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遺伝子の記憶

2013 OCT 2 23:23:08 pm by 東 賢太郎

 

扶余出張で一緒だったY氏が僕の手首の上腕部内側にある、骨と直角にできる筋を見つけました。「これが出る人はジンギスカンの子孫ですよ」。これはにわかに信じられませんが、確実なこととしてはお酒に弱い(いわゆる下戸)もモンゴルの特徴で、下戸遺伝子は世界中でモンゴル人にしかないそうです。ということは下戸である僕は確実にモンゴル遺伝子を持っています。ところがモンゴルには二重瞼がなかったそうで、二重である僕は確実に非モンゴル遺伝子を持っています。

わが東家は父方も母方も純日本人ということになっております。しかし純日本人はそもそも縄文人です。我が相貌からしてそれはなさそうで、先祖は(ジンギスカンはともかく)大陸系ということは納得のいくところです。母方系図はずっと先の方に信玄の武田氏、江戸末期には堂々と「京都 御公卿」という看過せざる父祖も登場し、そういう血がもしかして大陸系なのかもしれません。

遺伝子の記憶という言葉があります。先祖が経験したことが子孫に先天的に伝わるというものです。それがあるとすればDNAか細胞組織に「記憶のマーカー」があるはずですが見つかっていないそうです。したがって、それは疑似科学、俗説とされています。しかし、我々の自我(自分のことを「私」と思っている自分)が脳のどの細胞にいるのか(自我のマーカー)だって同じくわかっていないのに、皆さんも僕も「私」は今もちゃんといるのです。だから、自分の「私」と先祖の「私」が似た人である根拠はないということを分子論だけ用いて「証明した」と言ってしまうと、これまた非科学的です。似た者同士がたまたま似た知覚や判断や行動をして、先祖も一緒だったと驚き、その記憶が遺伝子にあったんだとなる。それが遺伝子の記憶と言われるものかもしれません。

遺伝しているものは「記憶」ではなく、「嗜好」や「習性」や「癖」ではないでしょうか。これらは情報インプットに対する脳の反応特性が「何らかの偏向」を示すということです。飛んできたサッカーボールを蹴るという動作は、ボールの球筋情報を光学的にとらえる視神経、それを脳内で電気情報で伝えるシナプス、それに対する反応を決定する回路、その決定を筋肉に伝える電気系統などが一つのシステムとなって作動した結末です。それが毎回正確にゴールに入るというのは、その各行程がそれに適した反応特性(偏向)をもって作動する必要があり、そういう偏向をもたらす固有の「スペック」というものが脳や神経や筋肉にあるはずです。これは分子論的に追い込めるのではないでしょうか。スペック(例えばシナプスの数やつながり具合とか定量化できるもの)は遺伝でしょうから、そういう理屈でサッカーのうまい親の子はやはりうまい確率が高いのではないでしょうか。

脳にプリセットされたスペックが何に適しているかで、何が好きになるかは決まるかもしれません。視神経がとらえた光学的情報が「方程式を解け」でも「カラオケを歌え」であっても、そこから先に起こる原理はサッカーとまったく同じことです。脳科学の本によると、脳が気持ちがいいと感じると脳内にエンドルフィンという快感物質が分泌されます。「自分がうまい」と思うことは快感なのでそれを脳は好きになって繰り返しその快感を求める傾向があるそうです。元々うまいことを繰り返せばもっとうまくなります。それで趣味がサッカーですカラオケです数学ですと個性が分化していくのだと思います。このことを別々の角度から表現したのが「嗜好」や「習性」や「癖」という言葉です。だからこれらは遺伝するのだと僕は思っています。

例えば食べ物の好み(嗜好)は遺伝するというのは皆さんのご経験にもあるのではないでしょうか。日本人がなぜ醤油が好きか。それをおいしいと思う遺伝情報を持った人が多いのか、食べているうちにそう思う人が増えたのか。ダーウィンに従えば醤油を嗜好する人が列島での生息には適していて個体数が増えたということですから、生まれつき特殊な形の嘴をもった鳥(フィンチ)が繁栄したように、親が教えなくても子は醤油好きになるのかもしれません。そこを断定する自信はありませんが、長い海外生活の結論として僕は醤油のない国に住む自信もないことがわかったので、日本に住むしか手はありません。

こういうことをなぜ考えるかというと、先日行った百済の扶余は五感でいいと思ったからです。何とはなしに、理屈抜きに、そう体感したわけです。そういう五感の働くことは経験があって、例えば横浜に行きますと自分の先祖由来のある場所があります。それは桜木町の駅の近くの川辺で富貴楼という料亭があった所で、彼が晩年にまあいわゆる彼女に買ってあげたもので、伊藤博文、大久保利通ら明治の元勲たちの定宿でした。今はビルになっているのですが僕にとって大事な場所で、そこに行くと何となくあったかい霊気みたいのものを感じ、声が聞こえるような気がします。自分を守ってくれ鼓舞してくれるような感じがするのです。だから仕事がつらかったとき何度かそこへ一人で行って、長いこと耳を澄ましてじっと声を聞きました。

ところが、それはまだ国内だからいいとして、自分の西洋音楽好き、地中海好きなんかはいったい何だろうと思います。ローマでもそういう感じがするからフォロ・ロマーノにわざわざ3回も行ったのです。それに関する本を読みまくってもう徹底的に調査しないと気が済まないというところにいます。横浜ももちろんそうだし、何の知識もなく行ってみたら扶余もそうなってきた。同じ韓国でもソウル、慶州ではそういうことは全くありません。これは何なんだろう?さっき書いたことと大きく矛盾するのですが、こういうものが遺伝子の記憶だよと誰か言ってくれれば、世の中ずいぶん楽に生きていけるのですが。

バッハみたいな音楽を嗜好して生み出す特性の脳をもった人がヨーロッパでの繁殖には適していたんでしょう。しかしそれが日本での生存繁殖に必要かというと、ぜんぜんいらないでしょう。だから現在でも日本のクラシック人口は国民の1%です。古代の日本にもそういう人がごく稀にいたかもしれないが、むしろ正倉院のメソポタミア起源の御物と一緒に遺伝子も大陸から流入してきたと思う方が自然です。でも醤油好きでないと日本での生存には適していないからその遺伝子を獲得していった。つまり何万年の人類の歴史の中でその両方の遺伝子プールに縁者がいたから僕はこうなってるんじゃないか。遺伝子に記憶があるわけではなく、単に同じ脳のスペックを持った遠い先祖がそのスペックであるゆえにそこに住むしか手がなくて、その辺にいたんだと思うわけです。

そうであるなら、皆さんもご自分が特別にお好きなものごとが栄えていた場所に遠いルーツがあるということを考えていいかもしれません。ラーメン好きなら中国、ボルシチ好きならロシア、カレー好きならインド、ワイン好きならメソポタミア、トマト好きなら南アメリカ・・・・僕はそれが全部好きなんで困りますが。我が日本は移民国家アメリカがこの200年でやっていることを2000年前にやってしまった人種のるつぼということなのかもしれません。

(こちらにどうぞ)

遺伝子の記憶 Ⅲ

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

Categories:______歴史に思う, 徒然に

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