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「投資学」のすすめ

2017 SEP 21 17:17:39 pm by 東 賢太郎

いま米国の会社と契約の最終段階に入り99%頭がそっちへ行っている。日本的な事情を米国人に理解してもらうのはなかなか難儀で、最後は文化、経営など商慣習の問題に収れんしてくる(この舞台裏を書いたらどんなに面白いかと思うが残念ながら僕らは守秘義務がある)。本稿を契約関係者、当事者が読まれるかもしれないが問題ないし、当方の考えの開示にはなってしまうが僕は交渉はトランスペアレント(透明)にやる主義だからさらに問題ない。

ものの考え方という面では僕は米国人によほど近い。その数字は飲めない、その仕事はできないというような否定的な条件は最初にはっきり言う。できないことは引き受けない。できるぎりぎりの事は請け負ってスナイパーとしてやり遂げるから成功したらこれだけくれ、安くないけどねというような交渉のイメージだ。日本企業相手でも本質は一緒だが空気を読みながらやるかどうかの違いで、空気は関係ない米国でこんなのは当たり前もいいところだ。

核心はスナイパーとして信用されるかどうかである。その自信があるから交渉できる。僕は評論家ではない、ご指導申し上げて成果(収益)が出てナンボのもので、過去からちゃんと成果は出している。相手は大企業こっちは零細企業だが成果は大企業なりの規模だからたくさんいただくのはおかしなことでも何でもない。成果を前提として議論するからお金の話に収れんするし、契約というのは後に話がこじれた時の証文だから最もこじれるカネの話が大事なのは道理でもある。それをど真ん中に据えないで米国人とまともな交渉など無理だしオブラートに包んで「忖度」期待など逆につけこまれるだけである。

日本人はカネの話を正面きって取り扱うのを忌み嫌う。そんな詮無いこと、放っておいても決まるところに決まるだろうという逃げが精神の奥のどこかにあるのは儒教からだろう。カネというのは仁・義・礼・智・信を守って真面目に生きていれば多くはなくても入ってくると固く信じていて、銀行預金の利息は長らくその象徴だったのだ。低金利政策でそれが二束三文になると資産防衛、タンス預金に走り、いまは金庫が売れている。これでは資産運用をしている人そうでない人とで社会が二極化するのは当然である。元手がないならともかく、あるのにどうして行動を起こさないのか不思議で仕方ない。これは政治の問題ではなく、圧倒的に教育の欠如の問題である。

教育されていないところに投資は危険だという刷り込みがなされて、それが国民的に共有されてしまう背景には過去の証券会社の強引な営業姿勢が一因としてあったことは事実だろう。痛い目に合えば誰もが遠ざかるのは必然だが、だからといって投資よりタンス預金が得であると示す合理的根拠はない。というよりも、それが合理的かどうかは自分が勉強して合理的に決めなくてはいけないのだ。働けるうちは自分が働くのは当然として、貯めたお金にも働いてもらったほうが資産形成に有利なことは火を見るよりも明らかだろう。それが投資であり運用であって、老後の資金が心配なら早めに学んで手を打っておくことだ。

いずれ後進にポストを譲ったらボランティアで投資の教職をしたいと思って調べてみたことがある。なぜなら得てきたものを社会にお返ししたいが僕にできるのはそれしかないからだ。ところがボランティアというのは逆に需要がないとできないのであって、その有無の調査でめんどうになってしまった。本業でカネに厳しいのに不思議に思われようが会社の収入(売り上げ)は社の実力査定であり存在価値証明だ。会社が手を離れても存続していくには決定的に重要であり、だから冒頭の交渉を全力でやっている。しかし僕個人の人生は別な話だ。

個人としてはこの齢になるともう自分を奮い立たせてくれる物しかできなくなっている。投資を大学よりも中学、高校あたりで理論的な基礎からじっくりと教えてあげたいがカネの話を忌み嫌う風土ではそんな授業はとても無理だろう。明日上がる株を教えてくださいなんてのに付きあう気は毛頭ないし、そもそもそんなのは投資ではないのであるという根本的概念から教えなければ業者のセールストークやちゃらちゃらした投資本にひっかかるだけだ。投資は森羅万象の学問といってよく、経済学、会計学はもちろん数学、物理学、心理学、統計学、歴史学、哲学、法学に関わる『投資学』だと体系化して考えるべきものなのである。実際の投資運用は投資学を基礎医学とするなら臨床医学に相当するものだ。

投資の概念が日本に根付かない原因は明白だ。それは東インド会社による東方貿易で巨利を追えば相応に損失が発生する危険も増す(リスクリターン均衡の法則)ことを18世紀の初めごろ実証的に英国人が知ったことがおおよそのルーツだが、蘭学に始まり独、仏等大陸の社会インフラに学んだ明治以来の伝統から日本は英米ルーツのものに疎い傾向があるからだ。法律でも信託の概念が欠落しているのはそれが英米法由来だからである。投資がバクチの別名だという認識はドイツ人にも広くあり、英米概念の非浸透性を当地で業務をしながら痛感したものだ。日本は今も精神の底流はドイツ同盟国でありクラシック音楽界もN響の常任がデュトワ以前はドイツ系ばかりだったのも同じ理由によって同じことが起きたに過ぎない。

和魂洋才の「洋」が明治時代のドイツでストップして英米にならずにいるのは鬼畜米英という刷り込みが原因だろう。戦争は罪深い。原語は平安期の和魂漢才だったが「漢」は視野から消えて久しく「米」になるには敗戦を経た心情的ハレーションが大きすぎるのだ。英米ルーツの投資学はその犠牲者になってしまい概念が日本に根付かない原因となった。それがこれから不幸な老人を増やすなら教育は必要ではないだろうか。文科省は獣医学部の増設も結構だが、全国民の約3割を占めようという65歳以上の高齢者の生活と幸福に直結する投資学に真剣な目を向けていただく必要がある。

投資の本質を理解するにあたっては、それがロンドンのシティにおいてリスクを分散する保険制度(ロイズ保険組合)とともに発展したという事実が決定的に重要である。投資と保険は表裏一体であり、株式を保有するというのは「リスクを取ること」に他ならず、だから「リスクを軽減する措置」とペアで考えるのが基本中の基本なのだ。「投資はしません、だってリスクがあるでしょ」という多くの高齢者の考えは「長生きリスク」(100歳まで生きると破産する)を恐れるならナンセンスであり、利息ゼロの世の中で投資をしない方がもっとリスクがある可能性があるのはもうお分かりだろうか。

投資はリスクテーカーがするものというこれまでの思い込みを粉々にすることこそ新しい世界に足を踏み入れる第一歩だ。それは合理的なリスクは取ってお金にも仕事してもらう人類の知恵であり、むしろ「どうリスクを減らすか」というリスクアバーター(リスク回避者)こそがするものなのである。僕自身がそれであり、僕は無用のリスクを取らないプロである。冒頭の契約交渉で「できないことは引き受けない」のはまさにそれであり口だけの評論家ではなく自分自身でそれを実践して成功しているからボランティアができる。やってもいないことを本にして金儲けしないといけない人たちのお仲間に入る気はない。

日本は明治以来欧米の良いところを吸収して大国になったが技術やインフラは取り入れても「ものの考え方」はそうしていない。和魂洋才はここでは働いてはいない。日本は戦後充分に米国化したではないかと思われるかもしれないがぜんぜんそうではない。その証拠に、そうでないから国を代表する企業が米国企業に投資して失敗して米国に買われるのである。これもマクロ的に見れば教育システムの老朽化、一旦なれば選別されない教師の不勉強が生んだグローバルエリートの不作という現象であり、大学世界ランキング凋落、ショパンコンクール優勝なしの原因でもあるのだ。僕が修士号をもらったペンシルベニア大学は世界ランク10位であり、このまま事態が変わらないならば46位の東大法学士は最終学歴に書かないようにしようかとまじめに思っている。

 

僕はスナイパーしか使わない

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