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「ゴッドファーザーの血」を読んで

2018 JUL 2 22:22:17 pm by 東 賢太郎

僕のやくざ映画好きは周知だ。観ているとけっこう入りきっている自分があって、それのルーツは横山光輝の伊賀の影丸にあるのだが、役者でいうと高倉健にあこがれていたし、ゴッドファーザーのドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)など、まさにああいう男になりたいと思って生きてきた感すらある。老いるのは嫌だが、だんだんそういう歳になってきたじゃないかと慰めることにしている。

若いころ仕事のチョンボでやくざから大金をとりたてる羽目になった顛末を書いた。

どうして証券会社に入ったの?(その8)

命が危なかったがあの親分は会社の上司よりはずっと大物だったわけで、おかげで僕は人間の欲得の業(ごう)の深さ、臆せず筋を通すことの大事さを目の前で本物のやくざに学ばせてもらった。以来、綺麗ごとのオモテの世界でうまく世渡りしようなんて連中の恥ずかしい小物ぶりは無視しながら生きている。

イタリア・マフィアにはファミリーというものがあるが神山先生によると中国人はやくざでなくても一般の人がみなそうらしく、国や会社よりファミリーの安全や利益が優先するという。つまり国益なんて概念はなく、共産党幹部にしたってそうであり、彼らが何千億円蓄財しても騒がれないのは独裁権力の圧力もあるがファミリー優先の原理ではそれは必然の結末であって、できれば自分の一族からも金のなる木が出て欲しいぐらいのところが誰にもあるのだそうだ。韓国も似るが、元大統領、財閥に富を吐き出させるショーでガス抜きしながら、しかしそれを連綿と続けているのだから本性は日本よりずっと中国寄りということだろう。

先生曰く僕はファミリーの一員である。龍門気功第九代伝人の一家であるのは光栄だが、そのことはファミリーが必ずしも血族ではないということを意味してもいる。血族に発してはいるが、そうではないその配偶者が入り、中で育った同志が入って広がる。それが運命、損益共同体であることはゴッドファーザーを見ればわかる。末端の民まで自分の利益より国を思うというのは国民国家の鏡のようだがそれは明治政府の作ったフィクションであり、形だけとはいえ世界的には稀だから金王朝は範としたいだろう。トランプの血族の扱い方を見れば、星条旗にあれほど忠誠を誓う米国人だって我々よりはそれにずっと寛容なことがわかる。

ボスの仕事はファミリーの生命と生活を守り、カネになる仕事を見つけることなのだ、それも5倍にも10倍にもなる。その仕事が合法か違法かの差と、表向きの綺麗事の看板さえ度外視すれば、証券業でボスになるというのはそれと変わらない。ちなみに僕のファミリーは家族、社員および昔からの切っても切れない仲間たちである。それを和風に服部半蔵の伊賀忍群に例えたが、アウトローか公儀隠密かという点はポイントではなく、ボスとの結びつき方にその個性はある。そういう前提を理解していただけるならば僕はコルレオーネに近いし、普通の日本人よりは神山先生の描いた中国人像に近いと言って差し支えない。

親父はまじめな銀行員だし母も普通の女性で、あんなやさしい両親のもとでどうして自分だけそんな風になったかは長年の謎だった。証券会社に入ったせいだろうとぐらいに思っていたし、それなくしてこうはならなかったのは事実だが、この本を読んでいてあることを思い出した。たまたま本屋で目にはいった「ゴッドファーザーの血」だ。著者マリオ・ルチアーノ氏はドン・ヴィトー・コルレオーネのモデルになったラッキー・ルチアーノの末裔だ。茅場町のイタリア料理店主になるまでのあれこれはどんな小説より奇なりであって、人に歴史ありだがやはり血というものもあるのかと感じた。彼は17才でお母さんからそれを聞いたようだが、僕も野村に就職するよと母に伝えたら「やっぱり血なのかしらねえ」と23才で初めてルーツの話をしてくれた。見ようによっては自身が相当の悪党でもあった伊藤博文が石碑を建ててくれたぐらいだ、子孫がヤクザ映画好きになるなりのことはあったかもしれない。

マフィアに裏切りはつきものだがマリオ氏はそれで血族までばらばらになった。裏切りは極道だけの話でなく人間は本来そういうものなのであり、シンプルでストレートなマフィアの世界に浮き彫りになって見えているに過ぎない。僕も何度か裏切りにあったが、一度はコルレオーネ流に言うならそいつをぶち殺しに行った(もちろん「社会的」にだが)。なぜそうなったか彼は絶対に知らない。半沢直樹シリーズが流行ったように銀行も壮絶というのは4年半お世話になって知ったが、人事抗争という強弱が表に見えるものという印象であった。

こういうことは孫氏や三国志や君主論を読んで学ぶというより、自分で危ない目にあって骨身に染みるという性質のものである。喧嘩をしたことのない男に技だけ仕込んで修羅場で使い物になるわけではない。証券営業マンでしたというと恥ずかしいとでも思っているのかその経歴を言いたがらない元証券マンもいるが、あの職業で僕は人間の業を知ったしそれで今がある。だから僕が見るのはひとえに、人ということになってくる。技能は努力で多少はカバーできるが、人物ばかりはどうしようもないからだ。

ちなみに男と書いたが性別は関係ない。マリオ氏によれば「女は蛇」で、それを彼ほどに語る資格もないが、イタリア人ほど気軽に女を口説き口説かれる人種とそこは違うように思う。へなちょこの男などより頼りになる女性を何人か知っているし、証券の仕事は男しかできないというものでもない。だから、そこで人物の基準として「スナイパー」というユニセックスな言葉が僕の場合は出てくる。狙撃手というとマフィアっぽいがそういう含意はなく、裏切らない、口が固いという組織人としての信用の有無がすべてという含みで、要は忠誠心と実行力ということである

もちろん僕はアウトローを礼賛する者ではない。人間は陋規(ろうき)で動くと信じているだけで、大半の人は清規(せいき、法律や道徳)に従って社会生活を営むけれど、心は陋規によって別の喜怒哀楽を生むことがあるからだ。アウトローのロー(law)が清規なのだから、文字通りそれなしに陋規の世界で生きてきたマリオ氏の経験談には生身の人間を垣間見ることができ、無機質な白黒画像のごとき清規だけの現代社会に本来の彩色がされたように感じるのだ。少なくとも、トランプや金正恩のやることはその眼の方がわかる気がする。

 

僕はスナイパーしか使わない

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Categories:映画, 若者に教えたいこと, 読書録

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