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男の子のカン違いの効用 (1)

2014 NOV 10 11:11:55 am by 東 賢太郎

カープファンというのは最近でこそ各地に増えていますが、僕が小学校2年生だった昭和38年、東京都生まれの小学生界においてそれを宣言するのがどれだけ「はぐれもの」であったかは皆様の想像を絶するものがあるでしょう。

クラスはもちろん巨人ファンばかりだから当然仲間外れになるわけです。広島に血縁地縁があるわけでもなく、たんなるモノ好きとしては「コストの高い」ことでした。以来51年、僕のカープ愛は周囲に知れわたって今に至っております。

そのころの僕といったら体は女の子より小さく気もケンカも弱く、九九の覚えは悪く勉強ができたという記憶もなく、そんなにつっぱれるほどのものは何もありませんでした。もう少し空気を読んで生きればよかったもんですが、いじめられようが何しようが「自分の好きなものに忠実」というのは三つ子の魂だったようです。

どうしてそういうことになったかというと、バットの持ち方から教えてくれた近所のお兄ちゃんがいて野球に目覚めていたからです。それが広島の選手の応援になりました。そうこうするうち家の前の多摩川で毎日石投げをした成果か、5、6年生時分になると近所の子は僕の投げる球が打てなくなりました。当時は誰もがリトルでやる時代ではなく草野球でしたが後ろで観ていた大人から、こういうとこからよく甲子園に行くんだという話し声がちらっと聞こえたりして、今も覚えているんですからよほど舞い上がったにちがいありません。

何をやっても普通の子だった僕にそうやって唯一の「取り得」ができました。高校野球をやって井の中の蛙だったと気づくまで俺は凄いと「大いなるカン違いの数年間」があったのです。今となると微笑ましいものですが、勉強もケンカも運動も大したことない男の子にとってそういうカン違いはあったほうがいい、ドンキホーテでもいいと思います。

その効用は社会人なってから出ました。出だしは営業職ですからよく人前であがらない方法として手のひらに人の字を書いて呑み込めとか、偉い人と会うときは相手が赤いパンツをはいてると思ってみろ、笑っちゃうだろなんて新人に気を落ち着かせる「おまじない」を先輩からいろいろ教わりました。

どうしても人前でしゃべるのが不得意であったのですが、ある日、強い味方があることに気がつきました。赤パンは不要だったのです。「この人は絶対に俺の球を打てないな、三球三振だな」と思う、これでおしまい。相手が大統領だろうが首相だろうがおんなじ。カン違い時代の気持ちに戻る。するとあがるどころか魔法にかかったように精神的優位にたててしまう。いや、これにどれだけ救われたことか。

男というのは社会で何かしらでつっぱって生きる必要があります。特に交渉ごとや会議やプレゼンは相手に気持ちで押されたり自信をなくして気後れすると即負けです。そういう時に何が役に立つだろう?家柄、人脈、学歴、容貌、度胸、話術?せちがらい話ですが、社会にはそういうものを総動員した男の戦いというものが厳然と在ります。それがある人はいいが、ないならどうしたらいいだろう?

自分の場合なにもなし。学歴に関しては、僕の場合試験は落ちた回数の方が多くて最後の最後に頑張って運があった、それだけ。自分でそう思っているので自信なんかないのと一緒なのです。一番大事なことなのでしっかり書きますが、傍がどう見るかと自分が自信を持てるかはまったく別です。

勉強は嫌いでしたしほめられたこともありませんが野球は何回も大人にほめられ感心された。だから少年の心の中の重みとして比べものにもなりません。その自信も実は大いなるカン違いなのですが、大学受験や人生諸々で壁にぶつかったり失敗して落ち込んだ時は野球のボールを右手で握って寝てました。その感触が無意識に絶対の自信を、俺は大丈夫、負けないぞという確信をくれるのは不思議なほどでした。

それがどんな些細なものでも何であってもいい、とにかく男の子はこれなら負けんというものがあったほうがいいと思います。親御さんはそうなるように見守ってやったほうがいいでしょう。それはその子によってちがいますから押しつけても仕方ないし助けてやることもできませんが、どうせカン違い半分ですから大きくカン違いした方がいいですね。

クラーク博士の Boys, be ambitious. はそういう事だと僕は解釈しています。だからこそ彼は「金や利己心や名声のためならず」と「カン違い」のタガが外れないように、それに続く文言で注釈してます。これを日本的に慎ましく「大志をいだけ」と訳すと意味が分からない。狙いが何であれ ambitiousはまぎれもなく「野心、野望のある」という意味です。

野心はカン違いの自信の代名詞です。「どう考えても無理でしょ」、というのを狙うから野心であって、実力なりに手に入りそうな物を狙うのは「目標」かせいぜいがんばって「夢」です。でも博士は Have a dream. とは言ってない。そんな程度のことは誰でもやるわけで、いちいち偉い先生が訓辞をたれることでもありますまい。

昨年の5月にこういうブログを書きました。若者の欲望が日本を救う 1年半後の今も何ら変わらずそう思います。若者は欲望をたぎられせて、野心、野望を持ってほしい。ここは博士にさからいますが金や利己心や名声の何がいかんのでしょう。それと無縁なものは野心とは言わんでしょう。

今回「女の子」と本稿のタイトルに入れなかったのは博士に習ったわけではなく、実は女の子はちょっと有利だと思っているからです。自分とは別種の生物である親父をぬく必要が必ずしもないからです。男の子は他の男に勝つ前に、自信を持つためにまず自力で親父をぬかなくちゃいけません。フロイトのいうエディプスコンプレックスの克服です。ところが今の世はこれが大変なんです。

これは日本国民全体の課題であります。なぜなら今の2、30代の男性の親父は大なり小なり高度成長期の余熱の恩恵で成功体験をもっている世代だからです。自分の力かどうかは棚に上げて、ともかく、俺は昔こんなすごいことをやったんだと思い込んでいる。かくいう僕もその一人です。この世代間のハンディキャップは親父クライシスといってもいい。それをデフレの経済氷河期に育った彼らが実績で凌駕するのは並大抵のことではないでしょう。男の子が自信を持ちにくい時代なのです。

だからどんな些細なことでもよく、自己満足で構わない。僕はキャッチボールしていて本気で投げたら親父が危ないと思ったことがあって、手加減するようになった。その瞬間に無事それをクリアしました。だから野球が自信の源になったのかもしれませんが、そんな程度のことでいいのです。

でもそれが小学生の時だから手ごたえが重かった。それに比べて受験勉強やクラシック音楽はずっとあとになって来たものであって、僕の感覚ではそんなのは付け焼刃のインチキなんです。自分の本当の素質と思わないのでその自信で生きていくにはいかにも脆弱に思えました。

普通の人は最高学府といわれるところを出ればそれに頼って生きようと思うだろうし、それに自信も持つでしょう。しかし僕はそういう人間にはなれません。一井の野球少年のままなのは、いかにそれ以外に何もなくそれが取り得なことに頼って生きてきたかという裏返しです。

子供なりに速い球が投げられた自信と喜びというのは野球ではたいして助けになりませんでしたが、結局は僕の人格を決めましたし、その後の人生を支える最強の武器になりました。それを使って普通じゃない経験を自らの力で掘り起こすことができました。

それが学歴や学校で教わる知識や学問ではなかったということは、いくら強調しても足りないと感じます。それで人生が決まるわけではないのです。あなたはどういう人ですかと問われれば、そういう人ですと答えるのが一番ぴったりです。東京生まれ東京育ちの僕が51年もカープファン一筋であることはそれの象徴であるように思えます。

 

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男の子のカン違いの効用 (2)

 

 

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