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秋の関西に足を延ばした 下

2016 NOV 9 19:19:54 pm by 西 牟呂雄

 明日香に行ってみようとレンタカーを借りた。
 そして移動して分かったのだが、現在の奈良の中心地である春日大社・東大寺の辺りからは車で一時間以上かかる。奈良盆地は縦に大変長いのである。ほぼ直線に南下して、やや険しい感じに風景が変わった辺りが明日香だった。
 目ぼしい所はと言えば石舞台だろうか。ナビを頼りにソロソロ行くが、道がとても狭い。すると山の中腹に向けて看板が出ていた。登って行くと、出た。%e5%87%ba%e3%81%9f

 ほぼ蘇我馬子のお墓と推定されているが、初めから盛り土されていなかったそうだ。ボランティアの解説によると、馬子の弟に当たる人が造営を始めたところ暗殺されてしまい、工事が中止になった可能性が高いらしい。

中に入れる

中に入れる

 この裏山に石切り場があり、そこからエッサエッサ運んで埋めたり積んだりした。一個70トン程の塊なので大した土木技術だ。当時のこのエリアの人口ではピラミッドに匹敵する工事と言ったら大げさか。
 この入口から中に入ると物凄い重圧感で、まさか落ちてはこないだろうが息苦しくはある。ところどころ日の光が漏れていた。
 しかし石棺などは無いので馬子の死体も埋葬品もどこへいったか分からない。
 それどころか、遥か後世には城郭に使うためにこの巨石を切り出そうとさえした輩もいた。
 考古学も歴史学も尊重されなかった頃は、こんなものはタダの石で利用できるものは利用してしまえ、だったのか。

酒船石

酒船石

 古代の石文化にすっかりマイッて車のナビを入れると、他にも近所にたくさんあることに気が付いた。小判形石造物やら亀形石造物とか記してあったので『酒船石』を見に行く。国の史跡に指定されているのだが、全く観光資源になっておらず案内もなかった。
 幾何的な溝が彫ってあり呪術的なことに使用された気がしなくもないが、構造は至って単純。見れば見るほど面白く、近くに土管・石樋も見つかっと言うからここを何かが流れていた事を想像しているうちに暗くなってきた。
 それにしても誰も来ないし石自体は放りっぱなしにされていて、このままでは風化が進んでしまう。石舞台同様で江戸時代に高取城の石垣用に削ったことも。
 この近くが飛鳥板蓋宮のあった場所だ。皇極天皇の目の前で蘇我入鹿が刺殺される、乙巳の変の舞台である。その後大化の改新となるクーデターだった。それまではその蘇我氏のフランチャイズだった。
 大化の改新によって都は難波宮に遷都され大阪に移ってしまった。

 大和路は 秋くれつつも 人やさし
        まばたき一つ 千五百年 

飛鳥残照

飛鳥残照

 蘇我氏の本拠地ということは、蘇我入鹿が聖徳太子の遺児で従兄弟にあたる山背大兄王を襲撃するとき、100人の兵を斑鳩宮に向かわせたのはここからだったろうか。
 寒くなってきた。もう帰ろう。

秋の関西に足を伸ばした 上


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