忘れた過去は「なかったこと」に
2014 SEP 8 23:23:01 pm by 東 賢太郎
先日の「米国放浪記あとがき」にちょっと哲学っぽいことを書きました。忘れてしまった過去は「なかったこと」になる、ということです。
実はこれは同じ頃にたまたま読んでいた「時間」を哲学する (中島義道著、講談社現代新書)の影響です。これは面白い本です。 氏によれば現在と過去の間には越えられない断層があり、現在も未来も過去の記憶に基づく二次的な生産物です。過去というものの実体がどこにもないというのはまだしも、現在もないというのは新鮮です。哲学書のわりに平明に書かれていて、一見わかりやすく短時間で読めますが、終わってみるとわかったのかどうかわからないという感じもあり、もっと深いことを言っているのかなという感じも残ります。
「過去はどこにも存在せず、記憶としてのみ存在し、立ち現われる」という言葉が気になり、では記憶にすら残ってないなら完璧になかったことになるなと結論したわけです。ずいぶん安直で単純ですね。しかし、確かに我々が目や耳で認知している「現在」というのは宇宙のゴミみたいな一部分です。隣の部屋でネコのノイが何をしてるかすら知らないわけです。それを見ている妻が「ノイ、寝てるわよ」と言ったって、本当にそうかはわからない。それをそうだ、「そういうことが在る」と了解するだけです。
642光年離れているオリオン座のベテルギウスが現在「在る」のかどうか?地球人は誰も知りません。あっ、あの星ね、もう636年前の1378年に爆発して消えたよただしキミがそれを見るのは2020年の東京オリンピックの頃だけどね、ということかもしれません。これは大事なんです。なぜなら超新星爆発はガンマ線バーストを起こします。ベテルギウスは全天で太陽以外の恒星で最大の視直径があり影響は不測のもの。我々はそれを浴びて死ぬかもしれないのです。
しかしそうなると、1378年の過去に消えていて2020年には「なかったこと」になっている星が突然現れて我々を殺したという奇怪な事件になる。過去と現在が同時性をもっている。両者の間に断層があって・・・と言う議論よりも、認識論の領域になるのかなという気もします(認識論について僕は無知ですが)。ともあれ、こういうことを子供のころから日々考えて生きてきた僕としてこの本は、別な考え方の糸口をくれました。
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