テミルカーノフ・読響のマーラー3番をきく
2015 JUN 6 1:01:30 am by 東 賢太郎

いよいよ梅雨入りでしょうか、午後からの雨でした。サントリーホールの読響定期、いつもどおり曲目は見ずに行きます。さて、そっとプログラムを開いてみるとマーラーの3番とあるではないですか。
こりゃまいった。あんまり聞きたくない。知ってたら誰かに券あげたのに・・・。
ロンドンにいた30代のころはまだマーラーにチャレンジ中でたまにチケット買ってきいてました。4番のアバドとバーンスタイン、5番のドホナーニ、ショルティ、7番のアンドリュー・デービスなどで、特に9番のアバドは秀逸でこの曲だけは別格に思うようになりました。そうして3番はこれをきいたわけです 僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)。
それがすごい演奏で、後に彼のCDを聴いたのですがあのライブにはとうてい及ばない。そこでショルティ盤を買ってきいてました。たぶん録音が良かったからですね。しかし、僕のマーラーは結局そこ止まりでした。どうしても相性が合わないから仕方ないですね。
さて、舞台のオケを眺めるとなんせ絶食してカロリーコントロール中の身だからか、「ぜい肉多いなあ」なんてどうでもいいことを考えます。この曲は歌が出てくるまでは完全に苦手です。野の花、森、人間、という音楽の主張は僕にはちんぷんかんぷん。管が多い割にそれが音量の効果に使われる傾向があって何か精妙な仕掛けやエポックメイキングな管弦楽法があるわけでもない。
歌は子供も女声合唱もきれいで良かったですね。アルトの小山さんの暗めの声も曲調に合ってました。ここ、O Mensch! に寄りそうハープの高音、あれは3番で唯一何かを喚起するイマジネーションにあふれた独創的な音と思います。
初めて対位法的になる終楽章はやけに和声がむずむずと感動を喚起しようとハートをくすぐります。よく聞くとなるほどサブドミナントに滞留する時間が長いんですね。ワーグナーの楽劇の最後の最後にそれがきてぱっと未来が見えて明るくなる、あれがそこらじゅうにある感じです。マーラーはワーグナーをあちこちで盗んでます。
まあそんな感じで、前半は睡魔に襲われつつ(演奏のせいじゃないです)後半は楽しみました。これが3番は2度目のライブ。自分からこの曲のチケットを買うことは絶対ないので貴重でした。あんまり聞いてない曲なのでいいとか悪いとかは遠慮します。そもそも僕にはマーラーのどういう演奏がいいと評価されるのかわかりませんし。
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Categories:______マーラー, クラシック音楽
