Sonar Members Club No.1

月別: 2017年2月

ゾルターン・コティシュの訃報を知る

2017 FEB 28 1:01:04 am by 東 賢太郎

昨年の11月は仕事が恐ろしい勢いでふりかかってきていて、ゾルターン・コティシュが亡くなっていたのを知りませんでした。まだ65才で僕と3つしかちがわないというのが悲しいです。

彼の苗字Kocsisの日本語表記はwikipedia等でコチシュとなっているようで、マジャール語でそれが近いのでしょうが(さらにいえば姓名はKocsis Zoltánの順ですが)、僕が知った70年後半ごろはコティシュ、またはコティッシュだったはずでそう頭に入っております。その残像を大切にしたく、あえてゾルターン・コティシュと記させていただきます。

この天才の実演を聴いてませんが忘れられないピアニストで、大学時代に下宿でエアチェックして毎日のように聴いていたのがラヴェルのマ・メール・ロア(デジェ・ラーンキとの連弾)でした。当時二人ともハンガリーの新鋭ピアニストで売り出し中で、粒立ちが良いクリアなタッチにとても初々しい感性があります。曲を初めて覚えた演奏というのは「おふくろの味」になっていてなつかしい。特にこういう人生で重要になった曲はなおさらです。

これが頭にあったのでロンドンへ赴任してすぐ彼のドビッシーを買いました。これはたぶん85年ごろ、最も早く入手したCDの一つでした。そこに入っていたのがベルガマスク組曲で、これまた人生でとても大事な曲になっており、彼の演奏がおふくろの味になったのです。

速めのテンポですいすい行きますが、タッチは立っていて薄味ではあってもコクがあるのが特徴。固めにふっくら炊いた極上米のようで本質はロマンティックと思います。彼が感じきっている和声に僕は同じ気持ちがあり、これがテンポも強弱もイントネーションも原点となったのは初物というばかりでもないようです。

ところがのちにまったく違うクラウディオ・アラウを聴いてそれにも強いインパクトを受けました。両者を比べながら楽曲解釈の深さを学んだ意味で思い出の曲ですが、スイスのころ弾けていたプレリュードをいまやすっかり指が忘れている自分の無能を思い知った曲でもあります。

コティシュはラヴェルも良くて、クープランの墓はオケで全曲(!)やってます。このラヴェル好きの感性も大いに共感するところで、肌が合う人といると心地良いように彼のピアノは気がおけず聞き流せるのですが、ところどころでおっと気を引かれるひらめきがあって結局耳を澄まして聴き入ってしまう。どこか他人事でいられません。

彼のバルトークは鮮烈でした。たくさんありますが、これはすごい。中国の不思議な役人のピアノ4手版です。彼が晩年に指揮者になったのがわかる、実にオケの感触をリアライズした演奏です。

きりがないです。最後に、気に入っているラフマニノフの3番を。この超ド級のコンチェルトをこのテンポであっさり弾いてしまう(!)技術もさることながらそのみずみずしい感性は比類がありません。近年、2番も3番も速弾き爆演派が散見されますが、コティシュの速さはそうした曲芸志向ではない筋の通った解釈であり、それを可能にするのが深く鳴り切ったタッチであるのをぜひお聴きください。ものが違うことがおわかりいただけるでしょうか。ラフマニノフがこれをきいたら何と言ったろう?僕はほめたと思います。

コティシュはいまも心の中で若者のような気がしてます。ご逝去は信じられません。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 

追記

若き日のジョルジュ・レヘル/ブダペスト交響楽団とのバルトークの2番も忘れられません。

 

(こちらへどうぞ)

ドビッシー 「ベルガマスク組曲」

 

 

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音楽は人生の伴侶

2017 FEB 27 1:01:00 am by 東 賢太郎

キングカズことサッカーの三浦知良が50才でピッチに立ったときいて驚きました。50といえばどんなスポーツでもオジサンで、アマチュアでもなかなか若者には伍せない年です。プロなんだから敬服しますが、身体能力もさることながらやろうという気力ですね、これなくしてあり得ないことと思います。金や名誉ではなく、サッカーが好きということでしょう実にすがすがしい姿でした。

そういえば、昨日はライヴ・イマジン管弦楽団のリハーサルを聞かせてもらいましたが、年齢層は様々ながらやはり音楽が好きという団員の皆様のオーラを肌で感じさせていただきました。学校のクラブ活動以来ノーギャラという世界を忘れていた僕にとってきわめて新鮮です。初回の練習だからまだこれからの音ですがそれでも田崎瑞博先生のさすがの指揮でジュピターの終楽章は本当に「物凄い音楽」だと再確認いたしました。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番リハーサル(ソロはSMCメンバーになられた吉田康子さん)

音楽というのは完成度を追求するときりがなくて、ベルリン・フィルやシカゴ響をきいていると少しの傷でも気になります。オリンピックの体操やフィギュアを見ていてもそうですね。しかし今日思ったのですが、アマだからもちろん五輪レベルの競技にはならないのですが、それでも音楽は十分伝わると思います。まずは闊達に正しく弾くということ。それさえクリアすれば音楽になるようにモーツァルトは書いてくれているということに気づきました。

終了後に古典四重奏団のチェリストである田崎先生を囲んで西村さん、前田さん、吉田さんと昼食となりましたが、先生はトッププロでありながら飾らない素晴らしいお人柄で、いろいろお話をうかがえて勉強させていただきました。やはりお好きでなければそこまで行けないという高い所におられると感じ入った次第です。このような機会をくださった西村さんに感謝しますが、初回のブログにお書きになったこの言葉はそのまま自分にも当てはまると思っています。

音楽を人生の伴侶とできたことの素晴らしさ、そしてこの広く、深い世界を誰かと分かち合うきっかけかもしれない。

 
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野村證券の強靭なスピリットについて

2017 FEB 25 10:10:43 am by 東 賢太郎

私も「東スクール」の生徒としてまだまだ頑張ります。
そして後輩にこのスピリットを引き継いでいきます。

野村の現役の役員さんと久しぶりに食事をして帰宅したらこんなメールが届きました。
 
老兵へのエール、ほんとうにありがとうございます。ただそれは僕も幾多の先輩から受け継いだ「野村スピリット」なのであって、辞めた後に元社長にしかられて気づいたことでもあり、いつも卒業生だというプライドは持たせていただいてそれに恥じない仕事はしなくてはいけないと肝に銘じていることです。
 
また、同じメールに、
 
早速Sonar Members Club No.1をブックマークに登録して読み出しました。思えば、東さんにクラシックの魅力を教えて貰い、アルフレッド・ブレンドルやフィッシャー・デスカゥを聴きに行きました。
 
とあってこれも嬉しい限りです。クラシックはいいぞと勧めた人はたくさんいるので、それをものにしたのは彼の資質なのですが。
 
野村の人、いた人というのは年齢、部署、男女を問わず「気心」が知れるということを僕は去ってから知りました。証券業界としての気心も会社は違ってもある程度はありますが、その中でもさらに「圧倒的に特別なもの」がある。僕がいまだもって感じている愛情はそれへのもので、それぬきに今の自分は語れないほど大切なものでした。
 
仕事のパートナーとして気心の共有ほど大事なものはありません。ちがう土壌の人といちから酒を酌み交わすのも面白いが、そこまでの信用を作るにはあまり時間がない。これはウィーン・フィルがウィーン国立音楽大学出身者の集まりであの独特な芳醇な音を保っているのとまったく同じことです。ただうまい人を集めたってだめで、技術より気心の方がずっと大事。だからそれをお持ちの人は誰でも、むかし何があろうと大事にしますからどんどん連絡して来てください。
 
気心とはただ気が合うことではなくて、より具体的に言うなら、こと仕事に関してのスナイパー能力において世界でもトップクラスにあるということがベースにあって、それを自慢したりプレゼンする必要がお互いにないということです。初対面でも5分も話せば自然にわかる。そういうものです。その能力なしに一流の証券業務などできるはずもないのであって、これは掛け値なしのメッセージだからぜひ自信を持っていただきたい。
 
「東スクール」といってくださる方々もいつかはOBになられる時が来るでしょう、そこで何かでcome acrossできるはずです。それまでは老兵も鞭打ってがんばります。
 
 
 
 
 
 

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新メンバーご紹介

2017 FEB 24 13:13:54 pm by 東 賢太郎

「ライブ・イマジン」主催者のチェリスト西村淳さんとピアニストの吉田康子さんがSMCの新メンバーになられました。

弊社ソナー・アドバイザーズにて西室より種々入会のご説明を申し上げ、近くのピザ屋さんで軽く歓迎の乾杯をいたしました。お二人とも演奏歴が長く、もちろんクラシックのご造詣は深く、ワーグナーの室内楽版、春の祭典の連弾などの興味深い体験談をうかがっているうちあっという間に時間が過ぎてしまいました。

西村さんの「モーツァルトは後期になるほど弦のスラーが長くなる」はプレイヤーの視線でないと気付かないことで、目から鱗でした。吉田さんはショパン1,2番、シューマン、ショスタコ1番など数々の名コンチェルトを弾かれていて、ファツィオリを高く評価されています。5月のモーツァルト25番は楽しみです。

仕事がら多種多様な業界の方とお会いしますが、演奏家は音で自分を発信されているので他とは違ったオーラを感じます。日本人は概して発信、自己主張が苦手ですがそれができる方々と話すのは楽しいものです。こちらもアウトプットする仕事ですから意外と共通点があるかもしれないと思った次第です。

 

 「ライヴ・イマジン」の皆様と会食

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スクロヴァチェフスキーの訃報

2017 FEB 23 22:22:28 pm by 東 賢太郎

ショックを受けております。1月に読響からお知らせのハガキが来て、「スクロヴァチェフスキー氏の来日中止」とありました。脳梗塞の治療のためとありこれは・・・と嘆息するのみでした。

あれは1983年10月28日、アカデミー・オブ・ミュージックにおけるフィラデルフィア管弦楽団のマチネ演奏会のことです。初めて実演を聴いたブルックナーの第8交響曲に圧倒的な感動を覚えてしまい、いてもたってもられずそれを伝えようと家内をつれて楽屋にむかいました。するとせまい廊下をひとり歩いてきたスクロヴァチェフスキー(以下Sさん)とばったり会ったのです。

お断りすると僕はサインをねだるミーハーではありません。フィラデルフィアで人気絶頂だったムーティーは一度も訪ねておらず、会いに行ったのは深く感動したオーマンディーとSさんだけです。そのぐらい爆発的で稀に見るものだった、それに突き動かされてどうしてもひとこと「お礼」をしたかったのです。ムーティーとは全く違う音で、僕の長い音楽体験のうちでも白眉、一生忘れることのない演奏。この日以来8番は僕にとって特別な音楽となって今に至っています。

当時彼のレコードは持っていましたがお国ものショパンPCの伴奏指揮者のイメージでした(ルービンシュタイン、フランソワ、ワイセンベルク)。一方でブルックナーの8番という音楽だってカラヤンのレコードで聞いていたぐらいですが、たしか4番(ワルター)、5番(クナ)、7番(コンヴィチュニー)、9番(マタチッチ)あたりを持っていてもあまりピンと来ておらず、アダージョがきれいなので8番だけが記憶にある程度でした。

飛び込みで話しかけてきた見知らぬ東洋人の男女にほんとうに誠実、真摯な姿勢で接してくださり、汗だくではありましたが、つい今しがたあれだけの演奏をし終えた人と思えぬほど冷静に、僕の愚問ごときに真剣に言葉を選んで答えてくださったのは驚きであり深く心に残りました。音楽に人柄が出るとするとそれは彼においてこそで、あの姿勢でスコアを読みこまれた結果があの音なんだろうとつくづく思います。

オーマンディーやバーンスタインはひと仕事終えた好々爺という感じでもありましたがSさんはブルックナーとフィラデルフィア管弦楽団の弦の相性につき滔々と語ってくれるなど、ああこの人も音楽が好きなんだと当たり前のことを強く感じました。仕事師の職業指揮者ではない、書かれた音符に真摯に意味を見出す、それもポエムとしてよりは化学として神様の調合・配剤の賜物としてで、作曲家なんだなと直感したのを覚えています。

たまたま家内がお友達が映ってるというので去年の1月21日の読響の8番をビデオに撮っていて、これが大変な名演奏です、よくぞとっておいてくれました。ニュースによると、93才になられて11月にミネソタ管を振った最後の演奏会がやはり8番だったそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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僕の主治医である神山先生

2017 FEB 23 2:02:54 am by 東 賢太郎

以前に書きましたが神山先生の漢方薬を2004年から朝晩欠かさずいただいています。野村を退社してみずほに移籍し、ストレスのせいでしょうかつてない体調不良に見舞われました。症状は風邪でしたが発熱が医者にかかっても治らず、これはまずいと知人の紹介で仕方なく門をたたいたのが神山研究所だったのです。

当時は漢方など知る由もなく半信半疑です。大した診察もなく「煎じ薬あげるから飲みなさい」だけでおわり。正直のところこりゃだめだと思っていました。ところが黒くて苦い液体をコップ一杯言われた通り飲んで寝ると、朝には体が軽く熱はさめ一発で治ってしまった。これは何だ?ということになったのです。

毎月1,2度行きますが、まず背中に鍼をうってもらいます。これがどういうわけか効いて高校生のような若返った気分になる。それから薬草を5~6種類(なんだかさっぱりわからないが)当方の顔色など観てその時々に調合してくれます。これが未病といって病気にならないための免疫力をつけてくれるのです。

中国の薬草学の集大成、黒い液体の効能でそれが悪いはずないと体が悟りましたが、彼は毎年5,6月にドイツやハワイに治療で呼ばれています。米国は制癌剤投与はもう下火で最先端の論文は免疫療法が主流とききます。中国の未病という発想が源流になってコペルニクス的転換が起きていると思われます。

欧米は医療は「治れば勝ち」という発想です。しかし丸山ワクチンの例のごとく日本は「学閥」と「医者が何を学んだか」が支配している気がします。当然それは旧来の対症療法の発想による西洋医学なわけで、本家の西洋医学が東洋流の未病に発想転換してもついていけないのではないかという危惧を覚えます。

先日書いた大阪の森嶌先生のように既にそれに気づいて転換している方もおられますがまだ少数でしょう。本家本丸の先生方ほど学んだものを失いたくないから遅れるリスクが高い。付け焼刃的に「漢方も処方します」ではない、優秀な医師こそ「治れば勝ち」の競争に先陣をきってもらいたいものです。

2004年以来、冬に必ずひいていた風邪とおさらばしました。龍門気功の大家をそう呼ぶのも申しわけないが、先生は大事な友人であり僕の主治医である。最高の技術でその信用に信用で返してくださる。こういう関係こそ最も盤石であり、僕が最も大事にする人間関係です。

本来なら日本に来ないレベルの漢方医がいてくれるというのは大変なことなのです。彼が日本で弟子を育成するなどして本物の未病療法を日本で根付かせることは難病の患者さんの朗報であって、サポートしたいと思っています。

 

 

 

 

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芥川也寸志さんと岩崎宏美さん

2017 FEB 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

成城学園初等科にいたのですが、金持ちの坊ちゃんではありません。お嬢で育ったお袋の趣味だったんでしょうがお品が良すぎてなんとなく肌には合わなかったですね。制服が帽子に半ズボンで軟弱っぽくて、公立の子とちがってて嫌だなあと思ってました。あの反動だったんでしょうか、なんちゃって硬派、バンカラ、アンチ・ブルジョアのほうにいってしまい、振ったのがゲバ棒ではなくバットだったのは救いでした。

勉強はした記憶がないというか、僕の勝手解釈によればしなくていい雰囲気であって、クラスも塾に行く者など皆無で考えたこともなし。あまりの出来の悪さを知った親父がエスカレーターは勉強せんし遊び人になりそうだこいつはだめだとなって中学で外を受けさせられてぜんぶ落ちましたが、親父はそのころから東大へ行けと存外なことを言いだして五月祭に連れていかれたりしました。だからなんとなく当然入れるもんと信じこんでました。

そのかわり映画とか劇とか舞踊とか彫塑なんて授業があって、そういうのはとんと興味ありませんでしたがアートは生活のそこらへんにごろごろところがっていて当たり前という感覚にしてくれました。こういうのは文部省指導要領じゃどうしようもない。このあいだ銀座で卒業生の女の子がいて、40才ぐらい後輩とわかり彫塑室の粘土の穴ぐらの描写をしたら「いやだ、それそのまんまですよ~」と、その子も成城っぽい「アートはあって当たり前」感をただよわせながらびっくりして、年の差などものともせず共感しあったりできてしまう。不思議なもんです。

いま思うとまわりはすごかったですよ。ラグビーの松尾兄弟や、3つ下の妹のクラスには歌手の岩崎宏美さんもいました。彼女がスター誕生という番組でデビューしたてのころ食事したりしましたが、あれ、この頃でしたかね、この歌はずいぶんヒットしましたが。

同じ学年の桜組、橘組の父兄には黒澤明さん、三船敏郎さん、東大総長の加藤一郎さんなどがおられ、僕の桂組には芥川也寸志さんがおられました。龍之介の次男で日本を代表する作曲家で家もお邪魔しましたが、当時はY子ちゃんのお父さんというだけで誰だかよくわかってませんでしたね。

成城は学校劇なるものがあり、まあ子供ミュージカルみたいなもんで面白かった。その音楽を芥川さんが作られ指揮もされた。生のオーケストラも指揮者というものも、その時初めて見たのですね、そしてその子供の祭りという劇で主演をして主題歌を歌ったのが岩崎宏美さんで、めちゃくちゃうまいなあと感動した記憶が残ってます。

NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」の音楽は芥川さんでこのメロディーはいまでも鮮烈に覚えてます。えらいかっこいいなあと思ってましたが、調べてみるとこれも昭和39年、東京オリンピックの年の放映だったようで僕は小4です、あのころだったんですね。

Y子ちゃんちは成城の高台で見晴らしの素晴らしい場所にあり、もちろんピアノがあって、子供心に素敵だなあと俺もああいう家に住むぞと憧れました。高台というとバーデンバーデンのブラームスの家も崖の上で、どうも僕の「崖好き」はお二人の作曲家の趣味から来ているようで、いざ自分で建てるとなったときに成城~田園調布を走る国分寺崖線の崖の上ありきになりました。なかなか出てこないので出たら即決で買った。家族は高いと大反対でしたが、三つ子の魂みたいなもんでかなり執念に近かったです。

 

(ことらもどうぞ)

______男の子のカン違いの効用 (6)

我が来し方に響く音楽

 

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ヘンツェ 交響曲第8番(1992/1993)

2017 FEB 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

電車でイヤホンできいてるのはatonal(無調)の曲です。最近はヘンツェなどですね。同時に「ながら」でブログを書いてますから、頭がキリッと冴え喜怒哀楽の感情の波がおきない現代音楽がよいのです。

ハンス・ウェルナー・ヘンツェ(1926-2012)はドイツ人ですがヒトラーにかぶれた父に反抗して育ち、徹底した反ナチズムを標榜してイタリアのローマ近郊に居を構え、共産主義に共鳴しキューバの革命政権を支持してチェ・ゲバラの追悼曲まで書いた。ホモでもありましたから、バーンスタインのいう理想の音楽家、「ホミンテルン」に完璧に適合する人物でありました。

ポスト・ウォーの作曲家として僕はフランスでブーレーズ、ドイツでヘンツェを評価しております。ヘンツェの音楽はしかしブーレーズとは対極的でセリーでも微視的でもなく、多くのオペラ、バレエがあるように劇場で映え、無調ではあるが旋律がきこえ骨太でどこか肉感的です。10曲書いた交響曲はドイツの楽団の音になじみ、音響としてはブラームスの末裔としてとらえられるどっしりとした名曲ぞろいであって、ぜひ広く聴かれることを願ってやみません。

第二次大戦後も母国と絶縁状態にあった彼の活躍の場はイタリア、英国でしたが、ようやく1980年代になって復縁の方向となります。シェークスピアの真夏の夜の夢から発想し1992/1993年に書かれた交響曲第8番は、ベルリンの壁崩壊を経た復縁後の作風としてややラディカルさは後退していますが、60才台半ばの円熟の技法が冴えわたった名品で僕は特に愛好しています。

マルクス・ステンツ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のこの演奏は驚くばかりの名演で何度聴いても圧倒される稀有な録音として記憶されるでしょう。

この作曲時に我が家はドイツに住んでいたわけで、まさにコンテンポラリーであります。和声はatonalなりにロマンティックであり、旋律性とあいまって独自の美感を確立しています。これは同じドイツ語圏の新ウィーン楽派とは一線を画した世界で僕にとって非常に妖しく魅力的な交響曲なのです。

彼の代表作のひとつ、ピアノ協奏曲「トリスタン」 (1973) (ピアノとテープと管弦楽のための)にはブラームス第1交響曲の冒頭があからさまに引用されます(16分57秒~)が、ヘンツェの交響作品の質感がブラームスに近似性を感じさせる好例としてお聴きいただければと思います。

このところ取り上げるのが現代音楽ばかりになりましたが、音楽=tonal(調性)とは教育の嘘です。我々が聞く99.99%の音楽は調性音楽ですが、それは音楽をする方も聞く方もそういう既成概念の奴隷として育つからで、雅楽であれ長唄であれ江戸時代までの日本に三和音による調性音楽など存在しません。古来よりの日本人の心の耳を開いて聴けば無調音楽にいかに偏見をもって育ったかはご理解いただけると信じます。

ヘンツェの8番。何度もくりかえし聴いていただき、それが信じがたいほど「美しい」というのを知っていただければ幸いです。

 

 

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なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)

2017 FEB 19 2:02:24 am by 東 賢太郎

大学へ入るとすぐ家庭教師や塾で中高生に数学を教えましたが相場は時給3千円ぐらいでした。東大にはいって得したなと思ったのはこれぐらいで、当時国立大の授業料が年3万6千円でしたからけっこうなもので、それでレコードが買えたのは有難かったですね。

僕は「問題をぱっと見て解き方をどう思いつくか」を、実際に僕がどういう思考回路でその結論にたどり着くかを言葉で実演することに情熱をそそぎました。「解法」ではなく、「思いつき方」をです。時間制限のある受験数学はこれで確実に勝敗が決します。だから解法や計算法は機械的な部分だから自分で練習してね(それ以外に手はない)としました。

思いつく練習(①)+解法の練習(②)=満点なのです。

ところが①は教えられないことがだんだんわかってきました。結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかない。ということは「練習問題をたくさん解きなさい」という当たり前の指導になってしまうのです。そんなことは誰でもいえますからね、それで高給もらうのは申しわけないのでバイトはやめました。

①は野球のバッティングでいうと、振るか見逃すかです。打撃というのは投げられたボールの軌道を予測してそこにバットの芯を合わせる行為です。予測の精度が低いと打てません。予測したらあとは振るだけです。この予測が①、振るのが②なのです

②は条件反射化するしかなく毎日昼休みに部室前で全員で200本欠かさず素振りをしました。プロはキャンプで毎日千~二千本だそうです。しかしいくら②を鍛えてもボール球は打てません。それを「見逃す」、これが難しいのです。投手はボール球や難しいコースの球を振らせれば凡打になる確率が高いので変化球を投げ、いわば騙し合いになります。

投手の手を離れて零点何秒で手元に来るボールを「ぱっと見て振るか振らないか決める」というのは①そのものです。問題文を読んで、あっこれは解くのに時間かかるなと見抜いて見逃す。4問あれば、一番速く解けるのから片づけたほうが点がいいに決まってますから実に簡単な話で、それが出来れば数学の偏差値は確実に上がります

しかし、打撃でいえばその判断は自分のバットを振る速度や精度によって変わります。だから素振りでそれを体得しないと振る振らないの判断技術も向上しないのです。つまり、数学の場合、結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかないという結論に僕は至りました。

野球中継を見ていると解説者が「見逃し方がいいですね」と打者をほめることがあります。「見逃し方」で上級者かどうかわかるのです。投手をしていると、知らない打者の実力はけっこうそれで判断してました。きわどいたまをすっと自然に見られると「おぬしやるな」って感じになるんですね。選球眼とはちょっと違って、それもその内ですが、もっと総合的な反応です。

プロで3割を打つような人は例外なく見逃し方がいいですし、思うに2割打者との差はスイング速度ではなくそっちです。投手の方もプロは速いだけでは打たれるのは、スイング速度の勝負ならプロになるような人は2割打者でも対応してしまうからで、ノーコンの150キロより針の穴を通す130キロが上です。

こういう経験から、僕の教育法のその2として、

「なんでもいいから井戸は深く掘れ」

が出て参りました。野球と数学の練習は、井戸の深いところまで掘ればけっこう共通しているところがあるのがご理解いただけたでしょうか。なんでも結構なのでクラブ活動でも趣味でも一つのことを深く知れば、違うジャンルのことに応用がきいたりします

ただ、ここから先は何とも言えないのですが、素振りを何千本しても見逃し方が2流の人はいるんですね、プロにも多くいます。見ているとたいがい2割打者で終わりです。数学も②はカンペキなのに①ができないとそれなりです。1番から馬鹿正直に解いていって時間切れになって終わる。もったいないことです。

 

(これはここから来ている)僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源

(こちらへどうぞ)

僕の教育法

 

 

 

 

 

 

 

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僕の教育法

2017 FEB 18 20:20:42 pm by 東 賢太郎

僕は子供を勉強しろと叱ったことはありません。勉強を教えたこともほとんどない。次女が小学生のころ鶴亀算ができずに泣いてたので教えましたが、それが「悔し泣き」だったのを知って「えらいぞ」とむしろほめました。

鶴亀算の裏わざを覚えて人生役に立つわけではありませんし、試験は通ってもあとに何も残りません。自力でチャレンジして壁にあたり、苦労して乗り越えた経験は自信として残り、次の壁を越える知恵になります。 口酸っぱく言ってきたのは、「自分の頭で考えなさい」、それだけです。

代わりに、ときどき急にこんな質問をします;

①「5千円の券が12万枚売れた、売上いくら?」。すぐに答えが出ないと「それじゃあ考える材料が揃わないよね、それでどうやって考えるの?」「材料は機械的に出ないとアウト、大事な頭はそんなとこに使うな」と教える・・・計算力。

②「現在完了形のhaveの次にどうして過去分詞が来るの?」。教科書に書いてあったのでそう覚えてるだけの人は他人の頭で考えているので意味がロジカルにわかっていない・・・言語力。

③「円が安いとどうして日本株が上がるの?」。なるほど、では「円安でも下がるのはどういう場合?」。教科書に書いてない。普段から自分で考えない人はお手上げだろう・・・思考力。

計算力、言語力、思考力は「読み書きそろばん」で十分に身につきます。思考する言語が母国語で、「読み書き」は母国語で習得しなくてはなりません。だから日本語しかありえません。まだそれもできない子供に歌を教えて英語力がつくという発想は英語ができない人のトレードマークです。九九を歌で覚えて数学ができるようになりますというに等しいナンセンスだ。

①②③は「読み書きそろばん」程度の問いです。それを常に世の中で見つけて解く訓練を日々積んではじめて「インテリジェンス」を自分の頭で作れるようになります。インテリジェンスがない人はインテリじゃないのでインテリのフォロワーとして生きることになります。

読み書きそろばんすらできないのに「経済の先行きは?」なんて多変数関数の問いに答えが出てしまう奇跡のような理論は世界のどこにもありません。従って、自分のインテリジェンスで導いた答えに資金をベットする行為であるビジネスも、間違いなくできません。

別にビジネスが人生ではありませんが、その能力さえ持っていれば最悪でも自力で食って行けますから人生で何回かチャレンジができます。運命を切り開けます。この自由を手にできるできないは人生の喜びにおいてどうしようもない差になると僕は確信しています。僕は子供にいい人生を生きてほしいのです。

先日の稿に、

「人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である」

と書きましたが、後者の人は少なくともビジネスにおいては前者の何倍もの価値があって生涯年収で勝る。これは一般相対性理論と同じぐらいあまねく宇宙的に成立する世界の常識なのです。学歴は無関係です。東大卒で前者という人が極めて多く存在するのが現実です。

そして、それはこう言い換えてもよろしいのです、

「人には2種類あって、他人の頭で考える人と自分の頭で考える人である」  

 

 

(こちらもどうぞ)

「東大脳」という不可思議

なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)

 

 

 

 

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