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J.S.バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」

2014 MAY 3 12:12:06 pm by 東 賢太郎

最も好きなピアノ曲は何か?と僕が問われれば、さすがに答えは見つかりませんが、この曲が最後の10曲のショート・リストに残ることは確実です。

バッハは1722年から20年かけて平均律クラヴィーア曲集第1,2巻を作曲しましたが、このゴールドベルクはその最後の年1742年あたりに書かれたとされます。クラヴィーア作品としては彼の集大成といってよろしいかと思います。作曲事情については有名なアネクドートがあり、不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにバッハの当時14歳の弟子ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが弾いたというものです。しかし、お聴きになれば同意いただけると思いますがこれが睡眠導入剤になるとは思えない(逆に目がさめてしまう?)ですし、変奏曲は14歳が簡単に弾きこなせるものでもないでしょう。バッハの後妻アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳にあるアリア主題にバッハが高度な技巧の変奏を付け、全体を弟子用の練習曲としたというところではないでしょうか。

これは非常に数学美を意識して作曲された曲集と思われます。原題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロ(ハープシコード)のための一つのアリアとその種々の変奏によって構成された練習曲」( Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen)ですが、簡単な例を2つ挙げますとアリア主題は32小節から成り、各小節のバス(低音)の音列を成す32音に乗る30種類の変奏曲をアリア主題が曲頭と曲尾でサンドイッチにすることで32曲による曲集を成し円環形に閉じています。そして、全曲が主音をト(ソ)とする(つまりト長調とト短調)という変化率ゼロの和声領域にいながら、3の倍数(3,6,9・・・)番目の曲はカノン(追っかけ旋律、輪唱)になっていて、その3×N番目の曲において主旋律をN度離れて追っかけ旋律が入るという規則性によって対位法領域で変化率を創出しています。やはり1742年に書き終えた平均律クラヴィーア曲集が1オクターヴを構成する12個の音を主音とした長短調による前奏曲とフーガという「vertical(垂直的)」な次元での可能性を極限まで追求した曲集であるのに対し、こちらは「holizontal(水平的)」な次元でそれを行ったものと解することができます。「平均律」と「ゴールドベルク」を12個の全ての音にtranspose(移調)することが可能ですから、数学的な意味において、この2曲をもってバッハは自らの音楽をもって2次元空間を制覇したということも可能でしょう。音列をある規則で変奏するという手法は音楽史の時空を180年も飛び越えて20世紀初頭のシェーンベルグによる12音技法に連なるもので、バッハの「ウルトラ理科系頭脳」をうかがわせます。

61O7cjEeWLLこの曲を語るには、グレン・グールドの1955年の衝撃的録音(右)から開始する以外にすべはございません。僕は彼のモーツァルトやベートーベンを楽しむ人間ではありませんがそれは彼の強烈な個性が日食の月のごとく音楽の前に立ちはだかり本来の大事なものを陰に隠してしまうからです。しかしバッハの音楽が発する光輝はグールドの個性をむしろ光度の増幅器に変えるパワーがあります。当時、欧米でもこの曲が広範に聞かれていたとは思えないにもかかわらず、この無名のカナダ人はレコード会社の反対を押し切ってこれをデビュー作品に選びました。それは彼自身がバッハの音楽と自分との関係を見抜いていたということで、まずそのことが雄弁に彼の天才を証明していると思います。その出来ばえは、新人投手がデビュー戦でいきなり完全試合をやってしまったに匹敵し、この曲を有名にした人というクレジットを彼は永久に一身に享受する資格がございます。人間がキーボードを弾いた記録としてこれ以上に超人的(superhuman)な例は思い当たりません。ちなみに僕はこの洗礼からこの曲に入ったため、これはこういうものという固定観念から離れるのに20年かかりました。

グールド1955年盤

ただ、今となると、この演奏はやや才気が走り、ややとんがった感じがする。テンポの理解が浅く、例えば第30変奏が速すぎて最後のアリアに移行する感動が薄い、タッチが鋭く、キーを押してから離す速度が速いので速めの曲のチェンバロのような音色は見事だが遅めの曲が味気ない、など不満を感じます。これを崇拝する方がたくさんおられるのを承知で書きますが、僕の今の印象は160km出る若手投手が速球で押しまくった試合を見たという感じなのです。本人がそう思っていたかどうか知りませんが、グールドは1981年にこれを再録音し、それを最後に亡くなりました。引退試合でも完全試合。彼の人生もゴールドベルク変奏曲によって円環形に閉じていたのです。

51V34xSdDrLこの81年録音は、「グールド的」とでも表現するしかない彼の無二の個性が深みを伴って発露されている点、そして、その個性が曲の本質、アーチェリーでいえば彼の放った矢が見事に標的の真ん中を刺し貫いたという印象を与えるという点において、完成度が常軌を逸しています。先にあげた弱点は雲散霧消し、5,8番の研ぎ澄まされた指回り、10番の各声部の音の色彩の塗り分け、14番のはじけ飛ぶ音、16番のオケのようにパンチあるff、18番の3声の性格的弾きわけ、20番の超人的快速タッチ、21番の信じ難い重音のスタッカート、深く鎮静するト短調(25番)から一気に閃光がさす26番への場面転換、のように書けばきりがありません。そして55年盤では若気の至りだった30番のテンポが見事で、それに続くアリア再現(すごくゆっくりのpp!)への移行が聴く者の集中度を否応なく極限状態まで研ぎ澄ましてくれます。最後は至福の満足感のなかで「ああ、天上の音楽を聴いた」という、人間が耳という器官を通して感知できるもののうちでも僕には最も神の領域に近いだろうと思われる類の感動を与えてくれるのです。人類の箱舟に載せられる録音の最右翼に列せられるもののひとつではないでしょうか。この録音の個性ですが、32の各曲が独立した作品でそれをオムニバスにした感じ、あえて例えればビートルズのアビイ・ロード、sgtペッパーズが作品間の対比まで巧妙に考えて曲を並べた感じがするのと似たイメージを覚えます。4人がスタジオにこもってアルバム作りをしたのと同じくグールドもコンサートを捨ててレコーディングだけに徹したわけで、彼もゴールドベルグ変奏曲という一個のまとまりとしての音楽作品の数ある録音に自分の1枚を加えようとしたというよりも、「アビイ・ロード」という無機的なスタジオ名がアルバム名になったのと同じく「ゴールドベルグ」という名のアルバムを作りたかったのではないでしょうか?

グールド1981年盤

さてグールドの洗礼の強烈な磁力からやっとフリーになった僕が魅かれている演奏を2つ挙げておきます。ゴールドベルク変奏曲と聞けば猫も杓子もグールド、グールド。それではJ.S.バッハが草葉の陰で悲しむだろうと思うのです。

 

タチアナ・ニコライエワ(pf)

711最近はもっぱらこれを聴いています。悠然と流れる大河の安泰に歌心と管弦楽のような音の広がりを加味したゆるぎない演奏です。一朝一夕に成りたった解釈ではないという、押しても引いてもびくともしない巨岩のような精神を感じ、僕はヨーロッパに住んでいるころ教会で聴いたオルガンを思いだすのです。ここで彼女が示しているテンポとタッチの美しさは、バッハの書き残した楽譜から読み取ることのできるどこか絶対的なもの、グールドのように演奏家のゆるぎない個性ではなくて、音楽そのもののそれに根ざしているように聴こえます。その音値や音色の確信に満ちたコントロールや音自体の持つエネルギー感は特別なもので、同じ楽器を弾いても他のピアニストとは別格的ないい音が出ているのかと思われます。23番あたりタッチに軽さがないことや非常に軽微なミスタッチなどがないわけではありません。彼女はテクニック的な完成度よりも別なものを求めているようです。華美さ、音色美、切れ味といった装飾的なものを求める演奏ならそれは傷になってしまうのですが、そしてバッハはそう弾かれねばならないという思い込みが支配する今日この頃でありますが、これはそうではない。バッハがその譜面のどこが重要と思って、あるいは何を感じさせたいと思って書いたのかという思考の蓄積から結晶化した解釈を伝えることが使命となった演奏であり、こういうものが演奏会で聴けたり録音されたりということはもはや期待できないでしょう。21番のロマン的なぬくもり、25番の沈黙の闇に沈み込む何かを悟ったような静けさ、28番の声部の性格的弾きわけ、29番のゴツゴツした骨太の触感とシンフォニックな低音、ペダルを踏んでのオルガンのような音の洪水、そして30番は荘厳なゴシック教会を仰ぎ見るような偉容!そこから最後のアリアへ入る感動はひとしおで、音楽は薄明の中に浮かんで、だんだん遅く、小さくなって消えます。その最後のソ(g)の音に至るf#の長七度、それはマタイ受難曲の終結でもあり、グールドがなぜか弾いていないf#がこんなに意味深く響く演奏を僕は他に聴いたことがありません。ニコライエワは1950年にライプツィッヒで開かれたバッハ国際コンクールで優勝しました。審査員としてそれを聴いていたショスタコーヴィチが彼女のバッハに感動して「24の前奏曲とフーガ」を作曲し、まだ出版もしていない手稿を彼女に捧げたのです。

マリア・ティーポ(pf)

200x200_P2_G1267275W17番の羽毛のように金色に輝く高音を聴いて驚きました。20番の走り抜ける歓喜、21番のト短調でロマンティックに揺れるテンポと色彩、23番のチェンバロのような軽いタッチ、25番はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章に似ていることをこの演奏で気づき、同じト短調のパミーナのアリア(魔笛)の半音階的な和声の迷路がより近いとも思いました。この演奏の灰色の悲しみは印象的です。27番の2声のmfとpのコントラストがタッチの変化を伴って弾き分けられているのはすごいですねえ。29番、重たいファンファーレは遅く軽い走句は速いというメリハリも。30番は強弱の変化をつけて興奮を冷ましつつ心を鎮静させる優しさがあり、アリアはすばらしい弱音でデリケートの極致に。若い頃「ナポリの女ホロヴィッツ」と呼ばれた腕は伊達でなく、多彩な表情づけに一家言ある素晴らしいバッハと思います。

 

クラシック徒然草《ニコライエワの平均律クラヴィーア曲集 第2巻》

J.S.バッハ イタリア協奏曲 BWV 971

 

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