昭和の大横綱、北の湖逝く
2015 NOV 21 1:01:49 am by 東 賢太郎
きのうは東京芸術劇場でオスモ・ヴァンスカが読響を振ったのですが、ラフマニノフの2番の協奏曲を弾き終えたピアニストのリーズ・ドゥ・ラ・サールが再度ピアノに座って、「パリのテロで亡くなった人に捧げます」とアンコールのドビッシーを弾き始めました。
前奏曲第1巻から「夕べの大気に漂う音と香り」がひっそりと、どこか厳粛にもきこえました。そうして、あとで、コンサートの始まる5分前だった18時55分に大相撲の北の湖理事長が亡くなったことを知って、しばし絶句となりました。
本当に強い横綱でした。強すぎてヒールになり、誰が倒すかが楽しみにすらなった。僕は魁傑のファンであり、一度だけ優勝決定戦で北の湖をたおしたときは舞い上がりました。そのぐらい誰も勝てなかった。そして唯一の好敵手輪島との千秋楽全勝同士の大一番。手に汗を握り、相撲を見るのがあんなに楽しかったことはありません。
大学時代に全盛だったので友達と国技館へいって、花道をひきあげる横綱の左肩をたたきました。岩みたいにかちかちだったです。
僕は82年2月に結婚したのですが、留学が決まってたので新婚旅行は国内にしようと北海道に行きました。ちょうど有珠山噴火の時で行けない場所があり、案内してくれたタクシーの運転手さんが「かわりに行ってみますか?」と連れて行ってくれたのが北の湖の実家でした。
外から見るだけかと思ったら横綱の父上が出てこられて「よければあがりなさい」ということになり、居間で賜杯や写真を見せていただき、コタツでみかんまでいただきました。立派なお父さんでした。
笑わないのは土俵で歯を見せるなと言われたから。負けた力士に手を貸さないのは自分が貸されたら屈辱だから。すじの通った人でした。それがヒールのイメージを倍加しましたが、それでもすじを曲げない。僕もそうありたいです。
62才。ほぼ同じ年でもあり、大ショックです。悲しいです。ご冥福をお祈りします。
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