エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」
2014 JAN 27 0:00:35 am by 東 賢太郎
シャーロック・ホームズ・シリーズはもう中味をすっかり忘れてしまっていたのですが、小学生の僕が最も気に入っていて、自分ですぐ同じトリックの小説まで試作したものがあります。さっき調べてみたらそれは「ブルースパーティントン設計図」という「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」にある短編だったことがわかりました。ストーリーは忘れてもトリックだけは鮮明に覚えていました。それほどにこの短編に入れ込んでいたので、作中に出てくるこの言葉も幼心に残っていたものと想像します:
「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」(When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.)
この言葉は今でも僕をゾクゾクさせます。僕にとってホームズの格好よさはこの言葉に集約されていて、これは数学、論理学、そしてすべての科学に関係がある「真実探究」というプロセスにおいて、そう考えることがロジックを一歩進める有効な方法であることを示唆しています。特に下線部がポイントですね。
人は「奇妙だけど本当だ」と言われても、しばらくすると「やっぱり奇妙だから嘘だろう」に流されがちです。この理由は脳が理解できない不協和な情報は勝手に協和的に解決するようにプログラムされている(認知的不協和の解消)からだということを前回書きました。ですから「情緒と論理が矛盾したら論理を信じよ」と教育される必要があります。脳のプログラムを書き換えるわけですから、「強烈に矛盾した具体例」に直面して、自分の情緒、直感、常識というものがロジックが導いてきた「意外な答え」にねじ伏せられてしまう鮮烈な体験がないと実は難しいものです。
人生という長い長い登山の道のりにおいて、我々はいつも分かれ道の前で立ち止まり、右へ行くか左へ行くかの判断をして生きています。真実のみが頂上へ導いてくれます。暴風雨や霧の日に、ここは右だと見えたとしても、左へ行きなさいと導いてくれるのが地図と磁石です。ロジックというのはそういうものです。ミステリーという文学は犯罪、証拠、ロジックだけで進み、犯人逮捕という冷徹な国家権力行使を万人に正当化するのですから情緒の参加する余地はゼロです。つまり、上記の言葉の正しさ、重要さをデモンストレートする格好のものとなります。
ミステリーはその後に犯罪小説という類系と、謎解き小説という類系に分化して発展しますが僕個人の趣味としては、犯罪という素材はロジックという本来無味乾燥なペグを現実社会に肉付けする道具にすぎないのであって、やはり「謎解き」に軸足を置いた類型、すなわち「本格派」と後に呼ばれるようになるジャンルをこよなく愛しております。そこにおいては「奇妙さ」(謎)の度合いが大きくて、かつ「真実であることの証明」(名探偵による種明かし)が明快であるという2条件を満たしているほど質が高いという方向に進化しました。
ホームズ物もほとんどがこの2条件をベーシックプランとして書かれてはいますが、種明かしが一般合理性よりも名探偵の特異な能力によるという比重が高い。奇妙さの提示もその能力の誇示のお膳立てという観があり、やはりホームズというキャラクターが売りだという意味では創世記のパターンです。一方で、コナン・ドイルと同じく英国人のアガサ・クリスティーは「謎」を深めました。孤島で犯人も含めて全員が死んでしまう、密室である列車内の全員にアリバイがあるなど実に魅力的ですね。
ただ、謎に比重がかかると、有名な一発物トリックで書かれた「アクロイド殺人事件」のようにアンフェアだと批判も出るなど、種明かしの合理性は格段に落ちてしまいます。あのトリックは一種の発明であり、あまりに鮮やかなのでもう誰も使えなくなってしまった。だから確かにクリスティーはアイデアの宝庫として面白いし、駄作率が低いという意味で質は非常に高いのですが、本格物の本格派かというとそうではないでしょう。
謎の深さ、名探偵の種明かしの魅力の両方を高い次元でキープしながら、より「謎解き」の一般合理性の比重を高めて読者参加型にもっていったのがエラリー・クイーンです。「読者への挑戦状」を挿入するというのは、自分をoutsmartしてごらん、という意味であり、それだけで僕のゾクゾク感を倍加します。
前述のクリスティー作品では筆者が読者に仕掛けた罠は絶対にわからないし、「アンフェアですって?でもここまで見事に背負投げを食らえば気持ちいいでしょ?」という性質のもの。まあ確かに気持ち良かったですけど。それがクイーンでは、「いやいや、解けますよこの謎は、ただし、もしあなたが充分にスマートならばですけどね」、というもので心にくいですね。シャーロック・ホームズごっこができる読者参加型なのです。
しかし厳密に再読すると、挑戦状までの開示情報だけで本当にロジカルに犯人を指摘できるものはほとんどないです。つまりクイーン先生には悪いが、フェア度合いは彼以外の作家よりは相対的には高いが完全にフェアではなく(つまり探偵がちゃんと名探偵に見える仕掛けになっており)、しかし挑戦状があるという心理効果でその仕掛けが隠れてフェアっぽく見えているという高度な制作技術による作品群です。
僕が彼の「国名シリーズ」で最も評価するのは「オランダ靴の謎」です。なぜなら、初読にして挑戦状の所で明確に犯人を当てることができたから、すなわち、この作品は例外的に「ほぼフェア」だからです。厳密にはロジックに小さなほつれがありますが、それでも数学的に美しいという点においてこれをしのぐ作品を古今東西においても読んだことはなく、(謎の大きさ)×(解法の納得性)の値は僕の知る中では最大値を与える傑作であります。
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中村 順一
1/27/2014 | 12:01 PM Permalink
確かにエラリー・クイーンは大いに評価する。ただ実際には架空の男で、2人のユダヤ系移民が共同で書いた推理小説のペンネームなのだ。後期には他の作家が書いていたという話も聞く。小職は「エジプト十字架の謎」「Xの悲劇」くらいしか申し訳ないが読んでいない。早速「オランダ靴の謎」も読んでみます。読者に挑戦状をたたきつける手法は面白かった。
本格推理小説なら、小学校から高校にかけてヴァンダインにのめり込んでいた。12冊の長編を書いたが、最初の6冊が良く、特に「グリーン家殺人事件」「僧正殺人事件」「ケンネル殺人事件」あたりがいいかなあ。探偵ファイロ・ヴァンスが懐かしいですね。
東 賢太郎
1/27/2014 | 12:52 PM Permalink
クイーンはヴァン・ダインの影響を受けている。まだ「Yの悲劇」と「レーン最後の事件」を読んでいないのは羨ましい。アドバイスするが後者は必ず「Y」「Z」を読んでから読まれるように。ドラえもんがいらん記憶だけ消せるマシーンをくれたら、推理小説だけ消去してもう一回あの感動を味わいたい。