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命のビザ、遙かなる旅路

2017 JAN 4 5:05:07 am by 野村 和寿

北出明著『命のビザ、遙かなる旅路 ~杉原千畝を陰で支えた日本人たち』(交通新聞社新書044)読了。

命のビザ、遙かなる旅路

杉浦千畝を陰で支えた日本人たち 交通新聞社新書

リトアニアの首都カラナスの杉原千畝総領事の、ユダヤ人難民への日本通過ビザ発給は、つとに有名だが、本書は、ビザ発給を受けたユダヤ人たちが、シベリヤ鉄道の終点ウラジオストクから、国際航路で就航していた日本郵船の「天草丸」に乗船して敦賀港へ向かったとき、実は、JTBの前身、ジャパン・ツーリスト・ビューローや、日本郵船の多くの日本人たちが、半年以上に亘り、彼らを献身的にサポートしていた事実が書かれています。

難民が着いた敦賀市では、戦雲急を告げる中、中学の校長が「ユダヤの民は、今は、ぼろを着ているが、高名な学者や芸術家、銀行家などを多く排出しており、ぼろをきているからといって、けっしてさげすんではいけない」と子ども達に訓示。

ユダヤ人たちに、無償で銭湯を提供したり、宿を提供したり、また、難民たちにりんごを配る少年がいたなどのエピソードを発掘しています。難民たちは、敦賀から列車で、横浜や、神戸に向かい、アメリカを目指しました。著者は長く国際観光振興会に奉職後、たった一人で、ユダヤ人難民の生き残りを探し、家族達を探し当て、アメリカ中を旅をします。

リトアニア・カウナスで発給されたビザを携えたユダヤ難民は経由地である日本の敦賀をめざしました。敦賀市ホームページより引用

リトアニア・カウナスで発給されたビザを携えたユダヤ難民は経由地である日本の敦賀をめざしました。敦賀市ホームページより引用

この事実を当時のユダヤ難民たちの生き残りや家族へのインタビューを通して明らかにしていく迫真のドキュメンタリーです。多くの名もない日本人たちが、敦賀で、神戸で、ユダヤの難民を助けたという事実は重く、運命の糸でつながっていることを感じてしまいます。こんなことを70年経って発掘した本が出るとは本当に、すごいことだと思いました。

▇本書から見つけた興味深いことがら▇

1,本書には「ヴェルディヴ事件」のことが若干触れられていました。1942年7月19日早朝ヴィシー政府下のフランス警察は、自主的にパリ在住のユダヤ人1万3000人を検挙。うち4115人の子、2016人の女性、1129人の男性をエッフェル塔近くの「ヴェルディヴ」と呼ばれる自転車競技場に閉じ込め、最終的にはアウシュビッツに送り込まれ、生存者はわずか25人だった。この事件が公にされたのは1995年シラク大統領の時で、そのときはじめてフランス政府は謝罪したということでした。

2,1937年満州国ハルピンで開かれた第1回極東ユダヤ人大会を開き、ユダヤ人の立場に同情したのが、関東軍指揮下のハルピン特務機関長樋口季一郎中将だったこと。満州国の経済圏の確立を企図したことがうかがえるとはいえ、関東軍はナチスを非難し、ユダヤ人に同情。 1938年3月満州と国境にあるソ連側のオトポール駅にナチスに追われたユダヤ難民が大挙して流れ込んだ。寒さと餓えに苦しむ彼らを救ったのが、で、ユダヤ難民をハルピンに逃れることが出来た。というエピソードにも触れています。

3,ユダヤ人たちを、ウラジオストクから敦賀まで運んだ船、天草丸は数奇な運命の船でした。ドイツで竣工し、帝政ロシアに売却され、日露戦争で、日本海軍に拿捕、そして最後は、米海軍に撃沈されます。つまり、ドイツ→ロシア→日本→アメリカ と結びつきます。しかも時代は異なるものの、ユダヤ人を迫害していたドイツと、ロシアで活躍していた船が、日本でユダヤ人を助けることになるのでした。

天草丸の歴史

ウラジオストク→敦賀間でユダヤ難民を乗せた天草丸

ウラジオストク→敦賀間でユダヤ難民を乗せた天草丸

ドイツ北部バルト海に面する港湾都市ロストックのネフタン造船所で1901年浸水し、帝政ロシア東清鉄道に売却、され、貨客船アムールと命名される。1905年日本海軍が、拿捕、天草丸と改名される。

1906年に大阪商船に払い下げ、1929年北日本汽船に売却、その後日本海汽船に引き継がれ、敦賀~ウラジオストク間に就航。1932年、ジュネーブの国際連盟会議に出席する全権代表の松岡洋右:後の外務大臣が乗船していることである。

天草丸その2

数奇な運命をたどった天草丸

1943年合併から大阪商船に移籍、1944年台湾近海で、米海軍潜水艦バングとレッド・フィッシュの両潜水艦の水上雷撃により沈没

 

 

 

4,杉浦千畝の発給したビザの有効期間はわずか10日間でした。これではとても日本からアメリカへの乗船までの期間が確保できません。窮状を聞きつけたユダヤ研究家小辻節三は、松岡が南満鉄総裁時代の部下だったことから、窮状を当時の外相松岡洋右に直訴。松岡は「ドイツ・イタリアと同盟は結んだが、ユダヤ人を殺せとまでは約束していない」として、小辻に秘策を伝授。それは、元官僚らしく、ビザの延長権限は地方公共団体の警察にあることを話し、これが認められれば、外務省はぐうの根も出ないとアドバイス。そこで、小辻は神戸の警察幹部に、1回のビザ延長15日間を認め、事実上何度も申請することで、無期限までビザ延長が可能になったのです。

小辻節三については、下記のHPで詳細がありました。

ユダヤ人ビザに奔走した小辻節三についてのHP

敦賀市によるユダヤ難民関係のHP

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