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クラシック音楽の虚構をぶち壊そう

2014 JUL 23 1:01:27 am by 東 賢太郎

岡田暁生著「音楽の聴き方」(中央公論新社)を読んだ。これは勉強になった。クラシックに関心を持つ人に広く薦めたい。氏によれば音楽は「する人」、「聴く人」、「語る人」によって成り立っている。この語る人という視点設定は面白い。

18世紀までは「する人」と「聴く人」はほぼ重なっていたが、ブラームス以降は曲が複雑になって聴く人がする(弾く)のは不可能になって今に至る。演奏は専門的訓練をうけた特殊技能者だけの占有物になった。納得である。また、クラシック音楽は形式のある音楽である故に語られることを想定して書かれた音楽であり、語り合う人間から成っている社会というものに訴えかけ、またその社会から影響も制約も受けるという指摘も意味深い。語り合うことで聴衆は音楽をする側と相互に関わりを持つ。クラシック音楽を聴く楽しみは言葉で語りあうことでさらに深まるのだということが著者の主張のようだ。

三島由紀夫は音楽を「触れてくる芸術」として嫌い、音楽愛好家はマゾヒストであると言った。あまり音楽に興味のなかったカントは「香水を振りかけたハンカチと同列で理性という観点からは最低の芸術だ」と言った(同書から筆者要約)。音楽が触れてくるのは事実だし香水程度の音楽もある。しかし三島がそう言っているのは「聴く人」の立場からにすぎない。音楽は本来歌ったり踊ったりするものだ。聴くだけの人が現れたのは19世紀の終わりごろからだから「音楽愛好家にマゾヒストも含まれるようになった」というのが正確だ。マゾヒストではない音楽愛好家である僕は、実はその点では三島と同質の感覚を持っているかもしれない。

聴く人が「する」のはピアノか室内楽だ。レコードのない当時、モーツァルトやベートーベンの交響曲を劇場で聴く機会は非常に限られており、家でピアノ連弾譜を弾いたり弦楽四重奏版を合奏して「聴いた」のだ。僕はこれがクラシックに限らずすべての音楽を楽しむ基本形だと思う。カラオケがそうだし、ロックやジャズが現代に広く支持されているのはギターという比較的修得しやすい和声楽器の普及で室内楽が容易にできるからだ(それを一般に「バンド」と呼んでいるわけだ)。しかしR・シュトラウスのアルプス交響曲をカラオケで歌ったりピアノやバンドやカルテットでやるのは不可能だ。つまりそのころから演奏家と聴衆は分化していったに相違ない。「専業的聴衆」の誕生だ。

僕はブログで楽譜が欲しい場合、Category:Composers からコピペさせていただいている。それも専門家しか読めない総譜でなくピアノリダクション(ピアノ版)だ。ピアノ譜は曲の構造や和声を俯瞰するのに便利だし習った人なら読める。弾くのは容易でないが、それでも僕は可能な限り弾いてみたい。なぜかというと、耳で知る「あの音」が自分の指先から出るのが楽しいからだ。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を見つけてたどたどしく鳴らしてみたときのことが忘れられない。これは昔、ベンチャーズのダイヤモンドヘッドをバンドで弾いたり、ヘルプ!を弾き語りしたり、イエスタデイをカラオケで歌ったりして気持ちが良かったのとなんら変わらない。ワーグナーのころはそれと同じことが家で行われていたわけだ。

一方で僕は音楽を文学的脈絡で聴いたり語ったりすることは不得手だ。そういう試みはベルリオーズやシューマンのようにロマン派の幕開けのころからあるが、三島が嫌った19世紀以降のロマンティックな専業的聴衆の世界でより開花したように思う。音楽ではない何か別なもののために劇場へ足を運ぶ人たちの世界に見える。著者岡田暁生氏は、一人で楽しむのもいいが感動を言葉で他人と共有することが喜びを倍加するという趣旨のことを書いておられるが、僕は専業的聴衆の仲間に入って今日のマーラーのアダージョは感動的でしたなどと意見交換をする時間があるならそれを家でピアノで弾いていたい。なるべく「する人」に近いところにいることで、音楽といつも「本来の在り方」で接していたいからである。

では「語る人」とは何か?ロベルト・シューマンが評論家としてショパンのある曲をほめた。ところがショパンはあまりに文学的なその批評を見て、「このドイツ人の空想には死ぬほど笑わされた」と言っている。僕は音楽ではショパンよりシューマンを好む人間だが、ことこの点においてはショパン寄りだ。スタンダールや小林秀雄がモーツァルトの音楽に見出したというtristesse(かなしさ)という言葉も、作曲家の晩年が涙腺を刺激する悲劇に仕立てられた瞬間から何やら文学用語めいてきて僕は鳥肌が立ってくる。それを知れば、モーツァルトもショパンと同じ言葉を返したのではないかと思う。

作品ではなく演奏の記録までが文学の対象となるのが20世紀だ。トスカニーニが引退を決意した演奏会、リパッティの最後の演奏会、終戦でフルトヴェングラーが指揮台に復帰した演奏会のようなレコードは、それを聞く前から文学として感動している人たちによって格別の価値を見出されている。そういうものまで含めたのが音楽の感動なのだと主張されれば反論は難しいだろう。何に感動しようが人それぞれだ。そう、だからこそ、僕は演奏会の感動を言葉で誰かと共有しようという努力をギブアップしているのだ。同じ寿司をつまんだ隣の人に、あの7番目に出てきた小肌の仕事具合はようごザンしたと言ってなにか時候の挨拶以上の意味を見出す能力は、僕にはない。

音楽鑑賞の会のようなサークル、つまり音楽を語る人たちの集まりというのは一見すると外向きに開かれているようだが、僕にはかえって閉鎖的に見える。ベートーベンはこういうものですよ、シューベルトの冬の旅はこう歌うものですよなどのように御託と手垢にまみれて見える。古典芸能であるクラシックにはしきたりがあるし、5・7・5や季語のようなルールを知らなければ俳句を味わえないようにクラシックもソナタ形式やフーガのような基礎知識がないとうまく聴けないということはある。しかし、それさえふまえておけば、現代では現代の耳でもって冬の旅を聞いてもいいだろうというのが僕の立場だ。

クラシックを味わうにはたくさんの知識やウンチクが必要であり、だから勉強を積んだ通人、知識人、インテリにしかわからないというのは真っ赤な嘘だ。それは是非とも世間にそう見られたいという一群の偽エリートが作り上げているスノビッシュ(俗物的)な虚構にすぎない。教会と王侯貴族の所有物だった音楽を新たに所有した市民階級の中には、初めて高級ワインを手にしたワイン・スノッブのような者が現れて不思議ではない。しかしその一方で、イケメン芸能人のリストやパガニーニは今なら嵐かミスチルみたいなものだった。演奏会に殺到した女の子や貴婦人たちにとっては、彼らの音楽がわかるもわからないもなかったろう。

ドイツはバイエルン州にノイシュヴァンシュタイン城という気のふれたワーグナーフェチの王様が建てた城がある。一度行ってみた。ガイドが美辞麗句を並べて(浪費癖で暗殺されたかもしれない)ルートヴィッヒ2世の悲劇などを語る。ご一緒した御一行様からは「なるほど、美しい、壮麗だ、どこか悲しげだ」と称賛の声が漏れる。お好きな方には申しわけないが、あれは外見はディズニーランドのモデルになるほどロマンティックな風情だが内装のごてごては僕の目には悪趣味かつ醜怪きわまりなく、一度見れば充分だ。本音ではそう思った人もいると想像するが、「いいね」連発の集団の中でそれを公言するのはなかなか勇気がいることだ。これと我が国のオペラ会場特有のスノビッシュな空気は同じようなところがある。

何度も書いているが僕はマーラーが嫌いである。関心がないという消極的嫌いではない。積極的に聞いてみてちっとも面白くなく、よって積極的に嫌いであり、定期演奏会にかかってしまい仕方なく行くとだいたいアダージョで居眠りとなり、最後のから騒ぎで驚いて起きる。いびきをかかなかったか心配であり、できることならやって欲しくない。鑑賞会で皆さんが「いいね」を連発する中でそんなことを言おうものなら即退場だろう。思うにクラシックのそういう目に見えない「ねばならぬ」的な風圧、「いいね」を押しておかないといけない空気、宗教みたいにうさんくさい誉め言葉の虚構臭とでもいうようなものに直感的に気がついていて、興味はあるのに「ひいてしまう」という方が我が国にはとても多いのではないだろうか。

それはその方の人生にとっても、作曲家にとっても、演奏家にとっても、なによりその音楽にとっても、等しく不幸なことだ。だから僕はその虚構を徹底的にぶち壊したいと思っている。ベルリオーズはASKAみたいに阿片をやってたかもしれないぞ(幻想交響曲はルーシー・イン・ザ・スカイだ)、トリスタン前奏曲は男のセックスのアダルト風激写だなどと教えれば、いままでひいていたけれど聴いてみようかという人がいるかもしれない。クラシック音楽を「語る人」になるということは、骨董品の鑑定法教室や趣味の押し売りをするのではなく、虚構をぶち壊し、当たり前の事実や本当に思ったことを誰にも気兼ねなく、何憚ることもなく、明明白白にお示しすることに尽きると思う。

 

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かなしさ)

 

 

 

 

 

 

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