返事をし一度引っ込むと色紙とサインペンを持ってきた。
「ここに名前を書いてくれ。」
と言うではないか。何かのしきたりなのか、面白い。オーケーとばかりにそこにハングルで니 시 무 로 (ニシムロ)「게とㄴ」(組み合わせて一文字で「keng」)と書いた。昔自分の名前が書けるように練習した事があるのだ。そしてその大きなハングルの下に西室建と書いた。どうだ、驚いたか。さすがに『ウォ』と言った感じで目を見開き
「ハッハッハッハ」
とかたをすくめて笑ってくれた。そして真面目な顔になって
「あなたは国を愛しているか。」
と聞くではないか。
「もちろんだ、愛している。あなたと同じだ。」
そういうと、少し真剣な目付きになった。さすがに酔眼になってる。
「私もそうだ。だが我が国はなかなか難しい。」
ポツリと漏らした。
「コリアはもう先進国では?」
これにも笑わずに首を振った。おかしいな。
「まだまだ改善しなければならないことが沢山ある。しかし私はビジネス・オンリーだから何も言えない。」
えらく深刻そうに言うので何と言っていいかわからない。しかし真剣に祖国のことを考えていることは伝わってきた。
本貫を聞いてみることに。大抵の韓国人はこの話が大好きで、続いて出身地を聞く。そして見当をつけてそこの出身者の有名人の名前を挙げて見せるとこれまた喜ばれる。この手で何回も盛り上げた。
「あなたはキムさんだが、どのキムさんか。キョンジュ・キム(慶州金)かチョンジュ・キムか(全州金)、或いはキメッ・キム(金海金)か。どこの出身だ。」
とやった。これにも驚いた表情で
「良く知ってるな。」
と少し間を置いて
「チョンジュ・キムだ。」
ポソッと答えて遠くを見るような目つきになってしまった。何かまずかったのかな。お互い酔っ払ってきたのだろう、そろそろお開きだ。エクスキューズミーとトイレに立って戻ってくると彼は酔った顔でこう言ったのだ。
「ニシムロ。私はピープルズ・リパブリック・オブ・コリアなんだ。」
「ン!」
「ノースだ。」
ギョッとした。それに北の国にこんなスマートなビジネスマンがいるのにも驚いた。
しかし自分から明らかにしたのだから秘密工作員でもなさそうだし、金氏自身は酔っ払ってもいるが極々常識的なままだ。
「だいぶ酔ってしまった。ニシムロ、もう帰って寝よう。あしたも早い。」
「よし。わかった。チェックしよう。」
「さっき私がもう払った。」
「いや、イーブンにしよう。」
「アニョン。トモダチになったから今は私が払う。次回に日本食を奢ってくれ。」
「本当か。それなら約束する。」
そう言ったような気がするが、二人とも酔っ払ってお互いヘロヘロに肩を組んで笑いながら帰った、と思う。
ひどい二日酔いで目が覚めて時計を見て飛び上がった。11時だ!ランチの予定がある、しまった。
夕べは一体どうなったのだかさっぱり思い出せない。金さんと焼肉を食べて随分盛り上がったよな・・・。
とにかく5分でシャワーを浴びなければ。
出て来て夕べテーブルの上に脱ぎ散らかしたジーパンとジャケットをひったくると、色紙がある。何だ。
よく見ればカタカナが書いてある。『キム・ジョンナム』その下に『金正男』なんだこれは。あぁ、そうか僕も何か書いたな。だけど、どこかで聞いたことがあるような・・。
まさか・・・・。名詞も何も交わしていない。
もう二度と会えないのだろうか。日本食を奢る約束が残っているのだが。
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贋作 ジェットストリーム Ⅵ
2016 JAN 21 17:17:28 pm by 西 牟呂雄
ーインストゥルメンタルのミスター・ロンリーが流れるー
旅のお相手はパーサーを務めますジェット・ニシムロです。
人はそれぞれ多くの思い出を抱いています。
良き思い出・つらかった時・楽しかった日々・悲しい出来事。
旅は新たな出会いももたらしてくれますが、過去も振り返らせてくれます。様々な思いを翼に乗せて前に進みましょう。
本日のスタートはスロー・ブルースの名曲ドック・オブ・ザ・ベイです。
風の強い晴れた日に限って
海を見たくなる 冬の海を
打ち寄せる波と 晴れ渡った空
港にしっかりと抱かれた漁船が
ワラワラと揺れる
囃し立てる海猫の鳴き声
本当は寂しいんだろう、と聞こえた
残念でした きょうはツレがいます
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太陽の申し子が眩しそうにテレ笑い
自慢のサングラスを上げれば
忘れられない強い視線
キミは輝いているよ
月夜にしか咲かない花 一輪
闇を満たすような強い香り
私に「帰っていいよ」と笑っているのかい
あなたは優しい
いつの間にあんなところまで
いいよ 振り返らずに行きなさい
走って行って それから振り返ってごらん
未来のキミが見えるかもしれない
クリックしてお楽しみ下さい。白人にしては独特のコブシを効かせるビージーズです ≪I Started A Joke ≫ Bee Gees
星影がチラつく
冬の東の空の オリオン
お前が導いてくれたのか
夜空よ 地球はちゃんと光っているか
凍てつく空気を浴びたくなって
車の窓を開けた
北に向かって車を飛ばせ
行く手に 見えた
大きな 北斗七星が
ワイルド・チェリーのスマッシュ・ヒットから
Play That’s Fanky Music
お楽しみいただけましたでしょうか。
当機は現在高度3万フィートを順調に安定飛行中でございます。
目的地到着までまだ少し空の旅をお楽しみ下さい。
今回の皆様の旅が、また新たな思い出になることを願っております。お相手を務めましたのは、パーサーのジェット・ニシムロでした。それでは又、空でお会いしましょう。
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平成28年の海 (今月のテーマ 今年は何を)
2016 JAN 19 0:00:35 am by 西 牟呂雄
寒い中ハーバーに行って新年会をやりました。今年の航海の安全を祈願して振舞い酒も頂いたらコロッとキャビンで寝てしまい、夜中に揺り起こされます。正確には午前3時頃でしたか。
「オラーッ、すんげー満月がでてるぜー。」
とか言われて厚手の装備をゴソゴソ着込んでデッキに上がるとオォッ!まるで暗天に向かう光の道です。風は冷たいが強くはなく、唯一人酒の飲めないオーナーが舵を取って城ケ島の沖合を微速でセーリングしていました。海は静かに凪いでます。
お湯を沸かして焼酎をお湯割りにして少し飲んで暖まり、
「去年は八丈行ったけど、今年は島伝いに三宅までにしようか。」
「下田に付けてそこから東伊豆の温泉をズーッと回るのはどうだ。」
「いっそ東京湾の奥まで北上してディズニー・ランドの花火を見ようよ。」
などと今年の抱負を言い合いました。大体今頃口に出すハッタリは実現しないことが多いのですが。
年明けでも貨物船は行き交っているのが遠くに見えていてワッチ・マンは気が抜けません。一眠りした後に夜中の12時に出港したそうです。
水平線まで続いて、その光に向かっていけば満月に届いてしまいそうな気がしながらメイン・セールだけでジブは使わずに進んでいきます。
船はチャプチャプ行ったり来たり。江ノ島の灯台は見えていたのが観音崎や房総の光がチラチラと。航跡を見ると大分千葉側に来ていました。スキッパーから
「そろそろ戻ろうか。」
と声が掛かりました。流れ星が沢山見えてくるとそろそろ夜明け、東が明るくなってきます。
満月はいつの間にか見えなくなりました。
そして房総の方が!
闇を消し 空を割りたる 朝焼けに
音も届かず 波も騒がず
今年の航海の安全を祈って柏手を打ってしまった。日本人だなぁ。
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ハマのマイクと呼ばれた男
2016 JAN 16 14:14:11 pm by 西 牟呂雄
横須賀生まれの日米ハーフ。父親の顔は知らずに育った。なかなか頭の切れる子供だったらしい。中学時代は走り高跳びの神奈川県記録を出したこともあってスポーツは万能で女の子には良くモテた。が、世間一般の人種偏見はまだキツかった。そのせいかどうかは別としても、卒業後は活動の基盤を横浜に移して本格的な不良チンピラになっていった。1960年代後半は本牧でゴールデン・カップスが抜群の人気だった頃である。アメリカがヴェトナムに本格的に介入し、横浜には米兵がウヨウヨしていた。
今で言うイケメンでアイヴィー・ルックが良く似合った。無類の女好きでもあったから、ナンパしてはヒモになってたかり暮らしたり、また滅法ケンカにも強かったので徒党を組んで暴れたり。横浜は愚連隊発祥の地の一つだ。
ただ、気持ちに多少『やさしい』ところがあって、ヤクザにはどうしてもならなかった。むしろカモにした。不良米兵と組んだ軍の物資の横流し先がヤクザだった。
横浜は港湾を抱えているため古くからの博徒組織があった。愚連隊も含め合従連合の結果◎川会が取り仕切るのだが、関東進出を目論む◎口組がヤバいエリアに拠点を構えた。時に友好的に、時に敵対的に火花を散らしていた頃だ。どちらも戦闘力を確保するために武器の調達に余念が無い。
他にも台湾系、半島系、港町特有の外人船員の組織といったグループが入り乱れていた。
こういった危険な街を辛子色のビートルで泳ぐように行く彼を、不良米兵は『マイク』と呼んだ。ミッキー・スピレインの小説の主人公マイク・ハマーを『浜(ハマ)のマイク』と洒落てのニックネームらしい。
デカい話がつるんでいた悪い米兵から持ち込まれた。戦闘に使われてガタがきたピストルやM-16ライフルの一括処分だ。普通こういったブツは完全にスクラップにされなければならないが、そこはそれ。需要はいくらでもある。◎川会のチンピラに話をつけると乗って来た。相場の倍を吹っかけて不良品の武器を売りつけ、前金を受け取った段階で姿を消す。
ブツを見たヤクザは本気で怒る。なにしろ撃鉄が抜けたピストルやマガジンの入らないライフルの山だ。
「そいつをつかまえてくれー!」
一見してヤクザが血走った眼で大声を上げながら伊勢佐木町を走って行く。
その先には長身のマイクが俊足で人込みを逃げていく。
曲がり角にエンジンを掛けたビートルが待っていた。素早く助手席に飛び込んでドアの締まる前に猛烈にタイヤを軋ませて発進させたあと、運転していたモデルの彼女に言った。
「やばい!オレ消される。暫く日本をフケるよ。」
ツテも何もないワイキキのレストランで皿洗いのアルバイトを夜中にやっているマイクの姿がみられたのはその半年後。全くドン底の生活から辛くも食いつないだ。ハワイには日系人ソサイエティもあり全く英語を喋らなくても最低の生活はできたのだった。
その内日本からの観光客も増えだす。家族連れ・パックツアー・若い男女もやってくる。
たちまち俄かガイドになりすましたマイクが現れて『日本人のあまり行かない所』だの『秘密のホノルル』といった怪しげな悪所を連れ廻す。オッサン達には現地のナイスバディ、女性には米海軍のハンサム士官、若いアンチャンには本土のヒッピー・ガールと(殆どマイクの悪仲間)紹介するやらぼったくるわで危なく稼いでいた。3年程ほとぼりを冷ました。
もうそろそろ良かろう、と踏ん切りをつけ(借金を踏み倒し)久しぶりに日本に帰ってきた。
30前になっていが、取り合えず面の割れている横浜や横須賀には帰れない。多摩川を渡れなかった。
「ワイハ(ハワイのこと)じゃこうだよ。西海岸は違うけどね。」という喋りを駆使し、現地のライフ・スタイルを紹介するようなファッション誌の営業職に就く。時代はバブルの様相を見せ始め、世の中の役に立たないものが脚光を浴びるような時代になってきていた。
ところがこの業界、流行り廃りは世の常である。ファッションもすぐに飽きられるご時勢に、昔から馴染んでいるアイビー・スタイルを変えるのはどうも性に合わない。音楽もビー・バップ、4ビート趣味が抜けない。
何だかんだ言いながら結局勤め人はできずに六本木で店を始め、その界隈に住み着く。
店のパートナーはどこからこんな相棒を見つけ出したのか不思議になるほど、無性に気の合う奴と出会う。すなわちチャランポランで女ったらし。ミッキーといった、郷ひろみ似のワルだった。
究極のナンパ・ブラザーズが結成されたのだ。マイクの方はいかにも誑し込む感じで女を口説き、ミッキーは明るく声を掛ける。ふたりで営業と称し、代わるがわる銀座を飲み歩いていた。もっともこれは店がハネたあとにアフターで来てもらうのにはかなり効果があったようだ。
ミッキーは東京出身で育ちのいい男だったが商売歴は長く、その時点でいくつもの店を出しては潰していた。
僕が知り合ったのはこの頃で、コンビはまるでバブル後の六本木の寄生虫のようだった。仲良くなると知り合いの店の『パーティー』に誘われたが、彼らが金を払うのを見たことが無い。そういった集りは当時のディスコなんかが貸切で催されていたが『ナントカちゃん来てる~?』とか言いながら紛れ込み、散々飲み食いナンパして『チョット仕事だから』といつのまにか姿を消す。
こんな調子だから店は奴等の女調達機関ともなり、数々の危機を乗り越え(踏み倒し)、おまけにミッキーは癌にもなったくせに全快した。
そういえばゴルフ狂いをしていて、結構うまかった。朝まで営業して店が終わってからコースに行き、酒臭い息を吐きながら2ラウンドやったりしていたが、いつ寝ていたのだろう。
さすがにこっちも年だし東京にいない時期もあって次第に足が遠のいたのだが、先日久しぶり(10年振り?)に飲んだ帰りに寄ってみると、驚いた事にまだ生き延びていた。新しい店を出すのだとか、全く懲りていなかった。もう60代後半だろうに。彼らを見て、うっかり『人生はやっぱり素晴らしい』等と思ってしまったのは不覚としか言いようがない。
この人物は僕の作り話ではなく本当に実在する。マイクの本名は純一という。
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惹句師になりたい (今月のテーマ 今年は何を)
2016 JAN 14 0:00:36 am by 西 牟呂雄
惹句師(じゃっくし)という職業があった、いや今もある。簡単に言えばコピーライターなのだが、対象が映画に限られる。映画のポスターなどに乗せる刺激的な宣伝文句、以前は予告編なんかにデカイ字で飛んでくる短文、テレビの映画宣伝なんかで耳にすることば、ああいうやつを書く人のことを言う。検索すると有名な惹句もいくつか見つかった。ああいうのを今年はやってみたい。このごろぼんやりしていたりすると、昔見た映画の惹句を考えたりしている。
『愛と青春の旅立ち』
ー 地獄の訓練 ほとばしる激情 そして一つの愛が実った -
『トップ・ガン』
ー レーダーにプリッツが映れば、それはボギー(所属不明機)だ -
これらの作品は何回も何回も見ているので造り易かった。特に海軍モノは好きなので思い入れもある。
実際の惹句師になると、撮影現場に一緒に泊り込み、長ければ一年近くつきあった上で更に考え抜いてやっと一文をひねり出すと言う。一度や二度の観賞で薄っぺらい印象だけを綴ってはだめらしい。
『仁義無き戦い』
これには既に「殺(と)れい! 殺(と)ったれい! 拳銃が焼きつくまで撃て!」という有名なものがあるが、
ー 殺(と)るときゃ広島じゃ 朝から血の雨が降るんで -
『傷だらけの天使』(映画じゃないけど好きなんで)
ー 街の寄生虫は逞しく生き抜く -
『相棒 シーズン14』(これもテレビですが)
ー 切れ者 対 化け物 -
惹句は考えたが、実際の現行シリーズはこの凄みがない。もう見るのを止めてます。
『スタンド・バイ・ミー』
ー 少年は誰でも泣き出したくなるほど孤独だ -
そういえば洋画にそれらしい邦題を付けるのもかつてはいいのがあった。『愛と青春の旅立ち』の原題は『An Officer and a Gentleman』だが、これを『士官と紳士』とつけたら味気ない。古いところでは『望郷』なんか『Pépé le Moko』でそのまま主人公の名前だった。『スター・ウォーズ』を『銀河大戦争』だったら・・、うまくいかないか。フム、難しいな。
古い映画ばかりで物足りなくなって、僕自身が制作・監督する映画を考えた。以前書いた 本能寺以後 をベースに明智光秀を根須甚八が、黒田長政を阿部寛が、そしてシーンは安土城七層の天守で舘ひろしの織田信長が惹句をうそぶく。
ー 天下なんぞ欲しくばくれてやる ワシには天上が真上に見えておるわ ー
こういうのはどうか。平成亜空間戦争 Ⅱ で平将門を渡辺謙、大塔の宮は坂東玉三郎。石川五右衛門に泉谷しげる。そして美輪明宏演ずる後醍醐天皇が火炎を吐きながら、あの独特の声でこう言い放つ。
ー ヤマトの怨霊ことごとく見るが良い 朕がまことの姿はこの髑髏本尊なるぞ ー
読者のどなたか。どうすれば惹句師になれるかご存知ですか。
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喜寿庵の夕焼け
2016 JAN 11 15:15:41 pm by 西 牟呂雄
喜寿庵は四季を通じて朝日が上るところは、東の山に隠れて見えない。夕日が落ちるのも山陰に入ってしまうところに立っている。だがこの寒い季節、即ち冬至から二月までの間、山あいのポイントに日が落ちるのが楽しめる。
夕方、夏よりも遥かに低い弧を描いた太陽が妖しい光を放ちながらヨロヨロ落ちて行くのはこの世の無常か、はたまた人類滅亡の前触れか。
全身に浴びても暖かいとも感じられない光は、どうにも弱々しい。
一人で見るからなのか、それとも色合いそのものが終末観を喚起するのか。
これではいけない。
今年は『夕日に向かってソレッ行くぞ!』とならなければ。夜行性の動物・人物に申し訳が立たない。
走るには狭すぎる、叫ぶには静かすぎる、歌うには寂しすぎる。待てよ。都会の真ん中だったら「ソレッ、そろそろ飲みに行けるぞ」と高揚しているな。
完全に日が落ちてからスマホで撮ったのが下の風景だ。太陽があるうちはウデが災いしてシャッターが切れなかった。
山里の 夕日山派に赤々と
落つれば 瞬時に 闇迫り来る
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六軸螺旋理論 (今月のテーマ 今年は何を)
2016 JAN 9 9:09:21 am by 西 牟呂雄
複雑な中東問題を自分で考えてみようと思って、ヒマにまかせて星取り表を作って失敗した。アルファベット順に関係国を並べてみたが、縦横だけの表では利害関係を数値化できなかった。加えて直近のトルコ空軍のロシア機撃墜によって両国の緊張感が高まった事を、表のなかの関係諸国に負荷をかける数値化も不可能だった。単なる平面的なゼロ・サム配分では到底全体を把握することはできない。簡単に言えば、戦争も飛び火しない、難民も来ない日本が一人勝ちとなるようなバランスができてしまい、それでは放ったらかしで見ていりゃいい、というような結論が出ても何の意味もない。
外部環境が常に流動的ということは、モノの見方の軸が勝手に動いてしまうのだな。
ゲーム理論で使う利得表を考えてみよう。そしてナッシュ均衡点をプロットしてみる。
次にこの表自体が座標ごとX-Y軸に移動するものだとする、座標そのものが上下左右に移動する。感覚的に右に1単位・上に1単位移動していくと、点は画面の右上に向かって階段状の図形を描いていくはずだ。
そこで座標の軸が中心点の廻りに時計回り上にも回転させる。例えば5度くらいの角度で回転させると均衡点は最低2カ所はあるはずだから、2点の軌跡カーブを描き出す。
そして座標が上にせり出して来るように上げてみる、浮き上がってくる感じ。更にその面自体を左右に、或いは前後に羽ばたくように運動させる。当初の面を3次元的に移動させ、3軸に回転を加えることにする。
分かりやすくするために、ステージは上方向にのみ1単位づつ上昇し、軸の回転は右と前方にのみ傾くことにする。
この運動を繰り返しているとある移動単位ごとに元の次元に戻ってその際の均衡点の座標が元の座標から45度の線上に出現する。勿論、象限・軸の移動に規則性があれば、の話だが。
これと国際関係と何の関係があるかと言われれば、全く関係ない。『歴史は繰り返す』等という警句もあるのだが、そこには法則そのものはない。時々ある天才がどこの世界にも表れて景観をガラリと帰ることはその通りだが、個人的な意見としては千年や二千年くらいで人類全体の頭がそんなに進化するはずもない。国際関係もしかりだろう。投票行為を是とする民主主義がそんなに正しいか?まあいいや。
しかし1単位とは私が勝手に想定しただけだから、自然界の任意かつユニークな数字の場合はベラボウなことになってしまい、2つの均衡点はゲノムのような螺旋を描きつつウネウネと曲がりくねって、どこかの時点で元の座標に戻るだろう。
僕はこの動きを数式化してみたくなり、色々とネットを探った。その時点ではこの運動は可視化できないと考えたのだ。ところが、それこそ宇宙レヴェルの空間に天体クラスの点を想像してみると自由自在にこの螺旋がのた打ち回り動く事が可能だと気が付いた。先程の『元の座標に戻る』も当然そうなのだ。宇宙空間には上も下も縦も横もないから何億光年の時間軸で考えれば小惑星の地球への衝突などは当たり前と思われる。ロシアに隕石が落ちた映像をご記憶だろう。
ところでこの考えを何とか無限遠に引き伸ばして、小惑星が飛び出してくるというナントカ星雲に的を絞って計算すると、地球への衝突する確立が分からないか。唐突にそんなことを思いついたのは、金星の自転が他の惑星とは逆回転になっていることに気が付いたからだ。自転がひっくり返るには小惑星よりも遥かにでかい、天体クラスがぶつかるかして、結果地軸がひっくり返ったと言われている。金星探査機「あかつき」の金星周回軌道投入が今月成功したので金星を思い出していた。地球でそんな事が起こったら人類は絶滅だ。まぁ、ないのだろうが。
「はやぶさ2」のスィング・バイで多少霞んでしまったような気がするが「あかつき」は打ち上げられたのが2010年だからもう5年も宇宙を飛んでいる。いじらしいではないか。緻密な計算を続けているスタッフに敬意を表したい。
ビッグ・バンで宇宙が出来た時には分裂する前の質量も何もない何かが高速で自在に飛び回り、そのころの宇宙の果てまで行ってはまた元に戻ってくる運動(のようなこと)をしていたかと思う。
で、今年から数学に凝ってみてこの法則を数式化しようかと思ったのだが、例によって何がなんだか分からなくなって諦めた。どなたか『如何なる不規則な運動も宇宙規模の空間では必ず同一点を通過する』という命題を証明して頂けませんか。
えーと、中東問題はどうなったっけ?サウジもイランも落ち着いてくれ!
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