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六十にして耳したがわない

2016 OCT 26 18:18:25 pm by 東 賢太郎

SMCのトップページにメンバー・リストがあって同胞の皆さんの写真がのっている。不思議なもので、毎日見たり書いたりしてるのでそこに居る人たちは同居人みたいな感覚になっているのであって、今回のように訃報があっても心は動じるもののいまひとつ現実感がない。

なんといっても今日お別れをしてきたのに、会社のドアからひょっこり現れても、スマホに野球行かないかとかかってきても、ブログが知らず知らずにアップされていてもおかしくない。こんな感覚がずっとあるなら、彼は実はあちらへ行ってないということなんじゃないかとさえ思う。

昔、固定電話のころは、かけても相手がそこに居るとは限らない。しかしユビキタスのスマホ時代になって、かけるとすぐ出るわけだから相手が「そこに居る感」は半端でない。電話帳から彼を消す気は毛頭ないので、「こんな感覚がずっとあるなら」は現実になりそうなのだ。

61才になって、人生に満足感、飽和感を少しだが覚えるようになった。欲がなくなってきた。だって有形のアセットは持って持ち腐れてもしようがない。無形資産である経験はいろんなことを本当に、とくに外国のことだって、もういいやと思うぐらいたんまりとしてきた。だから一番欲しいのは退屈だったりする。

何もいらないけど、失っていくものはふえる。それをどう感じるかは60代でにじみ出る人間性と思う。証券業という虚実渦巻く世界にこの年まで漬かっていると人間も感化されがちだが、故人はそれを免れていたように思う。育ちが良かったのか頑強な徳育を受けたのか、強固な自分の価値基準を持っていて、いつも賛成ではないものの納得させるものが常にあった。

西室が孔子の「六十にして耳したがう」は還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになったんじゃなく頑固なゴリゴリ親父だったのだろうと書いている。孔子さまと比べちゃいけないが、人の意見に素直に耳を傾けてこなかった僕は齢六十にして益々そうなっている気もする。

そんなゴリゴリ親父が結構なるほどと感化される場面があって、いうことを聞いてみようと思ったことがあるのが故人だった。そういう人間と行った旅行は啓発に富むものだったし忘れられるものではない。そしてそんな彼の書き残してくれた文章は秀逸だ。内容の密度もそうだし、ことに文の硬度が高くて強靭であるのは精神の骨太を反映している。若い人は是非味読してほしい。

 

 
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