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ドビッシー 交響詩 「海」

2012 NOV 1 15:15:07 pm by 東 賢太郎

 

1905年にドビッシーが作曲した交響詩「海」(La Mer)は20世紀音楽史上、最高峰のひとつとなる名品である。そしてこのピエール・ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、同曲の演奏史に燦然と輝く不滅の金字塔である。

 

 

ドビッシーが葛飾北斎の冨嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」(右)にインスピレーションを得てこの曲を作曲したことは有名である。

 

 

 

 

これが初版スコアの表紙である。そのエピソードが真実であることを証明している。よく見ると富士山と小舟が省かれており、ドビッシーがこの音楽で描きたかったものがこの「波」であったことが推察できる。

 

 

 

この曲は、「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」というタイトルの付いた3つの楽章からなる。この音楽は一般に印象派の代表作とされ、第2楽章がこの「波」を髣髴とさせるとよく言われるが、事はそう単純ではない。版画から得た印象をベタに絵画的、アニメ的に音楽化したという意味なら全く稚拙な誤解である。

ドビッシーは版画から複数の短いフレーズ(ほぼ1-3小節の)を着想している。それを要素として、いわば物質の構成要素である分子として全曲が有機的に緻密に組み立てられている点は、印象派よりもベートーベンの交響曲にずっと近い(拙稿「ベートーベン交響曲第5番ハ短調」参照)。さらに、この曲の特筆すべき点は、「各要素そのもの」が「あたかも時計が進むように」楽章を追って微細に変化、変形されていくことにある。そんな音楽を書いた人は、彼以前に一人も存在しない。

つまりこれはオーケストラの中に「生々流転」する「4次元空間」が展開するという驚くべき試みであり、ブーレーズの作曲の先生であるメシアンなど後世に大きな影響を与えた。その「空間」を時間という変数で微分したのが北斎の版画だという着想こそ、僕はドビッシーが得たインスピレーションに違いないと思う。初演を聴いたエリック・サティは「11時45分ごろが一番良かった」と揶揄している。描写的側面を皮肉ったものと思われるが、時間という要素を指摘した点においては、逆に彼にとって皮肉なことに、正しい。

ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールという決して上等ではない音響の演奏会場でパーヴォ・イエルビがロンドン交響楽団を振った「牧神の午後への前奏曲」を聴いたとき、音響が点描のようにオケの中を移動する不思議な様を体験した。オケが3次元空間になっていた。それに「ニンフを眺めて欲情する牧神」という時間軸が加って「4次元空間」とする実験がすでになされている。ここからバレエと言うストーリー性を除却して、純音楽的に構造的にそれを達成させた、宝石のような結晶が「海」である。

僕はこの音楽が3度の飯より好きである。上記のタイトルのような詩的なものにはぜんぜん関心はなく(ドビッシーさんすみません)、物理的な音響をシンフォニーとして愛好している。好きが昂じて第1楽章をシンセでMIDI録音した「アズケン指揮」盤が存在し、自分ではカラヤン盤よりいい演奏だと思っている。演奏はキーボード(ヤマハのクラビノーバ、写真)で全楽器の全パートを弾く。減速してゆっくりのテンポで録音できるが、それでもこの曲は非常に難しく、第2,3楽章にチャレンジする勇気と時間は、まだない。余生の楽しみとしたい。

さて、冒頭のレコードに戻る。これを買ったのは、かたや朝・昼・晩と野球に明け暮れていた高校2年の時。野球とクラシック音楽にここまで没入していたので、勉強などもちろん2の次、3の次。3年生になってもサイン、コサインが良くわかっていない冷や汗もの状態だったのを思い出す。

この演奏、「春の祭典」の稿に書いたブーレーズさんのレントゲン写真的、高精度解析的アプローチ全開で、ロマン主義的、詩的な方向性への志向はかけらもない。「春の祭典」より「海」のほうがそういうアプローチを許容するので、それをやらない指揮者の冷徹さがさらに際立つ結果となっている。両曲においてそれがピタリとはまっていることから、ストラビンスキーの初期の曲に「海」の投影があることが炙り出されるという発見すらある(併録の「牧神の午後への前奏曲」ではピタリ感が今一つである)。

何十回この演奏を聴いたかわからないが、「海」という音楽にとどまらず僕の根本的な音楽嗜好を決定的にした、つまり「耳を作った」のはまさにこのレコードである。まず楽器のピッチは完璧に合っていないといけない。リズムもフレージングも、楽器の遠近感や倍音ブレンドが最適解に至るまで磨き上げなければいけない。フランス語のClarté(クラルテ、明晰さ)こそ、この種の曲においてはもっとも美しい音楽を作るという哲学である。

写真が僕にとって神に等しいピエール・ブーレーズさん。指揮者というより作曲家がご本業である。現代における世界最高の知性。ドビッシーの「海」は38種類の音源を所有しているが、もはや彼以外のものは聴く気にもならないし、聴いても漫画か銭湯にある富士山のペンキ絵みたいにしか聴こえない。

ちなみに何か難しい問題を考えるときに僕はこのブーレーズの「海」を必ず聴きたくなる。ながら聴きなど許さないこれに耳を澄ますと、バラバラだった脳ミソの細胞が整然と直列に並ぶ気がする。のちに受験勉強で数学が強くなったのはこれとバルトークのおかげと固く信じている。

 

(補遺・2月16日)

永井幸枝 / ダグ・アシャツ(pf)

dagこの曲をよく知りたい方は2台ピアノ版をお薦めする。第1楽章のポリリズムに近いリズムの複合はシンセ録音で弾くときに細心の注意を強いられたし、驚嘆するしかない独創的な和声のケミストリーや第2楽章のミニマル的エレメントは管弦楽の色彩を除去してピュアなピアノの音響で確認した方がよくわかる。このCDは録音も良く、スコアにあるすべての要素、特にオケだと聴こえない伴奏音型の形まで見事なテクニックで再現されている。ぜひ一度、科学的な眼と耳で解析してみていただきたい。

 

ポール・パレー /  デトロイト交響楽団

61xdmnGKa0L__SS280第1楽章はやけに暗い。いや、出だしはどれも暗いが暗いままだ。しかし考えれば陽光が煌めくのはコーダに至ってからだ。音楽に光がさすのはチェロの分奏の部分から。時間で微分された光の増量。なるほどそういう解釈があるのか。第2楽章の精密なリズムの縁取り!波と風の乾いた肌ざわりだ。終楽章、風雨ではなく見通しが良い。管弦楽は野放図に鳴る音は皆無でコントロールされるが自発性は尊重されている。知的だが香りがある。米国の当時メジャーでもないオケからこれだけのアンサンブルを引出し、ラテン的な感性で描ききった演奏のレベルの高さは並みではない。こういう芸の重みというのは僕がブーレーズに見出す価値観とは違う、いってみれば、玉三郎の演じた阿古屋に近い。

 

フリッツ・ライナー /  シカゴ交響楽団

BVCC-37463このスコアが描いたのがそれかどうかはわからない。しかし僕が時折ここから欲しくなるのは、数千年の神話時代まで見通すようなぱりっと乾いた空気、そして水色の淡い光が透過する澄んだ海だ。PM2.5が舞う世界なんてまっぴら御免。エーゲ海クルーズで出会った真昼のクレタ島やミコノス島の世界だ。SACDで買い直したライナー盤。そんなものだ。一皮むけた音がなんとも、いい。素晴らしいピッチ!完璧なフレージング!濁りのないピュアな音響は奇跡的な均衡でスコアに秘められた音楽を純化し聴き手を陶酔させる。

 

ロジェ・デゾルミエール /  チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

cover170x170音楽にはなんと多様な作用があるんだろう。ライナーの明晰、そしてデゾルミエールのアトモスフィア!これは音のケミストリーが生む奇跡のような演奏だ。ブーレーズやライナーにはない香りがここにある。音が我々の目に映るなにかのものでなく、エーテルのように漂って、すこし灰色がかった青の地中海の雰囲気を伝えてくる。これを聴くのはブーレーズとは別の海を眺めるということだ。第2楽章の後半には参る。こういう霊感をオーケストラにどうやって伝えたんだろう?

この曲のライブというと目がありません。誰のであれそそられるものがあります。これは珍しいオーマンディーが最晩年にとサンフランシスコ響を振ったもので希少品です。

 

Categories:______ドビッシー, ______音楽と自分, クラシック音楽

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