Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 和の心 喜寿庵

続・街道をゆく 宝のみち

2024 MAR 29 13:13:37 pm by 西 牟呂雄

 旧村名を『宝村』というおめでたい名前の所がある。その『たから』の語源が何に由来するかはよくわからないのだが、いかにも豊かな語感と軽いロマンを感じさせる響きで、以前から興味があった。子供の頃に読んだスティーブンソンの『宝島』を思わせる。そっちは海賊の財宝を見つける話だからこっちは山賊の話でもないかなと検索しても、そんなものはない。ただ、明治期から昭和の中頃まで鉱山があった。『宝の山』ということなのか。鉱山跡地は相当な山奥なのでふもとまででも辿って行きたいというのが今回の旅である。

富士急行線の都留市駅から桂川を渡り支流である大幡川に沿ったところによく開けた扇状地が広がり、そこから遥か先にある三つ峠に向って吸い込まれていくような道が続いている。
 この地区の人文は古く、縄文時代前期からの遺跡が数カ所確認されており、特に縄文中期と推定される牛石遺跡は東西南北方向に対応するストーン・サークルとこれらを環状に連結する全体の直径は約50mに及ぶ列石からなる大規模なものである。

山梨県 都留市提供

 このエリア全体が山に囲まれているがゆえに富士山を望むことはできないものの、わずかにこの遺跡のポインントから山頂が見える。更にここを見下ろす三つ峠山頂には春分・秋分の日に夕日がかかる。縄文中期は富士が盛んに噴煙を上げていたであろうから。あのストーン・ヘンジのごとく多分に宗教性を帯びた祭礼が行われたに違いない。筆者もそこに立った時は、秘かに古の血が騒ぐ錯覚を覚え、はなはだ愉快た。
 その後、たびたび大噴火をしているので、近くの遺跡では遥か後の奈良・平安期の遺構も発掘されている。さらに時代が下り鎌倉・室町時代、武田家が甲斐の一守護でしかなかった頃、この地を支配したのが小山田家である。坂東八平氏の流れを組む秩父一族で甲斐都留郡の覇者となった時の本拠地があった。

見事な参道

 時に武田と縁組し、時に武田の内紛に手を突っ込み、信玄の時代には臣従して武田二十四将として名を連ねるのが、勝頼を最後の最後に裏切ったのは十七代小山田信茂である。ここではその内面には踏み込まない。勝頼自刃の後、信茂は甲斐善光寺にて織田信長に拝謁しようとしたところ、信長嫡男の織田信忠により処刑された。戦国時代の様相が手に取るようにわかる顛末である。
 その小山田家の六代目から十四代目の墓所である曹洞宗の桂林寺は今日も残っていた。
 1393年に六代信澄が建長寺の格智禅師に開山を請い建立した。明治期に二度火災にあったため往時の面影は参道にのみ残されているが、その参道を下ったあたりに小山田の邸があったとされる。

広教寺の石柱 向こうの山門

 中世を通じて、また戦乱の世にあってもここからの風景は平和であったことと思う。無論、足軽として駆り出された領民はいたであろうが、ここは戦場からは常に遠かったに違いない。
 と言うのも、集落の景観こそ変わっているが、大幡川に沿って上流の方に進んで行くと水田耕作や養蚕のための桑畑がなされていた痕跡が見て取れ、昨今整備されたバイパス道路や河川護岸施設を視界から消してしまえばかつての営みが容易に想像できるからである。
 例えばかつての寺領の広大さを物語る石塔と門に続く広教寺であったり、巨木に覆われた春日神社である。
 広教寺は源頼家によって建立された古刹で、大般若経の写本がある。

春日神社から

 さて集落を通り過ぎ、道幅も狭くなって勾配がきつくなってくる。提題の『宝の山』に近づく秘境感が漂ってくる。
 突然視界に入ったのは『機神社』なる看板だった。
  こういう時に寄り道ができることが『続・街道をゆく』の醍醐味で、人っ子一人いない境内に降りた。
 『機神社』と書いて『はたじんじゃ』である。機織りの神様を祀っていた。
 この地は前述の通り養蚕が盛んで、その川下産業として撚糸、機織りから染色といった一貫工程が成り立っていた。戦前の高級ブランドのいわゆる『郡内織』は地場産業だった。

御神楽の奥のお宮

 その事業者がいつのころからここに祀ったのだろうが、由来の表記はない。
 祭神は天栲幡姫命(アメノタクハタヒメノミコト)萬幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツヒメノミコト)同一神でいずれも幡の字が入っており、機械や織物の神様である。転じて『機』を『ハタ』と読ませる。
 ご覧の通りの不思議な造りで、お神楽が二つのステージになってその間を抜けた先に社殿がある。
 この街道のドン詰まりに厳かに祀ってあるのが返って奥ゆかしい。
 その祭礼を見てみたいと思ったものの詳しい説明はなかった。

協和会館跡

 

 『宝のみち』も最期の胸突き八丁を登り、ますます道が狭くなった所にバス停があった。名前は『宝鉱山』である。
 明治5年、偶然地元の農民が発見した硫化鉄の大塊鉱から開発が始まり、昭和45年に閉山するまで現役の鉱山だった。経営は三菱に渡り最盛期には200人程が3交代勤務をしていた。病院・鉱夫長屋・小学校分教場を併設し、更には映画館も設置された。現在は市が運営するキャンプ場になっていて、写真はその映画館跡に建てられた管理棟である。農村部の人達も娯楽を求めてセッセと坂を登って来たことだろう。
 中に入れてもらうと、往時を偲ぶ模型を見せてくれた。

一番下が協和会館

 無論、坑廃水処理の問題等あったものの、エリアにとっては宝の山だった訳である。
 筆者は九州時代に多くの炭鉱跡・鉱山跡を訪ねているが、同じように郷愁を誘うものが感じられた。
 バス停から少し歩いて行くと、おそらくは鉱山住宅跡地をリフォームしたコテージがいくつかあった。坑口でもすぐに見られるかと思ったが、その現場はもっと山の奥のようだ。
 管理棟にいた方は廃鉱の後に生まれたそうで、往時の記憶など当然ない。
 資料によれば、掘り出された鉱石は鉄索道(つまりリフト)で一山超えた現在のJR笹子駅まで運ばれた。
 笹子駅はかつては中央本線のスイッチ・バックの駅で、その跡地を利用したJRのトレーニング・センターがある。これもある意味産業遺跡である。

銅鉱石とランタン

住宅跡のコテージ

 筆者が中学生の頃まで家族も含めると数百人が暮らした形跡がすっかり姿を変えてしまい、痕跡を見つけることも困難な有様は将に『つわもの共の夢の後』である。ヤマを離れた家族の中には地元に根付いた人もいたのであろうが、その多くは別に職を求めたはずだ。事実、前職の現場にお父さんがこの鉱山の事務職だったという人がいた。埼玉県の入間市の工場の話だ。
 一本の道を辿って『小山田』『機(はた)神社』から『鉱山跡』と時代の盛衰を見てきた訳だが、こういった動きのスピードは今後ますます早まるに違いない。世間で言われるAIの進化、デジタル社会の到来は待ったなし。今でさえ追いつけていない前期高齢者はどう振舞ったらいいのか思案に暮れるのである。
 死後50年もすれば、筆者の痕跡はただのガラクタにしか見えず、次の世代からはバカにされるだろう。ヤレヤレ。

飯場跡の住宅

 そろそろ引き上げるか、と戻ろうとした時に廃屋があった。ぐるりと周ってみると個人の表札が付いたままの空き家だ。表札は先程の管理棟で見た『飯場〇〇家』とあった家屋で、恐らく個人の家だったので閉山後も打ち捨てられたまま朽ちたのではないか。
 道はここから登山道になっていて、修験道の霊山三つ峠に行くハイカーも多いらしい。少し歩いてみると『熊に注意!』などと書いた看板があった。こんなキャンプ場の近くにまで出るのか。

 見上げれば三ツ峠は白く雪にかがやいており、沢を渡ると見事な美しい滝が落ちていた。まるでこの先には入るな、と語りかけているようで、熊にもビビったせいもあって引き返した。

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雪中行軍生還記

2024 FEB 13 5:05:53 am by 西 牟呂雄

 スキーもスノボも楽しい、がドカドカ降り積もる雪はごめんだ。喜寿庵は寒冷地だが雪は少ない。それでも年に1度くらい積もった日には、芝生は荒れる庭木は折れるハマユウは凍える。ファームに栽培中のスーパー・ニンニ君も埋もれてしまう。それが大雪警報である。
 雪に閉じ込められるのもマズい。十年前の大雪の時は全県交通マヒとなり食料も枯渇した経験がある。車はノーマル・タイヤだから脱出できなかった。

 朝から霙が降っている。小雨の中を時々白い物が飛んでいる。車での移動を諦めて庭木の様子を。
 こいつは去年の雪の際に重さに耐えかねて折れかけて、裂けた所を縄でグルグル巻きにして救った。ありあわせのつっかえ棒を何本か支えにしてやる。
 そうこうしているうちに本格的な雪になった。
 渓谷の奥の方まで真っ白い雪が空間を埋めていて、心なしかせせらぎの音も静かになった。

 急いでネイチャー・ファームを見に行くと、ニンニ君が寒そうにしていた。
 本降りになってまだ30分も経たないのにもうこんなに積もったのか。
 とは言え今更覆ってやることもできない。
 やむを得ず『雪中野営命令』を下し武運長久を祈りつつ踵を返した。
 こちらものんびりはできないのだ。ニュースを見るたびに『交通の乱れに注意』とせかされる。
 元々車はあきらめていたが、渋滞予防措置と称して中央道が通行止めになる。あまりいい気持ちはしない。

 あっという間にこんな墨絵のような景観になってしまった。
 音がしなくなったことは書いた(いや、かすかにせせらぎは聞こえるが)。
 それに加えて色もなくなったのだ。
 静寂・無色・限りなく落ちて来る雪、思わず立ちすくむ。
 見とれる、というのではなくむしろ恐怖感、畏れ、英語のaweに当たる思いにかられた。
 はっきり言えば逃げ出したくなった。

 あたふたと支度をし、鍵をかけ、門をしめようとしてフト声がしたような。
 目をやると、梅の老木にやっと咲いた小さな花達が真っ白に。
 今朝見た時は薄いピンクだったのに、サムイといったのかツレテッテと言ったのか。
 だがそれどころじゃない。埋まってしまったらかならず掘り出してやるからな、と声をかけで電車に飛び乗った。足元に落ちていた木蓮の枝を拾って持って帰る。
 この一瞬が生死を分けた。
 その後の報道によると高尾から運航停止になり、特急かいじ は塩山駅と大月駅 特急あずさ は甲府駅にて朝まで止まったのだった。

 翌週に車の回収がてら戻るとこれが、40cmは積もったらしく悲惨なことになっていた。
 いたるところで枝が折れていて、それもかなり重い松や杉の高い枝だ。
 拾い集めたらこの有様でどうにも処分のメドが立たない。
 つっかえ棒をした木は無事だったが、他にもツツジなどは埋もれてしまっておまけに凍っていた。
 それを何とか掘り出して一服していると、雨樋が落ちている!

 もうそれはほったらかしにしてネイチャー・ファームを見に行く。
 するとさすがはニンニ君、風雪に耐えてサバイヴしていた。
 アッ、そういえば梅の方はどうなった。
 あの、寒さに縮こまっていた梅の花。

 こちらも健気に咲き残っていた。ヤレヤレ。
 ジタバタと忙しくして足元をみると。
 何と咲きかけの福寿草がカワイイ。
 季節は巡っているのだ。

 持って帰った木蓮の枝。
 産毛に覆われているのは蕾だろうか。
 樹木も寒さ対策をするのかな。
 せっかくなので花瓶にさしている。
 花は咲くのかな。

フサフサ

 

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ー追記ー 

 コブシだった!

 
 

映画 PERFECT DAYS レヴュー

2024 JAN 26 2:02:37 am by 西 牟呂雄

 どういう事情か知らないが、前期高齢者の独身オヤジが毎日繁華街のトイレを掃除する仕事を淡々とかつ誠心誠意こなす。毎日ローテーションをこなし同じ公園でコンビニのサンドイッチを食べ、銭湯の一番風呂に浸かって、帰りにはチューハイを飲みながら簡単な食事をし、古本屋で買った1冊100円の文庫本を読みながら寝る。休みの日はコイン・ランドリーで洗濯をし、仕事中に趣味で撮ったカメラのフィルムを現像に出し撮った写真を受け取る。その足で行きつけの美人女将のカウンター割烹で一杯やる。
 何かがきっかけで実家と疎遠になり孤独な暮らしを続けていて、時々雑音が入る。バカ丸出しの若い同僚が仕事に来なくなる、姪が家出して転がり込んでくる、女将の別れた亭主が現れる。だがそれらのアクシデントはすぐに過去のものとなり、男の日常はまたバランスをとるように元のペースを取り戻す。何も変わらない、何も起きない。

 これだけの話を見事な映像に仕上げたヴィム・ヴェンダース監督の狙いは何か。一言でいえば限りない人間賛歌である。どの人生も平凡であることが素晴らしいというやさしさだ。能登の地震災害がこれでもかと報道されている昨今では骨身に染みる味付けだ。また、世界では戦争・紛争の終結が見えない今だからこそ、カンヌ映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞し主演の役所広司が男優賞を取った佳作と評価される所以である。
 監督は日本でいえば筆者の上の世代、即ちプレ・団塊の世代、全共闘世代に属するゾーンの人で、やはり時代の影響を受けたのだろう、筆者はこの作品に『イージー・ライダー』とか『バニシング・ポイント』といったロード・ムービーの雰囲気を味わった。そして両作品が最後に悲劇的に激突して終わるのに対し、本作品が淡々と生活の継続を描いたエンディングとなるところに時代の変遷を感じた。
 特に監督が選んだという作中に流れる音楽は懐かしさがこみあげてきた。アニマルズ、ベルベット・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、パティ・スミス、ルー・リード、ヴァン・モリソン、ニーナ・シモン、ときてはもう涙モン。最もシビれたのは割烹の女将がギターに合わせて歌う日本語の『朝日のあたる家』だった‼ 女将を演じるのは石川さゆりですぞ。

 ところで鑑賞中に気が付いたが、主人公は仕事中はツナギを着ていて、そのファッションたるや喜寿庵で農作業に勤しむ筆者の格好にそっくり。やっていることも、目が覚めてファームに行き、コンビニのジューシー・ハムサンドを食べ、温泉であったまり(回数券で510円)ビールを飲みながら鍋焼きうどん(680円)を食べて本を読んで寝る。違うのは筆者はその後寝るまで焼酎を飲み続けることと、筆者の作業には報酬が無いことである。付け加えると収穫も特に誰からも感謝されないことか(例えばジャガイモはあまりの出来の悪さに受け取りを拒否され筆者自身が消費している)。もう一つ、なじみの美人女将のいる店が喜寿庵周辺にはない(田舎のフィrピン・パブはあるらしいが行ったことはない)。言うまでもなく筆者にはパーフェクトな日々を過ごしている充実感など全く湧いてこないのだが。

 それはさておき、映画化のきっかけはファーストリテイリングの柳井康治が企画した公共トイを刷新するプロジェクトTHE TOKYO TOILETのPR映像をつくろうとしたことだそうだが、監督が短編ではなくストーリイ映画にしたいとシナリオを練ったらしい。何も起こらないので面白くないと言っては身も蓋もない、味わい深い作品だと思うが、私小説が嫌いな人には勧めない(実は筆者は私小説なんか読まないが見てしまった)。

 誠に蛇足であるが、筆者の長年の友人がヒョンなきっかけからこの映画に出演している。モッサリしたオッサンが数秒映るだけなのだがちゃんとエンド・ロールにも名前がクレジットされるという快挙。映画を見てどの登場人物かわかる方はいるだろうか。次の3つから選んで、正解の読者には筆者から仮想通貨100万ソナー・ダラーを賞金として差し上げますぞ(価値はないらしいが)。
 ➀ 銭湯の番台にいるオヤジ
 ➁ 写真屋のオヤジ
 ➂ 割烹でギターを奏でるオヤジ
 まだ上映してます。

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ロックがゲレンデに流れる

2024 JAN 14 18:18:38 pm by 西 牟呂雄

 還暦+α とか数え年古希とか言い繕ってきたが、今の僕はロック、即ち69才なのだ。いささか無謀の声も聞こえてくるが、今年もゲレンデに挑戦した。挑戦とは大げさに聞こえるかも知れないが本人は至って本気である。ロックにもなって骨折だの捻挫なぞするわけにはいかない。絶対に上級の急斜面なんかに行ってはならないのだ。
 そもそもビンディング装着の段階で体が硬くなっているし立ち上がる時のバランスも悪い。リフトを降りる時にもうコケそうになる。こりゃ良く体操しないとヤバい。恐る恐るダウン・ヒルを下ると余計な力が入ってもう汗だくという体たらく。ふーっ。
 ところで、毎度来ているこの富士山のふもとのゲレンデは人工スキー場なのだが、スノー・マシンの性能は格段に上がっていることがわかる。昔は本当にザラメとかアラレのような粗い雪モドキだったが、今では圧接した後にはパウダー・スノーのようにきれいな新雪だ。
 オットットと言いながらまたリフトに乗った。すると隣のカップル(4人乗りクアッド)は喋っているのは広東語である。話しかけてみると観光に来てスキーをやってみたくなりトライしているのだそうだ。大丈夫なのか、案の定リフトを降りた途端に転がってしまった。ジャーヨ(加油)!

我が雄姿

 それにしても今年のゲレンデは明るい色が主流のようで、オジサンのようなダークで普段着スタイルはいつにも増して取り残され感が漂う。
 自撮りの後ろにわずかな富士山のカケラが映り込んでいる。
 だが、後何回滑ることができるか、何年やれるのかを思えば今更ファッションもクソもない。現にビンディングが劣化したボードを買うこともなくレンタル。スキーに至っては靴の方がいかれたが買っていない。嗚呼。
 ダウン・ヒルを2本滑って、ようやく体がバランスを取り戻した頃気が付いた。今までは大腿部に疲労感を感じていたのだが、今年は違う。足首に来た。スキーは左右の体重移動だがボードは前後の移動であり、足首への負荷はボードの方が大きいが、久しぶりのせいでターンの際の視線が低く体が棒立ちになったため無理にスライドさせているからだろう。年を取ると足田の痛みでフォームがチェックできるとは知らなかった。
 
 さて、少し調子が出て来たぞ。ゲレンデには聞いたこともない流行りのJ-POPらしき音楽も流れているが、僕にはおよそ冬山には似使わないロックがガンガン響いていた。50年も前の名曲で、曲の出だしは『俺たちゃ氷と雪の国から来た』である。さて、もうひと滑り。

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ようやく秋 と思ったら冬

2023 NOV 13 23:23:24 pm by 西 牟呂雄

 山荘は朝晩は寒い。枯葉が散ってくる。伸び放題の草を刈って野焼きする。
 11月になってやっと秋めいてきた。

本当は枯葉が舞ってます

 枯れ葉は穏やかな視界のどこかでひらひらと落ちて、一たび風が吹けば一斉に踊るがごとく舞い散っていく。さながら桜が散るごとく。何とか吹雪のような枯れ葉の舞いを撮りたいと30分粘ったがダメだった。
 春を告げる桜と晩秋の一年に二度、勢いのあるものが一斉に失せてしまうのを見続けた日本人は独特の感性を身に纏ったのだろう。季節の変わり目にいきなり姿を変える風景は無常観といえばそうかもしれないが、もう一ひねりしてみたい。どうだろう、我々が、もちろん普通に持っている普遍的な闘争心とか怒りとかは別として、時に見せる憐憫の情、或いは寂しさとも言える感情が培われたのではないか。
 更にもう少し掘り下げてみたいが『さて、明日は何があるかな』という具合の明るさ、あまり人は共感しないかもしれないが僕は日本人は独特の明るさを持っていると考えていて、その明るさも四季の移ろいや度重なる自然災害が培ったものとは言えないだろうか。
 1万年続いた縄文時代に今の私が考えたことと同じことを思った誰かがいたのは間違いない、その後に続く弥生・農耕時代は更に、と思えるのだ。

黄色いもみじ

 ところで今年の夏の異常な暑さで、例えば紅葉に異変が起きている。もみじが赤くなっていない、むしろ見たこともない黄色だ。黄色いもみじは何を示唆しているのか。もう一本はまだ緑い。おまけに柿がなったのでシブ柿だから干してみたのだが、念のために齧ってみたらなんと甘い!僕の記憶違いなのだろうか、それとも暑さのせいで甘くなってしまったのか。
 この年になってこんな環境の変化を目の当たりにするとは思わなかったが或る意味我々世代の責任とも言える。
 我々はいったい何をしてきたのか。次世代に何を残せるのか。僕は今のところ見習い農業でジャガイモやニンニクを造って、セッセと食料を生産しで酸素を供給している。アグリ万歳!

 さて、信長公記に『其日は、もとすに至つて御陣を移させられ』と書かれていて、これは甲州攻め帰り本栖湖を通って行った記録である。天気もいいから本栖湖まで足を延ばして信長の見た富士山でも楽しもうか。本栖湖は透明度の高さで名高いが、そこから富士山を眺めたことはなかった。子供の頃に遊びに来たことはあるが、泳いだ記憶だけが残っている。
 その後、本栖湖と隣の精進湖の間にかのオウムのサティアンがつくられていたため気味が悪くて近寄らなかった。跡地にテーマ・パークが建設されたが潰れている。あんなゲンの悪い所じゃね。
 本栖湖は明るく輝いていた。信長はこの富士山をみた二カ月後に本能寺で死ぬ。
 現地で初めて知ったが、千円札や五千円札の裏に刷られている富士山はここからの眺めだとか。お札を見ると将にこの姿なので僕も。

 本物はもう少し高い所から撮ったようだ。満足して帰ってきたら何と3年ぶりの木枯らし1号が吹いて、北関東では雪。
 オイオイ、秋はどこに行った。やっぱりおかしいよ。

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酷暑の後始末

2023 SEP 1 0:00:17 am by 西 牟呂雄


 
 この暑さが影響を与えないはずもなかろう。
 熱中症で亡くなる人さえいるのだから。
 ファームの収穫も惨憺たる有様だ。
 この出来損ないのキュウリとナスを見よ。
 梅雨明けに撮れたジャガイモは親指くらいのチビ・ジャガしか採れず、誰も引き取らないので僕一人で塩茹でにしてバターを塗って食べているが、このペースだと来年まで消化できそうもない。芽が出てしまったら終わりだ。

去年の作品

 去年はこんなに見事な収穫だったのになんという事だ。
 ニンジンは全滅した。
 今年のこのキュウリとナスを最初に見た時はあまりの暑さに突然変異したのかと思った。キュウリは食べられなくはなかったが、ナスは硬くて恐ろしく不味い。

残ったナス&ピーマン

 更に、各地で水害まで起こったのにこの富士山北側は雨が少なくファームは乾いた。
 しまいにはご覧のようにわずかなナスとピーマンになってしまった。
 まるで砂漠にポツンと映えているサボテンを思わせる。
 何だか哀れだなぁ・・・。

 そもそも8月になる前からカナカナやツクツクボーシが鳴き出して驚いた。
 普通は盆明けである。

 海は海で台風のせいで大荒れが続き、船は降ろすのだが港からは出られなかった。
 お盆以降は風そのものが熱く感じられて全く爽やかでない。

酒池肉林

 それでは、とバーベキューで酒池肉林をやろうとすると、日差しも強いのでビールが直ぐに温まってしまう。
 破れかぶれになって海に飛び込むと、磯溜まりなどはぬるい。
 エアコンの効いたクラブ・ハウスに戻ってしまうと、もう絶対に出られない。
 これではハーバーに来ている意味などないではないか。

 私はツラツラ考える。こうまで異常な熱波は人間を堕落させ、農作物の収穫を減らす。聞くところによれば乳牛も肉牛も仔牛が弱ったりする被害が出ているとか。人間も影響を受けないはずがない。ただ、コロナ禍で3年を過ごした直後だから未だに顕著な状況が見えてこない。
 おそらくその影響は今後ジワジワと出るはずだ。どういう事態が襲って来るのかは分からないが、想像するに認知症の患者が増えるとか幼児の死亡率が上がるとか・・・。
 私の長年の研究テーマの一つに『認知症の患者は幸福を感じられるか』がある。というのもアルツハルマゲドン状態の脳は私が泥酔した際の全能感に包まれるのではないのかと仮説を立ててみたのだ。そうであるかどうかは自身の脳の衰えに沿った観察しかできないのでいささか手間がかかる。おまけに直近認知症を直す薬が認可されそうで、下手にそんなものが出回ったらボケるにぼけられない。どっちがいいのかと言えばそりゃボケない方かもしれないが、身体が利かなくなっても頭がはっきりしてるのもなぁ。

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喜寿庵にて 田舎暮らしパラダイス

2023 AUG 13 0:00:53 am by 西 牟呂雄

 この暑いさ中に草刈りに精を出す。不毛の飛び地990㎡の伸び放題に伸びた草刈りだ。喜寿庵は崖の上だが、この飛び地は山裾。周りは昔ながらの農村と言っていいだろう。要するにザ・田舎である。
 ザ・田舎とは、単に景観の問題ではない。或いは住民のファッションとか方言の問題でもない。都会と田舎でいい人悪い人の分布が違うはずはなく、旅人に対しては下町より田舎の方が親切かも知れないのだ。
 ザ・田舎は強固な地縁・血縁のネット・ワークが張り巡らされ、何よりも安定を維持するシステムが確立している。そこに、見たこともない、それもちょっと風変わりな雰囲気の男が青いツナギを着込んでシトロエンから降り立つとどうなるか。

仲良しのお爺ちゃんの畑

ステップ Ⅰ

 まず、ジロジロと見られる。
 2~3人が何やらこっちを見てヒソヒソ話す。 
 道を隔てたところに畑があって、そこでよく耕運機を押しているおじいさんと仲良しになった。自分の畑は四反八畝(よんたんはっせ)で、実際に何かを栽培しているのは葉物がチョコっとだけ。だが、何もしないと我が飛び地のようになって農地認定がどうとかだから、一生懸命掘り返している。五反百姓という言い方があって、五反百姓出ず入らず(ごたんびゃくしょうでずいらず)、という使い方をする。一家が年貢を納めたのちに借金もせず暮らせる損益分岐点が私有農地5反の広さだ、という意味で、そのおじいさんはそのレベルなのだろう。若い頃は勤めに出ていて、辞めた後のんびーりとやっているようだ。お子さん二人は埼玉と東京の郊外に出てしまった。もう耳がずいぶんと遠い。
 多少の世間話から僕のことが伝わっていく。

ステップ Ⅱ

 マウントを取りに来た。
 後に気づいたのだが、ザ・田舎には地域カーストのような序列があるようで、仲良しのおじいさんのカーストは低めらしい。その上位に当たる、言ってみればそのエリアのボスのようなおっちゃんが話しかけてきた。おじいさんに対してはものすごく乱暴な物言いをしていたので分かった。
『ニシさんってのはあんたかい』
『はい、そうです』
『あ~、ここはアンタが跡をとったんか』
『はい。伯父がもう面倒だからおまえがやれ、と言い出しまして』
 この当時はまだ僕も敬語を使っていた。
『オレの親父がナントカをやっていてそれを継いだんだ』
 だの、昔はここでドーシタ・コーシタという自慢話とも何とも言えない話が延々と続く。アホらしくて無視したが、丁寧に対応したつもりだ。
 去年あたりからそれが段々エラソーになってきて、僕の草の刈り方が気に入らないらしく、もっと根元からやれ、とかそんな草刈り機じゃダメだ、とか言いだした。
 そして終いには遠縁に当たるような話もし出すのだが、何度聞いてもどういう筋で僕と繋がるのかはさっぱり要領を得ない。その時点では僕もいい加減な返事をするようになった。
『ウチは親戚ズラ』
『聞いてねーよ(実際オヤジに確認しても知らない、とのことだった)』
『いや、書いたモンがある』
『別のそんなの見たくもない』
 と言った具合だ。

ステップ Ⅲ

 攻撃的になる。
 初期のマウントに失敗して、この頃はイチャモンにも拍車がかかっている。
『オレ達が補助金もらって刈るのに、刈る前と刈った後の写真を見せてちゃんと根までやってないと怒られるダヨ』
『オッチャン補助金貰ってやってんのか』
『そうだよ。3反もやるダヨ』
『で、ここは私有地だけど誰がオレに怒りに来るんだ』

 こんな感じでやっていたら、直近はまた現れて草刈りに文句を言ってから突然言い出した。
『あの木切ってくれよ』
『なんでさ』
『雪が降ったりして重みで倒れたら通る車に当たって危ないズラ』
『誰がそんな心配してるんだ』
『みんなだよ』
『雪で折れる?そんなことあるわけがない』
『そんなことない。大雪の時にゃダレトカのガレージが潰れた』
『わかったわかった。この木はガレージじゃないし、そのうち鋸でやってみるわ』
『鋸じゃダーメなんだよ』
『斧でも持ってきてやるのかい。そんなもん持ってない』
 ははぁ、おっちゃん補助金で草刈りやってるって言ってたな。頼まれたらオレから金をせびろうという魂胆だろう。お前に金なんか払うわけないだろ。
 田舎暮らしに興味を持ってうっかり移住なぞしてしまった者はこの辺で嫌気がさすか、仕方なく何某かの金銭で手を打つのだろうが、僕はそんなにヤワじゃない。それこそ村八分にされようが痛くも痒くもない。第一、この飛び地そのものが喜寿庵から数キロ離れていて近所でもなんでもないのだ。
 仲良しのおじいさんに聞いてみた。
『なんだってあのおっちゃんはエラソーに威張るんだい』
『ありゃータチだね』
 成程、それなりに嫌われているじゃないか。面白くなってきた。
 次はどの手で来るか楽しみだ。そもそも僕はオレオレ詐欺とか縄張り争いには滅法強い。
 こうなったらザ・田舎をトコトン味わってやる。

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レイモンド君 ヨットに乗る

2023 JUL 22 8:08:06 am by 西 牟呂雄

 喜寿庵にいたらレイモンド君親子とバッタリ会った。ヒョッコリ先生はいない。レイモンド君は大きな浮き輪を持っている。桂川にでも行くのかな。
『やあ、レイモンド君』
『オハヨゴジャマス』
『どうも、息子がいつもお世話になってます』
『大きくなりましたね。夏休みで帰国中ですか』
『はい。今度はひと月ほどこっちです。だけど暑いですねぇ。普段はロンドン暮らしなんで堪えますよ』
『いやこれは異常ですよ。雨も多いし』
『オニワデアソブ』
『あっ、ごめんね。おじさんこれから海に行くんだ』
 喜寿庵は山の中だが東富士五湖道路が御殿場まで通ったおかげで東名へのアクセスが良くなり、下田でも三浦でも東京から行くより空いてて早い。山梨県は神奈川県の隣だ。
『レイモンドモウミニイク』
『えっ、おじさんはヨットに乗るんだよ』
『こいつはまだ海を見たことがないんですよ』

面舵一杯 

 
 結局この親子と一緒に車で油壷に来た。なぜか初めから水着に子供用のライフ・ジャケットだったのは川遊びのためなんだろうが、ハメられた感がしないでもない。
 喜寿庵ではしばしば不思議なことが起きるので、まぁいいか。
 道中お父さんと話していたら、今のロンドン勤務はあと5年くらい続きそうだ、ヒョッコリ先生も年を取って来てガタがき出したので、レイモンド君をイギリスに連れて行くことにした、と聞いた。フーン、そりゃそうだろう。会えなくなるのはとても寂しいがこの子のためにはその方が良かろう。
 次に会うのは・・・、えっ5年先?ムムッ。

 でもって我が愛艇の甲板にチョコンと座ると、それなりの様になっているではないか。
 出航前でオトナが忙しくしている脇でチョロチョロしては『コレナーニ』と聞いたり、キャビンに降りて『オフネガオウチニナルノ』などと珍しそうにしていた。
 そうかと思うと浮桟橋をパタパタ走って行くので危なくてしょうがない。お父さんは必死につかまえては叱っていた。さてようやく出航。
 海は初めてだと聞いたが、まだ水への恐怖感がないのだろう、湾を出ると風は15ノットくらいのいい南風で、うねりも大きい。ピッチングで大きくかしいでも『ウィー』とか『キャー』とか言ってちっとも怖がらない。
 幼児スイミングを習わせたそうだが、船酔いもしない。

お父さんと

『ほーら、海って広いだろ。向こうが見えないだろ』
と指さした向こうに富士山がうっすら見えて慌てた。ここからは伊豆半島越しに富士が見えるのだった
 チビがいるからセールは上げないで、湾内に戻ってアンカーを打った。クルーの一人は早速飛び込んだ。
『オヨグ』
『へぇー。レイモンド君、海に入りたいの』
『ハイル』
 お父さんが船尾から降りて後からそうっと抱っこできるように海に漬けた。
『キャア』

ドヤ顔

 確かにライジャケで浮いている。
 だが万が一を考えて浮き輪に乗せてやると、この通りのドヤ顔だ。
 ただし、湾内は潮の流れがキツく、ほったらかすとすぐに流されてしまうので交代で浮き輪を捕まえた。
 一緒に波間に浮いているとかつてこんなことを考えていたことを思い出した。

この海が教えてくれた 波間に揺られて


 この時から既に6年も経ったのだ。年を取ってからの時間はまるで飛ぶようで、まさにアッと言う間。そして何一つ事態は改善されず完結しない。
 そのうちに一巻の終わりかと思うと、寂しいというよりそんなもんかなという境地だ。
 考えてみれば様々な偶然と、何人もの赤の他人の好意でレイモンド君はこの海原を漂っている。

オフネノオウチ

 キミが成人した時に、この記憶は残っていないかもしれないし、そうなると僕の事も忘れているだろう。僕がこの子の年に祖父が早死にしているが、爺様のことは全く記憶にないのだ。
 待てよ、僕の最も古い記憶と言えば・・・・。
『モウオウチカエル』
 ハッと我に返った。今ちょっと危ないところだったな、気が飛んでいた、レイモンド君ありがとう。
 ロンドンに行っても元気でね。僕の事は忘れてもいいや。

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3月はいかが

2023 MAR 18 21:21:54 pm by 西 牟呂雄

 

越冬しました

雪に埋もれていたニンニ君、
 たくましく冬を越す
 弥生の日差しいりませんか
 高い日差しいかがですか

早咲き

 半年ぶりのホーム・コース
 早咲き桜がフワリ
 すると急に雨がパラリ
 私は雨が大好きなのだが
 春雷が鳴って OB二つ
 プレイは3ホールで中断

 庭のはじっこには小さい花が
 ボクハココダヨ
 ボクハココダヨ
 ココニイルヨ

頭を下げて

 3月は白い花 一斉に
 オハヨウゴザイマス
 オハヨウゴザイマス
 春雨の中
 染め残したような白 
 空間を切り裂いた

 白い夢いらんかね
 白い夢いらんかね
 夢いりませんか

 一人では さびしいかって それは違う
 私一人の色
 私一人の風

 見上げても白い花
 コブシかな
 ハクモクレンかな
 

 白い花 目立たずに咲け
 桃や桜が咲いてしまうぞ
 そっと咲け
 私がいるうちに

 誰とも話すことなく1日が過ぎた
 誰も声をかけてこない2日が過ぎた
 3日目に独り言
 今日は歌を歌っていた

見上げると

 風に揺れる枝以外
 この庭で動く物はない
 渓谷の流れ以外
 聞こえる音もない
 前線が通過する低い雲
 夕刻に木漏れ日

 翌朝、芝生に目をやると
 わぁッ!これは・・・

芝生がデコボコに

 モグラは冬眠しない
 ポカポカ陽気で
 浅いところに出て来たか

 丹精込めて野焼きした芝生が
 こんな姿に

 私に会いに来たのか
 私を慰めに来たのか

 誰かいないか見に来たのか
 モグラも淋しくなったのか

 

 
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P.S(この盛り上がった土をすこしづつのけて指を突っ込むとモグラのトンネルに達する。そこからホースでジャブジャブに水を流し続けると繋がっている所から水が溢れだし、踏みつけていくとグチャグチャになってトンネルは潰れる。そこにメツチをザーッと撒くと驚くべき量の土がどこかに流れてしまったのがわかる。ひどい所は足首くらいまで沈む。モグラは土を食っているのか。14リットル二袋を埋め込んで修復した。今度出たら火責めにしてやる!

 (追記)3月というのに東京は桜が満開。
    喜寿庵でも愛でている枝垂れ桜の『玲』が
    開花しました。
     26日は新記録。
    そしていつもより紅い花です。
 (追記)満開の『玲』。

     遅咲きの『源平』

     奇麗に咲きました

 

レイモンド君と雪遊び

2023 MAR 9 0:00:28 am by 西 牟呂雄

 僕は未だに年4回はゲレンデに行く。そして最後にはボードではなくスキーを履くことにしている。せめて技量を維持しておきたいこと、年に一度くらいはスキー板にも雪を味あわせてやりやいからだ。あんまりほっておくとかわいそうになる顛末は以前書いた。

春夏秋冬不思議譚(ゲレンデに砕けたスキー靴)


 そろそろ春の足音が喜寿庵でも聞こえてきたので、ゲレンデも打ち止めかなと板を車に積んでいた。すると、図ったようにヒョッコリ先生が現れた。レイモンド君も一緒だ。
『やあやあやあ、おはよう、ホラ、ご挨拶』
『オハヨゴザマシ』
『どうも。おひさしぶりです。っていうか今年もよろしくおねがいします』
『なんだい、スキーかい。若いねー』
『チョットだけですよ。ロクに運動しませんから』
『ほう、丁度いいな。レイモンドも連れてってくれないかな』
『えっ』
『ナニ、ソリでもレンタルしてやってチョット遊んでくれればいいのさ』
 以前から、レイモンド君とゲレンデに行き、それをのんびり眺めることを夢想していたのだ。何も考えずに願ったりかなったりとばかり『いいですよ。レイモンド君、一緒に行く?』と返事をしていた。
『イク』
 との返事。そのままシート・ベルトに括り付けてしゅっぱーつ。
 以前一緒に遊んだ北富士ハイランド・リゾートを通り過ぎ、亡くなった安倍元総理の別荘のある鳴沢に向った。そこにいつも行く人工スキー場はある。
 さて、幼児用のウェアもレンタルしなきゃ、と思った時点でハッと気が付いた。レイモンド君はスノー・ブーツを履きウェアもそれなりのスキーのいでたち、何故、まあいいや。
 そしてソリをレンタルして板を履きリフトに乗ろうとしてまた気が付く。ソリにはブレーキも何もない上にレイモンド君は幼児である。ソリに乗せて滑らせるのは危険だ。しょうがない、スキーを外して『あっちで遊ぼう』とゲレンデの隅っこに連れて行った。そして更に気付いた。おそらく一人では乗ることもできないだろう。

ドヤッ!

 結局ソリに乗せてやり『いくよー』と声をかけるとともに走り出し、滑り降りるレイモンド君のソリをつかまえる、というパフォーマンスをすることになった。読者諸兄諸姉、その運動量を察してほしい。しかもソリには方向を定める機能も能力もない。即ち、ゲレンデのわずかな凹凸によりどこに行くのか分からない。更にはご案内の通りスキー靴というものは走る目的で作られていない。一回でもうコリゴリなのに、レイモンド君はこの通りの御満悦。キャアキャアはしゃぎながら『モット、モット!』とせかす。
 二回やってギブアップ。僕は前期高齢者だ。だがレイモンド君は疲れない。こうなったら二人で一緒に滑ろう。僕が腰を下ろし両足をソリの外に投げ出し、レイモンド君を前向きに抱っこするように座らせる。僕のスキー靴でブレーキをかけながら滑り下りる。なかなかいいアイデア、のはずだった。やってみると足の使い方が難しく、体がズリ下がってしまい2~3秒で二人とも放り出されるようにつんのめってしまった。
 ところが前のめりになったレイモンド君は腹ばいになりながら滑るのに味をしめて、チョコチョコっと走ってはダイブして少し滑るのに夢中になってしまい『これ、待ちなさい』と追いかけるハメに。ファミリー・ゲレンデにはロクに滑れない初心者もいて、ぶつかったりしては大変だ。

 幼児とゲレンデに行くのがこんなに大変だとは思わなかった。そして僕はひそかに疑いを持ち始めた。ヒョッコリ先生は自分でゲレンデに行くのは面倒だから、僕がスキーに行こうとするのを見張っていて偶然会ったフリをし(レイモンド君にスノー・ブーツまで履かせて)ハメたのではなかろうか。よせばいいのに買ったリフトの1日券はムダになり、今年はスキーはできなかった。果たして来年滑ることができるのか、前期高齢者は悩むのであった。
 早くスキーを覚えてくれないかなぁ、それまで僕はスキーができるかなぁ・・・。

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