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天才演奏家はもう出ない

2017 OCT 7 15:15:20 pm by 東 賢太郎

このブログに野村君がくれたコメントは大変考えさせられるものがあった。

チェコ・フィルハーモニー演奏会を聴く

欧米のクラシック界ではかつてより日本は大市場であって、減ったとはいえいまだにCDが売れている有難い国だ。野村君の看破する通り「島国根性」あり、大衆には薄れたとはいえまだ根強い「欧米への憧れ」もあり、セレブを気取りたい新興富裕層にはハワイの別荘、高級フランス料理とならぶ洋モノ必需品としてバカ高いオペラのチケットが昔の高島屋の商品券みたいな価値を有している。

僕はグローバルホールセール証券界で38年飯を食ってるから世間の諸事の本質はすべてカネで読み解くことができると英国経験論的に確信を持っている。どんな複雑怪奇な出来事も紐解けばカネであって、もしそれでもわからないことがあればイロが原因だと考えてほぼハズレはない。イロもほとんどカネで片が付くのが冷たい現実だから、ほんのおまけではあるが。

その程度のことは口だけの評論家でも多少知恵が回ればわかるだろう。しかしカネというのは自分で千億円単位を動かしてみないとわからないものなのだ。百万円単位と一億円単位では性格が違う。千億円になるとまた違う。どっちが重い軽いではない、カネは動かす単位によって「性格」があるのである。

この野村君の教えてくれたリストを僕はそういう回路で理解するのであって、実に様々なことが浮かんでくる。明らかにカネが見えてくる。面白い。

http://www.harrisonparrott.com/artist#all

カネが誘因でヒトが動き、日々のニュースとなり、その集大成が歴史と呼ばれている。ニュースの段階でイメージ2,3割、歴史になったあかつきには5割ぐらいウソがまじっているが、それをくそ真面目に学校で暗記させられているから「私はそうは思わない」という声が出ない。大ウソはばれないから、99%の人々は自分が実は自分には関係ない、自分の懐には絶対に入ってこないカネの渦に巻き込まれて人生が決まっていることに気づかないのである。

大ウソの先入観の中で生きているから人々は毎日のニュースにある小さなウソを見抜けない。「先生とお巡りさんは悪いことはしない」「大企業に入れば安泰だ」「人生お金だけじゃない」・・ほんとにそうだろうか?そうやって疑って毎日のテレビのニュースを見ていれば少し目が覚めて、「先生やテレビの言うことは正しい」が大ウソだということもわかってくるだろう。

クラシックの有名な作曲家で天才でない人はいないが、演奏家で天才はほとんどいない。天才というのは歴史上の天皇の諡号のようなもので大体が事後的に業績の評価の絶対値が定まってから与えられる称号に等しい。作曲家の評価は作品だけであって作品は死後も残るから諡号がつくが、生きていないと聴けない演奏家に諡号がつくのは例外的なのだ。

しかし、それを認めたとしても、天下の形容詞を伴ったヘルベルト・フォン・カラヤンの名が死後30年足らずでこんなに忘れられようとは思わなかった。演奏家が天才でいたいなら、彼らも録音という作品を残すべきなのだが、それでも、それにしても、当時あたうる限りの最上の音とオーケストラでそれを最も大量に残した一人であるカラヤンにしてこの有様なのだ。では演奏家の天才とは誰なんだろう?

もちろん野村君のリストにある演奏家は当代世界一流の技術を持つ名手たちだ。クラシックを楽しむならこの人たちのチケットとを買うことに異論などはさみようもない。しかしではどの人がいいのか、そこに名のない日本人にそういう人はいないのか、この人なら平均よりもっと楽しめるのかとなると別な話だ。そして、天才とはそこに名のある世界の最上級のレベルの人達の中でもさらに格段に図抜けている人のことなのだ。

皆さんこのリストにカラヤンやカルロス・クライバーやチェリビダッケが「タレント」「売り物」っぽく並んでいる光景を想像できるだろうか?

証券取引所に上場すると株式会社は俗にチップと呼ばれる。カジノでおカネ代わりに使う丸いプラスチックの札で、優良株は「青札」(ブルー・チップ、blue chip)、香港上場の中国株はレッド・チップなどと呼ぶ。ポテトチップもchipである。企業の個性はいろいろでも上場したら規格製品であることは証券取引の法制面では重要だが何とも安っぽい印象をもたらすのも事実だ。リストは音楽家がチップ化した印象を僕に与えるのである。

こうなるとそこで誰かを選別して答えを探すことに僕はあんまり情熱を持ちえない。AKBの女の子の誰と握手したいですかという問いとかわらない。演奏家は生身の人間だ。好不調もあろう、まあここにいる人はうまいんだろうから誰でもいいんじゃないと思考停止する。僕は神だったピエール・ブーレーズがニューヨーク・フィルを率いて日本でやった春の祭典を聴いて、なんてことないフツーの演奏で幻滅した経験がある。いやあれは猿も木から落ちるであって何かの間違いだろうとフランクフルトでロンドン響のをまた聴いたが、やっぱりフツーだった。

ということは彼のレコードの方が特別なのであって、録音技師やミキサーらの合作効果だったと思うしかない。後のDGとの同曲録音はこれまた見事にフツーなのだから、あの奇跡のような69年のCBS盤は録った時点でのあらゆる要素がうまくかみ合った録音作品なのだ。高倉健がマンションとベンツを売って凍傷にまでなって撮った映画「八甲田山」みたいな一期一会の「作品」だったと評価したほうがいいのだろう。ブーレーズは天才であり続ける稀有な演奏家になれたかもしれない。

ところがネット社会化が進み音楽は「コンテンツ」となってばらまかれる世の中だ。春の祭典など無料で何十種類もyoutubeで聴けてしまう。そこにスタジオでコストをかけてもう1種の祭典を市場に放ったとしてどれだけの収益が望めるだろう?おカネで見るとはそういうことであり、それならyoutubeでコンサートを無料公開するかライブを安価にCDにして広く買ってもらい、次のコンサートに来て高いプログラムやグッズも買ってくださいというビジネスモデルになる。欧米はもう何年も前からそれが常識だ。

そういうおカネ環境の中だから、録音機会が減ったばかりか、あってもライブの一発取りばかりでスタジオ録音が激減している。俳優のブロマイドが消えてスナップ写真ばかりなったわけで、自撮りに毛が生えたような写真だけ残してレジェンドになれといわれるようのなものであって、現代のクラシック界で演奏家が天才として歴史に名を刻むのは至難なのだ。どんな名演をしてもライブの一発芸で消え去るなら会場にいたせいぜい2千人の聴衆の記憶に残る以上の拡散はない。その程度の拡散がネットの拡散に勝利する蓋然性は残念ながらほぼゼロであり、チケットをタダでもらったお兄ちゃんが「つまんね~」と書きこんだツイッターひとつで名演が葬られる危険だってある。

ネットが音楽家の録音機会を奪い、天才になる機会まで奪う。そんな時代におカネとリスクをかけて音楽家になろうという若者が続くのだろうか。先日、ある弦楽器屋の店員さんと話したら「音大の子の就職先がなくってね、困ったもんです」と嘆いていた。「だってオケの求人なんてほとんどないんです。定年まで辞めないし、定年になっても知った人をエキストラで使うんで」だそうだ。今は作曲家も演奏家もちゃらいゲーム音楽が食い扶持だそうで、「ベートーベンを真面目にやっても食えませんねえ、天才は別ですが」だった。

しかし、天才だって天才になるのが難しい時代なのだ。

 

クラシック徒然草-音楽のマクドナルド化-

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はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

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