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逆転 江戸城総攻撃 後編

2021 SEP 27 0:00:26 am by 西 牟呂雄

 勝海舟が帰った後、西郷はしばし目を閉じて思料していた。
『夕餉の支度が整いもした』
 声がかかっても動かない。心配した側近の村田新八・中村半次郎らが傍らに来て聞いた。
『吉之助さぁ、どげしたとでごわすか』
 西郷はその声に即されるよう、カッと目を開き大声を発した。
『夜襲で来もす!勝先生の最期の言葉で分かりもした。戦支度せい。こっちから行きもんそ』
 そう言うと、飯椀にお茶をぶちかけ、グーッと一口で飲み込んでしまった。
 夜襲は静かに迅速を以て成すべし。しかしながら元々翌日の総攻撃に興奮して酒まで飲んだ官軍は笑う者・歌う者・大声で話す者でごったがえしていた。そこへ各小隊長の「非常呼集ー!」の声がかかると、一瞬静寂が流れた。
 大隊長の村田新八が訓示しようと壇上に登って各隊に対面したその刹那、「ドーン!」「ドーン!」「ドーン!」と立て続けに砲撃音の後、地響きとともに官軍本営に猛烈な火の手が上がった。
『しもた!一足おそか』
 西郷が叫んだ時には次々と被弾し、全軍が浮足立つ。
 西郷は薩摩人の気性を知り抜いている。劣勢に立つと人が変わったように腰砕けになることを。品川沖に停泊していた開陽丸以下、幕府艦隊の一斉砲撃である。開陽丸のクルップ砲の射程は4kmである。
 後ろから不意打ちをされた格好で、西郷は直ちに指示した。
『半次郎!先手をとられっした。反撃すっとじゃ』
『心得っごわす。小銃隊!オイに続けー!』
 半次郎は抜刀すると配下の小隊長を従え、未だに動きのない幕府側を見据えて進軍(というより切り込み)を開始した。既に戦場となっているのだ。
 前衛が幕軍の防衛線に突っ込んでいく。こうなったら静かにも何もない。一斉に鬨の声を上げた。対する幕府歩兵隊のシャスポー銃が火を噴き、半次郎の左右を駆けていた薩摩藩士がなぎ倒された。しかしそれしきのことでは怯まない。
『チェストー!』と独特の声を上げて敵陣に殺到すると手当たり次第に切りつけた。
 官軍の先鋒の多くは薩摩兵である。彼らの突進力は凄まじく、潮が引くように幕軍は後退していった。品川沖からの砲撃音は既に止んでいた。
 江戸城に構えていた慶喜の元に次々に伝令が来る。
『ご注進ー!申し上げます。敵はいよいよ新橋にまで迫りつつありー!』
 それを聞いた慶喜はニヤリと笑った。既に戦闘は3時間を超えている。
『よし。正面から来たな。高橋、遊撃隊を前進させよ。そして浜御殿の新徴組にもかからせよ』
 高橋とは幕末三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)と謳われた幕臣で、槍(忍心流)の達人である。いわば将軍の親衛隊ともいえる洋式陸軍の遊撃隊を率いていた。新徴組は清川八郎が集めた浪士隊の分派で、庄内藩預かりの江戸の治安部隊。あの清川八郎が浪士隊上洛後に江戸に下向した際、一緒に帰ってきた連中で、この時に京都に残ったのが新撰組だ。慶喜は勝機と見て虎の子の精鋭部隊を投入し背水の陣を敷いたことになる。
『上様、どちらへ』
『これより桜田門を出て直接指揮を執る。各々覚悟致せ』
 江戸城開闢以来、前代未聞の将軍出陣に一斉にほら貝が吹かれた。
 官軍にしてみれば、正確な砲撃を撃ちこまれたために敵陣に突撃すると、途端に歩兵部隊の一列横隊一斉射撃を浴びせられ、その侵攻は止まった。と、同時に新徴組に側面を突かれ、不意打ちを喰った。
『こいはまずか、ええい退け、戻るッと。吉之助さぁ守らんな』
 半次郎は官軍本営に駆け込んだ。
『吉之助さぁ、思いの外の押されっごわす。逃げったもんせ。オイは殿(しんがり)を務め、捨てがまりやいもす』
『半次郎。背後からも会津と桑名が寄せちょう。武州を西に上って土佐の迅衝隊と合流せい。ステがまりィ?くれぐれも早まんな』
 捨てがまり。古くから薩摩に伝わる退却の際の戦法である。十名程の決死隊が全滅するまで追っ手を食い止め、その隙に本隊が進むという十死零生の凄まじい戦法で、有名なのは関ケ原の家康本陣に切り込んだ後の撤退だ。その際は300人が80人に減って薩摩にたどり着く。
 半次郎の目の前に背の高い新徴組隊士が突っ込んできた。咄嗟に身を翻らせトンボの構えで対峙すると、敵は正眼に構えた。こんな所で切り合いをしている場合ではないが、ただならぬ殺気に思いきり打ち込んだが手ごたえがない。ヒラリと体を交わされ逆に胸元目がけての電光の突きが飛んできてそれを払った。腕が立つ、半次郎の血が騒いだ。
『おはん、かなりの腕と見た。尋常に勝負したかが今はちょっ手が離せん。あいすまんこつがここは一旦預けったもんせ。大将ば守らんならん。オイは薩摩藩士、中村半次郎ごわす。お名前聞かせたもんせ』
 この火急の際に豪胆というかムシがいいというか、あまりの滑稽さに隊士もつい笑ってしまったようだった。

中沢琴のものとされる写真

『新徴組、中沢琴』
『かたじけなか。これにてご免』
 半次郎は駆けだしながら、今の甲高い声に引っかかるものを感じた。
「あれはおごじょではなかか」
 中沢琴は新徴組に実態に在隊した美貌の女剣士だった。史実では新徴組の撤退に同行して庄内まで転戦、維新後は故郷の沼田に隠棲する。
 西郷を囲みつつ官軍の大部隊が敗走しているうちに夜が明けつつあった。半次郎は次々に捨てがまりを指名する。
『弥助、隼人、十郎、五郎丸、信吾、小隊連れて捨てがまりじゃ』
『承知ごわす』
 すべての薩摩武士はこの時のために胆力を練ったのであろう。嬉々として死地に赴く、笑みさえ浮かべて。
 夜が明け切ってしまうと視界が効くようになる。幕軍歩兵部隊は当面の敵が退きつつあるので休みだしたところ、一人の高級指揮官が現れて叱咤激励し始めた。
『一合戦終わったつもりなら心得違いじゃ。朝敵の汚名を着たままですむと思うのか。覇権は関東にありと知らしめい』
 各隊の指揮官が訝ってその声の先を見るや、飛び上がって土下座する。
『上様』
 各々仰天して身構えるが、声の主である慶喜はサッサと歩を進めつつ言い放った。
『余に続け』
 とんでもない事態になって全軍が慌てた。将軍は例のナポレオン三世から送られた洋装に身を固めている。総大将が護衛も付けずに行く後から勝海舟と山岡鉄舟が続く。「上様を先陣に立たすな!」と声を励ますと歩兵部隊は駆けだした。
 慶喜がハッと身構えて右半身になり「エイッ」と右手を振り下ろした。グァッ、と断末魔の声がして、黒い影がのけぞって倒れた。慶喜、得意の手裏剣が官軍の残兵のとどめを刺したのだ。
『見よ、未だ戦い成就せず』
 勝・山岡は真っ青になって歩兵隊を叱責した。
『馬鹿者!止めを刺さんかァ!』
 
 一方その頃、板橋の中山道で対峙していた官軍と幕府軍の戦闘の火蓋が切られた。夜明けとともに『バタリオーン!アルト!』とフランス語の号令がかかる。
 指揮を執るシャノワーヌ大尉に率いられ幕府・伝習隊が前進を開始した。シャノワーヌ大尉は幕府の招聘によりナポレオンⅢ世に派遣された軍事顧問団のリーダーで、後にフランスで陸軍大臣となる名将である。
 対する官軍の中心は長州の奇兵隊だ。こちらも士気は高く退くことなどあり得ない。ガチンコの激突となった。だが一つ違う所がある。伝習隊には新設の砲兵隊があったのだ。当時の日本には砲兵戦術はまだなく、固定させてぶっ放すだけだった。それを指導し率いるのはシャノワーヌ大尉の盟友ブリュネ大尉、こちらも後にシャノワーヌ陸軍大臣の元で陸軍参謀総長となるエリートである。
 ブリュネの指導は、初めは仰角45度で敵陣中央を砲撃し、次第に下げて前面近くを叩く。更に砲兵部隊を素早く前進させ、機動活用することによりダメージを拡大させるとともに、味方の歩兵の突撃には損傷を与えない、という近代用兵だ。そのためブリュネの部隊は重い青銅製四ポンド砲12門を運用する猛烈な訓練を受けていた。
 前進の号令のすぐ後に、そのブリュネ大尉の砲が一斉に火を噴いた。轟音とともに奇兵隊は砕かれ吹っ飛んだ。その後4門3組が仰角を変えて縦横無尽の砲撃で、そこら中を焼き尽くす。
 戦闘2時間、シャノワーヌ大尉は総大将の小栗に判断を仰いだ。
『コウヅケノスケサマ。ソウコウゲキデヨロシイデスカ』
『うむ。存分にかかれ』
 伝習隊の銃剣突撃が始まった。奇兵隊も必死の防御をするが後方は砲撃により潰されてしまい、とても持ちこたえられるものではない。押されてさらに砲撃の餌食になっていく。幕軍の完勝であった。

 江戸城本丸。集まった勝・山岡以下各方面の司令官・親藩大名、榎本海軍総裁等を前に慶喜は更なる命令を下した。依然洋装の軍服のままである。
『皆の者、よくやった。ご苦労であった』
『ははー』
『軍議である。さっさと面を上げよ。敗走した西郷や板垣はどうなった』
『いずれも相模まで下がっており、目下追討の追っ手を差し向けております』
 答えたのは勝海舟であった。
『手ぬるい!遊撃隊も向かわせよ。合わせてあの土方に追い詰めさせるのじゃ。必ず二人の首を我が前にならべよ。榎本はおるか』
『釜次郎、御前に』
『官軍主力は関東に出払って居る。艦隊は伝習隊とともに再び大阪湾に移動し、都を制圧する。今度こそにわか官軍の化けの皮を剥いでやる。尚会津中将と桑名定敬、江戸の守りを固めよ』
『上様、下阪の指揮はだれが』
『うつけものー!余が自ら帝に拝謁し、朝敵の汚名を晴らすのじゃ。公家どもめ。こちらも寛永寺におわす輪王寺宮法親王に御動座いただき、菊と葵の旗を掲げて下阪する。錦旗何するものぞ』
 官軍本隊はボロボロになり敗走。京都は主力が出払っている。開陽丸が大阪湾に着く頃には「幕軍優勢」の噂と共に日和見だった親藩は寝返って慶喜を先導するだろう。

 このまま日本を割った戦を続けるか、はたまた寸止めにして妥協をするのか。
 近代日本の夜明けは未だ遠く、行く末はそれぞれの胸先三寸にしか無いのだった。将軍慶喜・勝海舟・西郷隆盛の・・・明日はどっちだ!!!

 おしまい

逆転 江戸城総攻撃 前編

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