Sonar Members Club No.36

カテゴリー: プロレス

大相撲観戦記

2023 SEP 20 0:00:51 am by 西 牟呂雄

 いわゆるそのスジのこわもての人はケンカのプロなので、空手・柔道・ボクシングと心得のある人も多い。それがどの格闘技経験者が一番強いか、という問いには一様に相撲を上げるそうだ。僕としてはプロレスと言いたいところだが、ストリート・ファイトの場合下はマットではないので寝技には至らないし、バック・ドロップなんかは自分の頭もコンクリートに当たる。その点、ダウンしたら即負けの相撲取りは立ち続ける体幹能力と前に出るスピードがズバ抜けているとか。おまけにあの体型なので、蹴りでもパンチでもめりこんでしまってダメージは少ないらしい。昔、空手バカ一代に夢中になって、ブルース・リーにかぶれていた時は極真空手地上最強にも納得感があったが、ストリートでデス・マッチをやったらどうなのか。

ズラリ!

 どういう訳か、横綱不在の今場所の升席が手に入ったので昨日(18日)国技館に足を運んだ。向こう正面だったので、立ち合いの時に行司が邪魔なのが難点だが、バチッっとかドスッあるいはゴンッっといった音が聞こえるのは迫力満点である。
 何度か仕切り直しをしていると、見る見る力士の表情が強張り顔色まで変わる。これは土俵下からでないとなかなか伝わらない。テレビ中継はカメラが見下ろすような場所なので目線が高いのだ。
 つくづく相撲は日本の文化だと思う。厳しいく辛い稽古を続けて全力で戦い、一瞬で勝負が決まってしまう。無論これを毎日やるのは持続力も忍耐力も必要なのだが、この一瞬にかけて一勝負するのはプロレスともボクシングとも明らかに違う。例えは適切ではないかもしれないが、真珠湾である。そこで勝った気になった。兵站も戦略も戦争設計もしないで一度勝って・・・。

それっ

 それはさておき、もう一つは様式美。作法に従って礼を重んじ土の上で戦う、反則は一切なし。大好きなプロレスはそれが全部なくて、それはそれで鑑賞の仕方があるが(八百長が無くなった)相撲は相撲でいい、強い。
 贔屓の力士がいる場合は応援に熱が入る。翔猿という人気力士の染め抜きの浴衣を羽織った一団が右前の席にいて、取り組みの時の気合の入り方は尋常でない。するとつられて両隣の席までが声を出し、即席の大応援団が出現した。蹴手繰り・蹴返しと言った足技が多彩な力士だが、この日は負けた。すると中の女性は『ありゃ何だ』と烈火のごとく怒っていた。
 困ったことに(別に困らないが)桝席はお茶屋さんから注文を取りに来てビールや日本酒がいくらでも頼める。途中お弁当も食べるので、飲み食いに夢中になっていたりすると立ち合いを見逃す。酒やお弁当を裁っ着け袴(たっつけばかま)のアニサンが持ってきてくれるのだが、その時にチップを渡す。この時にポチ袋で渡したり財布を取り出してお札を抜き出すのはヤボで、上着のポケットなんかからシャッと千円札を出すと何故かカッコいいことになっている。すると『ヘイ、ゴッツアン』となって何回も聞きに来てくれる。このアニサン達は『出方(でかた)』と呼ばれ、かつては年3回の本場所だけで食って普段はブラブラ遊んでいる人が多かった。即ち年間45日しか働かない遊び人の代名詞で、僕の憧れの職業だったが、今は他に正業(自営業が多い)を持っているらしい。

 さあ、結びの一番は新大関豊昇龍と関脇琴ノ若。豊昇龍は今場所は調子が悪く、仕切りの間は噛みつきそうな表情である。 大歓声の中土俵際で豊昇龍が飛び込むように突っ込むと、琴ノ若はジャンプしたように見えた。豊昇龍の勝ちに見えたが即物言いがついて長いこともめた。
 何と行司差し違えで琴ノ若の勝ち。解説に寄ると豊昇龍の足の甲が既に返っていたので死に体と見なされた。よくわかったな、と感心していたら、ビデオ室からの画像で確認されたのだとか。おかげで立行司は進退伺を八角親方に出したらしい。
 ふーん、進化してるもんだな。
 ハッケヨーイ!

相撲の始まり

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テリー!テリー!テリー!

2023 AUG 26 11:11:01 am by 西 牟呂雄

 会場を埋め尽くすファンの大合唱とともに血まみれのテリーが拳を振るう。左利きのテリー・ファンクが繰り出すナックル・ストレートに酔いしれたものだ。
 名曲『スピニング・トーホールド』の軽快なメロディーに乗ってそろいのジャンパーを着たファンク兄弟が入場するだけで観客は大喜び。ここでもテリー・テリー・テリー!リングの中から応えると大歓声が沸き起こる。どんな相手にも怯まない闘志、ダメージを食っても起き上がるガッツ、僕が最もプロレスにのめり込んでいた頃のスーパー・スターだった。そのテリーが死んじゃった・・・。

ヒール

 この人は日本に於いて絶大なベビー・フェイスだったが、実はアメリカでは地区によってヒールのキャラで Most Hated の上位にいつもいた。そして僕なんかはその魅力に取りつかれたのだった。
 少し専門的になるが、日本でのベビー・フェイス・キャラを立たせるにはやや無理があり、例えば相手のラフを受けるパターンは限られていた。大体コーナーボストに振られるとひっくり返って足がロープに絡まる。
 それが、ヒゲを伸ばして黒いバンダナを巻きロング・タイツでハード・コアのデス・マッチを戦うときなど、実に鮮やかな切れ味だった。ECWに参加した際には『チェーン・ソー・チャーリー』なるクレイジーなキャラで出てきて大暴れした。
 この頃はギミックなのか感情を抑えることができないで暴走・流血の試合ばかりしていたが、一説によると膝が悪くその痛みを抑えるためにオピオイド系の鎮痛剤を多用していて精神的にもアブなかったとも。
 そういう文脈で語る場合は、日本のプロレス・マスコミが命名したテキサス・ブロンコという呼び名は似合わなかった。もっと荒々しいカウボーイキャラの方が良かった。そうですね『レッド・ネック・サイコ』とか『ホワイト・ヘル・ボーイ』とか・・・。
 ファンク兄弟の代名詞のように言われるスピニング・トウ・ホールドだが、初来日のころは目を見張ったものの次第に研究されて決め技にはならなくなった。僕としてはむしろローリング・クレイドル・ホールドの方がプロレス的に好みだった。
 晩年は認知症やパーキンソン病を悪化させて施設にいた。
 テリーよ、安らかに眠れ  ー合掌ー

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過剰な陶酔 アントニオ猪木

2022 OCT 9 11:11:42 am by 西 牟呂雄

 ジャイアント馬場が逝って四半世紀。常にその対立軸として語られたアントニオ猪木が鬼籍に入った。。
 読者の方々はご存じだが、筆者は馬場派を公言していたこともあり、訃報に接してもどうにも筆を執る気になれなかったが、昭和がまた一つ遠のいた感は否めない。
 無類の勝負感。相手の技を全て受けきるスタミナ。技のキレ味。オリジナリティ。どれをとっても比類ないレスラーであったことは筆者も異論はない。延髄蹴りはアメリカでも『ENZUIGIRI』である。
 そして最期に至るまでの道のりは苦難の連続でもあった。良く知られるようにブラジルでの貧しい生活。修行時代の力道山の度を越したシゴキ。東京プロレスの失敗。怪しげな投資。いずれも世間知らずの大男が騙されるパターンに過ぎない。
 いや、むしろ自分から悪手を求めて突っ込んでいったようにさえ見える。そこには過剰な挑発、ほとばしる自己陶酔に取り憑かれた男がいた。
 例のモハメド・アリとの1戦を見てみよう。アリが冗談半分で言った『オレに挑戦する東洋人はいないか』に即座に反応する。それまで黒人とばかり戦っていたアリの悪ふざけだった。
 すると、こともあろうに新日の営業部長だった新間寿がアリの記者会見場に乗り込んで、直接挑戦状を突き付けて煽りまくる。怪しげな人脈と軽薄なマスコミが一斉に群がって大騒ぎになった。代表的な人物が伝説の呼び屋と言われた康芳夫である。
 高額のマネーに目が眩んだか冗談のつもりか、エキビジョン・マッチだと思い込んだアリはろくにトレーニングもしないで来日するが、猪木サイドの本気度に仰天し、キャンセルをチラつかせて様々にルールを弄った。やれ掴むな、投げるな。後に引けなくなった猪木は全て飲んでアレしかないアリ・キック一本鎗で戦う。気の毒に凡戦扱いされたが、筆者の目には膝にキックが決まった時のアリの引きつった表情がはっきりと見えた。
 アリの周りにはボディ・ガードを自称する親日の経費で来日したマフィアのような連中がセコンドをウロウロし、猪木サイドのレスラーと火花を散らす。実際にはかなり危なかったに違いない。そして採点によるドローというプロレス的な引き分けは胡散臭いものだった。アリはグローブの中のバンテージに細工していて、カスっただけで猪木のこめかみが腫れあがったと噂された。胡散臭いことに康芳夫はピンクのガウンでリングに上がって来た。
 アリのパンチは当たらず、我々ツウは猪木の圧勝だと語り合った。当たり前の話だが、相手のルールでやればボクシングも空手も柔道も最強だ。ルールがなければプロレスこそ最強なのは自明の理。ストリート・マッチだったらば相撲だ。多少解説すれば、何でもありのバーリトゥードの場合は常に組技・関節技が勝つし、プロレスともなれば他の競技と違って反則での一発負けにはならない。かつて猪木がセミ・ファイナルで使われていた頃。ジャイアント・チョップに対抗してアントニオ・ストレートなる決め技を駆使していたが、拳でブン殴るだけだ。初めから反則なのである。
 クドクドと述べたが、要は話題にはなったがやらなくてもよかった大イベントだった。
 この辺りから、ならなくてもいい参議院議員、行かなくてもいい北朝鮮(イラクではそれなりの効果はあったものの)、しなくてもいい投資、といった無理を重ね、世間は喝采と冷笑を送った。しかし、筆者は面白く思い(内緒だがスポーツ平和党に投票もし)ながらも『哀れな』という一抹の感傷を覚えずにはいられなかった。最後には病身を晒し、そうまでして追わなければならない自分というものが、何と空しいことかと言ってしまえば言い過ぎか。
 猪木は55才で引退したが、馬場は還暦をすぎてもリングに上がり、全く自分から仕掛けないという境地に至った。もし、あれだけのレスラーとしての能力と名声がなければ、こういうタイプは犯罪者になったかもしれない。同様なことはアリにも言えるだろう。ただし両者ともリングを降りればやさしい人だったと聞く。
 好漢安らかに眠れ。よく戦った。 

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アーロン・ロドリゲス・アレジャノの叙勲

2021 NOV 4 20:20:19 pm by 西 牟呂雄

 名誉の旭日双光章に叙せられた外国人の中に提題のアレジャノ氏の名前があった。
 社会の各分野で顕著な功績をあげた人を叙す旭日章の5番目で、かつては勲五等という格式である。
 アレジャノ氏といっても余程のツウでなければ分からないだろう。氏こそ「千の顔を持つ男」「仮面貴族」の異名で知られるミル・マスカラスその人である。

キャーッ

 我々長年のファンにとっては望外の喜びであり、プロレスというチトややこしい世界が脚光を浴びるのは誠に結構な話である。そもそも虚飾とフェイクの塊のようなオトナのメルヘンが、社会的に認知されるきっかけになればこんな嬉しいことはない。ファンでなくともミル・マスカラスの名前くらいはご存知のはずで、日本ではそれくらい人気が高かった。もっともスペイン語の『ミル』は『千』の意味で、「千の顔を持つ男」はそのまんまの直訳。『千』にしても試合用のマスクは知る限りでは3種類ぐらいだったと思う。スカイ・ハイのテーマに乗って入場の際は、マスクの上に更にセレモニー用のマスクをかぶって入場。コールされるとそれを脱ぎ捨てて会場に投げる、というパフォーマンスをしていたが、あれも別にプレゼントしてくれるわけではなく、若手レスラーが回収して使い回していた。一度会場でそのマスクを手にした子供から取り上げているのを見た。
 技の充実は申し分なく、高く飛ぶ『フライング』と呼ばれたクロス・チョップ、ボディ・プレス、ヘッド・バット等は破壊力も抜群だった。加えてメキシカン・ストレッチ系のロメロ・スペシャルのキレ味も素晴らしい。
 ボディ・ビル出身なので、その体型は素晴らしく維持されていたが、僕はドーピングの疑いが捨てきれなかった。筋肉のオバケ的なところがあって、通常はやりすぎるとハルク・ホーガン型のハゲになるはずだがマスクマンだから分からない。
 かつてはマニアックスを名乗るファン・クラブがあって、東京の大試合になるとそろいのマスクで騎馬を組んで入場したりリング・サイドで特別に応援したりして羨ましく、入りたかったのだが当時はネットなどもなくてどうしたら入会できるか分からなかった。
 印象深い試合としては、田園コロシアムで見た雨中のジャンボ鶴田戦が上げられる。そのころ凄いジャンプ力だった鶴田のドロップ・キックがスクリュー気味に決まったのに対し、フライング・クロスチョップで応酬。場外の鶴田にコーナーポスト最上段からボディ・アタックを浴びせた。もう一試合、

恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

 でも書いた、デストロイヤーとの殺気に満ちた試合が懐かしい。

 もちろん母国では国民的英雄で、マスカラス主演の映画が何本も撮られた。ほとんどが探偵ミル・マスカラスが美女を助けるC級映画で、最後は2007年『ミル・マスカラス対アステカのミイラ』というそうだ。見たことはないが筋は想像がつく。
 ところで、いくら人気者だったとはいえなぜミル・マスカラスなのか。人気の面からでいえばドリー・テリーのファンク兄弟の方が上だったろうし、来日回数ならばスタン・ハンセンやブッチャーの方が多い。かのビル・ロビンソンなどは、UWFスネークピット・ジャパンのヘッドコーチとして1999年から約10年間高円寺に住んでいて、しばしば目撃されていた。
 叙勲は各省各庁の長から推薦されてくるのだが、選考過程において➀ 中米の枠が余った ➁ どこかの省庁に熱烈なファンがいた、のではないか。そして仮にプロレス好きなお役人がいても反則魔や流血大王だったらダメだったろう。一応テクニカ(ベビー・フェイスすなわちイイモノ)だからその点はクリア。
 叙勲され天皇陛下に拝謁する際にあのマスクをしていていいのだろうか。もしいいのなら、いっそ写真のようなコスチュームの方が盛り上がると思うのだが・・・・、ダメか。
 
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1985年のロード・ウォリアーズ 

2020 OCT 10 0:00:57 am by 西 牟呂雄

 厚い胸板、強烈な顔面ペイント、モヒカン刈りと頭頂部をそり上げた逆モヒカン、女性のウェスト程もある腕回り。技も何もない。ぶちかまし、殴りつけ、蹴り上げて、叩きつけるだけ。強い。無敵のタッグ、アニマル&ホークのロード・ウォリアーズの入場だ。そもそも花束贈呈も選手紹介も成り立たないのだ。リングに駆けあがってくるといきなり襲い掛かって試合が始まる。メインエヴェント以外の試合、すなわち来日して直ぐにセミ・ファイナルで若手レスラーとやった時はほとんど秒殺だった。

エグッ‼

 タイトルマッチでも大体ノーコンテストか両者リングアウト。誰が何をやってもフォール負けということがない。そして凶器攻撃のような反則など一切やらず、次々と相手をぶちのめしていく。
 1985年、全日本のリングを襲ったロード・ウォリアーズはひたすら強くかっこよかった。インターナショナル・タッグ選手権に挑戦された鶴田・天竜戦では、あの天竜がアニマルに2回もリフトアップされて投げ落とされた。長州・谷津は長州がサソリ固めをかけると楽々と腕立て伏せをしてみせる。
 ウォリアーズ攻略を研究した僕は弱点は二人の足首だと見抜き、アンクル・ロックかドラゴン・スクリューで攻めろと声援を送ったが、そこまでに至らないうちに粉砕されてしまう。馬場・輪島組も歯が立たなかった。
 話は変わるが1990年代に一時流行ったCMで、アマゾネスみたいな巨漢の女性が「(水の中から姿を現し)ダッダーン!ボヨヨンボヨヨン」と身をくねらせるわけの分からないのがあったが覚えている人はいるかな。これはピップのダダンという栄養ドリンクのCMで、出てくるのはレジー・ベネットという女子プロレスラーだ。この人はウォリアーズのホークの彼女だった。さらにどうでもよいがこの振付を考えたのは投身自殺したコメデイアンの故ポール牧である。
 数々の合体フォーメーションはマネジャーのポールエラリングが振り付けをし、リング下からも細かく指示を出していた。このあたり従来型のタッグマッチより洗練されており、ツウをうならせる新しいスタイルと言えたが、なぜかこの流れは消滅する。現在のWWEではマネジャーがいるケースもあるが、それよりもレスラー本人が色々と発信するスタイルに変わってしまった。

右が佐々木健介

 90年代に新日に参加した際に、脊椎損傷によるアニマルの欠場を受けて日本人パワー・ウォリアーとなって組んだのはあの北斗晶のご主人となった佐々木健介で、このチームも強かった。
 逆モヒカンのホークは薬物問題でWWFから追放されたりしていたが、2003年に心臓発作で急死する。46歳の若さだった。ドーピングしていたのはミエミエで240kgのベンチプレスをガチャガチャいわせながら挙げていた。やはり使い過ぎたのだろう。
 残されたアニマルはその後もリングに上がり、2000年代初頭には来日して武藤啓司と組んだり佐々木健介と再びヘル・ウォリアーズを結成したりして活躍した。そのアニマル、先月ツイッターにより訃報がもたらされた。こちらは60歳。合掌。
 当時、研究者の間でウォリアーズはヒール(悪役)かベビー・フェイス(善玉)かの論争があり、僕はベビーフェイスだと主張した。すると、それではなぜ日本人にあの手のタッグ・チームがないのか、と反論され答えに窮した。そもそもタマがいないのだ。かろうじて僕が出した結論は、ジャンボがヒールに転向してペイントし、新日本の武藤啓司のグレート・ムタと合体すれば成り立つ、というものだった(当時アメリカではグレート・ムタはカブキの息子というギミック)。見たかったなあ、翻っていまではこのタイプのレスラーがほとんどいないことが寂しい。
 ところでアニマルの二人の弟はジョニー・エース、ザ・ターミネーターとして知られるレスラーであり、息子のジェームズ・ロウリネイティスは5年4220万ドルという契約をしたNFLセントルイス・ラムズのラインバッカーというスポーツ一家だった。

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ZERO1にプロレス根性を見た

2020 JUN 12 0:00:30 am by 西 牟呂雄

 3月1日の後楽園ホールの試合をCSで流していたので見た。巷でそろそろコロナがヤバくなった頃の試合だ。これ以降プロレスは興行不能になったので、今頃になってもまだ見ることができたのだ。
 久しぶりのZERO1(以下Z-1)である。実は全日本で結成されていたブードゥー・マーダーズのファンで、TARU(本名:多留)という選手にずっと注目していた。

TARU  エグッ

 ブードゥー・マーダーズのメンバーの変遷とZ-1移籍の経緯は複雑なので割愛するが、Z-1ももう直ぐ20年という歴史を積み重ね、なかなか頑張っている。客もそこそこの入りだった。
 そしてTARUがクリス・ヴァイス・横山・RAICHOを従えてリングに上がってきた。対するは日高・菅原・久保田兄弟の8人タッグだ。
 大将格のTARUがリングに姿を現しド派手なコスチュームの前を広げると、オォ!なにやら牛乳瓶のような形状のものを裏に仕込んでいるではないか、それもたくさん。
 試合が始まると、これはもうザ・プロレスでラフありテクニックありトペ・スイシーダの大技ありの迫力で誠に結構。そしてリング外での攻防の最中にブードゥーの攻撃がレフリーを巻き込んでしまい、しばらくレフリー不在のメチャクチャな展開となった(まっレフリーがいても同じなのだが)。
 そこへGMの三又又三(みつまた・またぞう)がサブ・レフリーとして急遽リングに駆け上がって来た。さあ、ここからだ。ついにTARUが持ち込んでいた謎のビンを振り回すと何と白煙が立ち込める。中身は正体不明の(多分ただの粉)パウダーだった。
 すると何ということだ!レフリー三叉までが一緒になってパウダー攻撃を仕掛け、もうもうと煙るリングでTARUが日高にデスバレー・ボムを決め勝負がついた。

 試合後、三叉は御覧のコスチュームで現れ、自分のイカサマ・レフリー振りを棚に上げて堂々とブードゥー入りを宣言する始末。
 ここで多くのインテリ諸兄諸姉は繭をひそめるだろう。全くの八百長だ、と。
 だが我々のようなスレた観賞者は思う。天晴れなアナーキーさだ。ただの潰し合いはプロレスとは言わない。バーリトゥードやアルティメットがどうしてもエンターテイメントに成りきれないのはそのアナーキーさを演出できないから。
 ここで改めて言いたい。
 プロレスとは異能者が肉体の限界を見せる芸である!
 そうであるならそれなりの芸風と作法があり、それが選手の個性を際立たせる。我々が求めるのはそこで繰り出されるアナーキーさの味だったのである。
 プロレス万歳

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令和の新日本プロレス

2019 NOV 24 5:05:48 am by 西 牟呂雄

 プロレス・シーンのトップ・コンテンダーとしてのポジションを得ていた親日も、多くのインディーズ団体の乱立とその他格闘技の興隆を経てその姿を変えて今日に至っている。
 先般、さるプロレス識者から、ジェイ・ホワイトについてのコメントを即されてつくづく思う所があるので筆を取って自分の考えを整理してみたい。
 実は筆者はジェイについてはいささか苦々しい思いで見てきた。
 それは、日本における外人ヒールの立ち位置の変遷に大きく係っている。

ジェイ 結構ダイナミックだが

 言うまでもなく小生はかつてはゴリゴリの全日派で『馬場式プロレス』をこよなく愛してきた。ランニング・ネックブリーカー・ドロップやスピニング・トゥ・ホールドが好きで、ブッチャーの地獄突きや和田京平レフリーのアクションを好む、かなりの研究者を自称している。昭和の全日のヒールは凶器を使うという古典的な怪物的扱いだったのだ。
 平成時代には、以前のようにのめり込まず、三沢・武藤あたりに注目しつつ大日本やFMWと派生していくゲテモノ路線を楽しんでいた。即ち、アングルにせよヒールには独自のファイト・スタイルが不可欠で、その勢いでゲテモノ路線も支持していたのだ。
 たまに観る新日では、例外的に天山に声援を送った。あのモンゴリアン・チョップが好きだったからである。
 このあたりでヒールがややコスプレ化したと言うべきか。反則は減り、憎憎しげに振舞う演技力のみが求められるようになったのだろう。ここまではいい。
 平成中頃に新日はゲーム・ソフトのブシロードに買収された。僕はオカダ・カズチカ、棚橋あたりに注目したが、じきに離れる。社長がオランダ人のハロルド・ジョージ・メイに代わってエンタテイメント路線が目に余るようになったからだ。この人は子供の頃日本にもいたことがあり日本語もうまい。タカラトミーを立て直した辣腕事業家である。
 そのせいかどうか、観客の見方までが以前と変わって来たフシがある。
 上記プロレス識者はそこを鋭く指摘され、最近のジェイ・ホワイトの台頭には批判的な立場とお見受けした。
 確かに、ジェイの売り出し方は僕も大いに気に入らない。
 イギリスでデビューした後、新日の入門テストをパスしてきたニュージーランド人。いわば叩き上げだが、親日としてはあの『片翼の天使』ケニー・オメガの後として育成する営業戦略のようである。
 ところがヒール(悪役)で行こうということでバレット・クラブ軍団のリーダー格に押し上げ、邪道・外道を従えたアングルを作った。
 これはいかがなものか。少し安易に過ぎないか。
 何しろまだ30前の若者だ。本来ヒールはいいかげん年を喰ったオッサンがズル賢くやるか、本当に頭がおかしそうなアングルか、たとえ若くてもベラボーな不気味さを持て余しているくらいじゃなきゃ勤まらない。これは会社の方針だろうが、WWEスタイルのつもりだったらこのヒール路線はいささか甘い。そもそも周りのレスラーも、WWEのスーパースター達のようにキャラが立っていない。
 更に結構体が充実している割に組技とのコンビネーションが少なく全体がヘビー級の動きになっていない。
 やはりベビーフェイスの王道を歩ませるべきではないのか。このままでは伸び悩んでしまう。今のジェイは全日本に初めて来た時のブルーザー・ブロディのぎこちなさが被る。ブロディはその後キャリアを重ね、ハンセンとの超獣コンビをきっかけに大成した(性格は悪かったが)。
 上述プロレス識者が警鐘を鳴らすようにケニー・オメガの貫禄をこえられないであろう。第一ケニーはバレット・クラブではあったが、日本のファイト・スタイルに馴染むひたむきさが感じられたものだ。

青柳亮生 青柳優馬 

 一方の全日を見ると、後楽園ホールでの少ない観客にも拘らず、諏訪魔や石川修二のボテ腹ズブズブのラフ・ファイトや、若手の青柳兄弟の一途な試合展開をみていると、いつの間にかストロング・スタイルが甦っている(UTAMAROとヨシタツの試合はショボかったが)。たまたま見た試合では青柳弟が片海老固めでギブ・アップを取っていた。
 親日がWWE路線を目指しているうちにカラーが入れ代わったかのようだ。 WWEはテレビ観戦はそれなりに面白いのだが、それなりに分厚い役者が揃ってなければ成り立たない。かつて高田延彦の『ハッスル』がその路線を目指したが、チープな筋書きと選手層の薄さで失敗に終わっている。

 今からでも遅くない!もうちょっとタメをつくれば一皮剥けるはずだから王道を行け、ジェイ・ホワイトよ。新日本プロレスよ。

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

10.21横浜文化体育館

棚橋弘至の『パパはわるものチャンピォン』

歩く火薬庫 来島又兵衛のラリアット

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W-1(レッスル・ワン)を見て思うこと

2019 OCT 15 7:07:21 am by 西 牟呂雄

 場所は横浜文化体育館。T-HawkVS稲葉大樹、と言っても知らないでしょうな。プロレスですがね。この試合は今日のプロレスのある面を示していました。
「なめんな!」
「もっと来い、ノヤロウ」
 の声がマイクに入ります。エルボーの打ち合いから張り手まで、意地と根性がぶつかり合う展開に胸が躍る。
 W-1(レッスル・ワン)は武藤敬司が全日本から分離して設立した団体で、当初はまるっきりのアメリカン・スタイルでした。その後、他団体との離合集散をしながらも何とかしのいでいます。
 表題の横浜文化体育館は彼等がしばしばタイトルマッチを行う、言ってみればフランチャイズなので、両選手も力が入るのは当然です。
 T-Hawkは本名小野寺卓也、トマホークTTを名乗ってデビュー。駒大苫小牧の野球部で田中将大のボールを受けたこともあるそうです。
 その後なかなか伸び切れず、ひどいギミックで使われたりしましたが、今年W-1チャンピォンとなっての防衛戦でした。
 稲葉大樹の方は元全日本でペイントレスラーとしてカナダで修行。結構打たれ強いタイプの選手です。
 試合はT-Hawkがしばしばナックルで殴りかかるのに対し、稲葉の張り手でT-の目が一瞬泳ぐ、ツウには応えられない。
 稲葉のスリーパーホールドにT-の顔が真っ赤になります、そろそろ詰めだ。稲葉は卍固めの後にドラゴン・スープレックスを何発も打ち、結局、極反り卍固めでギブアップを取った!
 ところがそこからなんですがね、稲葉はマイクを取ると「T-Hawkさん、ありがとうございます」などとアピールしたのはプロレスっぽくない、よろしくありません。  

 別の日にノアのジュニアヘビー級の試合、原田大輔vs小峠篤司も観賞しました。共に大阪プロレス出身でプロレスを良く知っている好試合。ただこちらは、むしろ和田京平レフリーの裁きに見入ったものです。
 目下のトレンドとも言える試合を見てつくづく思うのですが、あのナイトライド、ガット・マスター、カタヤマ・ジャーマンもキル・スイッチも危険過ぎるのではないでしょうか。場外に至ってのパイル・ドライバー系の技も正直見るに耐えない部分が残ります。
 その割りにマットが柔らかくなったのか、選手が軽量なのか一発で決まらない、カウント2.9で跳ね返すのが当たり前です。
 ロープ・ワークも昔のようにドロップ・キックを合わせることはありません。というかドロップキックそのものがもはや滅多に見られない。筆者のようなオールドファンは、あのジャイアント馬場の重い32文ロケット砲の破壊力が懐かしくさえ思えてくるのです。グレート・カブキが高千穂明久だった頃のスクリュー・ドロップキックなんかはもう見られないのでしょうか。
 そして観客はその危険な技の応酬を煽りにあおっているのはいかがなものか。昔であれば一発必殺だった技が繰り返し繰り出されるのにも違和感があるのです。無論選手は体を十分に鍛え、かつ体は大変柔らかく、練習もしている。
 この違和感の正体は何か、その謎に迫ってみます。
 まず、これはいいことですが凶器攻撃も反則も流血もない、いいことなんですよ。
 ですが、かつてのブッチャーやタイガー・ジェット・シンの不気味さがないのは淋しいというか、何と言いますか。
 大仁田のデス・マッチ路線や、大日本プロレスのハード・コア・マッチが持て囃され『不気味さ』はそちらの方に行ってしまい、インディーズは『明るく、激しく』の方に行ったと。
 観客は若いファンや女性が多く、筆者の現役の時のようなオッサンと一部小学生という手合いはマイナーです。今のこれらのファンが『もっと。もっと見せてくれ』とやると、『あぁ、そこまでやらないで。もうやめてくれー』と言いながらリングを見ていたワタクシとは求めるものが違うことが分かります。
 
 そういう意味で去る8月に中継された女子プロレスOZアカデミーの「無差別級選手権並びに爆女王選手権ダブルタイトル 有刺鉄線電流爆破バットデスマッチ(長過ぎる)尾崎魔弓VS松本浩代」の迫力とオドロオドロしさは見応えがありました。尾崎ってもう50才ですよ(松本も34だけど)!

尾崎魔弓 50才

 先般、日経新聞の社会面にプロレスに関するコラムが連載されていました。何しろビンス・マクマホン・ジュニアのWWEがMBAの研究教材になる程だから日経が特集しても今更おかしくはありません。
 プロレスをまともなスポーツ扱いするのもどうかと思いますが、ビジネスとして奥の深い営みであることは確かなのです。
 あれだけの汗と鍛え抜かれた肉体のぶつかり合いに魅せられるインテリも多い。
 直近にもあの『京都ぎらい』というベスト・セラーを著した国際日本文化研究センター井上章一教授が『プロレスまみれ』という新書で、試合とテレビ・アングルの関係について、独自の見解を述べています。
 凡百の八百長論には『プロレスの見巧者はそこを見極める』。猪木の失神には『周りに借金取りがワッと来ていたのでわざと負けた。ハルク・ホーガンは突然のことに慌てた表情を撮られていた』との分析、いいですね。
 そして上記尾崎魔弓は、試合後にOZアカデミーを支えてくれたさる故人を讃えるメッセージを絶叫しました。
「作家の堺屋太一先生、長い間ありがとうございました」と。

 いずれにせよプロレスは進化するものなので、どういうチョイスをするかはファンの勝手でしょう。ですが選手の皆さん、くれぐれも怪我には気を付けてください。プロレス万歳!

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

恐怖の4の字固め デストロイヤーの訃報

さらば黒い呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャーの哀愁

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心に残るプロレスの名言 全日本編

 

追憶のメキシカン・プロレス ルチャ・リブレ

2019 SEP 17 6:06:16 am by 西 牟呂雄

 直近のアルツハルマゲドン研究(私のです、あくまで)によると、耄碌が進んだ年寄りが同じ話ばかりして嫌われるのは、記憶の連続性が途切れてしまい、プロセスが飛ばされても差し支えない独立した部分だけが残ってしまうからだ。
 そしてその独立した記憶までもが消滅すると、これはもう桃源郷に遊ぶ心地。それはそれで愉快かもしれないが、端から見ればあまり楽しそうじゃない。
 画像保存機能が発達した現在では、結構なことに記憶からこぼれ落ちそうな場面も検索することができる。
 しかし、それさえも残らないマイナーな思い出、これを残すのにブログというのは実に有難いものではなかろうか。
 大好きなプロレスについて、上記の事実はそっくりそのまま当てはまる。
 誰の記憶にも残らないセミ・ファイナルや中継のない試合。ひょっとしたら僕しか覚えていない光景があるのではないか。往々にして記憶はすり替わる。

 試しに自分で欠けそうな記憶を辿ってみると、やはり途切れてしまった。
 場所は後楽園ホール。怒涛のコールが鳴り響く。
『ケンドー、(チャッチャッチャ)ケンドー、(チャッチャッチャ)』
 あのニッポン・チャッチャッチャのノリだ。
 ここで困った。ケンドーというレスラーは日本人ペイント・レスラーであるケンドー・ナガサキ、同じく日本人マスクマンのケンドー・カシン、メキシカン・マスカラでその名もケンドー、と3人いるが誰だったっけ。マスクマンのルチャだったようなので多分ケンドーだったかな。ここまで書いてどの団体の試合だったかも思い出せないことに愕然とした。全日本や新日本じゃない。ヒマに任せて通りがかった試合を見たようだ。僕はケンドーを初めて見で、それが最後だった。コメディアンのケンドー・コバヤシは関係ない。
 そのケンドーは上半身を反らし下半身でリズムを刻みながら、チャッチャッチャのところで広げた両手の手首を上の方にクッ、クッ、ク、と上げる。いわゆるルチャのノリで観客は大喜び(僕も)、益々コールは大きくなる。
 相手はメキシカンのルード(悪役)で覆面はしていなかった。入場してリングに上がるも、あまりのケンドー・コールに耳を塞いで見せたり顔をしかめたり。終いには頭に来てリングを降りて控え室に帰る素振りを始める。
 すると、通いつめているらしい練達のファン達は逆にルードのコールを始める。この阿吽の呼吸は実にプロレス的でツウならではの面白さがあった。エーット、確か『プラタ・チャッチャッチャ』だったかな。
 それを聞いたヒールは嬉しそうに再びリングに戻り、観客と一緒にチャッチャッチャをやってはしゃぐ。
 今度はケンドーが両手を広げてポルケ(ホワイ)の表情。手を耳にかざして客をあおると、心得たもので再び『ケンドー、(チャッチャッチャ)』が始まる。
 いつ果てるとも知れないパフォーマンスに客は(僕は)酔い痴れるのだった。

 勿論、試合の結果なんか記憶にない、遠い彼方の光景なのだ。
 読者の諸兄諸姉、この試合を覚えている方は御一報下さい。いるわけないか。

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

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ハーリー・レイスの訃報 必殺ダイビング・ヘッドバット

2019 AUG 3 0:00:31 am by 西 牟呂雄

 H・H・Rのロゴ、ハンサム・ハーリー・レイスが76才で亡くなった。直訳した”美獣”という呼び名は、プロレス記者がつけたマヌケ感が漂っていたが、実際にメチャクチャ強かった。また一人、昭和は遠くなったことを実感させられるレスラーの訃報である。
 この人は15才からレスラーをやっていた。それも”カーニバル・レスラー”といって、当時全米を回っていたサーカスで「誰かオレを叩きのめす奴はいるか」と挑戦者を募る見世物に出ていた。
 売り出す時には無名だったので、360キロという史上最も重かったというハッピー・ハンフローの弟というギミックの触れ込みで売り出した。
 『グヮッファ、グヮッファ』と独特の呼吸をしながらギチギチ攻める。強すぎるので、ツウ好みというかプロというか試合の組み立て方に派手さが無い。我々はいつダイビング・ヘッドバットを出すのか、という観賞の仕方をしていた。

ダイビング・ヘッドバット

 このダイビング・ヘッドバットは、頭の硬さというより首の強さが重要だ。普通の人間がやったら一発で鞭打ち症になるような衝撃で、こんな技を多発してたら年を取ってからは大変だろうな、と余計な心配までしたものだった。
 最も印象に残っているのは、先日引退したアブドーラ・ザ・ブッチャーとのアングルである。きっかけはブッチャーがやり過ぎてレイスが腕を負傷してしまい、急遽帰国のためリングから挨拶をしている最中に襲いかかったことだ。これはどういう打ち合わせだったのか良くわからないが、レイスが本当に頭に来たことは確かだ。
 その後、再び来日した時に、まずいことに「頭突き世界一決定戦」などとタイトルを冠した、ブッチャーVS大木金太郎の試合に乱入する。自分を入れないで世界一とは何だ、位の気持ちだったのだろうが、追い回したのはブッチャー一人。場外どころか会場の日大講堂も飛び出して国道14号線で殴り合い、パトカーが出動した。
 到底おさまりがつかず、このシリーズでシングルも組まれたが、たまに見られるセメント・マッチになってしまいプロレスどころではなくなった。勿論没収試合になったのだが、ブッチャーが引き揚げた後にリングに戻ってきたレイスは、血だらけの頭で鉄柱にガンガン(音をマイクが拾っていた)ぶつけてみせた。恐かった。

 奥さんを見たことがあるが、物凄い美人で確かイボンヌさんという名前だったような。
 享年76才。全盛時代のアンドレ・ザ・ジャイアントをボディ・スラムで投げ、NWAのタイトルを8回もホールドしてみせた最強の男だった。  -合掌ー

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