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「量が質を生む」(大フーガ と K.546)

2018 AUG 9 13:13:32 pm by 東 賢太郎

データによると書いたブログは1774本になるが1675本だけ公開した。だから99本は捨てたか未完だ。モーツァルトに未完作品がなぜあんなにたくさんあるか不思議だったが、案外こんなことかもしれない。いいと思って書きだしたがほかで忙しくなる。あるいは途中で気乗りせずしばらく放っておく。そのうち忘れるか当初の情熱が失せてしまうというところではないか。

僕は男はprolific(多産)であるべきと思っていて、モーツァルトやワーグナーが生涯に書いた楽譜はまずその物量に羨望を覚える。物量はエネルギーに起因する。ゴルフなら飛距離だ。「飛距離だけじゃない」が通用するのは素人同士の話で、まっすぐ300ヤード飛ぶプロに僕らが小技を鍛えて勝つことは全く不可能である。何事もやる前からマイナーリーグ狙いというのはポリシーにない性分だ。

彼らが魔笛や名歌手だけ書いていても名は遺したろうが、実はそういう現実はない。ああいうずばぬけた質の作品は膨大な物量を(凡作を含めて)書いてこそ産み出せるのであって「量が質を生む」とはそういうことだ。始めて5年10か月だから1880日ほどで、捨てたのを入れるとざっくり1日1本というのはクオリティはともかく僕としては限界物量で、これ以上の挑戦は無理だから質も限界的ということになるのだろう。

ブログを誰に向けて書くかというと、誰でもない。ビートルズのタイトルにあった Nowhere Man(for nobody)だ。モーツァルトの和声を分析したところできわめて一部の人しか興味ないだろうし、野球技術のことを書いても経験者にしか通じないだろうということも想像がついているが、それを危惧しても何もおきない。だから、おもてなし精神なしという意味では不親切でユーザー・アンフレンドリーだと思う。

しかし、どこの誰かも知らない人の文章がフレンドリーだからといって読まれるわけではないだろう。そんな暇な人はいない。おもてなしだけで飲食店が繁盛しないのと同じだ。悪貨が良貨を駆逐するのは悪貨に人気があるからではない、良貨は選別されて退蔵される(蔵にしまいこまれてしまう)からだ。書く側が良貨だと信じることだけ、つまり、分からない人には分からないが、分かる人にはよく分かる本質的な事を書くのが本来のコーテシー、おもてなしと思う。

ベートーベンは弦楽四重奏曲(SQ)でそれをやった。ピアノソナタは自分のために、交響曲は大衆のために書いた。SQ第13番作品130の終楽章だった大フーガは初演でまったく理解されず、第7交響曲が対象としたような大衆にわかりやすい楽章に差し替えを迫られてしまった。19世紀を通して理解されない事態は変わらなかったが、百年たってストラヴィンスキーがこれを「永久に現代的な楽曲」と称賛した。良いものは発見される。

大フーガの終結部、14分35秒のユニゾンに第8番、唯一大衆向けに書かなかった交響曲の第2楽章が聞こえる。他の交響曲はそうではなかったが、8番だけは大フーガ路線で命脈を保ったのだ。こういう質の作品が量を生み出せない人、prolificでない人の手からこぼれ落ちたり、何かの拍子で天啓のごとく降ってくることは絶対にない。

大フーガはまたモーツァルトのK546(アダージョとフーガ ハ短調)の血を引いている。下のビデオの3分20秒からのフーガをお聴きいただきたい。ベートーベンは交響曲をフーガで終わらせるアイデアを温めていたが、第九交響曲でそれを合唱に置き換えてしまい、フーガはというと翌年の作品130の終結に持ってきたのだ。

このK546はK426の編曲だが、交響曲第39番(K543)と40番(K550)の間に書かれたことにご注目されたい。41番(K551)にフーガ風の終結がやってきた出自を物語る作品である。後に三大交響曲を聴かせる想定だった大衆にK546を理解させようとモーツァルトがおもてなし精神を発揮した形跡は皆無だ。それが第九交響曲を前年に書き終えて同じ心境にあったベートーベンの心に共振したのではないかと思う。

三大交響曲を書いた日々のモーツァルトにとって、書いてみようという本音の関心領域はK546のような作品だった。意識が Nowhere Man に向けばどうしてもそうなるのであり、K491(ピアノ協奏曲第24番ハ短調)で大衆に理解されないことは経験済みだった。ではなぜ、そんな中で、あれほど人口に膾炙する三大交響曲を渾身の力を込めて書いたのだろう?誰との委託も契約もないのに・・・。その謎がきれいに解ける仮説は何度も書いたのでそちらをご参照いただきたい。

歴史は史実から「演繹法的に」書くしかない。モーツァルトの1787年以降について歴史家の筆が鈍るのは、非常に筆まめで生活の細部までdescriptive(細々既述して)かつ meticulous(変質狂的に几帳面)な指示を息子に与えていたレオポルドが亡くなって、一級文献であった父子の手紙が消えるからだ。旅先から妻への他愛ない私信やプフベルクへの借金を無心する手紙の全体の分量に対する比率が必然的に増えてくるが、それはそちらがにわかに重要になったのではなく、父の手紙が質、量ともに重かったことの間接的な証明に他ならない側面もある。

クラシック音楽の評価は後世の他人の叙述の多さが作る。古いからではなく、「語られた言葉の物理的な総量」が、何物であれ、シェークスピアでも論語でも万葉集でも、クラシックになるかならぬかを決める。従って父が膨大な物量の手紙という文献を残したことが息子の評価に貢献したことは否定しがたく、それは父の群を抜いた知性が資料の一級性を担保し、それが後世の一級の知性に響いて何かを叙述するインセンティヴを与えてこそのことだった。「モーツァルト」は肉体も知性も技術も名声も、あらゆる意味で prolific な父レオポルドの作品であった。

歴史は史実から演繹法的に書くしかない。これは言うまでもない絶対の法である。しかし史実と確定した一級文献がないか足りない場合、後世の人間が歴史を叙述するために残された方法は二つしかない。何も書かないか、「帰納法的に」書くかである。そのことを無視して、何がどうあろうが演繹法に拘泥するという姿勢を貫くならば、プフベルク書簡の本数が増えた事実だけに着目し、モーツァルトは生活に困るほど貧乏だったと推量的に結論するのがあたかも合理的だということになってしまう。そしてその通り、今現在はそれが通説となっているのである。

しかし、毎日のように借金申し入れの手紙を書いて「モーツァルトは生活に困るほど貧乏だった」と結論したはずの通説が、お金にならない作曲を(ハイドンセット以外に)引き受けたことのないモーツァルトが、何の契約もなく(その一級資料もなく)、誰どう見ても渾身の力作である交響曲を3つも一気に書いたことを不思議と思っていない。自分で言っていることの矛盾を「彼は天才だから」で片づけて、「自分の言ってることが非合理ではないか?」と疑う精神を持ちあわせていない人が絶対の法だと主張するなら、「演繹法」のご利益を万人に納得してもらうのは苦しいということにならないだろうか。ロジカルシンカーがそういうものをまじめに相手にすることはだんだん減っていくと予言しておきたい。

帰納法は空想のSF小説ではない。「貧乏だった」を否定するか「資料に残っていない理由があった」と推量するのが合理的と結論するロジックの産物なのである。合理性に則るのが知性の絶対の法である。モーツァルトは使うだけのカネに困ってなかった(キャッシュフローは回っていた)が、能力に見合うだけのカネと名誉がない不満を持った徹底した practitioner(実務家)というのが僕の仮説だ。そうだからこそ、彼は契約なしに三大交響曲を書こうという決断に至ったのである。僕はどんな大家が主張しようが、手紙、楽譜という一級資料である一次資料と、政治・経済・社会環境に関わる二次資料しか信用しないが、前者の物量の多さは(日本語に翻訳されたものとしても)当時の作曲家に類例がなく、「量が質を生む」とはここでも真なりと感じる。

 

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Categories:______ベートーベン, ______モーツァルト

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