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ドイツが好きなもう一つの理由

2017 FEB 9 18:18:07 pm by 東 賢太郎

留学、ロンドンの8年を経て日本に戻り2年たった1992年5月、37才の時のことだ。フランクフルトへ行けと辞令が出た。やっと巣鴨に落ち着いてロンドン生まれの娘2人もおじいちゃん、おばあちゃんになついていた矢先だ。フランクフルトは当時強力なドイツ連銀があり、いまも欧州中央銀行、ドイツ4大銀行本店がある欧州金融市場の要だが、証券市場としてはメインストリームではない。ドイツ語も第2外国語ではあったができないし、MBAまでとってどうしてという気持ちもあった。

会社を辞めようか?

まじめにそう考えた。ロンドン時代に某有力外資にけっこうな年俸で誘われている。引く手はあった。

結局そうしなかったのはまだ若かったのと野村が好きだったからだ。行って辞めてもどうにでもなるさ、よし行こうと意を決したもののドイツ赴任そのものに意欲が出たわけではなくまったくの受け身の気持だった。フランクフルトに飛んでオフィスに行ってみる。1000人の大拠点であるロンドンから見ると甚だうら寂しい都落ち感があり、中小企業に再就職したようでああこれで俺も終わりかなと思ったものだ。

しかもドイツ拠点の現法のステータスは銀行(ノムラ・バンクGmbh)である。ゲシェフツフューラーなる社長は要は「頭取」であって本社の辞令など関係なくドイツ銀行監督局の承認がないとなれず、それには1時間ほどのドイツ語による口頭試問がある。そんなものを僕が通るはずもない。結局1年間はぶらぶらして見習いでドイツ語を覚えるみたいなものだった。試験に合格して社長に就任したのは38才のときということになる。

さて人生で初めての社長の椅子に座ってみる。気分は悪くない。ところが、目の前の50がらみの白髪の部長の顔には「ドイツ語もできん若造に何がわかるのかね」と書いてあった。おっさんは仕事もしなかったし英語もおそろしく下手だった(彼の言葉をしゃべらないこっちの責任だが)。ドイツは労基法の壁が厚く英米と違いプロ職もリストラは難しく、引き継いだ幹部社員の任免権が事実上ないのは新首相が組閣できないようなもので、新任のマネジメントとしてカラーが出せず非常に苦しいのである。

彼はシンジケーション部長だがまったくヒマだった。言い分があって、「社長が東京から引受玉を引っ張ってこれない無能だから俺は暇なんだ、当たり前だろ?お前のせいだ、首にはできないぜ」ということだ。難敵である。命令を下して動かすしかなかったのでやってみると、ドイツは上意下達意識の徹底した国であって「命令の威力」は予想外にあることがわかった。上官の言葉は絶対であって、だから労基法が強いのだ。首相を縛る憲法の役目だ、首相権限が強い分だけ壁も厚いということだろう。

こういう立場に立つと年齢差は関係ない。「俺の言うことを聞け」とあれやれこれやれと頭ごなしに野村流に命令した。こっちは暇人がオフィスにいるのが空気を乱して不愉快なだけであって、しょうもないことを命じた。嫌になってやめてくれればそれでいい。ところが彼はまじめに几帳面なきれいな字でレポートを書いてくる。しかも嫌々という感じでなく、くだらないことでも仕事は仕事だと半ば喜々としているようにも見える。彼だけでない、ドイツ人はそういうところがあると不思議に思った。

モンターク(月曜日)という姓の営業マンが実に不調な時期があり「今日からゾンターク(日曜日)に名前を変えろ」と励ましもこめて罵倒したが屁の河童である。ところが、来週までにこれをやれ、やらんかったら席次を落とすぞと脅かすと必死にやる。クビじゃないからそれはできるわけだ。要は、軍隊調でいいのだなと心得た。日本人は僕に逆らう奴などいないし、体育会調ということだから何の抵抗もなく水を得た魚だ。いま思うとぞっとっするほどひどい経営者だった。

ただドイツ人にも一部オカマっぽいのやオタク風がいて、これはだめだ。それが通じないし反発を買うだけであったからむしろまともだったということだろう。しかし営業部門は気質が合う連中が多く、滅茶苦茶な社長に反乱も起こさずよくぞついてきてくれた。ドイツ拠点として空前絶後に違いない400億円の新発債も全員で売り切って、まるで弱小校が甲子園で優勝したみたいなお祭りムードになった。おっさんもゾンタークも獅子奮迅の大活躍をしてくれた。若葉マーク経営がうまくいったのはドイツの軍隊調と僕の体育会調が奇跡的にシンクロしただけでたまたまだが、皆さんもボーナスが大いに増えて喜んだからこの2年間は結果オーライだった。

ところがうまくない部分もあって、その営業部門に当時ドイツでもハシリだったと思うが大卒エリート女性を採用した。彼女は美人で賢かったが、軍隊調がさっぱり通じない。逃げるわけでなく淡々と「ヴァルーム(なんで)?」とくる。男なら「うるさい、じゃあ何でお前はここにいるんだ?」で終わりだが、女のオーラにあたって女性参政権とか男女雇用機会均等法とかの言葉が頭をめぐりはじめ、言えない。ここは戦場だよ、「撃て!」にいちいち説明なんかないでしょという全体観がないのである。

女性は頭が柔軟で勘が鋭く、人の本性を見抜くのに優れている。しかしそれを知るには当時は若すぎた。男も女も体育会もオカマもオタクも適材適所があるのであって、それをうまく配置するのが経営だ。ところが男女雇用機会均等などと杓子定規に義務付けられるとその自由度が減る。無理して入れられた方も不幸である。プロ野球選手に女性を入れろはさすがないだろうが、程度の差だけであってそういう性質の男の職場はあると思うし、そこではれ物に触るようにお姫様を置けというのは経済効率を損なうだけでナンセンスではないか。

僕はドイツの80人を皮切りに海外で140人、500人、日本に帰って120人、20人、50人、100人、250人のいろんな集団を指揮させていただいた。企画室や調査部という完全な文化部的組織もあったしほとんどが銀行出身者という僕にとっては別世界の組織もあった。その結果として、真の意味で目が行き届いた適材適所の組織というと50人が上限というのが実感である。さらに少なければ少ない方が良い。なぜなら一人の分け前が増えるから、よりインセンティブが高まるからだ。

人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である。ステークホールダーに例えるなら前者はボンドの、後者はエクイティのホールダーである。後者だけ10-20人が僕の理想だ。分け前が多いのだからのりしろのある人がもっと創造的に働く。指揮者は適材適所ができる。2重の強みがあるのだから組織、株主にとっても社員にとってもベストなフォーメーションなのである。

そういうことは野村ドイツの社長業で学んだことがベースになってこそわかったことだ。価値は無限大だった。30代でそんなことを体で覚えるなんて大企業のオーナーの息子でない限りあり得ないだろう。音楽のことばかり書いているのでバイロイト音楽祭やらラインガウ音楽祭やらで浮かれてたみたいだがそうではない、こういうことが起きていたついでにそれもあった。音楽経験の充実ということでもフランクフルト時代は人生最高だったが、初めて社長という名刺を持って店を背負ったという意味で職業人としてのベンチマークであり、経営を覚えたのはここなのである。

あそこで会社を辞めていたら以上は全部なかったことだ。人生、何が幸いするかわからない。何度でも繰り返すが、野村證券は本当にすごい会社でその海外部門は米軍なら誇り高きマリーンであったと思う。入れていただいたことを心より誇りに思う。

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