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映画『甘い生活』とは何か?

2018 FEB 16 3:03:40 am by 野村 和寿

1960年公開のフェデリコ・フェリーニの伊映画『甘い生活』(原題 Dolce Vita=ドルチェ・ビータ)。ぼくはこの映画をこの20年の間何度となく観賞してきた。たぶん10回ではきかないくらいだ。174分という遙かに長いこの作品は、映画評をあたってみたり多くのフェリーニについて語られる書物を読んでも、絶賛の嵐だった。曰く「世界で唯一の素晴らしい映画」『人生におけるみるべき最高の作品』等々、どこにいっても、その結論は一致していた。

しかし、残念ながら、「浅学非才」のぼくにとっては、いったいどこがそんなに素晴らしいのか、本当のところ、不明であった。さらにはこの映画は、「筋を追うのではなしにフィーリングで楽しむのである」のような、わかったようで、わからない映画評も多かった。主人公マルチェロ・マストロヤンニ扮するマルチェロは、ジャーナリスト、それもどちらかといえば、トップ家風情であり、あまりプライドをもてるジャーナリストではない。スターのゴシップを追いかけるのが仕事。仕事相手は、みなお金持ちで、大きな家に住み、毎日をナイトクラブや自宅でのパーティーに時間を無駄に浪費しているという人々。しかし、マルチェロはトップ屋の生活にはあきあきしており、「時々、夜になると、静けさと暗さがつらい」と嘆いている。人生を変えたい!

『甘い生活』フェデリコ・フェリーニ監督イタリア・フランス合作1960年公開 マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エグバーグ、アヌーク・エーメ

ぼくも、編集者だったので、どこか主人公との境遇が似ていて共感するところもあった。そして、この174分の作品をもっと知りたい、本当のところはこの映画のいわんとするところは? と思い始めた。

ぼくの通っているイタリア語学校の先生は、50代のボローニャ大学、ヴェネチア大学を出たインテリであり、イタリア文化のことは、どんなことでも詳しかったので、ちょうど映画に関する授業のときに、思い切って、『甘い生活・ドルチェ・ビータ』のどこがそんなによろしいのか?を聞いてみた。

咄嗟の質問であったのにもかかわらず、イタリア人の先生の答えは、明快そのもので、どこの映画評論家よりも当を得ていた。

イタリア人の先生いわく、この映画には一度も「食事をするシーン」というのが出てこない。イタリア人にとってダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の絵画をみてのとおり、晩餐・食事というのは、非常に大事な要素を占めている。ところが、「食事をするシーン」が皆無。唯一、ナイトクラブで、主人公たちが、シャンペンに口をつけるというシーンだけがあった。

これでわかるとおり、「人生」とはシャンペンの消えていく「泡」のようなものさということをいいたいんだそうだ。

映画は174分を過ぎた最後にさしかかったシーンで、唐突に漁師の網に「えい」のような怪魚があがったと、登場人物たちを含めた人々が見物しに集まってくる。この怪魚に目を奪われていると、実はそうではなくて、ペルージャから海の家に手伝いにきていた少女パオラ(聖画から抜け出たような清純な少女)が、海辺で、大人たちに向けて、遠くから叫ぶ。

大人たちには遠くて彼女の声を聞き取ることが出来ない。あれは、「大人たち、人生を変えてみないか?」と少女パオラにいわせているんだそうで。

この映画のなかでは、いくつもの、シーケンス(Sequence 後述する)が込められたシーンが出てくる。

たとえば、マルチェロが、裕福な大学教授の友人のパーティーにいくと、壁にはモランディの静物画がなにげなく飾られている。

ジョルジュ・モランディ(1890-1964)は、イタリア・ボローニャ出身の現代を代表する画家で、自宅に設えたスタジオでもって、自らが置いた静物 ワインの瓶や花瓶の絵だけを、ひたすら描いてきたちょっと奇妙な作家である。主人公にモランディのことを「彼の絵は偶然に描けるのではないとフェリーニは語らせている。いつも同じように置かれている静物にさえも、生きた証、人生があるのだというように。

『甘い生活』のなかで、主人公が友人のパーティーで画家モランディのことを口にするシーン 画面右側に見えるのがモランディの静物画

 

 

一夜だけのアバンチュールに精を出すマルチェロ。大富豪で社交界を泳ぐ有閑マダムは、アヌーク・エーメが扮するマッダレーナ。アヌーク・エーメは、後にクロード・ルルーシュの仏映画『男と女』(1966年仏)にも主役として登場するいわゆる小股の切れ上がったいい女である。マッダレーナが、マルチェロをさそって乗り回す車は、アメリカの1958年製のGM系の高級車キャデラックで、別名を「エルドラド」という。

マッダレーナ(アヌーク・エーメ)の車はアメリカのキャデラック1958年製造 愛称・エルドラド。マルチェロが助手席に収まる。

「エルドラドEl Dorado」を調べてみると、大航海時代にスペインに伝わった南米・アンデスの奥地に存在するとされた伝説上の土地で、スペインにとっての「黄金郷」をさす言葉だそうだ。

マッダレーナ運転する「黄金郷」という車の助手席にマルチェロも同乗している、男女。そして、お金持ちの生活ははたして単純で夢のないものではないか?そんなことをフェリーニはいいたげである。

 

 

この映画というと、まず登場するシーンが「トレヴィの泉」のなかに、グラマーな女優とマルチェロが入っていくシーン。スウェーデン出身のハリウッド女優シルヴィア(アニタ・エグバーク)は、ターザン役者の男優と夫婦。旅行でローマを訪れ、ゴシップ屋のマルチェロにとっては最高の取材対象にもなってくる。

『甘い生活』のローマ・トレヴィの泉の名シーン。アニタ・エグバーグ扮するシルヴィアとマルチェロ・マストロヤンニ扮するマルチェロが、トレヴィの泉の中へ入って踊るシーン「。

「トレヴィの泉のシーン」のほんの少し前にも、路上で捨て猫を拾って、マルチェロに、深夜にもかかわらず、子猫のために、ミルクを買いに行かせる。迷い込んだ捨て猫に待ち受けている猫の人生ならぬ猫の生活はこれからいったいどんなものだろうか?ということも想起できそうだ。シルヴィアには、配役と同じスウェーデン出身のアニタ・エグバーグ。ぎりぎりまでのグラマラスな肢体が、マルチェロとのトレヴィの泉で踊るシーンはあまりにも有名だ。彼女も女優として有名にはなったものの、夫との仲には不満を抱えていて、グラマラスな肢体と同じように自分をもてあましている。

しかし、この「トレヴィの泉」でのシーンは、映画のクライマックスでは決してなくて、174分の作品のなかでも、せいぜいが、53分ごろに登場するにすぎない。

マルチェロの婚約者エンマ フランス人の踊り子ファニー、パーティーで人生初のストリップに興じるナディア、マルチェロの実父で田舎パッサーノ村から突然やってきたり、そして霊媒師のいる没落した貴族の朽ち果てた広大な屋敷に、お化けが出たりと、人生を語るにいろいろな人物がマルチェロの間を交錯する。

映画とは、1分間に1度、この映画であれば174個のシーケンスがあるそうだ。シーケンスとは辞書的には、「Sequence:映画で一続きのシーンによて構成できるストーリー展開上の1つのまとまり」とあるが、要するには、映画の面白さを醸し出す秘密のエッセンスといえるものである。ぼくが、ここにみつけられたフェリーニのシーケンスはまだまだ少ない。しかし、シーケンスをみつけるということは映画のもう一つの楽しみなのではないだろうか?

最後のシーンに登場する少女パオラが大人達に語る。「人生を変えてみたら」。

この映画にはなぜか、納得させられてしまうことが多くなった。ぼくもそれだけ人生を重ねてしまったからなのだろうか?

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旅する哲学 イタリア最終話

2017 FEB 2 5:05:40 am by 野村 和寿

ローマ行きインターシティです。

ローマ行きインターシティです。

南イタリアピショッタ発13:22ローマ直行 インタシティでローマ着17:25 (走行距離363.7kmを所要時間約4時間です)インターシティーはおんぼろで、しかも、ずいぶんと遅いのですが、格好がとてもかわいくて、1950年代のデザインを彷彿とさせます。下はやっと無事ローマ・テルミニ駅についたところの写真です。

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ローマ・テルミニ駅に着いたインターシティ

フィアット(現在はフランス・アルストム社に統合されています)がデザインした「ペンドリーノ」ETR450 1988年に投入された車両です。ペンドリーノとはイタリア語で、振り子という意味です。イタリアの鉄道は、海岸沿いに線路が走っているところも多く、急カーブが多いために、カーブをスピードを落とさずにクリアーできるというのが振り子電車のメリットです。それにしても、ものもちがいいですね。

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セルフポートレート 南イタリア サレルノのアグリツーリズモの部屋にて

南イタリア アグリツーリズモの部屋にてセルフポートレイト 2012年5月22日から30日の南イタリア単独行にて、ピショッタ アグリツーリズモ プリスコ・ファミリーの部屋にて撮影しました。今写真を振り返ってもとても元気そうな姿ですね。

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バルベリーニ広場

 

朝早いローマのバルベリーニ広場です。。午前中のアリタリア便にて帰国予定。ホテルベルニーニ ブリストルは、近代的で広場に面した角部屋ですが、こういういい部屋に一人はむしろ旅の孤独がせまってきます。

 

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アリタリアの機内で購入したリモコンの飛行機のおもちゃです。

昨日イタリア単独行より無事帰還いたしました。写真はアリタリアの帰り便で、売っていたAlitalia COCKPIT REMOTE CONTROL PLANEです。格納されたところえ2分充電すると、5分遊べます、でも実際には、2分でなくて遅れていて、10分以上かかります。このへんがアリタリアのアリタリアたるゆえんかも。

コックピット仕様のコントローラーにて、2段階のスピード切り替え、左右ターンができます。ぼくはラジコンで飛ぶとばかり思っていたのですが、滑走するだけでした。さすがにアリタリアだけ有りました。

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旅する哲学 南イタリア・サレルノへ②世界遺産パレストゥム 吉田秀和氏の訃報

2017 FEB 1 3:03:16 am by 野村 和寿

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世界文化遺産パエストゥム遺跡です。ギリシャ風の神殿が建っていました。

この世界遺産 正式名称は、「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとティアノ渓谷国立公園とバドゥーラのカルトジオ修道院」といいます。この柱の太いこと!そして、外壁は、えんえんと海まで続いており、ギリシャの植民都市だったころから、この建築はあると思うと、一気に古代に思いをはせてしまいます。

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世界文化遺産パエストゥム遺跡は屋根の破風まで現存していました。

このギリシャ神殿は、南イタリアの世界遺産「パエストゥム」です。ここの正式名称は、「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントと、ディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトジオ修道院」といいます。整備された公園のなかに、こつ然と太い柱の神殿です。周囲の外壁は、なんと、海までずっと続いているのがすごいです。あまり知られていないのですが、ギリシャ時代に南イタリアにまで都市国家がたくさんあって、しかも、これだけ大規模な神殿が建てられていたとは! 南イタリア風の気候で、雲は一転かき曇り、スコールのような雨が。雨にそぼぬれつつ、神殿をながめるのもよしでした!さきほどの神殿にさらに近づいてみますと、この写真の柱が太く、そして、屋根の部分にかかる破風が見えます。ものすごく状態が良くて、なかなか幻想的です。なんか映画のシーンになりそうな。壮大なロマンとでもいいましょうか。

 

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パエストゥム神殿

吉田秀和氏の訃報を知りました。吉田氏は、1972年頃、NHK FMで、芸術時評という番組に出演し、日曜の朝10時ごろに、私はよくこの番組に耳を傾けていました。この番組には当時の音楽評論家が集合していました。野村光一、大木正興、遠山一行、中島健蔵などそうそうたるメンバーで、代わる代わる、その月に行われた主な演奏家を、ライブで批評していったのです。その中でも異彩を放っていたのが吉田氏でした。いつも大方の意見とは大いに異なり、厳しく批評していました。カール・ベームのモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」のあまりのテンポの遅さに、吉田氏はとても厳しく反応しており、大方の「とてもいい」という手放しの意見に真っ向から反旗を翻していました。だんだんと大方の意見もそれに引きずられていくかのとき、最後に、吉田氏は「これだけのテンポでも、ウィーンフィルが演奏でき、そして、「フィガロ」をやるんだから、やはりこれはいいんだ」と、大方が吉田氏に傾きかけた後で、また批評を鋭くついたりして、とても過激な存在でした。よく、この演奏は認めないということもいっていました。ユージン・オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団のときも、一人、音楽は美しいだけでいいのかと、鋭く迫っていましたが、最後に、でも「音楽はやはり美しいだけということにとても魅力があるんです」とも茶目っ気たっぷりといっていました。ぼくは、当時高校生で、そんなに多くの演奏会に行けなかったので、この番組の時間を楽しみに、まるで演奏会にいったことのように聞いていました。こういう気骨がある批評家に憧れていました。

個人主義のイタリアを旅するには、こちらも半端でない意思をもって、個人主義にならねばならないと思います。イタリア語の表現でも、必ず、自分がなにかしたいということをいわないと、当然のことながら誰もなにもやってくれない。この考え方は大切だと思います。お仕着せではないんです。まずは自分の意思なんです。ボーリオvuolioという言葉を何度も使いました。この原形ボレーレvolere、「欲する」という意味がようやくわかったような気持ちでした。

 個人の旅は、なかなか厳しく、常に緊張感を伴い、半端じゃなく気を巡らして、疲れます。しかし、この疲れを乗り切るのは、なにか「巡礼」にも似ているような、そんなきもします。旅先で読む本を吟味に吟味を重ねて持ってきたのですが、あらかたの本はがさばるので、出会った日本人にあげてしまいました。残る本は恥ずかしいのですが沢木耕太郎の「旅する力~深夜特急ノート」でした。まるで、沢木氏が旅で経験したようなことが日々おこっていて、全く予断を許さないのです。

 アグリツーリズモのオーナー、プリスコ氏の運転する車は、日本車よりもクッションがかたく、しかも道の曲がりくねり方は相当なもので、極端にいえば、山を越え越え道がついているので、10メートルでカーブ、といったところが右に左に延々と続き、真っ青になり顔面蒼白、ついには、止めてもらって、頭ががんがん、胃液のでるのを必死でおさえます。

 行きも帰りも、もう大変で宿に帰るとそれだけで寝込んでしまうほどです。こうした受難のようなことが一方では起き、そのために、常に水分はとっておこうとか、あまり食べると胃によくないので、控えておこうとか、自分で考えて行動しないと行けないのです。  酒も飲んだ後にどうなるかをきちんと予測してから、ちょっと口にするといった感じで、野方図にビールをくらうなどということはしません。こうしたまったく予期せぬことが多々起きる「受難」にも似た状況が「旅」なんです。

遠くの方で稲光、さっきまでスコールのような大雨でした。今は朝の5時すぎなのであたりは静かです。なんの音もしていない。ようやく雨がやんだので、少しずつ小鳥のさえずりがもどってきた感じです。正しいことを正しくしているという自信のようなものが、自分がというところから、みなぎっているような気がします。自分のように迷っていてはたぶん駄目なんだろうなと。もっとはっきりしないといけないんです。 0527朝 アグリトゥーリズモ・プリスコにて

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ヴェスパの公道レース

先日の日曜の朝、南イタリアの世界遺産パエストゥムの近く、サレルノを走っていたら対向車線(といっても対向の概念はないです)に、なんとバイクの群れが。それも小型バイクのヴェスパ愛好者だけが、ななんと、200台以上のレースをやっているのでした。

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アグリツーリズモ プリスコの食堂です。

この写真だとあんまりわからないかもしれないのですが。アグリツーリズモ・プリスコ内の食堂です。お客はぼく一人というのが寂しいのですが。これで、1泊日本で代理店経由で、1万円くらいです。直接ここに申し込めばなんと1泊2食付きで、5000円です。ちょっと間にいろいろ入っているので、倍なのですが、ぼくは3泊して約3万円でした。宿に古いフィアットが置かれてありました。ルパン3世にでてくる車と同じ。ユーモラスなのでパチリ。

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フィアット500です。

広大な庭には野草の花が咲き乱れており、遠くからモッツァレラ・チーズのための牛乳を出してくれる水牛の鳴き声がします。あと数時間で残念ながら出発です。

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旅する哲学 南イタリア・サレルノへその①アグリツーリズモの朝

2017 JAN 31 5:05:21 am by 野村 和寿

僕の泊まっているアグリツーリズモ・プリスコの門のまえです。客はオフシーズンらしく僕一人です!

アグリツーリズモ

サレルノのアグリツーリズモ・プリスコです。

旅は後半へ。ナポリからさらに南へ、列車で、約16:55 到着18:55 2時間。ピショッタ駅からさらに、迎えの車で、ものすごく曲がりくねった道をまるで、ラリーのように突っ走って、約30分。高台の山の上に、目指すアグリツーリズモ プリスコさんのアグリツーリズモはありました。もぎたてのトマトで作ったトマトソースに、これまたここでとれた黒オリーブをいっぱいつかったパスタ。手打ちの平打ち麺も自家製です。酸っぱくてどこか甘いトマトソース。こんなのいままで食べたことありませんでした。シンプル素朴そのものの、ピカンテのソテー小さな唐辛子をとってきて、やいたものです。それに、ここでとれた卵で作ったオムレツ。ワインはここで作った赤で濃厚かつさわやかな酸味。これで400円です。ここは1泊2食つきで、5000円です。

南イタリアの朝です。お菓子の朝食をいただいたところ。今日から旅は後半に。南イタリアのピショッタの農家プリスコさんのアグリツーリズモに宿泊第一日めの朝5時です。高台から眺めが最高の感。ここは、WiFIはつながらず、なぜか、ボーダフォンは、かろうじてつながります。そこで、ときどきはこれでアップしてみようかとおもいます。 ただいま朝の6時です。さきほどから1時間が経過し太陽が昇ってきました。小鳥のさえずりがどこからか、朝がきたことをおしえてくれます。静かです。きょうも南イタリアの農家の一日が始まろうとしています。オリーブの小さな花が咲いています。したにネットがあって秋収穫のときに揺すって落とすんだそうです。

チェリー

プリスコ一家総出でさくらんぼの収穫です。

さくらんぼの収穫を手伝いに、一家総出で、トラックに分乗していってきました。さくらんぼは、アメリカン・チェリーでしたが、ジャム用とそのまま食べる用に分けられていて、一家は、無心になってさくらんぼ採りに熱中しました。

チーズ工場

水牛のモッツァレッラ・チーズ工場を見学しました。製品には燻したスカモルツァもあります。ステーキでいただくと美味しいです。

ラッティチーニという、サレルノ県内にある水牛の乳で作る「モッツァレッラ」の工場を訪問しました。チーズとモッツァレッラは、完全に区別しています。水牛のお乳から、あたためてはこし、という作業を続け、かたまりを、手で小さくピックアップしています。工場で、ぼくと握手するときは、手ではなく、二の腕でした。衛生上のことなんだなと思いました。モッツァレッラは、水牛でないとだめ、新鮮でないとだめ、しかも、つくるときに塩をク加えているので、塩の味がついていて、美味しいです。

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ワイナリーを訪問しました。

南イタリア・チレントのワイナリー「ボッティ」を訪問しました。ここのお嬢さんが、テイスティング用に、赤ワインをあけて、なみなみと、すてて、空気を通して試飲させてくれます。それにしても美人で、ちょっとわくわくしました。ここは広大で、赤、白、スプマンテからグラッパまですべてを製造しています。今はオフシーズンなので、ワイン蔵をみせてもらいました。なにしろ、若いワインですが、あけたばかりなのに、オレンジのような香りが若々しく、イタリアワインらしいストレートさがありました。イタリアのぶどうの種類は、1000種類以上もあるんだそうです。ここボッティさん親子でやっているワイナリーでは、赤と白、そして、スプマンテ、グラッパまで作っていて、赤ワインは、14.5%のアルコール度数を誇ります。テイスティングしたら、2010年のワインがとてもいい頃合いで、フルーティー オレンジの果実味の香り、花の香りがしました。ところで、お嬢さん美人ですよね。

BOTTI ワイナリーのご主人 ボッティ親子。ワイン蔵の前で。バックには広大なぶどう畑が広がっています。グラッパがこんなに新鮮だと美味しいです。グラッパで、茶色いのは、あれは、ワインの蔵の中で熟成しているんだそうです。有機栽培のワイナリー・ボッティです。赤と白2本をいただきました。このボトルを日本に運ぶのがとても大変でした。

サレルノ 食事

アグリツーリズモ プリスコの食事をまとめるとこのようになります。

アグリツーリズモ初日の夕食1 平打ち麺タリアテッレは、もちろん、自家製。これをトマトソースと、黒オリーブのソースでいただきます。なんといいますか、平打ちめンにトマトソースがからまります。まるでジュースのようなトマトソース、それに黒オリーブのしっかりとした食感とてもいいです。アルデンテで麺はとてもしこしこしています。こんなにかたくてもいいんだと感じさせるほどに、アルデンテです。アグリツーリズモ1日めの夕食2 リコッタパスタの次は、モッツァレッラと、トマトです。ただそれだけの料理です。オレガノ、オリーブオイル、それに、ほんの少しのにんにくで作ったドレッシングとともに、小さなここで獲れたトマト、それに近所のモッツァレッラ工場でつくったばかりの、水牛のモッツァレッラ、日本では、これをきれいにはさんで、「カプレーゼ」ですが、これは、自分で作る、カプレーゼです。少しだけ塩が利いており、またトマトの酸っぱさととともに、いただきます。ここの夕飯は本当にシンプルそのものだった。リコッタチーズに、ここで採れたトマトのマカロニと、次はモッツァレッラと、トマト、要するにはこれは、カプレーゼなのですが、オリーブオイル、オレガノの干したもの、それに、少量のアーリオ つまりにんにくを小さいトマトにまぶしただけ。これがモッツァレッラのシンプルさによくあっていました。 レモンもすごくて、採りたてで香りがします。あまりのいい香りに、ガス入りのミネラルウォーターと一緒にして、レモンスカッシュみたいにしてのみました。

アグリツーリズモ1日めの夕食1 初日の夕食は、リコッタチーズと、トマトソースのリガトーニとう、パスタです。なんといっても、ここでとれたトマトを使った、トマトソースは、なんというか、ジュースのような新鮮さと、きめ細やかな涼しさとでもいえそうなすばらしいソースでした。リガトーニは、分厚い、マカロニの一種で、これはかなりなアルデンテでしこしこしていました。美味しい!ブォーノ!ご要望に沿うかどうかわからないのですが、さきほどアップしたパスタ リガトーニをアップにトリミングしてみました。上にかかっているのは、ここで獲れたペペローニ(唐辛子)で作った粉です。とても辛いです。パルメジャーノ・レジャーノも好みでかけます。

アグリツーリズモ3日めの昼食1,きょうのアグリツーリズモのお昼は、スパゲッティ カルボナーラでした。これがとても忘れられないものと生りました。ばりばりにかたいのではなく、しこしこした感じのアルデンテでちょっと柔らかめといえばそうなんですが、カルボのまとわりつき感もとても良かったです。ナポリの自然食のパスタだそうで、1つおみやげにくれました。本当はお昼はついていないのです。でも、造ってくれて、しかもただでした。本当にありがたかったです。

アグリツーリズモ3日めの昼食2 これは、肉のポルペッタと呼ばれる料理です。簡単にいえば、豚のひき肉をパルメジャーノレジャーノ(パルメザンチーズ)の多く含んだ、衣にして、オリーブオイルで揚げたものです。そのままでも美味しいし、日持ちもするので、冷たくなってからでも美味しかったです。これに、ほんの少しバルサミコ酢をかけていただいてみました。南イタリアの簡単にいえば、肉団子と行ったところでしょうか。

アグリツーリズモの食卓その2です。

アグリツーリズモの食卓その2です。

アグリツーリズモ3日めの夕食2 リゾットの次にでてきたのは、自家製のソーセージと、一緒の野菜は、なんとブロッコリーをニンニクと一緒にソテーしたものでした。ソーセージはなにしろ、つくったばかりで、味が濃く、セージの香りがしました。本当は3本もソーセージあったのですが、とても食べられず、1本だけにしました。

アグリツーリズモ3日めの夕食1 山の畑の中腹に自生しているフンギポルチーニ茸で作った、ポルチーニのリゾットです。ぼくのポルチーニ感は、とても、香りが強すぎてというのでしたが、このポルチーニは、優しくて、いくらでも食べられるという感じでした。パルメジャーノ・レッジャーノとともに、塩辛すぎず、いくらでも入るというお味でした。これはよかったです!しかもです。別にすごいシェフというわけでもなく、日本でいうなら、民宿のおじさんが、自分でつくってくれているのです。本当に美味しい!

アグリツーリズモ3日めの夕食3 これは自家製のドーナツです。しかも中身は、畑で採れたじゃがいもをすりつぶして、全部じゃがいも。でもでも、リゾット、ソーセージときて、デザートがこれ?ということで、とても全部はいただけなかったです。優しいとはなにかというお味で、きつくなく、本当はいくらでもたべられそうな、素直なお味だったのですが。アグリツーリズモ1日めの夕食3 さくらんぼの畑には、姫りんごのようなとても小さなリンゴがありました。しかし熟成するのは、秋になってからだそうです。これを収穫して、貯蔵していったのがこのリンゴです。とても小さいのですが、味がしっかりとあって、酸っぱくて甘くてなかなかの自然のお味です。

アグリツーリズモの朝飯です。基本的にイタリアでは、朝は甘いものをいただきそれでおしまいです。ここでとれたレモーネをいれた紅茶、そして、マーマレード、さらに、ここでとれた蜂蜜、大量のさくらんぼ、これは、まさに理想的みたいな朝飯みたいでした。宿でもらった取れたてのりんごと、レモンとみずで一人ピクニック状態です。

オリーブ

プリスコの部屋からオリーブの木が見えました。

山々

アグリツーリズモからみえるアペニン山脈です。イタリア半島の真ん中を縦に通っています。

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旅する哲学 その⑦ナポリ中央駅にて出会う

2017 JAN 30 7:07:36 am by 野村 和寿

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2012年4月開業のイタリア版新幹線イタロです。発着駅は同じナポリ駅です。

2012年4月28日に開業した「イタロ」というイタリアの新幹線です。正式名をヌオーボ・トラスポルト・ヴィアジャトーリというイタリアの高速鉄道TAVは、ミラノからナポリまでを高速300kmで結んでいます。と、ここまでは公式なのですが、新しい線路ができているわけでもなく、つまりは、fという旧イタリア国鉄と全く同じ線路を走るのです。小田急線の特急がJR東海の沼津駅まで乗り入れているのに、ちょっと似ていなくもないです。係員は、ちょっと昔風で、サーベルをさげ、おもちゃの軍隊みたいですし(写真最下段参照)、開業したばかりなので、車体もすごくきれい。ここナポリ駅構内に、つまりは2つの鉄道があり、案内所も別々にあります。車体はフィアットを買収してしまったフランス・アルストム社が製造し、内装はイタロ・デザイン(ジウジアーロ)が作っているようです。

ナポリ中央駅で出会った列車たちです。

ナポリ中央駅で出会った旧イタリア国鉄(トレニタリア)列車たちです。かわいいですね。

写真上は、ナポリ駅を中心に出会った旧イタリア国鉄(トレニタリア)の列車たちです。まるでメルクリンのモデル模型のように、1両でとことこと近郊を走っている電車もありました。

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ナポリ中央駅の旅行者用案内所のボランティアスタッフたちと記念撮影です。

ナポリ中央駅にある「旅行者案内所」の若きボランティア・スタッフたちとともに記念写真をとりました。みんなすごく、かわいいです。写真撮影に気軽に応じてくれたのですが、女子が随分とぼくと距離が近くて、おじさんはとてもドキドキしてしまいました。でもこういうのが旅行の醍醐味です。5月25日、ナポリ駅の旅行者向け総合案内所にて。スタッフみんなの写真をお願いしたら快く応じてくれました。ここにはうら若き女性スタッフが元気に働いています。みんな明るく、ここの情報はみんな無料です。気持ちがいいくらいにさわやかでした。なんと記念写真も撮影してしまいました。美人といっしょで、顔がにやけております。すみません。イタリア女性の前向きな気持ちは、若さ故か。こういう人たちがたくさんいてほしいなと思いました。

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旅行案内所は広くてスッキリと広くてなかなかきれいです。といいつつもう1枚記念写真をアップしてすみません。

ナポリ中央駅前です。

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ナポリ駅前の昔風の制服のみなさんは、開業したばかりのイタロの乗務員さんたちです。

ナポリ中央駅は、新装なっていて、とてもきれいです。中には、いわゆる、危ない人々は入れないように、常に警察がみはっています。周囲は危ない人たちも多いのですが、エキ中は安全でした。荷物の一時預かり所は、とても安心なところです。セキュリティーも厳しくて、パスポートのコピーをとり、チェック。チェックカードを差し出し、荷物を受け取る。5ユーロでした。ナポリ駅周辺は、見るからに危なそうな人たちばかりで昼日中にカードの博打を開いたりして緊張します。一方、駅は極めて新しく人種のるつぼであり、ヨーロッパ独特のカオスに満ちています。ちょっと沢木耕太郎になった気分です。一人旅はいろいろと困難を伴うことが多い。いつ列車がくるのか?それは何号車にのるのか?いったい途中の駅におりるのは何時頃なのか?ねすごしてはいけない。とにかくどこか緊張してきます。おなかが痛くなることを避けけて、極力食べないようにします。そして、適度な水分が必要なために、極力水をすこしずつ補給します。トイレがどこにあるのか? 安全なのか?お金をはらって入るトイレのほうが、結局安全でいいと思えてきます。

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ナポリ駅の地下行きのエレベーターです。地下にはトイレや教会のチャペルなどなどあり。

地下行きのエレベーターですがトイレ、地下鉄、などと共にカペラつまりチャペルがあるとあります。いかにもカトリックのお国柄といったところです。

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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその⑥スパッカ・ナポリ

2017 JAN 29 8:08:28 am by 野村 和寿

タクシー運転手のマリオさんに案内してもらって、ポンペイからナポリに戻ってきました。人生最良の日の午後は、スパッカ・ナポリです。

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スパッカ・ナポリは庶民の街。日常を垣間見ることが出来ます。

スパッカ・ナポリとは、ナポリの下町。通常はちょっと治安が悪いとも言われることがあります。タクシー運転手のマリオさんは、ここの出身で、案内してもらいました。

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ナポリの個人タクシー マリオさん

この人がマリオさんです。このあたりの顔で、このピッツェリア「ヴェスビアーナ」にもちょくちょく顔をみせるんだそうです。なんでも、若いときは歌手を目指し勉強していたが、サッカー応援で声を出しすぎたのか、大きな声が出せなくなり、やむなく断念したそうです。それで、タクシー内では、「オーソレ・ミオ」やロッシーニの「セビリアの理髪師の私は街のなんでも屋さん」など、つぎつぎと歌ってくれました。ぼくは、とてもいい人だと思いました。いくらなんでも、実家近くを案内して、ピッツァまでご一緒してくれるとは、こういうときに、イタリア語が少ししゃべれるということがよかったなあと思っています。

ナポリ ピッツァその2は、ナポリの下町「ピッツェリア・ヴェズビアーナ」にて。ピッツァ・フリットです。このお化けのようにでかいしろものは、中に、オリーブやトマト、ベーコン、それになんといってもモッツァレッラ、それにほかのチーズを入れ、そのまま揚げたものです。日本でいえば、イタリアンで、ピッツァのカルツォーネのお化けみたいにおおきいやつです。生ビールのグラスとひかくするといかにでかいかがわかると思います。これで、400円くらいです。もちもちとしたパスタ生地となかでとろとろになったモッツァレッラが融合して、甘く、酸っぱく、柔らかがいっぺんに味わえます。なんで2皿かといいますと、教えてくれたタクシーの運転手と一緒にお昼をしたんです。そのことはまた。前メールのピッツェリア「ヴェズビアーナ」は、漁師からの新鮮な魚介類を売る地区の、中にあり、これはなかなか見つかるものではありません。タクシー運転手のマリオさんとは、年齢が近くなぜかきがあい、この2日ほどご一緒し、あちこち案内してもらいました。この店は築地場外の「すし清」みたいな関係かもしれないです。

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ピッツアを作る調理場も取材させてもらいました。

でも、生地をこねるところはもちろん大理石でなにしろ家族的、協力して取材させてもらった感あり。

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スパッカ・ナポリの魚屋さん

こちらは魚屋さん。旬の魚は、アリーチかたくちイワシのことです。またイワシはほかにも大きさや産地で厳格に呼び名が違っており、もうひとつは、「サルディーナ」といういわゆる、オイルサーディンに使われるような、小さなイワシ。日本でいえば、新子に似ています。こちらは貝専門店です。ちゃんと砂だしはしているそうで、さすがにこのままボンゴレとして、パスタに使えますね。いつもお水はたやさずに、新鮮さを保っているんだそうです。

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マリオさんのお母さんが2階から顔をのぞかせています。

2階から顔を出しているのが、タクシーのマリオさんのお母さんアンナさん。とても気さくな方で手を振ってくれました。マリオさんは、ここで生まれ大人になるまで育ったんだそうです。活気あふれる下町の洗濯物がいっぱいの素顔のナポリです。

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サラミ屋さんはマリオさんのおばあさんがやっている屋台のお店でした。

このサラミ屋さん。お店番をしているのは、タクシーのマリオさんのおばあさんです。もう80をとっくにすぎているんですが、ひがな1日こうして店番をしているんだそうです。サラミとチーズを一緒にうっているところが、下町的ですね。

漁師のお店がずらりと並んでいる下町近く。タクシーのマリオさんはこの町で生まれて育ったそうで、歩いていると知り合いばかりで声をかけあっています。この混沌そのもので活気あふれるお店は魚屋、貝屋、八百屋と多種のお店です。

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街角にあるマリア像です。日本のお地蔵さんと同じような感じです。

こんな複雑に入り組んだ、魚や野菜の市民の台所にも、角角に、キリスト像がおかれて、みんなを見守っています。なんか日本でいえば、道祖神かお地蔵さんに似ていますね。とにかくみなさんカトリックで信心深いです。八百屋さんです。トマトの赤がまぶしいばかりです。普通こういった光景を取材させてもらうときは、(個人だから取材とはいわないかも?)気を使うのですが、なにしろ、マリオさんをみんながよく知っていて、これも撮れ、あれも撮れといわれて好意的そのものです。しかもたとえば、いんげんは、今の時期旬なので、フリットにするとうまいよ。とか説明もしてくれます。

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マリオさんとの記念写真です。

タクシーのマリオさんと記念写真です。マリオさんは、52歳だそうで、ぼくと妙にうまがあいました。もちろん観光客に合わせてくれたんだと思いますが、イタリア語の教師であり、ぼくのイタリア語にもいやな顔ひとつせずにつきあってくれました。レモンチェッロをすすめられて飲んだ後で少し酔っています。

ここでワイシャツと、スーツを買ったんですよ。いや買ってしまったんですよ。こういうのが旅の醍醐味だと思います。シャツのお店です。マリオさんの親戚がやっているんだそうです。表通りの洋服屋よりも格安だよと紹介してもらいました。なにしろ、ぼくは、おなかがでっぷり体型でなかなかそろわないんですが、さすがにイタリアの下町にはぼくのサイズがありました。黒のジャケットとズボンともにフィット。さらに、生地のいいワイシャツを買って全部で、1万円ほどでした。おみやげにとてもすごい色のナポリらしいネクタイももらいました。もちろん少し調子に乗ってだまされたのかもしれないのですが、まあそんなこと考えないでいようと思います。スーツとワイシャツで1万円。今部屋にもってきているんです。こんなおみせ、自分だけじゃぜったい買わないですよね。

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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその⑤ポンペイ遺跡

2017 JAN 28 12:12:43 pm by 野村 和寿

一生のうちで、たぶん何度か忘れられない日があると思います。ポンペイ行きはまさにそんな一日でした。素晴らしいとだけいってしまうのももったいないような充実した日々でした。

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ポンペイ遺跡内で思わずの記念写真。これほど充実した日はたぶんかつてなかっただろう。

朝9時にマリオさんのタクシーを予約し、一路25km離れたポンペイへ。緑に囲まれた中に、ぽっかりと遺跡が並んでいます。よく整備されている遺跡ですが、炎天下を延々と歩かねばなりません。これはポンペイの入り口付近です。

ポンペイのよく舗装された石畳です。ポンペイの都市が埋まったのはAD79年8月24日だそうですから、その前に石で舗装されていたんだそうです。古代のトンネルに入り、ここを上りつつ、抜けると、ポンペイの町になります。

ポンペイ2

ポンペイに行くには石畳を通ります。

 

もともと古代ギリシャの植民都市として成立したポンペイには、ギリシャにちなんだ、アポロ神殿が建てられていました。その後、ポンペイは、ギリシャより独立して、自立していくのですが、まずは、古代ギリシャがあったんだなと思いました。

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巨大な凱旋門が迎えてくれます。

ポンペイの遺跡に初めて入った印象は、とにかく広大だということ、大きな都市がまるまるすっぽり埋まってしまい日常生活そのものが、埋まってしまったことです。大きなローマ神殿も飲み込まれてしまいました。炎天下の中、ふうふういいながら水分補給だけをたよりに、石畳を歩いていると、鳩がとまり、そして小鳥のなく声がします。きっとそんな光景は昔とぜんぜん変わっていないかもしれません。とにかく行けども行けども、遺跡だらけなんですよ。ここは本当にものすごい光景を見てしまった。あるいは心に宿ってしまったような、寂寥感みたいなものが、常につきまといます。まだ、観光客がいっぱいいることが逆になぐさめになっているかも。

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延々と並ぶ円柱。

もしも東京やお寺の多い京都が一夜にして廃墟と化したならば、いったいどんな遺跡になるんでしょうか? ベズビオ火山の突然の大噴火でくしくも都市ごとに埋められてしまったポンペイの石畳の道を歩きながら、ふと思いました。それまでの文化があっというまに、消えてなくなるかといえば、遺跡という形で残ります。それはずっと昔のポンペイに一気に戻ったような不思議な錯覚を覚えます。

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廃墟の建物内に潜入すると、人の形をした柱が迎えてくれました。

 

ポンペイの入り口近くの売店にてsugo(スーゴ)と呼ばれるオレンジの果汁をいただきました。100%オレンジを手でしぼって、これで、約250円です。ほんとうにフレッシュでさわやか。このほかに、pompelno(ポンペルノ・グレープ・フルーツ)のスーゴもありました。

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生ジュース(スーゴ)の屋台です。喉の渇いた後には最高に美味しいです。

 

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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその④考古学博物館

2017 JAN 27 4:04:46 am by 野村 和寿

ナポリ国立考古学博物館

ナポリ国立考古学博物館 ローマ時代の彫像と見学しているイタリア人が同じ顔かたちなのに驚きました。

過去の何が<人間>の観念を拡大し、さらに美しいものにすることができたのか。何度も何度も、過去の偉大さに思いをめぐらすことで力を得、人間の生とは素晴らしいものだという感覚に触発されて、目覚めた何人からの人間がいたのだ。 ニーチェ

ナポリにいったら行ってみようと思っていた国立考古学博物館に行ってきました。ナポリの考古学は、主にフランスのナポレオンがこの地をおさめていた頃に始まるようで、それでか、フランス人の団体が非常に多かったです。すごいのはお城のような建物に、ポンペイや、ファルネーゼから発掘したブロンズや大理石ぞうがまことにおびただしく、ちゃんと見ようと思ったら、たぶんまったく1日ではすまない量でした。ぼくがとりわけ面白かったのは、大理石の石像の顔が、現代のイタリア人とさほど変わらないことでした。どうも、昔の人の像をみて、見学者をみると、あまりにも似ている人が多くて、これがイタリア文化のプライドなんだろうなと思ったりしました。それはそれとして「どこみてんの?」

ナポリ国立考古学博物館②

世界史の教科書でみかけたことのあるペルシャの王ダリウス3世とのイッソスの戦いを描いたモザイク画です。

 

ナポリ国立考古学博物館のいちおし。紀元前33年に、マケドニアのアレキサンドロス大王(3世)が、ペルシャのダリウス3世をやぶったイッソスの戦いを描いたモザイク画です。なにしろ、はじめて、当時最強といわれたアケメネス朝ペルシャ(今のイラン)を破ったヨーロッパ方の王様として有名なわけで、これはまさに、今の世界情勢にも通じる根が深いお話です。もちろん、このモザイク画の周囲にはいつも人だかりができていました。ヨーロッパが強いという人々が確かめたいのでしょうか?この絵の中には、ペルシャの女性の姿や、大王のわかいときの戦いぶりも描かれています。もともとは、あのポンペイから出土されたものだそうです。きょうはこれから、そのポンペイにいってこようかと。

ナポリ国立考古学博物館③

アグリッピーナ王女の像です。ヘンデルがオペラにしています。

国立考古学博物館の「順当な」写真です。まるで生きているみたいなアグリッピーナの王女の像です。アグリッピーナは、ヘンデルが後年オペラにしています。その周囲を歩いているイタリア人でどこか似ていると思った人がたくさん、像になっています。なんか西欧の文化みたいなものを、しみじみ感じてしまいました。

ナポリ国立考古学博物館④

ポンペイから出土した夫婦のモザイク画です。

ポンペイから出土した夫婦のモザイク画です。まさに鮮明そのもので、しかも、なんというか、夫婦の絆みたいなものまでわかるような。こうした文化が一瞬のうちに埋まったのですから、すごいです。ナポリ国立考古学博物館はトイレもちょっと面白くて、男女別々ですが、日本でいえば、女性のトイレのように、男性のトイレでさえも、個室しかないのです。なにか不思議でした。

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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその③オペラ

2017 JAN 26 16:16:11 pm by 野村 和寿

ナポリ・サンカルロ歌劇場

ナポリ・サンカルロ歌劇場まばゆいばかりの絢爛な光。1階席から客席を臨む。

われらの存在のなかには 至高の時がある。

その時はくっきりと際立ち 保つのだ。

われらを力づける美徳を・・・・・・  ワーズワース

念願がかなってナポリのサン・カルロ歌劇場でプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」のチケットが入手でき、歌劇場に入ることができました。僕の席は、5階のまさに天井桟敷席でしたが、舞台装置が歌手の表情から、観客の様子までてにとるようにみることができました。なんといってもここは、赤を基調にした座席と、まばゆいばかりの金で縁取られたまことに見事な歌劇場です。案内嬢まで赤のワンピースを着ています。一番驚いたのはオーケストラの手慣れていることと、カンタービレになると、オケが歌手をあおり、歌手がまたオケをあおるというように、まことに理想的な、イタリアの節になります。オケがこれだけ積極的にアンサンブルをやっているのは日本ではなかなかおめにかかれないことです。上の写真は、休憩時間に1階席からロイヤルボックス、そして、上の階をみあげてみました。すごいでしょ。

ナポリ・サンカルロ歌劇場②

5階にある天井桟敷席から舞台下手の桟敷席を臨む。

世の中に行きたいところがどこかと聞かれたら、サンカルロ歌劇場といつも、思っていたくらい、ナポリで行ってみたかった所です。やはり、ナポリはすごかったです。なにしろ、1737年の開場というヨーロッパで(ということは世界で)最初の歌劇場です。何度かの火災にあったからかもしれないのですが、会場には、なんと消防士さんが、消防士のかっこうのまま待機していらっしゃるのにはびっくりしました。お客は、いまだにスノッブな貴族趣味の人たちが多くて、華やかな社交場の感もありました。今日の公演はいわゆる定期公演客向けだからなおさらなんでしょう。いいおじいさんが、歌い手によってどのくらい演目の印象が異なるかを知り合いに議論をふっかけたりして、奥さんもなんかうれしそうに見守るという感じです。

サンカルロ歌劇場桟敷席から天井のあかりシャンデリアをながめる。

サンカルロ歌劇場桟敷席からあかり道具・シャンデリアをながめる。

一方、オーケストラや歌い手はそれとは関係なくて、きわめて自由に音楽を語るといった風情で、音楽を動かしているのはまさに自分たちという感じでした。5階席のバルコナータと呼ばれる5階席からみた2階席から上のバルコンです。ひとつひとつは、部屋になっていて、鍵を閉めたりもでき、中でなにがおこなわれているかわからないという仕組み。サンカルロ歌劇場の音楽の次にもり立てるものといえば、まばゆいばかりの光にあるかもしれません。こんなご時世で、LEDが断然効率的なのでしょう。しかし、ここにある光あふれるまばゆい光は、白熱で、ろうそくのひかりの代用をしています。あたたかな光がシャンデリアからも、いろいろな照明からも降って参ります。

サンカルロ歌劇場のオケピット

サンカルロ歌劇場のオケピットです。

休憩時間に1階からみたオーケストラ・ピットです。けっこう深く広く作ってありました。休憩のときは楽団員は三々五々で十分に休憩を取る人や、マーラーの交響曲第1番”巨人”とリムスキー=コルサコフの”シエラザード”をさらっている人などもいました。それにしても、ナポリのオケの金管楽器は、昔のラッパそのものみたいな音がしています。なにか味のあるラッパの音がしています。

きょうの演奏はいつものプッチーニの「ラ・ボエーム」とも少し違っていました。ちょっとマニアックなのですがご紹介。

まず、幕が始まる前に、第2幕で出てくる子どもたちが演壇上に姿をみせ、そのなかの一人が、演出家のメッセージを代読します。第1幕は、主人公ミミとルドルフォの出会い、場所は貧しい屋根裏部屋、2幕は、打って変わってパリ シャンゼリゼでの楽しいクリスマスの時間となるのですが、「人生とはかくも不思議に、いろいろなことがおこります。それはときには衝撃的だったりしますが、必ずいいこともあるのです。ですから1幕と2幕は切れ目なく演奏します。」

第1幕の舞台装置が、ひいていき、2幕のシャンゼリゼがでてきても驚かないでください。こうした「幸せな時間」は、誰にでも訪れるといいのですが、不幸にして幸いなる時間を過ごせない人々もいます。そうした人々のために、まずは祈りましょう。」といって、観客全員が起立し、不幸な人々のために、黙祷を捧げました。不幸な人々とは誰かと特定していないのに、起立、黙祷いかにもカトリックの国の考えそうな話です。そして、1幕が終わると、しずかに、場面は転換していき、シャンゼリゼが現れる。このことに、演出家は美しい幸せ時間をかけているようです。まことに不思議な演出家のメッセージ、そして観客の不思議な「黙祷」でした。

第2幕のシャンゼリゼの通りの舞台を、こっそり5階から撮影したのでどうぞ。『ラ・ボエーム』は、1幕2幕続けて上演され、第3幕の間に幕間休憩です。広大なロビーです。中には記念写真をとる、グループも。とにかくシャンデリアがいくつも光を放つ中で、ほとんどの観客が、女性はカクテル・ドレス、男性はすくなくとも上着にネクタイ着用です。ぼくも蝶ネクタイとミッソーニのジャケットをもっていってよかったなと思いました。こうしてナポリの夜はえんえんとふけていきました。

休憩時のロビー

休憩時のロビーです。不思議にもここには売店もバーもありませんでした。

オペラの係員

オペラの案内嬢。赤のワンピースは歌劇場の絨毯と同じ劇場のカラーです。これでも、客の案内とかしていらっしゃいました。

ちょっとピンぼけなので恐縮なのですが、根性がないので、隠し撮りです。ナポリ サンカルロ歌劇場の案内係は、歌劇場のビロウドの赤で統一した場内で、赤のワンピースを着用しています。日本のクラシック会場のように、いかにもの案内係の制服ではなくて、どちらかといえば、夜会にも着て行けそうな、カクテルドレスにもなるようなそんな服装です。みなさんお若く、とてもきれいに会場に花を添えています。そして、与えられた任務はきちんとこなしています、客の誘導とか、客への気配りとかなかなかよろしいです。文化とは、それぞれの役割をお互いにきちんとこなすということなのかもしれません。

オペラ『ラ・ボエーム』の舞台

オペラ『ラ・ボエーム』の舞台 カーテンコールです。

サンカルロ歌劇場の音楽の次にもり立てるものといえば、まばゆいばかりの光にあるかもしれません。こんなご時世で、LEDが断然効率的なのでしょう。しかし、ここにある光あふれるまばゆい光は、当然のように、昔からの白熱球で、ろうそくの光の代用をしています。あたたかな光がシャンデリアからも、いろいろな照明からも降って参ります。

指揮者にいわれてそうするのではなく、オケが自然発生的にするクレッシェンド、そして、曲の変わり目の決然とでる確固としたもの、オケが音楽を作るというプライドの上に、ときにはテンポさえも、自在に操り、それに音量が加わりまさに目指す音楽がありました。若いイタリア人の指揮者君はただただ、交通整理に夢中でしたが、オケはそんなことおかまいなく、自由にプッチーニをやっておりました。

以下友人(シカゴから)のコメントを残してくれました。

素晴らしい!野村さんのコメント、手に取るようにわかります。

プッチーニはソロのみならずアンサンブル・オペラなんだよね。それが手にとるようにわかった。明るい場面と悲劇的な場面で当然ながら音色を極端に変えている。それに忠実にオケが動くと、プッチーニというのは、道具としてのオケの扱い方が上手なんだなと思う。指揮者にいわれてそうするのではなく、オケが自然発生的にするクレッシェンド、そして、曲の変わり目の決然とでる確固としたもの、オケが音楽を作るというプライドの上に、ときにはテンポさえも、自在に操り、それに音量が加わりまさに目指す音楽がありました。和解イタリア人の指揮者君はただただ、交通整理に夢中でしたが、オケはそんなことおかまいなく、自由にプッチーニをやっておりました。

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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその②ホテルとピッツァ

2017 JAN 25 2:02:31 am by 野村 和寿

ナポリのホテルの朝食

GRAND HOTEL PARKER’S NAPOLIという5つ星のホテルなんです。

旅行の現実は期待と違うという意見なら、わたしたちもしょっちゅう聞かされる。だからこそ主張する。現実はつねに失望させるものに違いない。だが期待と現実はもともと別物なのだと考えるほうが、より真実に近く、より役に立つのではあるまいか。(旅する哲学 大人のための旅行術 アラン・ド・ボトン著安引宏訳 集英社刊より)

ナポリ報告 ぼくの宿泊しているホテルは、GRAND HOTELPARKER’S NAPOLIという5つ星のホテルなんです。(でも僕の部屋は安い部屋なので海向きではなく)待望の朝食へ。おびただしいフロマージョ(チーズ)は、ブッファーロ系であっさりとしていて、いくらでも入るという風情。トマトは味が濃く、ミルクはそれだけで甘くといった感じで、最上階の食堂は朝の陽光がいっぱいにさしてきて、すばらしい朝食となりました。ハム類も、いろいろな珍しいハムばかりで、どれも癖が強くなくて美味しいです。また、自家製のミックス・ジュースの酸っぱく甘くなかなかのお味でした。

ホテル テラスの朝食

ホテル テラスでの朝食です。

 

テラス席は、このホテルが高台にあるので、6階といってもかなり高いところにある風情です。テラスをなめるように海に向けてレンズを向けてみました。陽光がまぶしく、南国に来たという観があります。まだ朝7時の光景、もしかすると、太陽が昇る今頃がいいのかもしれません。

ホテルのテラスから

ホテルのテラスからベズビオ火山をのぞみます

 

前メールのテラスからナポリ湾が一望できます。なにしろ、部屋がまっ暗だったので、最上階の6階テラスからみた、海の一望はとても印象的でした。左のヴェスヴィオ火山は常に、噴煙をあげておりまして、きょうは晴天なので、とても気持ちがよい朝です。ちょっとかなりの逆光なのですが、アップしてみます。

有名ピッツェリア ミケーレ

ナポリ・ピッツァの発祥の店といわれるミケーレの正真正銘本家のピッツァ・マルゲリータ。

ナポリ本場のピッツァ ピッツア・マルガリータをいただいてきました。スパッカ・ナポリにある、「ミケーレ」という超有名店です。ここは、あまりにも有名なのですが、なにも飾らずにひたすらピッツァだけを、食べさせてくれ、あとは水とビールくらいです。日本ではさしずめ、「香川のさぬきうどん屋さん」に似ています。とにかく飾らず、この大きさで、400円です。トマトソースは、まだトマトそのものといったお味で、これに、モッツァレラの白と、バジルの緑で、有名なピッッアマルゲリータの完成です。注文してものの5分ででてきます。奥では、ピザを丸く作る係、ピザ釜で焼く係とに分かれていました。もちもちとした食感と、トマトの酸っぱさ、ときに周囲の焦げ目のかりかり感も香ばしく、今まで何を食べてきたんだろうという、ビッツァの中の王様みたいです。やたらにこんでいて、相席です。

ピッツェリア・ミケーレ

ナポリ・ピッツァ発祥の店ピッツェリア・ミケーレの外観は味も素っ気もないくらいでした。

 

ミケーレという地元の人一押しのピッツェリアの外側です。こんなに間口は小さく、ちょっとなかなか見つけられません。しかし、中はすごい込みようです。ここの店もほかのなん軒かのピッツェリアと同じく、マルガリータ発祥の店と号しております。つまりマルガリータは、とくに1軒で、生まれたのではなくて、自然発生的に生まれたんだなと思いました。ほんとはね。

イタリア人のピッツァの食べ方

手前と先のピッツァの比較。先は老夫婦が残したマルゲリータです。真ん中だけきれいに食べています。面白い。

ピッツァの話。これはきのうのピッツェリア ミケーレのピッツァ・マルゲリータですが、相席の前の食べ残し方をごらんください。真ん中だけ食べて、周囲を残しているでしょう。こういうことを、ナポリでは、言葉がありました。言葉自体は記録していないのですが、ようするに、こういう周りを残して中だけ食べる人のことを、なんとかいって、それは、ピッツァを残す人=もう年寄りの人 という意味で使っているそうです。なにしろ、ピッツァは大きいですので、とても一人では食べきれません。それに周囲のこげている部分が香ばしくて美味しいのですが。

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