クラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-
2013 APR 29 23:23:21 pm by 東 賢太郎
むかし飼っていたチビ(ねこ)とやった遊びです。僕が隣りの草ぼうぼうの空地に向けて石を思い切り投げる。石はススキの草むらにバサバサっと音を立てて突入する。僕の足元にいたチビは勢いよく草むらの音のした箇所めがけて全力疾走で突っ込んでいく、というのがありました。この鳥がたてるようなバサバサの音に本能的に体が反応するのでしょう。これをたいてい20回ぐらいは飽きずに繰り返します。チビがバテてもう降参となるまでやります。
すすきの草むらをひとわたり ”調査” すると、”おっかしいな~、鳥かと思ったのに、いなかったな~” という神妙な顔つきでチビはまた僕の足元へトコトコ戻ってきます。実はもう一回やりたいのですが、ねこは犬と違ってプライドが物凄く高い。また投げてとせがんだりは決してしません。まあ、どっちでもいいんだけどサ、という顔をします。すごい勢いで飛んで行っちゃってちょっと恥ずかしかったわね、でもアタシ見たのよ、あれは確かに鳥だったのよね、あんたとは関係ないけどサ、という顔をするのです。
そう、これは「狩猟ごっこ」なんです。鳥なんていないことはチビも承知の上なのですが、そういうことにしておかないと彼女のプライドからしてこういうアホなことを何回も繰り返すメンツが立たないのです。ねこの持つ本能と知性の葛藤がこの遊びを「ごっこ」に昇格させています。ごっこはいわば劇です。お互いが何かになりきったりして、現実を無視した仮想状態を暗黙の前提とする遊びですから犬のフリスビー投げとはちょっと次元が違うんです。犬もカラスもイルカも賢いのですが、劇を演じるのはねこだけでは?
しかし、僕が再度投げる構えをすると、急遽さっきのはなかったことにして、獲物に飛びかかるハンティング姿勢になって待ち受けます。バサバサッという音は遊びにリアリティーを加える小道具にすぎません。何度も繰り返してだんだん興奮してくるとプライドもメンツも吹っ飛んでしまい、ついには石は持たずに、投げたふりだけでススキに突進していくようになります。こうなると犬のフリスビーと同じです。こうして、「劇」だったことがバレてしまうのです。
僕は投げる構えをして、ねこは突進する構えをする。この一瞬の緊張感はデジャブがありました。そう、ピッチャーと、盗塁をねらう一塁ランナーのあの緊迫した一瞬です。そして、これは想像ですが、ベートーベンの運命の開始、タクトを構えた指揮者とオケもこんな感じじゃないでしょうか。
音楽(楽器)を演奏することをドイツ語でシュピーレン(spielen)と言いますが、これは「遊ぶ、戯れる」という意味でもあります。音楽家の合奏というのは、指揮棒の一閃やコンサートマスターの合図、第1ヴァイオリン奏者のアイコンタクトひとつなどで全員が一斉に出ます。これはどこでも同じ。しかし、いいオケやカルテットですと、その初動にむけてのエネルギーの蓄積がすごい。これは物質的なエネルギーではなく、精神的なもの。全員の集中力でスピリットが高まり、巨大なマグマの噴出みたいにドッと出る。
ウィーン・フィルというオーケストラがのっている時がまさにそうです。強烈なfffを待ちかまえる奏者たちの姿、速いパッセージを合奏で一糸乱れず疾走する姿、それに僕はネコ科の動物をイメージします。以前書きましたが、ベートーベンはウィーンのオケを想定して5番の交響曲を書いたはずですが、その始めの音の前に「休符」を書いたのはこのネコ科のハンティング姿勢のような「タメ」が欲しかったのだと思っています。
そのオケのDNAをひくウィーン・フィルは犬のように「お手」をしてくれるオケではありません。ダメな指揮者だと「演奏ごっこ」で終わってしまうプライドの高さも、まさにネコ科であります。日本のオケは、本場の指揮者が来るとすぐお手をしてくれる感じがします。イヌ科だと思われます。言われたことはまじめに従順にやりますが、ネコ科特有のハンティングの瞬発力がありません。ウィーン・フィルが、これもネコ科の音楽家であるバーンスタインの指揮で録音したベートーベンの交響曲は双方の波長が合ったと思われ、このオケのネコ的側面が良く出た秀演となっています。きのう投稿したユリア・フィッシャーもネコ科、メンデルスゾーンのオケの人たちもネコになって反応していますね。日本でこういう演奏が聴けるのはいつのことなんだろう。
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Categories:______クラシック徒然草, ______ベートーベン, ______音楽と自分, (=‘x‘=) ねこ。, クラシック音楽
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/30/2013 | 7:11 AM Permalink
ウィーンフィルのプライドの高さを「イヌ」VS「ネコ」の対比で、たいへん分かりやすく解説され、なるほど!と理解が深まりました。日本の最近の衰退の原因の一つが、才能のある「ネコ」的人間を、「あいつは生意気だ」と言ってなかなか受け入れない所にもあるのではと、つくづく感じました。才能のある「ネコ」的人間にとって、「イヌ」を演じるのは、もの凄くストレスになり大変なことで、そんな余計な気を遣うくらいなら、私は世界で勝負するといって、日本から飛び出してしまっているのでしょう。たいへん考えさせられる「ご投稿」、有り難うございました。花崎洋
東 賢太郎
4/30/2013 | 5:29 PM Permalink
本稿、かなり突飛にきこえるかと懸念しておりましたが花崎さんにご理解いただけて自信になりました。コメント有難うございます。ご指摘の通りです。僕自身、何の才能もありませんが一応ネコ型なのでイヌ型主導の企業社会はとても苦痛でした。長年我慢しましたがやっぱり飛び出しました。オーケストラも人間の集団ですからどうしても同族のネコ型に惹かれます。ウィーンフィルが好きなのも、音色などよりもそういう理由が大きいということを書きたかったのが本稿です。
花崎 洋 / 花崎 朋子
5/1/2013 | 3:27 PM Permalink
東さん、お返事を有り難うございます。おっしゃる通りウィーンフィルは、ネコ型の超個性的なオケですね。バーンスタイン指揮のベートーヴェン交響曲全集、以前、私も良く聴きました。ライブ演奏ならではの「丁々発止」が良く出ていました。私もウィーンフィルについて、近日中に投稿させていただきたく思っております。東さんも、例えば「ウィーンフィル名盤ベスト3」というような切り口で、是非ご投稿を! 花崎洋
東 賢太郎
5/1/2013 | 5:04 PM Permalink
いいですね! やってみましょう。バーンスタインのベートーベンは全集として好きなものの一つです。あれと対極的な名演としてギュンター・ヴァント/NDRSO.も好きです(8番は最高)が、こっちは徹底的に訓練された警察犬のような、イヌ型の極致のような演奏です。どっちが音楽の喜びかというとどっちもなのですが、イヌ型は訓練次第でアメリカや日本のオケでもできます。しかしネコ型は(そもそも少ないのですが)、特にウィーンpoは音色美もあって比較するもののない特殊な世界を作っていますね。京おどり、都をどりのようなもので、ウィンナワルツなど他国のオケでやってもよそ者が京言葉をしゃべる感じに聞こえます。アメリカのオケのベートーベンがだめとは全く思いませんが、ウィーンは京都に似てやはり特別な文化圏でありどうしてもウィーンpoで聴きたいというものがあるのは否定できません。
花崎 洋 / 花崎 朋子
5/1/2013 | 6:45 PM Permalink
そうですね。ウィーンの独特さは、日本に例えれば、まさしく京都の文化ですね。ウィーンフィル・シリーズ、何卒よろしくお願いいたします。花崎洋