Sonar Members Club No.1

日: 2017年1月24日

シューマン交響曲第3番の聴き比べ(4)

2017 JAN 24 1:01:41 am by 東 賢太郎

フルトヴェングラーのブラームスに話が飛んでしまったのは、ラインを聞き進むとほとんどの演奏がテンポの問題で暗礁に乗り上げてしまうからです。テンポを論じるとどうしてもフルトヴェングラーを引き合いに出さざるを得ません。

スコアをシンセで演奏してみて、テンポ設定とフレージング、アーティキュレーションの難しさを体験しました。管弦楽といえども演奏するものは「歌」です。歌というのは音楽の醸し出す意味や感情にそった呼吸の脈動であり、音の漸増・漸減があり緩急があって言葉の発音がある。テンポはそれらを 統合した結果、最も自然なところに落ち着くべきものと感じました。テンポが先にあって、それに他のものを合わせるというものではないということをです。

例えばallegro  moltoと指定があるがそのテンポで演奏したその音楽に共感が持てない場合は歌として呼吸が合いません。自分の持つパルスと音楽のパルスが共振しません。するとそのしわ寄せが上記のパーツのどこかに物理的に出て、説得力のないオーラの薄い演奏になってしまいます。

ベートーベンのメトロノーム問題が好例です。ベーレンライター版ですごく速いテンポになって、「共感はしないがオリジナルです」という主張の指揮者による演奏は、博物館の資料としては、あるいは好事家のコレクションとしては価値があるでしょうが、奇天烈な速度のコーダで終わる第九のようなものを僕はあんまり歓迎はしません。

これはあくまで主観ですが、フルトヴェングラーのブラームス交響曲は1番と4番なのです。そしてそれはテンポに深く関わっておりましたことは前2回の稿で書かせていただきました。それを導き出した彼のテンペラメントが1,4番に合っていたということと思われます。特に1番の52年盤については既述の通りですが、しかし、2番となると一転してこう感じました。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

僕は別にフルトヴェングラーのファンではなく、ブラームスのファンです。彼の書いた音楽の崇拝者であって、ファンとして「こう演奏すべし」があって、それに近ければ是、遠ければ非というだけです。彼は2番にはうまく共振できていないという結論になりました。

一方、シューマンについてはテンペラメントの合う1番、4番しか残しませんでしたが賢明な判断でした。2番の歪んだ狂気の軋みは彼に似合わないし、3番に至っては彼の秘術、至芸の通じる部分はどこにもないでしょう。

 

以下、すべてyoutubeで音を聴けます。

ルネ・レイボヴィッツ / インターナショナル交響楽団

51Y9BqcRMiLスコアにマーラー以上の改竄があり、第1楽章のせっかくの良いテンポがコーダで瞬時に崩壊するのはがっかりです。再三の指摘ですが両端楽章のコーダに欲求不満を覚えてか加速する指揮者が多くいます。マーラーを始祖とし、肥大化した後期ロマン派のオケ目線から「シューマンの管弦楽法は下手くそ」とする人たちと源流を一にします。レイボヴィッツのベートーベンの読みが同じアプローチで一貫しているのは評価するのですが、時代がシューマンまで下るとワーグナーに発したブルックナー、マーラー路線とクララ、ブラームス路線の分岐の起点がやってくるのであって古典派のようにはいきません。

 

セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

4148MOPwOML僕にはテンポが遅いのですが、盤石でゆるぎないラインの流れです。深々したオケの響きがなにかを語りかけ、意味深く神判のように鳴るティンパニに宗教的なものさえを感じる不思議な第1楽章。細部まで一点もゆるがせぬ神経で支配する彼の世界です。実に濃い。コーダの雄大なこと!テンポの不満を言うこちらが稚拙に感じてしまう。第2楽章も遅く、スケルツォでも舞踊でもないレガートの美しい絶対音楽。第3楽章はさらに遅い、春の森の陽だまりの夢想。第4楽章はテヌートのかかった各声部のまとわりが教会にこだまする交唱。こういう音の作り方、只者でないです。終楽章、やや遅めですが第1楽章と同様にこの速度でないと見えない音楽あり。コーダに向けて熱と密度が上がりますがテンポはそのまま。感服。こういう器量がない指揮者が曲の終結感に自信が持てず、アッチェレランドをかけるのです。マーラー版ではないが彼なりの変更があります。

 

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー / エストニア国立交響楽団

789オケの音がシューマン的ではないが理想的なテンポで開始し、インテンポのまま第2主題に至っても揺らぐことなしです。エネルギーもテンションも見事であり、非常に満足感あるコーダで締めくくります。但しスコアはかなり改変あり。踊れる第2楽章を経て深みある第3楽章へ。ここは録音が貧しくて惜しい。第4楽章は金管の音がやや異質ですが重たい時が流れています。一転、明るい終楽章はやや弦が荒い。速すぎず良いが、このテンポだと第2主題でやや緊張を欠くようです。コーダもほぼインテンポで僕は満足。おそらくこれは多くの人を満足させないでしょうがこの指揮者のスコアの読みの深さは何を聴いても敬意を覚える水準にあります。

 

トマール・マーガ / ボーフム交響楽団

チェコ出身のドイツ人マーガの名前は懐かしい。オケが二流ではあるがティンパニをアクセントに気骨あるインテンポで通した立派な第1楽章です。スコアはオリジナルのようで中間楽章もロマンに背を向け淡々と進みます。終楽章もなんの細工もないが、管が厚みを欠く分ティンパニがモノを言い、充実のコーダに至って何の不足もない満足感を与えます。こう書けているスコアを二流の感性とテクニックで味付けして出す。素材の味がわからぬ二流の料理人だが、そもそもそういう人がどうして料理人をしているのかが僕にはよくわかりません。

 

ひとつ面白いものを。第4楽章をオルガン編曲した人がおられます。

この楽章を宗教的と書く意味を感じていただけると思います。J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第24番ロ短調の前奏曲、聞こえてきませんか?

(ご参考)

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第4楽章)

 

(こちらへどうぞ)

シューマン交響曲第3番の聴き比べ(5)

 

 

 

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