経営における正念場とは
2016 JUN 28 22:22:49 pm by 東 賢太郎
会社を経営するにはいろいろな判断をしなくてはなりません。毎日というわけではないですが、社員や家族の生活を背負って何かの決断をする覚悟はつねに必要です。
我々はささやかな会社ではありますが、大きな判断という局面もございます。そこで迷いをなくすために今の運勢は気になります。そこである方に四柱推命を見ていただいたところ、1,2月は好調、4月から落ちてきて5,6,7月は大凶といわれました。
大凶とは判断をするなということだそうです。自分からは動かず、周囲を慎重に見ながら大過なくすごすことのようです。
昔を思い出すのですが、野球の試合中、打たれたときに野手がマウンドに集まることがありました。そこでいろんな声をかけられますが、実はそれが嫌なんです。野手はたぶん良かれと思ってるのですが、自分はありがたくない。そういうことがありました。
それは、自分なりに全力で打者と戦ってますんで黙って見守ってほしいという気持ちだったかもしれません。すごく覚えているのは、6回か7回に味方の攻撃が終わってマウンドに登ると、プレートの穴にボールが置いてある。それを拾い上げるのが重荷だなという気持ちのことがありました。
試合がその辺になると、大体相手は3巡目なので手の内はさらしてます。こっちはというと握力が落ちていてここが正念場だ頑張るぞという感じになってます。だから自分との戦いになってます。そこには誰も入ってきてほしくない、僕の場合はそういう気持ちでいました。
今はビジネスでそういう状況にありそうです。
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ブンタロー
6/29/2016 | 8:03 PM Permalink
今年、春頃から興味深く拝読、拝聴させて頂いております。
今回の内容は、私もしばしば経験するところです。そして自分が思うことは、自分はさぞ、他人からはわかりにくいだろう、と。人々は、わかりやすい人を好むだろう、と。その代わり、どこか高みが見渡せているはずだろう、と。
徒党を好む日本で、「孤高の人」とは通常良い意味で使われないことが残念です。
東 賢太郎
6/30/2016 | 1:40 PM Permalink
はじめまして。ご経験あるかたのお言葉、こころに沁みます。どこか高みが見渡せているならばまだ良いのですが、五里霧中なのにひとりぼっちだという感じです。日常生活でのことではないので如何なる慰めや励ましも無力で、そのことを自分で片づけないと消えない重荷でしょうか。わかりにくい人ですね。