なぜゴルフクラブは女人禁制だったか?
2016 JUL 20 12:12:00 pm by 東 賢太郎
ニギリなしでゴルフをやると、どうも締まりないというのか燃えるものがない。プレッシャーがあったほうが結果がいい人とびびってダメになる人がいる。僕は絵に描いたように前者で、ギャラリーがいるとナイスショットが出る。
お前とはニギらんよなんて軽くいなされて、それはよそうよ、つまんないよと食い下がるが全会一致で却下なんてのがあいつぎ、それをチラシ(握りなし)と名付けてささやかな抵抗をしたこともあったがぜんぜん流行らなかった。
ドライバーショットというのはパワー、スピード、思い切りを競うアスリート競技だ。これだけで独立した競争の醍醐味があるし、飛んだ時の快感はひとしおである。ドラコンなどやればなおさらだ。
しかしパットはちがう。これはビリヤードに近く、アスリート能力は問わない。いわば戦略と判断力と精密なコントロールを競う知的競技である。しかも Putt is money. なんてとおり、これがゲーム全体の生死を握ることが多い。
ニギらないというのは要は money に関わらないということだから負けてもどうということはなく、パットに気合が入らない。それがだんだん他のショットにも影響して、締まりないゴルフになってしまうという寸法だ。
ところが昔あるラウンドで、ある事に気がついた。「チラシ」になってしまったのでどうでもいいパットだったのに、オジサン3人、けっこう目線が真剣になってる。
なぜだ?
グリーンでよく観察すると、ミニスカートのキャディーさんが割合に若くてきれいであり、ラインの指示出しが真剣だった。普通はラインを立ったまま適当に目視して「登りのフックです、カップ2個で」なんてもんだ。2個なんて正確に聞こえるが、打ち出し速度によってちがうんでこれはいい加減な指示である。
ところが彼女はしゃがみこんだり、はいはいポーズで目線をグリーンまで落としてまじめに読んでくれる。「逆目なのでやや強めです。フックラインは見ずに、カップを外さず右端狙いで」なんて実にイイ指示が来るではないか。畢竟、こりゃ入れなきゃ申しわけないなとなっていたことが発覚。
ところが、さらに最近になって「チラシ」の機会が増えてきて、キャディーさんのどうこうに関わらずやっぱりパットは皆さん真剣にやってるじゃないの、気が抜けるのは俺だけじゃないのかという気がしてきた。
2年ぐらい前のラウンドでのこと。僕のパットの番が来て、スタンス(構え)に入った。なんとなくラインに自信がなくなってしばし静止して横目でホールをにらんでいたら、急に閃光が脳裏にひらめいてなるほどと合点がいったのだ。
スキポール空港のトイレだ!
アムステルダムに行かれた男性は、小用の便器におどろいたご経験があろう。オランダ人はでっかいのだ。胸のあたりかと思うほど高いところで待ち構えてるそれをのぞくと、中央部にハエが堂々ととまっている。ホンモノじゃない、これがいわゆる「ハエシール」だ。
本能なんだろうか、すると、見ているうちになんとなくハエを狙いたくなるのだ。その結果、真ん中にあるそれに照準が合うのでしぶきが飛び散らないという仕掛けだが、それで首尾よく効果があるということは狙うのは僕だけじゃないのであって、男はそういう習性があるということを意味している。
パットはこれだ!
まったくくだらないことだが、そうひらめいて習性どおりに打ったボールはきれいにフックラインに乗り、すっと穴に消えてカコーンという澄んだ音を放った。これはこれで、ぶっ放すだけのドラコンとは異(い)なる快感ではあるのだ。
習性と快感がインセンティブになっていて、なるほどゴルフは人間の本質をついてうまくできている。ニギりは単なるスパイスであって、プロに真剣勝負さすには1億円のニギりだっているのだろうが、僕らアソビではそれがなくたって十分におもしろいものだったことがわかった。
ちなみに惰性で「男」と書いてしまったが、女性にその習性があるかどうかは知るよしもない。獲物をピンポイントに狙いたくなるのはやっぱり男の狩猟本能かなという気もする。そういえば、英国の名門ゴルフクラブはもともと紳士だけの女人禁制だったと聞く。どうも、ゴルフという遊びは男の習性と快感に深く根ざしていて、そういうものとして発生して進化してきたような気がしてならない。
お客さんのうちでも筆頭格の名家のジェントルマン、H氏が教えてくれた。
「ケン(僕)、ゴルフクラブのメンバーはね、地位やお金じゃないんだ。ふさわしくないとなれないんだよ。何が条件かって? ワイフに口がかたいことさ。」
Yahoo、Googleからお入りの皆様。
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