ウォルフガング・サヴァリッシュの訃報
2013 FEB 25 23:23:14 pm by 東 賢太郎
強いていえば、何かアブストラクトな高貴なものに触れた心の衝動だ。それはブラームスが産んだものであり、ナヌートが目の前で再現したものだ。久しぶりにそこで音楽が産みだされ、生成されているのを感じることができた。こういう音楽を、僕たちの時代人はいつまで聴くことができるのだろう。
つい一昨日、こう書いた。そうしたら今日、そういう音楽を聴かせてくれたドイツの巨匠の訃報を知った。
1984年にフィラデルフィア管弦楽団とハイドンの104番、ヒンデミット「画家マティス」、ドヴォルザークの8番、エルガーVc協(ポール・トルトゥリエ)、ブルックナー交響曲第2番、85年にロンドンでフィルハーモニア管弦楽団とカルミナ・ブラーナ、2004年にN響とベートーベンの7番。これが僕がサヴァリッシュを生で聴いたすべてだったと思う。
カール・ベーム亡き後、ドイツの保守本流をいった人だが、ベームよりさらにレパートリーはドイツ中心だったように思う。奇をてらわず常に正攻法であり、風貌もまじめな銀行員というお堅そうな印象のためだろうか、壮年期の日本での評判はいまひとつだった。しかし大学時代の当時LPで買ったシューベルトの交響曲やメンデルスゾーンのイタリアやモーツァルトの魔笛を僕は愛聴したし、何といっても、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を振ったシューマンの交響曲全集こそは、今になっても凌駕するもののない逸品として僕のLPレコード棚に君臨し続けているのである。
このシューマンでサヴァリッシュが産みだしている造形は信じがたいほど堅固であり、ドレスデンのいぶし銀の光彩を放つ弦、蠱惑的な木管が生み出す歌、朗々たるホルン、ヴァイオリンにユニゾンで重なるフルートの極上の愉悦感、ティンパニのはじけるようなリズム感と古雅な音色、どれをとっても「最高級のオーケストラ演奏」であると言ってまったく過言ではない。僕はこの演奏によって、ドレスデン・シュターツカペッレという天下の名器とでも表現するしかない老舗オーケストラに、永遠に魅惑される運命に陥った。演奏の細部がどうのという次元の楽しみではなく、シューマンの音楽そのものにひたっている幸福感がひたひたと心に満ち溢れ、それこそそれが永遠に続いてほしいと願うしかないような喜びを与えてくれる。
これはシューマンのシンフォニーのような音楽の演奏としてはあまりない体験であり、優れたバッハの演奏でしかおそらく経験のない、要は演奏者の個性はあまり印象にない、しかし聴いた後にずっしりとした音楽的充足感が残るという稀有の性質ものだ。何かドイツ音楽というものだけが醸成している固有の完結した世界、一つの有機体とでもいうべきロジカルな存在、それに明快で簡潔な数学的な解を与えられたような印象がある。こういうことはベームでもカラヤンでもないことであり、僕はそういう印象を、こともあろうにロンドンで聴いた彼のカルミナ・ブラーナでも抱いたのである。
CDになっている彼のブラームスとベートーベンの交響曲全集もそれに近い成果を上げている。特に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という、これもドレスデンSKと性格は違うが同じほど素晴らしい個性を持つ名門オーケストラを振ったベートーベンは、演奏としては何一つとして変哲ないが、僕が世界で最も愛するコンセルへボウという音楽堂のそれ自体が芸術品である音響を見事に活かした演奏であるという点において、特筆すべき価値を有している。
こういう本道の演奏が、妙な変哲を売り物にした奇演に駆逐されていくとすればクラシック音楽はいずれグレシャムの法則にのっとって質的に衰退していくだろう。僕が世界第1号機を買った米国ホヴランド社製のパワーアンプ「ストラトス」は、某オーディオ評論家が誉めながらも「音楽的で本格派だから売れないだろう」と書いていた。まったくその通りだろうが、そこで「だから」となってしまうのが日本の悲しい所だ。このアンプで鳴らしたサヴァリッシュのベートーベンは、まったく皮肉なことに、最上級の意味において音楽的で本格派なのである。
2004年11月、最後の来日となったN響とのベートーベン7番は忘れられない名演で、もう耳にタコができてしまっているこの曲にもかかわらず、まさにそこで音楽が生成されているという現場に立ち会う幸福感にひたらせていただいた。余分なことは何もしないということのぎりぎりの美しさを教えていただいた。ほんとうに、これからは世界のどこの誰が、あんな風な立派なベートーベンを聴かせてくれるのだろう?
昨日のように思い起こすかなりご高齢だったお姿と、生気に満ちあふれたその日の7番の感動の記憶が、どうもひとつの点においてうまく交差いたしません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます
Categories:______オルフ, ______ブラームス, ______ベートーベン, ______演奏家について, クラシック音楽
花崎 洋 / 花崎 朋子
2/26/2013 | 7:58 AM Permalink
サヴァリッシュの演奏、個人的には大変引き締まった厳しく禁欲的な印象を持っています。音楽を職業とする方々が「サヴァリッシュの演奏から学ぶことが多い」とおっしゃるのを何回か耳にしました。また、あのウィーンフィルの楽員の何人かが、サヴァリッシュとのリハーサル中にパンを食べていた、という噂を聞いたこともあります。恐らく楽員に厳しく、妥協を許さなかった人だったのでしょう。いつの演奏かは失念しましたが、ベートーヴェンの第7交響曲の演奏は、とても印象的でした。花崎洋