「りり花」画伯は桜を描く
2018 APR 3 1:01:42 am by 東 賢太郎
桜はあんまり好きではない。ピンク色がきれいとかいわれても僕には白にしか見えない。それでも京都で見た満開の絶景は驚いたからべつに嫌いというわけではないが、あんなのを一度見れたんだからラッキーだった、もういいやという心境になっている。人ごみをかき分けながら落ち着く所もなく、「今日がピークですね」「明日は雨ですよ、もうダメですね」「運が良かったですね」なんて声があちこちから聞こえてくると、ああ運が悪かったなと嘆く性分なのだ。
というのは、株屋的には猫も杓子も買いだと騒ぐピーク(天井という)で株を買うのはばかだという感覚があるせいもあり、明日は落ち目だという夢のなさは嫌いだという人生観もあるが、なによりこんなに大勢の人が押しかけて大騒ぎしている桜なんだからきっと最上のものなんだろう、それが今日で終わりだとなると楽しまなくては損だという気になるからだ。するとそれがむくむくと強迫観念?になってきて、ただでさえ雑踏にもまれてそう楽しいとも思わない時間がだんだん苦痛になってくるのだ。
桜は不気味な植物と思う。たわわに重そうな花弁をびっしりと贅沢三昧に咲かせておいて、それで花粉を仲介すべき蜂や蝶だらけになったのは一度も見ない。これは何のためだと不可思議に思っていると、あっという間に散っている。エネルギーの無駄?でも人間以外の生物は生存、生殖に無駄なことはしないと教わっている。じゃあ、あれは何だ?
無駄?そうじゃない。日本中に桜は植わって子孫は大繁栄してるではないか。生存競争の勝者ではないか。そうか、ということはあれは桜が考え抜いたドラスティックな生存戦略なのではないか?食虫植物はメスの似姿を囮(おとり)に見せたりいい匂いを漂わせて虫を呼んでおいて食べる。桜は妖艶に人を酔わせてカラオケを歌わせて和歌まで詠ませて、食べないけども、あちこちに植栽させたり桜並木を作らせたりする。
つまり、あれは人間をターゲットにおいた囮(おとり)であって、人間のメスの似姿はちょっと難しいので「開花ショー」「お花見サービスタイム」というエンタメ系で釣ろうというものだ。きれいなだけじゃあ飽きられるので、飽きがくる前に「桜散るショー」でダメを押す。虫を呼んで交配させる?小物の発想だね。俺たちは大物しか狙わないのよ、ヒトよ、ヒトを惑わして悲しませて、また来年見たいと誘導して種を蒔かせるんだ。ぜんぜん効率いいぜ。
まあ真偽のほどはわからない。でも桜をぼんやり眺めてると、そのぐらいの仕掛けは難なく講じられ、まんまと騙され、ひっかかっている感じがしないでもない。だから不気味なのだ。
植物に知恵がないなんてことは考えられない、だって、だいたいハチのメスに似た花なんかどうやって考えつくんだ?どうしてそれでオスが寄ってくると知ったんだ?それがちゃんと似ているぜ、オッケー!と、どこから見て(感知して)判断したんだ?それに明確に答えた人はまだいない。明確なのは、それはわからないけども、そういう植物が確かに存在しているということだ。
植物や動物にはメカニズムは不明でも人間並み(以上)の観察眼も生きる知恵もあるという生物学者はいる。TVに出ていた「市原ぞうの国」のアジアゾウ「りり花(か)」の桜の絵を見て、まさに度肝を抜かれてしまい、それを思い出した。
見事な構図、タッチ。これは間違いなく、僕よりうまい。途中から番組を見てまず絵が画面に出たので、「いい絵だね、誰のかな?」とつぶやいた。ところがなんと・・・。嘘だろうと思ったがそうではない、りり花の母親の「ゆめ花」の動画がある。
ゆめ花さん、りり花さん、お会いしたくなりました。youtubeを探すと、あちこちに画伯がいた。
あれを描けと指示したわけではなさそうだし、おじさんが絵筆を渡してはいるが筆の色を見てあるべき場所に塗っているということは色もわかるんだろう。まいった。ということは象も桜を見るときれいなのに違いない。
桜の戦略に驚くべきなのか象のアーティスト魂に驚くべきなのか??
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トム市原
4/3/2018 | 8:35 PM Permalink
なるほど桜にはそう言う知恵があったのですね。
小生は植物が好きで、此処でも未だに新種と思われるもの(固有種)が見受けられます。
植物は人類などが発生する以前からこの地球に出現しています。
人間の考えなどお呼びも附かない方法を身に付けています。
象の画伯、色に対する認識、構図への認識などあのでかい図体、色彩感の無い肌色、どこから絵画を学ぶのでしょう。
小生も絵が好きです。
しかし、自分では書けませんので写真へ入ったのです。
写真が発明される以前の画家は人や動物の動きの一瞬をとらえています。
現代の画家はスマホで撮ったのを見ながら書いているそうですよ、現代人は横着ですな。
東 賢太郎
4/3/2018 | 11:14 PM Permalink
「現代の画家はスマホで撮ったのを見ながら書いているそうですよ」
似た話ですが、新宿 末広亭で「近頃は落語家も高学歴でしてね、しがない古手は落研においやられてます。でも、偏差値高いんでね、みんな昔の真打の録音聞いてまねしてみんなおんなじに聞こえるんですよ」と先輩のネタになってました。象の絵は直感に飛び込んでくるものを感じました。スマホの画家は腕はあっても感性が鈍ってやがて何も描けなくなるんじゃないでしょうか。世の中はAI、IOT、自動運転車と生活がどんどん便利になりますが、その分どんどん直感や野生が退化していく気がします。ポナペの自然を呼吸している市原さんが一番人間らしい人生を送られていますね。
東 賢太郎
4/4/2018 | 1:18 AM Permalink
僕がこのブログを書く気になったのは(疲れてます)象の知性にびっくりしたからです。このことがどうして広く知られてないのか、僕が疎かっただけなのか。犬やカラスが数を数えたって、そのレベルじゃないですよこれは。象の理解が根底から変わりました。これを見て「へ~象さんお絵かきできるんだ」で終わってるとしたら、そういう人間と象と比べると・・・。知性への敬意ですね、僕の中にすごくそれがある。それを教わりました。
トム市原
4/6/2018 | 7:09 PM Permalink
なるほど 「スマホ画家は感性が鈍る」確かにそうかも知れません。
拙宅に長く居候していた画家が居て、貧乏して南国の絵を描いていました。
さだめし、「ポナペのゴーギャン」と有名でした。
しかし、彼の絵を見ていると金の無いときに必死に成って描いた絵はどれも素晴らしく 、やがて金が入りカメラを買いその写真を見ながら描いた絵はまるっきり陳腐で、驚いた事に本人は全然意に介さない、指摘しても判らないのです。
ここの友人宅に彼の絵が数枚ありますが、素晴らしい絵が数点,後は見るだけでこちらが恥ずかしくなる物ばかりです。
東様 来ポナペの際、ご案内 しますから興味がありましたらどうぞ。
東 賢太郎
4/7/2018 | 2:29 PM Permalink
市原さん、「やがて金が入り」が問題かもしれませんね。ゴッホも絵は売れなかったからよかったかもしれません。象は描くと餌でも出るんでしょうかね、報酬なしでやってるとすると真のアーティストですね。