独断流品評会「シューマン ピアノ協奏曲」(その3)
2017 JUL 22 9:09:51 am by 東 賢太郎
エフゲニー・キーシン / コリン・デービス / ロンドン交響楽団
一聴して惹きつけられた魅力的な第1楽章。詩心にあふれたキーシンのピアノは変幻自在なロマンを紡ぐ。自由なルバートが連続するが、音楽に感じ切っておりなるほどと思わせる。そういう表現はコンチェルトとしては焦点が定まらず散漫になりがちだが、それを見事に引き締めているのがデービスの伴奏だ。ティンパニを効かせて強いfを打ち込むが、雄渾でツボにはまっておりうるさくならない。緩徐楽章の感情も深く濃い。クララはきっとこうは弾かなかったろうが、やはりこれはロマン派の音楽なのだ。難を言えば終楽章が心持ち速いが、静謐で時間を止めるブリッジからの流れとしてそうなるしかないという一貫した見事なテンポ設計だ。(評点・4.5)
クリスチャン・ツィマーマン / ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
冒頭のオーボエの音がローター・コッホの音だ。懐かしい。トゥッティはあのカラヤンの豊麗な音がピアノを包み込みまるで交響曲だ。ツィマーマンのピアノは非常にきっちり弾かれカラヤンが彼を起用した理由がわかるが、あくまでオケのパートであり自由なファンタジーの飛翔は感じられず、カデンツァに才能の片鱗を見るだけだ。後に彼がカラヤンの支配を逃れたのはよくわかる。第2楽章のロマンはまったく平板。終楽章も大変な完成度できれいだが予定調和の域を出ず一向に面白くない。先が読めるのはファンタジーじゃないのだ。これをきくといったいカラヤンは何を目指していたのだろうと思う。一家に必携のブリタニカ百科事典みたいなものだろうか(評点・2.5)。
エレーヌ・グリモー / デイビッド・ジンマン / ベルリン・ドイツ交響楽団
なんともエネルギッシュなピアノだ。ここまであっけらかんと明るいと詩的な部分の陰影がさっぱり見えない。オケもffで単調でうるさい。展開部のおしまいの部分、精妙に再現部へ導く神がかったところでこれほど不感症はまずいしカデンツァもポエムがない。ジンマンはチューリヒ時代にトーン・ハレで毎週のように聴いたが、才人だが一度も感心したためしがない。別な指揮者だとうれしかった。終楽章はカプリッチオに聞こえる。(評点・2)
ルドルフ・ゼルキン / ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団弦楽団
これを先に聴けばグリモーがおとなしく思えたろう。これだけ豪壮なシューマンも珍しい。ゼルキンのブラームスは硬派の部類の名演だが完全にその勢いでこのまま皇帝だって弾ける。たおやかさや悲しみとは無縁で武骨ですらあり、オーマンディのオケはそれに輪をかけて詩情のかけらもない。最後まで聞きとおすのにひと苦労(評点・1)。
ベンノ・モイセイヴィッチ / オットー・アッカーマン / フィルハーモニア管弦楽団
モイセイヴィッチ、ため息が出るほど素晴らしい。この強弱とテンポの脈動、デリケートな詩情、呼吸、感情の揺らめき!楽譜にはないが音楽が秘めて求めているものはこれだと肌で納得だ。これはきっとシューマンもクララも誉めただろうという抗いがたい高質のものだ。3度も聴いてしまった。アッカーマンのオケがまた驚く。ピアノと精神が完全に親和、合体したオーボエの掛け合い、フルートのパッセージはエモーションの奥深いところまでシンクロナイズして語り掛ける。こんなインティメートな演奏はそうはない。第2楽章のppの深さ!こうでなくてはここのロマンは出ない。終楽章、物理的なことだけいえば僕にはやや速いがタッチが夢のように変わって軽いレガートでそういう気が全然しない。魔法の領域である、降参。まったくひけらかす風情はないがモイセイヴィッチの技術の凄味を見るばかりだ(ラフマニノフに「後継者」と言わしめた)。外へではなく、内へ内へ奉仕する。そういうスゴ技があざとい知恵や計算でなく音楽に合わせて変幻自在に現れる。小さなミスタッチはあり、猛練習で追い込んだりテープを切り貼りした感じはない、精神の深奥まで共感した音楽がいつも必要な音になって自然に流れ出てくる、若いピアニストの皆さま間違ってはいけない、ピアノがうまいとはこういうことなのだ。素晴らしいものをyoutubeで教えてもらった、オーディオで良い音で聴きたくすぐCDを注文だ(評点・5)。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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吉田 康子
7/23/2017 | 10:13 PM Permalink
シューマンは私も大好きな曲です。イマジンオケが出来る以前、どうしてもこの曲に挑戦してみたくて当時ご縁のあったリヨン在住のプロ編曲家に室内楽版を依頼して2010年にライヴイマジンでの演奏が実現しました。ピアノ独奏楽譜はブゾーニ版と迷いましたがブライトコプフのクララ版を取り寄せ、指揮者無しの弦楽五重奏との共演となりました。ちょうど来日した編曲家本人にもご指導頂き、実り多い機会を得ました。
ドラマチックな冒頭部分からうっとりするような旋律に演奏者全員が酔いしれるような魅力がありますね。第2楽章は次への間奏曲としてあっさり速めのテンポで。第3楽章の中間部にはトリッキーなフェミオラには皆で苦労しました。指揮者コンクールの課題曲にも使われるとか。私は全曲を通じて終楽章後半の踊り出すようなコーダがとても好きで一番先に取り組みました。技術的には比較的易しい協奏曲といわれますが、シューマンだけあって内省的で美しく複雑な曲想は独特の難しさがあります。
もちろん色々な演奏を聴きましたが、ミケランジェリがアメリカデビューにこの曲を持っていった時の大見得を切るような自信たっぷりの爆演、ドライなギーゼキングのバーデンバーデンでの熱いライヴ、レーゼルの叙情的な演奏などが印象に残っています。
演奏評価だけでなく弾く立場からの共感も耳を傾ける要素としてアリだと思いました。
東 賢太郎
7/24/2017 | 12:11 AM Permalink
「終楽章後半の踊り出すようなコーダ」とは、ピアノのトリルにホルンがミーシミーと合いの手を入れて、イ長調のトゥッティで第1主題を2度ffで繰り返したあとのピアノによるニ長調のmfの部分のことでしょうか。僕はそこにもっていく、直前のE7⇒A7の和音が大好きです。これ天才です。
吉田 康子
7/24/2017 | 2:21 AM Permalink
http://ks.imslp.info/files/imglnks/usimg/3/39/IMSLP31875-PMLP03738-Schumann_-_Piano_Concerto,_Op._54_(orch._score).pdf
そうです。このスコアで3楽章619小節からピアノのトリル、ホルンの後の661小節がE7で662小節がA7ですね。そのあとのmfでのピアノソロ663小節のイ長調のメロディが好きです。また803小節の旋律が811小節で陰を持って繰り返されるところは泣かせるところだと思います。
東 賢太郎
7/24/2017 | 8:57 PM Permalink
はい、それA7が導いてニ長調です。ここは長いコーダの入り口ですね。それから泣かせる811小節からですか、そこも大変面白いですね、Dm、G7、C、Fと不意にハ長調系にさまよいこんで束の間の夢に遊びますが、これはフェイントであって、その直後に悲痛な減三和音を根音でシ、ド#、レ#、ミ#と4つも(!)長2度づつ持ち上げて(これは凄い、他に例を知りません)緊迫感を引き戻して嬰ヘ短調に行くという和声のドラマです。そこから一気に終結だから吉田さんのお好みの部分にシューマンの主張を強く感じます。ハイドン、ベートーベンが交響曲で終結直前に弱音にして音楽を止めてから脱兎のごとく終結へ突進するのを想起させますが、彼らの場合はユーモアにも聞こえます。シューマンのここはテンポは変えずに音量と和声の抒情で勝負ですね、シリアスでロマンティックな人だったように感じますし、全曲にわたってですがクララをすごく愛してたんだとひしひしと伝わります。彼女がこのコンチェルトを大事にしたのは当然に思います。クララ版というのは知りませんでしたが、全音とはどこが違うのでしょうか?
吉田 康子
7/25/2017 | 11:25 PM Permalink
私は全音の楽譜を持っていないので、具体的な違いはわかりません。先にブゾーニ版と書いたのは私の記憶違いで、リストの高弟ザウアー校訂のペータース版でした。ブライトコプフのクララ版と比べると、スラーの掛け方やアーティキュレーションの違いがありました。一つの曲について複数の楽譜を購入して比較検討するのは、とても勉強になります。
国内版は校訂者が明記されていないものが多くて、楽譜に対する責任の所在が曖昧なように思います。
西村 淳
7/28/2017 | 6:46 PM Permalink
CDでもレコードでも同じことが言えますね。
海外のCDにはプロデューサー、エンジニア、録音場所、編集、使用楽譜、モニタースピーカー、使用ピアノまで事細かく情報が載っています。それは当然で、演奏すればそれでいいというものじゃないわけです。そう、著作権を大きな声で振り回すわりには、責任の所在が曖昧過ぎます。どんなものでもそうなんでしょうかね、情緒的というかこれが日本的なんでしょうか。そんなんで私は海外盤しか購入しません。
東 賢太郎
7/28/2017 | 9:29 PM Permalink
むかしカラオケで曲が終わるとテロップに「ロケ地・海外」と出てきて笑いました。クラシックも「海外」のものなんでしょうねえ。そういう感覚で育ってショパン・コンクール出ても勝てませんですね。