日馬富士事件の謎
2017 NOV 18 22:22:25 pm by 東 賢太郎
人それぞれ生い立ちは違うから倫理観や価値観はまちまちだ。僕は子供から野球をやって上下関係の厳しさを教えられて育った。ただ持って生まれた性格は自由奔放で束縛が大の苦手だから先輩後輩のけじめにはとまどったし、なんでこの人に言われないかんのと態度は抑えても顔には出ていたはずだ。
社会人になってやらかしている。ある時、書いた調査レポートにご指導を食らって、その先輩が普段からくだらないことにくそうるせえと思っていて、ついそれを言っちゃあおしまいよというのを言ってしまった。何事もなかったが後悔にさいなまれることになった。別な先輩には理解できないことで罵倒され、うるせえと彼が去っていく方に向けて用具棚を思いっきり蹴たおして周囲に羽交い締めにされた。
ところが月日がたって30の半ばごろ、酒席で若手が酔ってからんできて東さんなんかもうジジイなんですよ、うるさいだけなんですよ、となって、なんだとこの野郎とぶち切れた。何人かが間に入って僕を止めなかったら危なかった。体育会でこういうのはあり得ないのであって、こいつは一丁かわいがらんとろくなもんにならねえなとなってしまうのはその世界で育った性だ。
このクソジジイ!とこのクソガキが!の両方やっている僕として、今回の日馬富士の件はわからない。報道による限りだが、スマホをいじってクソジジイをかましたらしい貴の岩がどうして何十発も無抵抗で殴られたかがだ。しかも頭蓋骨まで危なくて入院するほど激しくやられたら力士じゃなくたって抵抗ぐらいするだろう。そこまで先輩に悪態をつく度胸があるなら反撃すればいいじゃないか。
何かの理由で自制したなら何にビビッたかだ。相手が横綱だからじゃない、それなら最初から悪態はついていない。日馬富士がそこまでぶち切れたことにじゃないか?相手をなめていてつい言葉に出た。その程度は悪態という認識がなかった。それが引き起こしたリアクションの物凄さに慄然としてまずいとなったのではないか?だったら教育の問題だろう。貴の岩も被害者かもしれない。
モンゴルの人だ。ウルトラ儒教的体育会的と思われる角界の先輩後輩のけじめは教育されなければ自明のことではないかもしれない。日馬富士はそれを日本で苦労して修養し、郷にいれば郷にしたがったわけだ。そのけじめが古いのかどうか是非を論じる気はないが、自分の育ちからしてぜんぜん悪いと思わない。古いイコールいかんがはびこるなら江戸時代のチョンマゲなんか取ればいいだろう。
警察ざたになった以上暴力は暴力として、行為として、是々非々に裁かれるのはいいが、誰も知らない変な反戦のおばさんみたいのがテレビに出てきて暴力はとんでもありませんで議論をまとめにかかるのも角界御一新みたいなにおいがしてくるのも非常に違和感がある。
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Categories:______世相に思う
東 賢太郎
11/20/2017 | 4:49 PM Permalink
相撲部屋というのは公益財団法人日本相撲協会から助成金や維持費が出ていて力士、行司、呼出、床山が所属を義務づけられていている下部組織である。僕は内規(相撲協会の定款)を読んだわけではないが、読むまでもない。ガバナンス上は協会が本社(50%超の株主)、部屋は支店(せいぜい子会社)のような存在と見るべきであって、なぜなら、もしそうでないなら、有力な親方が独立して興業主が乱立するプロレス界のようになってもよい、つまり相撲界の中央集権的統治機構は揺らいでもよいという立場の意見ということになるわけで、国技であり唯一営利事業が許される公益法人という性格上それが許容されるとはまったく考え難いからだ。
その前提からして、社内の大学OB会で支店の部下が先輩に殴られたといって支店長が「俺が殴られたと一緒」と息巻くのはコンプライアンスを理解してない、それこそが古い体質の行動としか言いようがない。しかも支店長は「巡業部長」という本社の執行役員であり、事件は業務責任範囲そのものである巡業中に起きている。本社取締役会にはわかりませんと報告しておいて警察に行きましたというのは会社のガバナンス(おそらく協会の定款、内規に業務規定があるだろうが少なくとも社会の常識として)違反行為であり、まともな会社なら即刻クビである。その執行役員を守れば株主総会で社長がクビになるだろう。殴ったOBがビール瓶を使ったかどうか等とは区分すべき議論であるが、一点だけ相関性があるとすれば、仮に怪我が重ければ重いほど取締役会への報告を回避または遅滞した義務違反の度合いも重いということになると思料する。
東 賢太郎
12/19/2017 | 6:01 PM Permalink
あらぬ様相を呈してきた。相撲協会のガバナンスがこの程度なら神事の伝統に則って神社本庁が神主と一緒に協会理事長も任命すればいい。神社本庁は民間宗教法人だ。相撲協会も公益財団法人の玉虫色を纏うのではなく営利事業でなぜいけないのか。横審など公益性を装って品格と言いながら人気横綱には忖度する。マスコミは箔と人気にあやかって飯を食う共同体である。大相撲が一介のスポーツに落ちていいとは思わないが、この意味不明の空気によるフェイク・ガバナンスの構図には制度疲労が来ている。
東 賢太郎
12/20/2017 | 11:22 AM Permalink
大相撲興行事業体が纏うフェイク・ガバナンスを突き詰めれば公益財団法人の税制上の優遇措置に行きつく。一般国民と不平等を認める以上フェイクはやめてもらう必要がある。他のスポーツと比べれば神事、国技の大義があってこその優遇であり(少なくとも国民の多数はそう思わされている可能性が高く)、だからそれを害する行為と人気度合いを天秤にかけるなど論外である。そこにフェイクの根源があるなら根っこから断ち切らないと公益性の議論が浮上すると思料する。