一般人の男性が?
2017 JAN 31 17:17:31 pm by 東 賢太郎
中野でタクシーが電柱に激突し、ドライバーとけが人を助けた男性がそのまま立ち去ったというのでニュースになっている。表彰したいので名乗り出てほしいそうだ。
むかしバスを待っていたら道の反対側の歩道で自転車でもろに転倒した人がいて、頭を打ったように見えたので大丈夫ですかと助け起こしたら無言で走り去った。いろんな人がいるんだなと思ったが怪我はなかったようだ。べつに助けておいて無言で去る人がいてもいいんじゃないかと思うが、そうでもないんだろうか。
TVを見ていたら「一般人の男性が」と報じているが、その一般人ってのはいったい何だ?じゃあ特別人てのがいるのか、それは誰のことだ?とっさの善行をした勇気ある男性たちがキャスターのねえちゃんごときに「そのへんの人」あつかいされているようで、甚だ不快である。
怪我人の救助に誰である必要もないし、この男性は表彰されたりテレビに出たくてやったわけでもないから立ち去ったのかもしれない。むしろ自分はそういう種類の人間ではないという意思表示だってありえるのであって、一般人が有名になれるのにどうしてという報道は不遜だ。
消防庁が表彰をしたいというのは役所の仕事としてはいいことと思うが、善行に対価や報酬はないと考える人がたくさんいるのが日本の美徳だと海外に16年もいた僕などは常々感じている。人は表彰されたいものだ、テレビに出たいものだ、そうでなきゃ変だという思い込みがあるようで報道姿勢に非常に違和感をもった。
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Categories:______世相に思う
Tom Ichihara
2/1/2017 | 1:37 PM Permalink
小生も
20歳頃、池上線で電車待ちをしていました。
高架のホームから下を見ると丁度昼休みで工員が咥えタバコで窓から一斗缶を差し出し、それを外の工員が受け取っていたら少しこぼしたらしくタバコの火が付いて、あっという間に軒下まで燃え上がりました。
驚きましたが、そのうち消防車が来るだろうと思っていましたが、隣の2階建ての住宅まで火が付き、一瞬もしや誰か逃げ遅れた人が居るのでは無いかと、土手を駆け下り、その家のドアを開けると「だれかいませんかー、火事ですよー」その横に階段が有り駆け上ると、隣家との境の窓が「メリメリっ」とガラスが破れ炎が入ってきました。
2階では娘さんとおばあちゃんが抱き合って震えていて「速く逃げなさい」と言っても階段は火が回って居るので窓から下に居た人に手伝って貰い降ろしました。
階段からは煙が入ってきて小生も窓から逃げました。
道路から見ているとその隣の家はは大きなタンスを運び出していましたが、その後に大きな財布が引き出しから落ちていました。
当時は家具が財産だったのですね。
運んで居る人に「落ちましたよ」と渡しました。
寮に帰ってから先輩に話すと「おまえ、それは警察に言えば表彰ものだぞ」と、言われましたが、その頃はそんなに重大な事とは考えず、助けるのが当たり前だと思っていました。
今の時代ならマスコミが放って置かないでしょうけど、時代が違うのですね。
東 賢太郎
2/1/2017 | 2:40 PM Permalink
市原さんはそういうかたなのですね。人間の品格の問題と思います。表彰制度で善行が増えるなら行政としては良しです。だからといって、そういう動機でない人がいました、珍しいですねと尻馬に乗って騒ぐのは品格がありません。マスコミ目線で一般人なのにってところが、ひとことで切り捨てますが、下賤ですね。
Tom Ichihara
2/1/2017 | 7:25 PM Permalink
下賎とか品格と言う言葉を久しぶりで見ました。
今や本の中でしかお目にかかれないのではないでしょうか?
自分は品格があるとは考えませんが矜恃だけはあります。
現代はそう言うのが無くなった気がします。
「武士は食わねど高楊枝」なんて現代には合わないのでしょうね。
東 賢太郎
2/2/2017 | 12:14 AM Permalink
「今や本の中でしかお目にかかれないのではないでしょうか?」まったくですね、もう多くの本にもありませんけれど。品格とは一言でいえばマナーに従うことと思います。マナーは国それぞれの伝統的な立ち居振る舞いですね、武士道もそうですが、僕は日本のそれは格別に立派であると誇りをもって16年海外で過ごしてまいりました。危機にある人を助けるのはそのうちと思いますがこれは日本だけでなく米国にも英国にも中国にもマナーのある立派な人はいました。そこで国のマナーを超えて人品骨柄という言葉が出てくるんでしょう。そういう人の道として普通のことをちゃらちゃらした奴らが報じるとああなってしまう。見事なコントラストであって、下賤の見本でありました。