スクロヴァチェフスキーとの会話
2017 MAR 2 0:00:26 am by 東 賢太郎
「83年にフィラデルフィア管弦楽団で聴いたブルックナーの8番が奇跡的名演で、終演後に楽屋の廊下でスクロヴァチェフスキーを飛び込みでつかまえて話した」と先日ここに書きました。
34年も前のことですが、痩身で背の高い彼の表情も片言っぽい英語の口調なども、大筋は妙にリアルに覚えています。廊下で正面からばったり会っていきなり話しかけたのだから驚いてもよさそうなものなのに、全く自然に真剣に答えていただいたから印象が強かったのでしょう。
隣で聞いていた家内にもたしかめましたが、そこで交わした会話のおおよそはこういうものでした;
「有難うございました。素晴らしい演奏でした」
「そうですか、それはよかったです」
「ブルックナーを演奏してこのオケはいかがでしたか」
「とてもいい。弦が厚みがあって向いていますね。今日の演奏はそれがとてもプラスに出ていました」(彼も演奏に満足していたことがわかった)
「金管はブルックナーにはやや音色が明るすぎませんか、トランペットなど」
「そんなことはありません。ブルックナーの金管はとてもパワーが必要なのです。PHOはそれを完璧に備えています」(この答えはやや意外感があった)
「日本は来られないのですか」
「行ったことはありますよ。好きなので行きたいのですが、なかなか呼んでいただけなくてね(笑)、お誘いがないと行くのは難しいのです」
「残念です。あなたのブルックナーは日本で人気が出ると思いますよ」(お世辞ではなく本気でそう思って申し上げた。Sさんの目がぱっと輝く。関心を持った表情になる)
「そうですか、そう思われますか、あなたは音楽評論家ですね」(そう思って話していたらしい。だから真剣だったのか・・・?)
「いいえ、ウォートンの学生です」
「どうしてそう思われますか」
「私は日本人がブルックナーに共感が深いことは知っています。あなたの今日の8番なら日本できっと高く評価されると確信します」(なんとなくの直感ではあったがこれもお世辞でなく)
「そうですか有難う、覚えておきます、それならぜひ行きたいですね」(ぎゅっと握手してくれる。すごく大きな手であった)
このどうということのない会話を公にする時が来るなんて28才のあの当時夢にも思わなかった。思えばこの時のスクロヴァチェフスキーはいまの僕の年齢あたりだったのです。のちに読響やN響の指揮台で見た姿から見ればずいぶん若い。そう思えば自分もまだまだやらなくちゃと思います。
別れ際にサインをくださったのですが、長い苗字を絵文字に丸めずそのまま長い(巷はミスターS なのに)。この几帳面さとリアリズム、どこか彼のスコアの解釈を髣髴とさせますね。
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