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スポーツマンシップの正体(日大アメフト部事件)

2018 MAY 25 2:02:39 am by 東 賢太郎

清規(せいき)と陋規(ろうき)という言葉がある。清規(せいき)とは人を殺めてはいけない、喧嘩や盗みはするな、借りた金は返せなどだ。法律が禁じたり義務づけているものはすべてそれだし、親孝行せよ、正直にせよ、弱い者は助けよなどの道徳もそうだ。

それに対して中国には陋規(ろうき)と呼ばれるものがある。薄給の役人が賄賂をとって生計を立てる。無論悪いことなのだが、それを為政者は(薄給に止め置く張本人なのだから)あえてお目こぼしにする。その代わりに「一定のルールを守ってやれよ」という。その最低限のルールが陋規だ。

これが転じて裏社会、アンダーグラウンドの約束事、掟の意味になったようだ。任侠道がまさにそれで、やくざ映画で

「お前さん、それをやっちゃあおしまいだぜ」「待て、待ってくれ」、ズドン!

なんてシーンがあると、「あーあ、仕方ないな、あれやっちゃあね」なんて堅気でも思う・・・そういうものが陋規だ。

世の中は実は陋規で動いているかもしれない。野球などそれだらけだ。内角攻めはビビらせるためにやる。「内角をえぐれ」なんていわれる。そんなのは当たり前でそうしないと好打者には打たれる。捕手が打者の懐のあたりに構えることもある。それで手元が狂って当ててしまったこともある。度を越して「それをやっちゃあおしまい」となるとプロなら乱闘だ。

巨人の山口投手が横浜ベイスターズ時代に、広島カープの会澤の顔面に死球をぶつけてグラウンドに救急車が入る大騒ぎとなった。会澤はしばらく入院した。それがありながら先日、山口は2打席連続で会澤にぶつけた。これにはベンチも騒然となり、まさしく「それをやっちゃあおしまい」であって、血相変えた会澤がマウンドに向かっていって乱闘寸前になった。山口が故意でやったとは思えない。会澤という打者が苦手なんだろう。

さらにその末にあったのが一昨日のゲームだ。巨人先発はお待ちかねの山口。ここで広島の緒方監督は普段は7,8番の会澤を5番に入れた。これはファンならわかる異例の打順で、会澤を含む全選手の発奮を促すオーダーだったと思う。この試合、発奮したのは山口で2安打完封した。カープもあっぱれと思ったろう。男の勝負というのはそんなものだ。

そういう場にわけのわかってない人たちが出てきて「内角をえぐれと命令されたんですね」とか「傷害罪ですね、未必の故意があります」とかなるのは誠に興ざめだ。そんなことのないよう、つまり勝負事としての投球術の常識の範囲で処理できるように「危険球退場ルール」ができたのだと思う。意図は微妙に不純だがあえてお目こぼしにする。しかし「頭を狙うなよ」という裏取引の最低限のルール(陋規)が明文化された(清規になった)レアなケースと思う。

アメフトで「潰してこい」が何を意味するかは知らない。「思いっきりいけ」「ぶちかましてこい」程度の発破ならぜんぜんありだが、チームに一人しかいない要のQBをあえて狙った、2秒後だったということで「よほどの場合」になってしまったのは仕方ない。世間でなく相手チームが怒ったということだからこれは明らかに陋規違反なのであり、法律が出てくる以前に現場の掟として許されないことだ。

問題は実行した選手が泣いていたことで、陋規違反とわかっていたからと思われ、ということは清規においても故意があった実行犯となるだろう。監督、コーチは「潰してこいはどこのチームもかける発破だ、まさかあんなことをすると思わなかった」とするのが常套だろう。監督らにも故意が認められ教唆(共同正犯)になるかもしれないが3人悪いことになるだけならば何とも救いのない気の毒なケースだ。

陋規を書いているのだからマキアベリ風、半沢直樹風に徹しよう。敵の主力が不調になればありがたいと監督、コーチが思うのは、思うだけなら罪ではない。内角をえぐるのはスイングをおかしくしようという実力行使でもある。巨人以外の全監督は菅野がイップスになって二軍落ちでもしてくれればラッキー、しめしめだろう。「そう思うこと自体いけないですね」などと善人を演じないと常識人、知識人ではないという風潮は「女性をいやらしい目で見たらでセクハラです」と取り締まるに似る。男にそういうことはさせませんと子供にウソを教えて無菌室で育てるようなもので、かえって怪しい男がわからなくなって危険である。

「スポーツマンシップ」という言葉は、往々にしてマスコミによってその文脈で使われる。「わけのわかってない人たち」が善人を装う場においてだ。敵の主力が不調になればありがたい?とんでもありませんね、青少年に夢を与える場ですよ、そんなこと考えるだけで不純です。こうして「女性をいやらしい目で見る男はいない」という虚構のお花畑が作られる。そうやって昨今巷にあふれだした勘違いの青少年が作られていくのだ。これはいずれ日本を滅ぼす。スポーツだけはそういう子を作らない最後のバックストップなのに。

今回、日大のコーチが言った「潰してこい」は昔の子なら含意とTPOを忖度してぎりぎりの偶然性を装う中で実力行使をしてきたかもしれない。そういう忖度反応が見えないことが、才能があるだけに、監督のこの選手への「成長不足」という苛立ちの蓄積となり、それをおまえの指導不足とされそうなコーチが本来は含意に留めて言わなくてもいい本音の部分をわかりやすく「解説」してしまった。その通り実行しないと干されると思いつめた選手が素人目にも異常な形で彼なりにその通りに泣く泣く実行してしまった悲劇というのが真相なのではないか。

「スポーツは青少年の健全な心と体の育成の場です」。よく耳にする美しいメッセージだ。僕も育成してもらったが、覚えたのは勝負事(=ケンカ)の掟だけで美しい心が育成されたかどうかは自信ない。勝負からどうして走れメロスみたいに健全で、修道女みたいに敵まで思いやる精神が出てくるのかは僕にはわからない。体育会なる言葉は昨今イメージが甚だ良ろしくないが、それは日馬富士騒動で角界の古い体質だとこきおろされたものと重なる。体質ごと悪いと切って捨てるなら勝負事の面白みは消える。水清くして魚棲まず。人を殴るなんてとんでもないとなればボクシングはいずれ廃止になるだろう。

おそらく、誰も相撲やアメフトを廃止したりつまらなくしたいわけではない。ラフにやってもいいけど「一定のルールを守ってやれよ」、つまり、冒頭に書いた「陋規」を守れという事なのだ。その陋規こそがスポーツマンシップと呼ばれているものの正体であって、そういう名の法律やルールブックがないのはそれが裏社会、アンダーグラウンドの目に見えない掟という性質のものだからである。スポーツが文科省推薦の「青少年の健全な心と体の育成の場」なら立派なスポーツマンシップ憲章でもできるだろう。しかし、幸い、まだそれは勝負事(ケンカ)でいる。

僕が気になったのは日大の監督が「我々は常にルールを守ることを原則としている」と繰り返し抗弁したことだ。そんなことは当たり前である。「それならルール違反した選手をなぜすぐに退場させなかったのか」と記者につっこまれて「見てませんでした」とあえなく撃沈されてしまった。むしろ、ルール違反でなければ何をしても良い、つまりスポーツマンシップにもとる行為かどうかは二の次だとも聞こえる。

そうではない。陋規であるスポーツマンシップが根っこにあって、そのうえで、清規であるルールブックが出てくるのである。この事件が日大にとってまずかった最も本質的な理由はタックルがルール違反だったからではない。

やくざ映画で「お前さん、それをやっちゃあおしまいだぜ」「待て、待ってくれ」、ズドン!

になってしまったからなのである。その音を聞きつけて、アメフトを人生で初めて見たルールも知らない堅気衆が「ルール違反だ」と騒ぎ出したのが事の顛末だ。そこで「ルールを守ってます」と抗弁するほど頓珍漢な見世物もなかった。

山口は会澤に3発も当てて大怪我させたけれども、死球は禁止するとルールブックには書いてないのだから「巨人軍はルールを守ることを原則としている」と言えば言えてしまうのだ。しかしあの3発は誰の目にも異常でスポーツマンシップに反すると見えた。だから会澤が怒って彼をぶん殴っていても世間は批判しなかったろうし、警察も傷害容疑で逮捕しなかったろう。スポーツというものは社会行事でなく勝負事であって、法律やルール以前に陋規であるスポーツマンシップが根っこにあるという証拠である。

昨今の「法律違反でなければ何をしても良い」という風潮に僕は大反対である。危険であるとも考える。なぜなら、世間は法律というものに嫌でも縛られるが、ほとんどの人はそれをよく知らない。知識人という名の大衆も知らない。「セクハラ罪という罪はない」という麻生大臣を「ある」と思って批判した人が多いのは、僕は彼をかばう気はないが、危険だ。清規というものは為政者の道具だからである。根性論が嫌いだからとスポーツに「清規の網」をかぶせ、こういう事件があるとここぞとはりきって体育会精神をファシズムだと批判するような軽薄な風潮は、そっちのほうがよほどファシズムの温床となり得るのである。

「清規の網」をかぶせられ、スポーツ界がケンカでなく綺麗事のショーに堕落すればいずれ人気は凋落する。大衆は殴り合いや昏倒シーンが見たい、流血も見たい。格闘的要素を含むスポーツは「陋規がある」ことを前提に、ローマ時代の昔から大衆の野蛮なニーズは目的ではないような顔をしながら非日常空間を提供する場として存在している。ボクサーが傷害罪にならないのはそれが刑法35条の正当業務行為だからだが、合法だからボクシングがあるのではない、ボクシングは面白いからあるのである。

 

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